第2話 そして異世界へ

 …

 …

 …

 …ガタン。

 …ガタンガタンガタン。


 うーん、どこだここ?


 女神様から加護をもらって、意識を失って…えーっと、そう、そこまでは覚えている。


 で、その後。意識が途切れたと思った。んで、次の瞬間には、なんだかよくわからない場所に俺はいた。


 えーっと、俺の名前は佐渡尊。大卒のフリーター。年齢は26。そろそろ真面目に仕事に就いた方が良いかなあ、なんて考えていた矢先にトラックにはねられて、そうだ、死んだんだ。


 ああ、俺死んだのかあ。まいったなあ。


 こんな簡単に人って死ぬのかあ。だったらもっと欲望に忠実に自由に生きていればよかったか…?…いや、俺、そんな我慢するようなタイプだったっけ?


 昔のことを振り返る。


 小学校から大学、そして大人になるまで、俺、ずっと遊んでたような気がするな。


 あれ?じゃあ別に思い残すようなこと無いな。


 やばい。女神様からなんかチートな感じの加護をもらって異世界転移まで果たしておいて、前世に未練がないせいかまったくやる気が起きねえ。どうしよう?


 ガタンガタンガタン。


 ってかうるせえな。ここ本当にどこだよ?


 っていうかちょっと待って。俺のこの状況、なんかおかしくね?


 辺りは薄暗く、そして狭い。というかなんかさっきから揺れている。


 唯一、明かりが差し込む小さい窓の様子を伺えば、空の景色が横から横へと流れていた。


 なんか、乗り物かな?雰囲気としては、電車の個室のような場所だった。


 ただ電車と呼ぶには速度が足りない。もしかしたら自動車より遅いかもしれない。まあ歩くよりかは早いかもしれないが。


 ガタガタと揺れる屋内で、注意深く音を聞けばなんだか馬の蹄のような音がした。


 ああ、これもしかしてあれか?馬車かな?


 そう考えればなんだかしっくり来る。なんで馬車に乗っているのか、その理由までは知らないが。


 っていうかこれはどういう状況なのだろう?


 馬車に乗っている。それは良い。ただ今度はそれとは別に新しい問題が発生していた。


 視点がおかしいのだ。


 まず自分の体のはずなのに首が動かない。唯一動かせるのは手だけなのだが、なぜか手を動かすと俺の視点が動くのだ。


 これではまるで、そう、俺の目が右手の甲にあるみたいじゃないか。


 あれれれー?どうなってんのこの体?なんかおかしくね?


 とにかく今の状況を確認したい。そんな思いから手を動かして視点を前後左右へと移動させていくと、視界に一人の女性の姿が入った。


 白い肌に、燃えるような紅く派手な長髪、それでいてその切れ長の瞳は淡い青色。年齢は十代の後半くらいの、偉く高慢そうな顔をした女がそこに座っていて、ぴくぴくと頬を痙攣させている。


『あ、どうもこんにちわ。なんか突然お邪魔してすいませんね』


「…わたくしの腕が喋りましたわ。はあ、どうやら気が触れてしまったみたいですわね」


 そこでようやく俺は現状を認識することができた。


 この偉そうな態度をした女の右腕。その手の甲。どうやら俺の意識はそこにあるようだ。


 なるほどね!どうやら俺は、異世界のどこの誰とも知らない女性の右腕に転生したようだ。


 …いやいやいや、なんでだよ。女神様!この転生さあ、失敗してませんか!


 ガタゴトと揺れる馬車の中。こうして俺は異世界に転移して、右腕としての一生を始めることになったのでした。


 その後。


 とりあえず俺はこの目の前の女性に現在の状況を伝えてみた。けっこう衝撃的な話をしてるはずなのに、女はどこか心あらず。なんだか退屈そうに、しかし遮ることなく話を聞いてくれた。


 ようやく話が終わると、女は口を開く。


「あら、そうなの?あなた、異世界からはるばる人の右腕にやって来たっていうのかしら?」


『うん、そうなるよね。まさかこんな事になるとはねえ。俺もびっくりだよ!』


 突然、自分の右腕が喋りだしたというのに、目の前の美人さんはえらく冷静に反応する。いや、いいんだけどね。どんな反応しようと人の自由だからさ。でもさあ、普通さあ、もっと驚いたり、ビックリしないのだろうか?


