第19話 お嬢様の秘密編(5)
翌日、放課後。
麗美香は、星川アリスを呼び出した。他に誰もいない教室は、しんと静まりかえっていた。
後ろの方の席に向き合って座る。
「それで本当に朝比奈さんは、私と友達になってくれる?」
媚を売るように話しかられて、麗美香は辟易としてしまった。そういえばリア充は、普段は陰キャをバカにしているくせに、困った時は媚を売ってくるのを思い出した。掃除当番を代わって欲しい時、宿題を代わりにやって欲しい時など。
そういう意味では、とてもリア充らしい行動である。別に謎と言えるほど謎でもなかった。実にリア充らしい自己中心的な行動である。まあ、優はリア充と言ってもいつも調子の良いワガママ男だが、こんな風に媚を売ってまで自分の願望をごり押しする事はないのだが。やっぱりこの差は育ちか性格の差だろうか。
「What's your mobile?」
「は?」
「Do you like cocoa?」
「は、ちょっと何言ってるわけ? ココ? 動物の名前? ココなんて知らないわよ」
これは決定的だった。
やっぱり星川アリスは英語ができなようだった。
英語でcocoaは、ココアなんて発音しない。無理矢理カタカナで言えば「ココ」という感じだ。ココアは「ホットチョコレート」と表現する場合も多いようだが全く使わないわけでもないそうだ。麗美香はこの学校にいるアメリカ人英語教師にも通じたので、ここで使ってみる事にした。
What's your mobile?は、携帯電話の番号教えてという意味。中学生レベルの文だが、問題はこの「mobile」。この発音は、「モバイル」とは決して言わない。カタカナでは表現しにくいが、「ムーバァ」と言った感じの音で、日本人だと聞き取れない人が多いのだそう。ちなみにこれはイギリス英語だ。
他のカタカナ英語も「チャンネル」、「ウィルス」、「ウォーター」、「アニマル」、「ローカル」、「ボックス」、「ガール」、「リズム」、「ワクチン」などもだいぶ音が違う。「マクドナルド」もカタカナ英単で言っても通じない。
「星川さん、あなた英語できないでしょ。顔はハーフみたいだけど、帰国子女ではないわよね?」
「う…。そんなんじゃ」
「you are stupid」
麗美香も生粋の日本人なので、別に発音に自信があるわけではないが、上から目線な表情を作って言ってみたが、全く伝わらない。キョトンとしている。
「you are stupid」は、「あんた馬鹿?」という意味になる。「stupid」はちょっと強めの「馬鹿」という表現になる。
「silly」「foolish」よりもキツい。英語がわかる人が聞いたら怒り始めるフレーズだろう。これもわからないようなので、星川アリスはやっぱり英語が出来ないと言える。少なくとも帰国子女ではない。このフレーズはあまり口にしない方が良いだろう。麗美香も初めて言ってみてドキドキした。まあ、この本当の意味は星川アリスにはわからなくて良いとは思う。
英語では「馬鹿」の表現のバリエーションが日本語より豊かなので、興味がある人は調べて見ても良いだろう。口が悪い人は面白いかも知れない。意外と優はこの英単語には食いついていた。こんな英単語は下品なので教科書には載っていないので、テストの点にはならないが。
「星川さん、あなた帰国子女というのは嘘ね?」
麗美香に指摘されて星川アリスは狼狽え始めた。
「そんな、でも、だって」
星川アリスは唇を噛んで下を向いている。隠キャに麗美香に指摘されたのが、よっぽど悔しくて仕方がないのがうかがえる。
麗美香はこんな星川アリスの態度は手に取るようにわかる。予想の範囲内である。リア充は陰キャがちょっと目立ったり、成績が良かったりするのが許せないらしい。麗美香も目立つ事はあるが、その度にリア充達に嫌な事をされた。目立ったり、褒められるのは自分達の専売特許だと思っているのだろう。
それはとんだ傲慢な考えだが、学校という狭い世界ではまかり通ってしまっている。麗美香はメンタルが太いのでこの程度の事では傷つかないが、そうでもない人が登校拒否になってしまう気持ちもわかってしまう。むしろこんな下らない学校社会に染まっている方がクレイジーである。
「噂では帰国子女って聞いたわね」
「そうよ、みんな勝手に噂して、私の事を英語ペラペラとか言って…」
「ちょっと可哀想ね。本当に帰国子女ではないの?」
「そうよ。みんな勝手に顔だけで判断して!」
麗美香はちょっと笑いながら頷く。リア充の弱みを握っただけでこんなに嬉しいとは。自分も立派にクレイジーだという自覚はある。そういえば優は、おバカという欠点の自覚があるからか、麗美香を悪く言う事は一度もなかった。星川アリスのようなリア充を目の前にすると、優はまともなのかもしれない。優にだって欠点は山ほどあるが、彼の口から悪口は一度も聞いた事がない。育ちがいいせいなのか、性格のせいかは謎ではあるが、それは彼の美点だろう。
「それで私にどうして欲しいわけ?」
「来月の英語スピーチコンテストに推薦されて困ってるのよ。1ヶ月ぐらいで英語ペラペラになるようにして」
「それは無理よ」
麗美香はハッキリと言った。さすがの麗美香も1ヶ月でそうするのは無理である。
「何で?」
「そんな方法があったらみんなやってるでしょ」
「確かに本屋でもそんな本なかった…」
「星川さん、大丈夫? 飲むだけで痩せるサプリとか、寝ているだけで副業収入が入るとか怪しい情報教材に騙されたりしていない?」
麗美香を馬鹿にするような態度を一貫して崩さなかった星川アリスではありるが、この言葉を聞くと無言になった。おそらく似たような詐欺に引っかかった事があるにだろう。可哀想ではあるが、これはいい勉強代かもしれない。
麗美香はため息をつく。
情けをかけてやるべきか?
しかし、所詮リア充。しかもかなり性格が悪い方のリア充である。単純に甘い事を言っても調子に乗ってくるのが目に見える。
「だったら、星川さん。私と取引しない?」
「取引?」
この言葉に星川アリスは、ハッとして顔を上げる。
「ええ。私はあなたに英語を教える。そのかわり、私達はこの教室でお昼ご飯を食べられるよう、他のクラスメイトにあなたが説得する。どう?」
お昼ご飯は、相変わらず教室で食べられなかった。今はいいが、秋や冬までこの嫌がらせが続いたら死活問題である。
「そんなんでいいの?」
この提案に星川アリスが拍子抜けをしている。リア充には、陰キャの苦労などは想像できないようだ。
「その代わり、1ヶ月程度で英語ペラペラになるのは無理よ。あと、約束破ったらあんたは帰国子女じゃないって言いふらすけどいい? 学校のスピーチぐらいなら、それっぽく言うの教えるのは可能だけど、どう?」
「あんた、陰キャの癖に脅してくるわけ?」
星川アリスは自分の立場がよくわかっていないようだ。
「じゃ、さっそくみんなにバラしに行こうかな〜」
「ちょ、ちょっとやめなさい!」
ようやく星川アリスは大人しくなり、麗美香の要求を飲んだ。
「その代わり英語教えるのは朝の早くやるわよ」
それは放課後、メイドのバイトがあるからではあるが、この秘密は麗美香は口が裂けても言えない。
こうして麗美香は、クラスのお嬢様・星川アリスの弱味を握り、昼休みは教室でお昼が食べられるという基本的人権を回復した。
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