星守(ほしもり)

kutsu

星守(ほしもり)

「よしねぇ、つきをだっこしたい!」

「なんのこと。」

「ギューッとだっこしたいの。」

木曜日の19時過ぎ、3人でカレーライスを食べながらの会話だ。

「今夜は雨だからお月さまいないでしょ。」

妻が窓の方を見ながら言った。

「え?ちょっとまって。」

先月4歳になったよしは最後のひとさじを口の中に入れると窓の方に走っていった。

「ほんとだ、あめふってる。」

「幼稚園から帰ってくるときも降ってたでしょ。それよりまずごちそうさましなさい。」

よしはお月さまもいないし、おこられるしでとぼとぼと自分の椅子に戻った。

「ごちそうさまでした。」

いじけている。

妻が私の方を見ている。

よしがちらちらと私の方を見ている。

「じゃあ、今度お月さまが出たら会いに行こうか。」

「え?どうやって?ねぇねぇおともだちなの?」

急に元気になった。子供というのは切り替えが早い。

「友達というか、お父さんもお月さまのこと大好きなんだ。だからお月さま目指して真っ直ぐ歩いてってみようか。」

「うん、あるこう、まっすぐまっすぐ、ずーっとまっすぐ。」



次の日仕事から帰宅すると玄関によしが座っていた。

「どうした?どこか行くの?」

よしは立ち上がると私の手をつかみ外へ出て夜空を指差した。

「ほら!きょうはおつきさまがいるよ。

確かに今夜の空は明るく月に照らされていた。


妻の方を見ると、頼んだ!というような表情をしている。

「おべんとうももってるよ。すいとうも。おかーさーん、おとーさんのおべんとうできた?」

「はいはい、今持ってくよー。」

私は仕事用の鞄と弁当の入ったリュックサックを交換した。


マンションを出て月を目指して歩く。

よしはきらきら星を歌いながら意気揚々と歩いている。ところどころ歌詞はあやしいが訂正できるほど私も憶えていない。

ただ月を真っ直ぐ目指すのだからいつもは通らないような道も歩く。

知らない店があったり細い路地があったり、何年も住んでいるが知らないことがたくさんあるんだな、と思っていると

「あ!いぬだ、いぬいぬ、ほら、あ!ねこもいるよ!みてみて。」

たしかに路地のすみに犬が座っていた。その足の間に子猫もいる。

よしが近づいて話しかけていた。

なんだかごにょごにょと言っているようだが聞き取れない。

犬と猫は首を傾げている。


私達はまた月を眺めながら歩き出した。

住宅街を縫うように進むと川に出た。


「この土手でお弁当にしよっか。」

「やったー、ぺこぺこだよ。いぬさんとねこさんのもある?」


え?と辺りを見ると、よしの後ろにさっきの犬と子猫がいた。

犬は私と目が合うときれいな姿勢で座った。その前足の間に子猫もきれいに座った。よしも私を見上げて返事を待っている。

「お父さんのを一緒に食べるから大丈夫だよ。」

「やったー!じゃあよしのもあげるよ。」

よしは犬の頭と背中をがしがし撫でた。犬はまったく嫌がる様子がなく尻尾をゆっくりと振っている。


私とよしの間に犬と子猫が座り、一列に並んで一緒に弁当を食べはじめた。

私がおにぎりを半分に割って犬と猫の前に置いた。さらに卵焼きもそれぞれに置いた。よしがタコさんウインナーを一つ置き、あと一つしかないタコさんウインナーをどうしようかと迷っていたので、私のウインナーを置いた。