『それにしてもこういうことってよくあるの?』


「さあ?わたくしの知る限りでは、前例のない事態かしら?」


 と言うわりにはなんとも素っ気ない態度だ。なんというか、驚いているというより、どうでもいいという感じだな。


『あ、そうなの?そのわりにはなんか落ち着ているけど、驚いたりしないの?』


「そうね。驚くべき事態よね。でも…そうね、今のわたくしにとってはどうでもいいかしら?」


『え、なんで?』


 いやいや、自分の右腕に自分以外の意識が突然目覚めたわけですよ?どうでも良いってことはないでしょ!


 例えばさ、ある日突然もう一人の自分の人格が目覚めてさ、そいつが勝手にデスゲームとか始めてみ?絶対びっくりするって!


「だってわたくし、これから処刑される身ですもの。死人に口なし。たとえ天地がひっくり返ったとしても、これから死ぬ身としてはどうでも良いことだと思いませんこと?」


 …へえ、そうなんだ。この娘、処刑されちゃうんだあ。確かにそれじゃあ驚けないか。


 すう、はあ。すう、はあ。


 とりあえず深呼吸をしてみた。いや今の俺、口は無いんだけど。これあはれだよ、気の持ちようだよ。


『あのー、処刑ってアレですか?お尻ぺんぺんみたいな、ちょっと痛い感じの刑のことですか?』


「そんなわけないでしょ。処刑は処刑。命を絶つ刑のことですわ」


 ああ、なるほどね。つまりあれだ。…………死刑じゃん。


『ええ、うっそ、ちょ待てよ!え、君、死んじゃうの?え、ていうかそうなるとアレかな?俺も一緒に死んじゃうってこと?』


「さあ?処刑といっても首を斧で撥ねられるだけですから、右腕は大丈夫じゃないかしら?しばらくの間は」


 ああ、そうだよね。首が撥ねられても、そんなすぐに右腕の血流が止まるわけじゃないもんね!しばらくは意識あるよね!でもさ、首が無くなって心臓が止まったらさ、結局最後には死んじゃうんじゃないのかな!


『ええ、やだよ!俺、死にたくないんですけど!』


「あなた、死んでこの世界に転移したおっしゃいませんでした?既に死を経験しているのですから、慣れてるでしょ?」


『なるほどね!確かに二回目なら安心だ、とはならんだろ!だって死だよ!死ぬんだよ!もう後がないんだよ!死んだら生き返らないんだよ!』


「あなた、一度死んだって言いませんでした?」


『あ、そうだった。俺という例外がいた。え、じゃあなんとなるの?もう一回死んでも、俺、もう一回転生できるの?』


 ――さあ、知りませんわ、とどうでもよさそうな態度のままに女は小窓から外を見る。


「どちらにせよ、わたくしの生涯はここまで。エルブランダ家はここで没落することでしょう」


『…そうか。…もしかして有名な家柄のお嬢様でした?』


「あなた、わたくしの右腕のくせになにも知らないのですわね?」


『うん、だって異世界人だもん。この世界のことはなにもわかなんないよ』


 はあ、とひどく疲れたような溜息を一つするエルブランダ家のお嬢様。


「エルブランダはこの国の伯爵家の一つですわ。…いいえ、だったと呼ぶべきかしら?既に爵位は剥奪されていますから。もうエルブランダ家という家名は存在しませんわ」


 ふーん。そうなんだ。要するに身分を剥奪されたってことかな?貴族社会について詳しくないからよくわからないけど、まあとりあえず大変な目に遭っているのだろう。


『でも爵位剥奪って相当重い罪じゃね?一体なにをやったの?』


「…してません」


『え?』


「なにもしてませんわッ!」


 今までの無気力な態度が一変。目を見開くと、強い声で彼女は怒声をあげた。しかしその感情もすぐに消火され、再び無気力そうな顔に戻る。


「お父様はなにもしてません。ただある日、いきなり王国の兵がやってきて、お父様を連れていってしまいました。その時は、なにか誤解があるのだろう、大丈夫だって、言ってたのに…でも翌日、お父様は謀反の罪で処刑されましたわ」


