第4話 逃走

 突然の事態に周囲は騒然としていた。先ほどまでがやがやと騒いでいた群衆も今や熱気を冷まし、処刑台の上に立つ俺たちを注視している。


 死ぬはずだった。処刑人が振り落とすその斧の刃によって、女の首は飛ぶ。そうなる予定だった。当事者ですらそう思っていたはずだ。


 しかし実際はそうはならず、刑が執行された今も女は生きており、そして俺も無事であった。はあ、よかった。


「どういうことかしら?」


 リリアーナはひどく困惑した様子で自分の右手、要するに俺をじっと見つめる。


『ああ、ごめんごめん!言い忘れてたわ!俺、こっちの世界に転移する時、実はめちゃくちゃ強くなれる加護を女神様からもらってたんだわ!その力さえあればほら、この通り!斧の一撃なんてへっちゃらですわ!あははは!』


「…そういうことは先におっしゃって欲しかったですわ。というより…」


 ――あなた、本当に異世界から来たの?とリリアーナは今更なことを言う。


「わたくし、てっきり死を前にして幻聴が聞こえるようになったとばかり思ってましたわ」


『え、ああ、そうなんだ。道理で淡々と受け入れてくれるはずだわ』


「当然でなくって?突然、自分の右手が喋りだして、異世界からやってきたとかわけのわからないことを話し出したのよ?正気を疑うのが筋というものかしら?」


 それはまあごもっともで。


「でも、そうね。おかげで命拾いしましたわ。褒めてつかわします」


『へ?ああ、うん、どういたしまして』


 うーん、俺って一応、命の恩人ならぬ恩手なんだけど、すっごい偉そうな態度だな。これが貴族の平常運転なのか?まあリリアーナの場合、既に廃嫡されてるから貴族ではないらしいが。もうこの態度が体に沁みついているのだろうな。


「貴様!抵抗する気か!」


「無駄な足掻きはやめておとなしくしろ!」


『うん?』


 気づけば、いつの間にか兵士に囲まれ、槍の先端をこちらに向けられていた。


 いくら元貴族とはいえ、リリアーナも女の子だ。突然男たちにこんな刃を向けられたらきっと怯えることだろう。一瞬だけ、彼女の体がビクッと体が震えた。


 だがそれもすぐにおさまり、再び高慢そうな態度へと戻るリリアーナ。彼女は冷淡そうな切れ長の瞳で兵士を睨む。


「ふん。処刑に失敗したのはお前たちのミスでなくって?まるでわたくしのせいで失敗したみたいに言わないでくださる?この凡愚どもが」


 なぜ挑発する?


「な!罪人の分際で調子に乗りおって…かまわん、ヤれ!」


 たぶんこの兵士たちの上司にあたるのだろう。年配の兵士が号令をかけると、それに合わせて兵士たちが一斉に襲い掛かってきた。


 兵士たちの槍が同時にリリアーナの体に刺さり、たたでさえボロボロな衣服がさらに切り裂かれる。だがそれだけだった。


 ガンッ、ガンッ、ガンッ、とまるで固い鉄骨にでも当たったかのような音がし、兵士たちの槍が弾かれた。見た目は柔らかそうな女の肌なのに、なんだか体が鉄になった気分だ。


「なんだと!どうなってんだ!」

「隊長!この女、武器が通用しません!」

「ど、どうしましょう?」

「チッ、やかましいですわね」


 苛立たしい態度で兵士に歩み寄るリリアーナ。彼女が槍の先端を右手で掴む。というか、その手って俺なんだけどね。たまたま利き手が右手だったから右手で掴んだんだよね?決して俺を使って試そうというか、そういうことではないよね?


 槍の先端、切れ味の良さそうな刃を右手で握りしめる。すると刃が食い込み、今にも皮膚が切れそうになる。しかし、切れない。ただ刃が食い込むだけで、それ以上の傷をつけることができずにいる。


「な、なにをする!って、なんだこの力!こいつ化けモノか!」


「人を怪物扱いしないで欲しいからしら。さっさと放しなさい」


「うわ!」


 リリアーナが掴んだ槍を思いっきり振る。すると力負けした兵士が槍と共に振られ、そのまま後ろへと倒れ、処刑台から落ちていった。


「ほら、お前たちも下がりなさい」


「うわ!」


「ぐぎゃ!」


 リリアーナの手は、まさに十代の女の子にふさわしい華奢な手だ。とてもこんな重量感のある槍を振り回せるような腕とは思えない。にも関わらず、軽々と槍を振り回し、近くにいた兵士を叩けば、ドンッと鈍い音とともにまるで鈍器で殴られたかのような衝撃で兵士たちは吹っ飛ばされた。


「…本当にすごい怪力ですわね」


『まったくだな。って言ってる場合か。おいそれより早く逃げようぜ!』


「逃げる?どうやって?」


『え…うーん、普通に走って逃げるしかないか』


 そう言うとなんだかすごく嫌そうな顔をされた。もしかしたらあまり運動は得意ではないのかもしれない。


 まあ見た感じ、お嬢様だもんな。


「はあ。確かにそれしか無さそうですわね。おい、そこのお前」


 リリアーナは隊長と呼ばれた男に槍の先端を向けて告げる。


「エルゴ王国第一王子ドルアス・フォン・ルーングランドに伝えなさい。お前、ぶっ殺しますわ。覚悟しておきなさい」


 リリアーナはそれだけ告げると、処刑台を飛び降り、群衆に向かって走る。とても運動不足気味なお嬢様とは思えないような高速のダッシュで、彼女が群衆にぶつかる直前で地面を蹴って跳躍した。すると、ぐんぐんと体が空へと舞い上がった。


『うお、すっごいな!お前、飛んでるぞ!』


「…」


『ん?どうした?』


「これ…飛びすぎじゃないかしら?」


『え?ああ…うん、そうだね』


 よほど強く地面を蹴っただのろうか。リリアーナの体はぐんぐんと空高くへと舞い上がっていく。一体どこまで上がっていくのか、正直検討もつかないぐらいだ。


 空は青く、そして眼下の地面がどんどん遠ざかっていく。冷たい空気が肌に触れて心地良いぐらいだ。気づけば群衆はゴミのように小さくなり、この街全体を見渡せるぐらいの高さまで飛び上がっていた。


 なんというジャンプ力なのだろう。こんなにも高く飛べるだなんて意外だった。きっと本人ですら意外だったのだろう。先ほどまでの自信に満ち溢れていた貴族フェイスが今や青く染まり、リリアーナの頬がぴくぴくと痙攣していた。


 しかしいくら強力なジャンプ力だったとしても、俺たちは別に空を飛んでいるわけではないのだ。ただ力任せにジャンプしただけ。羽なんて無いのだよ。いずれ勢いは殺され、高度を落としていくことだろう。


『あ、落ち始めた。おい、リリアーナ。なんで頭から落ちてるんだ?』


「それはですね。こんな高いところから落ちた経験がないので、どうすれば空中で体を回転させられるのかわからないからですわ」


『あー、なるほどね。それは確かにそうだな!』


 その後。リリアーナは頭から地面に激突した。それでも無傷だったのはきっと俺の加護のおかげだろう。


 こうして俺たちは処刑の危機から無事逃れることができたのだった。

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