「おとうさんのタコじゃないね、どうして、おかあさんわすれちゃったのかな?」

「そうだね、忘れちゃったのかもしれないね。」

「よしがおかあさんにいっとくね。だいじょうぶだいじょうぶ、つぎはタコさんだよ。」

「ありがとう。やっぱりタコさんのほうが嬉しいからね。」

こんな話しをしている間に犬と子猫は美味しそうに食べ進めていた。


川の水は音もなく緩やかに流れ、色々な虫の声が聞こえる。私達は大きな月に照らされて夜の暗さを感じなかった。



みんなお腹いっぱいになるとまた歩き始めた。

ただただ月へと向かう。

私はよしと手をつなぎ、その後ろを犬と猫が続いた。

「よしつかれちゃったなー、はやくだっこしたいなー。」

少しずつ歩く速度が遅くなってきた。

もうかなりの距離を歩いている。20メートルほど先にコンビニの明かりが見える。

「よし、プリンでも食べようか?」

「やったー!たべるたべる!」

とたんに歩く速度が早くなり、私の手を引っぱった。

プリンを3つ買い、コンビニ前の公園で食べることにした。

よしはスプーンを上手に使って食べている。犬と子猫も美味しいのか舐めるように食べている。

「ねぇねぇおとうさん、ぜんぜんつかないね。もっとちかいとおもってたんだけどなー。」

「そうだね、遠いね。今日はもうやめとくか?」

「いやだいやだ、ぜったいあいにいく、そしてねそしてね、ぎゅーってするんだ。」

「うん、分かったよ、じゃあそろそろ歩こうか。君達も大丈夫かな?」

犬と猫が立ち上がった。

「さあ、お月さまはどこかな?」

「んー、あっち!」

私達は月を目指して歩き出した。

しばらくすると手をつないでいるよしの足取りがふらふらしているのに気づいた。顔をのぞき込むと目がほとんど閉じようとしていた。もう11時30分をまわっている。眠たくなって当然だ。私はよしを抱っこして聞いた。

「とうする?今日は帰るか?」

よしは半分眠りながら答えた。

「おつきさまだっこしたいな~。」

犬と猫が私を見上げている。

「ん〜、そうだね、会いに行こう。眠ってる間に近づいておくね。おやすみ。」

抱っこされたよしは私の首に両手を回し気持ちよさそうに寝息を立て始めた。

私はポケットから携帯電話を出した。

「森川です。はい、はい、そうなんです。じつは昨晩お電話でお願いした件なんですが、今夜は可能かな?と思いまして。急で本当にすみません。はい、本当ですか!ありがとうございます。発車時刻は変わらず0時25分てすね。わかりました。ありがとうございます。はい、よろしくお願いします。」