 ――お母さんも、お兄様も、お姉さまも、みんな既に処刑されましたわ。


「わかります?かつては栄華を誇っていたエルブランダ家もすでに没落。家名を失い、誇りを失い、家も土地も財貨も失い、そして命まで奪われる。もうなにも残されていないのですわ」


 ――わたくしがなぜ最後に処刑されるかわかります?とやけに自嘲気味に彼女は言葉を紡ぐ。


「わたくしね、この国の第一王子と婚約していたのですわ。でも婚約者が謀反を起こした家系の人間だなんて外聞が悪いでしょ?だから一人でも多くの人に見せつけたいのでしょうね。わたくしを穢れた悪人として処刑して、たとえ婚約者であっても悪人は成敗する、悪いのはこの女であって自分ではない、自分は清廉だと国民にアピールしたいのですわ」


『ええー、それはなんとまあ、悪趣味だな』


 なんだか、思った以上に重い話だった。


「処刑日が決まるまで、きっとこれはなにかの冗談だと思っていました。もしかしたら、王子が助けてくれるかと期待していましたわ。バカな話ですわね。あの男がそんなこと、するわけないのに…」


『ん?その王子って、そんな性格悪い奴なの?』


 仮にも婚約者が処刑されるっていうのに、なにもしないのか?いや、今の話し方から察するに、その王子の発案で公開処刑されるみたいな感じなのか?


「ええ、わざわざ牢獄までやってきて、お前との婚約は解消するだなんて目の前で言い放ちましたわ、あの男。それも新しい婚約者を連れてきて」


 ――よりにもよってあの女を選ぶだなんてどういう神経しているのかしら…と不機嫌そうな声で彼女はつぶやいた。


『でもさあ、冤罪かどうかはともかく、親の罪で子供まで処刑されるものなの?』


「…反逆罪は未遂も含めて死罪ですわ。当事者はもちろん、その家族も死罪になるのが慣例かしら?」


『うん?慣例?じゃあ絶対に家族も処刑にするってわけはないってこと?』


「…王族の恩赦があれば、刑を軽くすることはできるでしょうね。でもわたくしにそんなもの…なかったですわ」


 ああ、そういうことか。この娘を唯一助けることができのがその王子様だったんだろうね。


 なんだろな。なんだか胸糞悪い話聞いちゃったな。


 正直な話。この目の前の女の子が悪人なのか、それとも善人なのか、俺にはわからない。


 ちょっと高慢そうな態度が気になるっちゃ気になるけど、別に偉そうな態度とったからって死刑にして良いって話でもないしな。


もしかしたら、今の話は全部嘘で、実はとんでもない極悪人なのかもしれない。そういう可能性もある。だから俺には今の話だけで善悪は判断できないのだ。


 だから、そうだな。わからないならわからないで、俺の好きなように行動したらいいのかな?


 やがて馬車は止まり、外から鍵を開けるような音がした。どうやらこの馬車、中からは開けられないようにしてあったようだ。まあ、逃亡を防ぐためだろう。


「罪人は外に出ろ」


 馬車の扉が開くと、外には西洋ファンタジーを思わせる甲冑を着こんだ兵士たちがいて、まるで犯罪者を扱うかのごとく外に出るよう高圧的に命令してきた。


 馬車に光が差し込み、あたりを照らす。彼女は一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべるも、すぐになにもかも諦めてしまったのか、椅子から立ち上がり、馬車から出る。


「正気を失っているとはいえ、なかなか有意義な時間でしたわ。わたくしに権威があれば褒美を取らせていたことでしょう」


『あ、そういえば名前聞いてなかったな』


 今更になって俺はこの体の持主の名前を聞いていないことに思い立った。


「あなた、自分の宿主の名前すら知らないの?」


『しょうがないだろ、異世界人なんだから。教えてよ』


 はあ、と溜息をつき、そっと囁く。


「リリアーナですわ。家名はもうありません」


 そういって彼女は馬車から降りる。


「遅いぞ。早くしろ」


「ふん」


「おい、なんだその態度…痛ッ!」


「あら、ごめんあそばせ。わざとですわ」


 そう言ってリリアーナは兵士の足をわざと踏んで処刑台へと歩みを進めた。


 うん、とりあえず、リリアーナはあんまり性格の良い女の子ではないようだった。

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