電動ノコギリ

あべせい

電動ノコギリ



「これは魔法でもイリュージョンでもありません。『テレショップ東京』のパワーです。どうぞ、そのパワーをご覧ください!」

 スタジオでがなりたてる女性キャスターに続き、高速回転する電動ノコギリの映像が流れる。さらにそれに被せて、男性ナレーターの金切り声が響く。

「放送終了後、30分以内にご注文をいただきますと、なんと7千円引き! 1万5千円の電動ノコギリが8千円、なんと8千円ポッキリになるビッグ、チャーンスです!」

 団地の一室で、30代後半の主婦がそのテレビ画面に釘付けになっている。

 目の前のテーブルには電話の子機がある。

「この前も失敗したンだから……いまから電話したら、8千円ね。それで、税込み、送料は……ナニ別途。別にとられる、っていうのね。まァ、いいわ」

 子機をとりあげ、画面の数字を見ながらダイヤルする。

「もしもし……」

 そのときコールセンターでは、天井近くに取り付けられた電光掲示板に、お客からかかってきた電話の番号が次々と表示され、コールセンター嬢が受け付けた電話番号はすぐに消えていく。

 コール嬢が受けた電話は目の前のパソコンとリンクしていて、リピーターの場合、その顧客情報が瞬時にパソコン画面に表示される。

 インカムを付けたコール嬢が、掲示板のその電話番号を見て、一つ前の席にいるコール嬢の肩をボンと叩いて促す。

 肩を叩かれたコール嬢は、ウンウンと頷き、素早くその電話を受け、パソコン画面に見入った。

 一方、その電話を掛けた主婦の子機には、主婦よりはるかに若いコール嬢の声が返って来る。

「もしもし、テレショップ東京の花森です。お電話、ありがとうございます」

 主婦はすました声で、

「もしもし……」

 花森の顔が電話の声に一瞬、強張る。予想に反したからだ。

 主婦は異変に気づかず、

「いまテレビでやっている電動ノコギリ『キレール』だけど、料金を教えて」

「はい、ありがとうございます。いまのお時間ですと、放送終了後30分以内ですので、8千円で承ります」

「別途の送料、って、いくら。千円もとられるのかしら?」

 花森は、さらりと、

「送料は、7千円頂戴しております」

「エッ!? 7千円! 間違いでしょう?」

「いいえ、当社の規定です」

「それじゃ、タイムサービスの分がそっくり加算されるじゃない。30分以内に電話する意味がなくなるわ」

「奥さま、そんなことはございません。放送終了後、30分が過ぎますと、税込み1万5千円に送料7千円が加算されますから、2万2千円になります。7千円引きは、いまだけです」

「ウーム」

 主婦はうなった。

「じゃ、聞くけれど、7千円の送料って、どういう内訳よ。宅配会社はどこよ!」

「この商品は、テレビで紹介しています通り、切れます。とにかく、よく切れます」

 テレビ画面では、木はもちろん、硬質プラスチック、ガラス、ブロック、瓦、さらに鉄パイプまで、次々と切られていくようすが映し出されている。

 これで同じ映像が3度目だが、トリックがあるようには見えない。

「切れないのは、男女の仲くらい……」

「エッ!」

 主婦の顔が一瞬、青くなる。

「これは冗談ですが、とにかくよく切れるため、お送りする際、特殊な包装資材を使用しています。そうでないと、包装が破れて、配達される方が怪我をなさるからです。実際に過去にそうした事故が発生しております。奥さまがご指摘の通り、宅配料金は1296円ですが、特別な梱包を行うため、送料として7千円を頂戴しております」

「そう。切れるのね……」

 主婦は静かに考えこむ。

「奥さま、どうかされましたか? お声がございませんが……」

 花森の声が苛立っている。

「参考に聞くンだけれど。参考よ、いい、参考にね」

「はい。どうぞ」

 花森は、「コゴロウちゃんが言っていた通り、うるさいババアだ」と心の中でつぶやく。

「電動ノコギリが必要なのは、うちの庭木が大きくなりすぎて、剪定しようと思ったから。間違わないで。木を切るだけなンだから。で、お宅の電動ノコギリを使うつもりなンだけど、切ったあとの木の処分に困るって、いま気がついたの。それで、聞くンだけれど、その切った木を溶かして、すっかり跡形もなくしてくれるような便利な商品、って扱ってない?」