私は通話を終了し、画面に出た時間を確認した。少し急がなければいけない。

「急ぐけど大丈夫かな?」

私は仲間に声をかけた。

犬は私の前に出て振り向いて言った。

「もちろんです。行きましょう。」

「え?え?何?」

私は辺りを見回した。人影はない。

「私ですよ。お弁当もプリンも美味しかったです。ありがとうございました。あんなにたくさん食べる息子を始めて見ました。」

そう言いながら犬は子猫のほっぺを優しく舐めた。

私はとても驚いたが、疑う余地はなかった。

「人間の言葉話せるの?」

犬は私の方を向いて座った。

「私達は昔からずっと同じ言葉を話してきました。少しは変わったかもしれないけどほとんど一緒。でも人間は少しずつ私達の言葉を忘れちゃたらしいの。どうして?」

「そんな時代があったんですか?」

私は自然と敬語になっていた。

「お母さんから聞いた話です。お母さんもお母さんに聞いたって言ってました。」

「そうですか。そんな楽しい時代があったなんて。でもどうして私は突然話せるようになったんでしょう?」

「さぁどうしてでしょうねぇ。でもよし君は会った時から話せていましたよ。一緒に月に会いに行こうよ、て。」

よしはまだ寝息を立てている。

話したいことはたくさんあるが、今は時間がない。

「すみません。少し急がなければなりません。子猫を、いや息子さんをリュックのサイドポケットに入れてもいいですか?」

「やったー!」

子猫が答えた。

私は急いだ。時間は厳守、待ってはくれない。母犬はぴったりとついてくる。



深夜0時を少し過ぎた頃によしがゆっくりと目を覚ました。

「ここどこ?おつきさまは?」

私達は森を抜けるところだった。

「おはよう、起きたか?見てごらん、あんなにお月さまが大きく見えるよ。」

よしが抱っこをされたまま振り返った。

「わぁ〜おっき〜。すごいすごい!」

「さあ、もう少しだよ。歩いて行こっか。」

「うん、いくいくー。」

私はよしと子猫を降ろした。

森を抜け低い草が生えた野原を月に向かって歩く。よしの足取りは軽い。

「森川さーん、お久しぶりー、もうすぐ来るよー。」

少し先の方からランタンを左手に持った竹下さんが私を呼んだ。

年齢は少し上で入社当時私の教育係だった。

「ねぇねぇ、なにがくるの?あのひとおともだち?」

「お父さんがとてもお世話になった人だよ。こんばんは言おうね。」

竹下さんのそばまで来るとよしは大きな声で挨拶をした。

「こんばんは!なにしてるの?」

「こんばんは、お仕事だよ。ほらあっちみてごらん。なにか見えない?」

「ん〜なんかひかってる。おおきくなってきたよ。」

その間に私達はお互いの現状報告をした。

「あ!エミリーだ!ほら!おとうさん!みてみて!」

確かに汽車のカラーリングは機関車トーマスに出てくるエミリーに似ていた。

汽車が私達の前に停車した。運転席から石田君が顔を出した。

「森下さんお久しぶりです。お元気でしたか?あ、お子さんですか。」

石田くんの教育係は私だった。とても素直で元気で星たちにもすぐに好かれた。

「森下さんが転属してから大変だったんですよ。星の間で風邪が流行ったり、!!!星に隕石がぶつかりそうになったり。あ、社内メールで知ってますよね。でも元気そうで良かったです。」

竹下さんがよしの話し相手になってくれている。あれこれと指を指しているところを見ると質問攻めにあっているようだ。

私は石田君が元気そうで嬉しかった。たいへんだという顔にも笑顔がある。

「今夜はアルタイルに薬を届けるのかな?」

私が石田君にそう聞くと、

「さすがですね、よく分かりましたね。最近調子が悪くて、こじらせなければいいんですが。」

と心配そうな顔をした。

アルタイルの輝きが少し鈍い日が続いていた。

私はこの星守の仕事が好きだった。

夜働くため友達とは徐々に疎遠にはなっていったが、夜空を駆けたくさんの星たちと話すのはとても魅力的だった。

ほぼ毎日仕事帰りに立ち寄っていた喫茶店で妻と知り合い交際を重ね結婚をした。

子供が産まれた時に転属希望を出して日勤にしてもらった。今は汽車の整備やテスト走行を担当している。


「それではそろそろ出発しますよー。」

石田君が竹下さんと話すよしに向かって大きな声で言った。

よしは竹下さんにバイバイをして走ってきた。

「おとうさんうんてんしてたの?ねぇねぇしてたの?」

竹下さんに聞いたようだ。

「うん、そうだよ。」

「え!ほんとに!すごい!おとうさんすごい!」

「そうかそうか、ありがとう。さあ出発だよ、乗ろっか。」

わたしはよしの手を引っ張って汽車に乗りこんだ。母犬と子猫はすでに車内で毛づくろいをしていた。

ドアが閉まり石田くんの発車します!という声が聞こえた。窓の外では竹下さんが手を振っている。

汽車は静かにゆっくりと走り出し少しずつ高度を上げていく。

窓から外を眺めているよしは、あまりの景色に騒ぐことも忘れているようだ。


汽車はいつもまず月へと向かう。

よしは重たそうに犬を抱っこして外を見せていた。私が代わってあげると猫を抱っこした。

車内にアナウンスが流れた。

「月まであと45分で到着します。停車時間は20分を予定しています。良い夜をお過ごしください。」

特別な日以外は誰かが乗車することはない。当然普段アナウンスすることもない。石田君が気を利かせてくれたようだ。

「ねぇねぇおとうさん、おつきさまだっこできるかな?」

よしは夜空を眺めながら言った。

「どうだろうね、でもお月さまは優しいからお願いしたらきっと抱っこさせてくれるよ。」

私は弁当を出す時に見た。月が大好きなドーナツがリュックサックに入っている

ことを。妻はやはり気が利く。


汽車は月へとまっすぐに向かう。

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星守(ほしもり) kutsu @kunimitsu0815

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