「……」

 花森は考える。相手が何を求めているのか、全く見当がつかない。剪定はウソなのだろうが……。

「もしもし、花森さん、声が聞こえないわよ」

 主婦は不安になる。

「失礼いたしました。いま担当の者に聞いてまいりますので、2分ほどお時間をいただきます」

 花森は、返事も聞かずに一方的に電話を待機に切り換えた。


 2分が過ぎ、主婦の苛立ちが始まる。

 さらに2分が過ぎ、主婦のイライラは頂点に。電話を切ろうとしたとき、花森の声が響く。

「お待たせいたしました。お客さまのご希望の商品は、あいにく当ショップでは取り扱いがございません。お近くのホームセンターなどでお求めいただけるのではと存知ますが……」

 主婦の怒りに火がついた。

「ホームセンターです、って! ホームセンターに行くくらいなら、テレビで買い物しないわよッ!」

 主婦は、電話を切って子機をソファベッドに投げつけた。

「バッカじゃないの。ホームセンターには防犯カメラがあるじゃない。行けるわけないでしょうが」

 しかし、ソファベッドに投げ捨てられた子機から目が離れない。

 電動ノコギリは必要だ。いますぐに。主婦は立ちあがると、大儀そうにソファベッドまで歩く。テレビは同じ電動ノコギリの映像を繰り返し流している。

 主婦はソファベッドに腰掛け、再び子機をいじる。

「もしもし」

「もしもし、テレショップ東京です……古道多江さま、さきほどはたいへんご無礼いたしました」

 さきほどの花森とは違う女の声だ。

「あなた、どなた?」

「申し遅れました。テレショップ東京の井伊と申します。お客さま対応の責任者でございます。さきほどは花森がたいへん失礼なことをいたしまして、誠に申しわけございません」

「別に失礼じゃないけど……それより、どうしてわたしの名前がわかったの? 名前は言ってなかったけれど……」

「いいえ、古道さま。古道さまが当ショップをご利用いただくのはこれが3度目です。ですから、お声を聞いて、すぐに思い出したわけでございます。もっとも、ご主人さまは、これまで5回のご利用がございます。ここしばらくはございませんが……」

 多江は、考える。

 うちの事情まで伝わっているのか。困ったことだ。

「それで電動ノコギリだけど……」

 井伊は多江のことばを先取りする。

「花森のことばが足りず、ご気分を害されたのではないでしょうか。まことに申し訳ございません。これは一部の限られた方にのみお知らせしていることなのですが、放送中のご注文に関しましては、さらにお得な値引きがございます」

「エッ……」

「放送終了後にお電話が殺到するため、それを少しでも回避するための処置なのですが、番組放送中のご注文は、さらに2千円を割り引かせていただいております。ですから、電動ノコギリ『キレール』をいまご注文いただきますと税込みで……」

 多江は思わず、

「1万3千円!」

「さッ、さようでございます。放送はあと2分で終了いたしますが、いかがなさいますか?」

「もッ、もちろん、買うわよ!」

「多江さま、ありがとうございます。多江さまは今回が3回目のご利用でございますので、説明は省かせていただき、これまで通りの手続きをさせていただます。では、商品の到着まで、いましばらく……」

 電話を切ろうとしたので、多江、慌てて、

「それでいつ届くの?」

 子機から、戸惑っている相手の感触が伝わってくる。

「商品発送はいまたいへん混み合っておりまして、概ね1週間、お待ちいただいておりますが……」

「1週間! バカ言ってンじゃないわ」

「エッ!?」

「『エッ!』じゃないわ! いま、いま欲しいの。だから、電話したのよ!」

「そう申されましても……」

「都合の悪いことでもあるの? お宅の会社はどこ?」

「品川ですが……」

「うちは池袋。お宅は送料7千円も、取ってンのよ。バイク便でもなんでも使って、もってらっしゃい」

「そう申されましても、商品は山梨の商品管理センターにございまして、発送はそこから……」

「商品がそこには一つもない、って言うの。VTRを流す前は、スタジオでもさんざんキレールを紹介していたじゃない。そのスタジオで使ったのでいいから、すぐに持ってきてッ。わかった!」

 井伊はさすがに沈黙する。すると、多江はすかさず、高飛車に、

「返事はッ!」

「ハッ、ハイ。少々お待ちください」

「いいわ。こんな注文は異例でしょうから、仕方ない。5分だけ待ったげる。5分たったら、そっちから電話を寄越しなさい。番号は知ってンでしょうから。5分、5分きっかりよ!」

 多江は電話を切った。しかし、内心、多江に不安が広がる。

 こんな身勝手な注文を受けるとはとても信じられない。が、一縷の望みはある。水季という女だ。多江はそこに賭けた。イチかバチかの勝負ダ。

 5分後。信じられないことに、きっかり5分後、電話が鳴り、多江がとった。

 すでにバイク便が向かっている。40分ほどで着くという。多江は叫んだ。

「ダメよ。うちに来ちゃ。うちから最も近いコンビニのセブソンの池袋店に届けて。いまから電話をかけて店員によく話しておくから……エッ、もう遅いって! ナニ言ってんのよ。バイク便のライダーに電話を掛ければすむことでしょうが。わかったわね。絶対よ!」

 

 5階建てマンションの前に大型バイクが静かに停止する。数10メートル前からエンジンを切り、惰力で走行してきたのだ。

 ライダーが、ヘルメットをとり、長い髪を揺らして垂らす。若い女性だ。しかも、かなりの美形。

 女性はバイクの荷台から、細長い段ボール箱をおろすと、軽々と担ぎマンション玄関へ。

 女性はエレベーターに乗っている間、考える。このマンションに来るのは、これが2度目。確かめなくちゃ……。

 エレベーターを降り、目的の部屋番号を確かめ、インターホンを押す。

「はい、どなた?」

 女性は、何食わぬ顔で、

「お届けものです」

 やがて、

「なによ、こんな時間に……」

 の声とともにドアが開き、その家の主婦が顔を出す。多江だ。

 目の前に立っているライダースーツの女性を見て、

「なに?」

「お電話では失礼いたしました。テレショップ東京の花森です」

「エッ、花森……」

 多江は、さまざまな想像をめぐらす。

「花森水季(はなもりみずき)です」

「水季! 水季って、あなたが水季」

 多江は考える。小吾郎は下の名前しか言わなかった。上の名前も聞いとくべきだった、と……。

 多江は水季の顔を穴が開くほど見つめて、

「あなたが、水季。そう、あなたが、ね」

 水季は多江の心の中がわからない。

「コンビニにお届けせよとのご指示でしたが、たったいまそのコンビニは、老人の運転する車が操作を誤って店頭に突っ込み、大混乱しています。それで、やむなくこちらに……」

 もちろん、大ウソだ。しかし、多江には、そのウソを確かめる余裕がない。

「わかったわ。じゃ早くなかに入って。近所のひとに見られたくないの」

 水季は、引っ張り込まれるようにして慌しく、中へ。


 2人は居間で座卓を挟み、改めて対面する。

「あなた、よくこの家がわかったわね」

「弊社に住所のお届けがございましたから」

「この家の住所は、池袋でも飛び地になっているから、知らないひとは番地だけでは滅多に探し当てることができないので、有名なところよ」

「……」

 水季は無言だ。

「うちの亭主は何度もテレショップ東京を利用している。そのうち、電話をかけたようすもないのに、商品が届いたことがあったわ。あれは、あなたが配達に来ていたのね」

 水季には答えるつもりはない。

「そうでしょッ。白状しなさい」

「存じません……」

「うちの亭主は、1ヵ月ほど前から、『水季』って、寝言で言うようになって、おかしいと思っていたの。わたしの小吾郎を誘惑して、商品だけではなくて、自分まで売り込んだ。そうでしょ! このドロボウネコ! いま小吾郎は、ムシの息よ」

 水季がハッとして顔をあげる。

「ムシの息!? どうしたの! わたしのコゴロウちゃん。昨日の夜から、何度メールをしても返事がないから、オカシイと思って……。まさか、電動ノコギリで……」

「そうよ。バラバラにするのよ。手で切れるわけないでしょッ!」

 多江はますます興奮して、

「なにがコゴロウちゃんよ。ひとの亭主をつかまえて。あんたが小吾郎の最新の女なのね! このォ、あばずれェ!」

 多江は水季の胸倉を掴み引き寄せると、グイグイと首を絞めた。

 水季は首を絞めながらも、

「最新!? 最新ってなによ」

 最新の意味がわからない。

「小吾郎は、女癖が悪いの。だから、一回りも年上のわたしにも手を出して、一緒に暮らしているンじゃない。『つまみ食いのつもりだったけど、毎日食べたくなった』な~んて、わたしを喜ばせておいて。3ヵ月もたったら、別の女に走る。その繰り返し。わたしはその尻拭いばっかさせられているわ」

 水季は、首を絞められても平気な顔で、

「コゴロウちゃんをどうしたの、奥さん!」

「昨夜、あんたからきたメールで、さらに言い争いになって、『こんなことをした癖に、また新しい女をつくって、どうするつもりよ』って。胸を押した拍子に転んで、そのソファベッドの角で頭をぶつけたら、息をしなくなった。だから浴室に寝かせてある」

 多江、平気な表情の水季を見て、力が抜ける。

「あんた、苦しくないの」

「わたしは重さが300キロもある大型バイクに乗ってンの。300キロのバイクが倒れたとき、それが起こせなかったら困るでしょ。だから、毎日ヒンズースクワット百回、腕立て伏せ百回、腹筋百回やってンの。こんな絞め方じゃ、痛くもかゆくも……」

 そのとき、浴室のほうから、「コトッ」と何かが転がる音がした。

 多江、聞き耳を立てる。

 水季は多江が気を抜いたその瞬間、多江の体を突き飛ばすと、音のしたほうに走った。

 多江は懸命に後を追う。

 浴室の前の廊下に、若い男が頭を押さえ、ずぶ濡れのまま立っている。多江の夫の小吾郎だ。

 小吾郎は駆けて来た水季を見て、

「水季、どうして……夢か」

 その後ろから、多江が来ると、

「夢じゃないのか。イテッ、イ、テテテテッ……」

 急に痛みがぶり返したのか、頭を抱えながらその場にうずくまる。

「あんた、生きていたの! わたしはあんたが死んだと思って。死体が2つにふえてどうしようかと思っていたのよ」

 多江はたまらなくうれしくて、頬擦りしようとして小吾郎に抱きつく。

「わたしはあんたを電動ノコギリで一緒にバラバラにするところだったのよ。この、バカ、バカバカバカバカッ……」

 すると水季、

「ノコギリでバラバラしたあとは、コゴロウちゃんを薬で溶かして浴槽から流そうとしていたのよ、この鬼オンナは! 警察に行って殺人未遂で逮捕してもらえば、すぐに離婚できるわ。ねッ、ネェ、そうしましょう。コゴロウちゃん!」

 小吾郎、ゆっくり顔を上げて、

「水季、ぼくにはそれが出来ないンだ」

「どうしてよ。簡単じゃない」

 多江が笑って、

「小吾郎は、女にだらしがないの。さっきも言ったでしょ。それがときどき度を過ぎることがあって、大ゲンカになって、2人で取っ組み合いをする。それはそうでしょう。3度つきあっただけで飽きたから、って言って、喜んで別れる女がいる? 昨晩はわたしの留守中、その女が押しかけてきたから、小吾郎は面倒になって浴槽の水に顔をつけて殺した、っていうの。わたしが帰宅したら、小吾郎は浴室でその女を抱いてワンワン泣いていた。それでわたしと大ゲンカになって、わたしが小吾郎を突き飛ばした拍子に、こんどは小吾郎が頭をぶつけて死んだようになって、わたしは小吾郎がてっきり死んだと思ったから、電動ノコギリを注文したのよ」

「エッ!」

 水季は小吾郎が出て来た浴室に走った。

 そこには、若い女性がずぶ濡れのまま横たわっている。後ろから、小吾郎が来て、

「おれは力がないから、彼女の顔を浴槽の水につけるのがたいへんだったンだ。浴槽に付けた後、浴槽から引き上げ洗い場に横たえたが、息は吹き返さなかった」

 多江もそのようすを覗きながら、

「小吾郎、大事な秘密を知られたから、水季さんにも、届いたばかりの電動ノコギリの犠牲になってもらう。いいわね?」

 小吾郎は、自信なげに、

「いい……」

「1人切るも2人切るも、同じでしょ。よく切れるノコギリだっていうから……」

 小吾郎は、怪しい顔を上げると、静かに水季に手を伸ばす。

「キャーッ!」

 しかし、多江も小吾郎も、水季が怪力の持ち主であることをすっかり忘れている。

 そのとき、浴室の洗い場に横たわっていた女性の口から、温かい水がゴホッ。ほんの少し噴き出た。

            (了)



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電動ノコギリ あべせい @abesei

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