第82話 竜の宝物
ヴィラが空を初めて見たのは、ちょうど、空が神様と落ちてきたときだった。
事前に操っていたマグワイヤーから巫女召喚の儀を行うと聞いていたので、どんな奴が現れるのかと様子を窺っていた。
けれど思ったよりも威厳も何もない様子に、ヴィラは少々拍子抜けした。
最初の印象は、そんなものだった。
次に会ったのは、高台だった。
事前に魔骸を街近くに配置し、そこに兵士が集まっている隙に、南門から街に魔骸を入れてしまおうと思ったのだ。
外の魔骸は陽動として動かし、門番の認識を阻害する術を使い、南門のすぐ前に魔骸を配置させた。後は期を見て門を破壊させるだけでいい。
そして空のことを探るため、マグワイヤーを使って空と王女を離し、ハープの音色で空を誘き寄せた。音色には空を対象に少しばかりの誘引を混ぜたので、思った通り、まんまとヴィラの前に空はやってきた。
さて、どう調理しようか。
内心ほくそ笑むヴィラは、だが空の様子に本当に笑う羽目になる。
『そんな……!』
空はヴィラを見るなり崩れ落ちたかと思えば、何やらぶつぶつ言ったり唸ったりしながら地面を叩いたりしている。そのあまりにもな奇行に、ヴィラはつい、吹き出した。
そこからはもう止まらず、息が出来なくなるほどに笑いが止まらない。しかもヴィラが笑えば笑うほど、空は顔を赤くしてもう止めてと懇願するものだから、それがまた可笑しくて。
ヴィラは五百年ぶりに、声を上げて笑った。案外、くだらないことで自分はまだ笑えるのかと、そんなことを思いながら。
暫くして落ち着いてから、ヴィラは自己紹介をした。その時に、初めて、巫女である空の名前を聞いた。
『うん。それで、君の名前は?』
『……空』
その名前を聞いたとき、純粋に、良い名前だと思った。思わず顔が綻んだのは、この高台が、空が良く見える良い場所だったこともあるだろう。
この国は嫌いだ。私を陥れ、封印し、自由を奪った。けれど、こうして相変わらず、この国から見る空は綺麗だった。
『空か。いい名前だね。私の一番好きな場所だ』
『空が?』
『そう。とても気持ちがいいでしょう? 風も太陽も雲も、何もかもが澄んでいて、ほかには何もない。とても綺麗だ』
空を見ながら、塀から上半身を投げ出した。体を吹き抜ける風は飛んでいる時と少しだけ似ていて。気持ち良く、けれども物悲しい。もう飛ぶことは出来ないのだと、思い知らされているような気がした。
『――飛んでるみたい』
すると不意に、空はそう言った。まるで見たままの事実を述べるときのような、単調な声色で。
ヴィラが驚いて空を見ると、空は変なことを言ったかと慌てた。ヴィラは首を振って、問う。
『空は、空を好き?』
単純に、聞いてみたいと思った。自分を飛んでいるようだと形容した、あの空と同じ名前の彼女は、果たしてあの青い空のことをどう思っているのかと。
空はくすりと笑って空を見上げた。
『好きだよ。私、天気のいい日にお昼寝するのが好きなんだ。ぼーっとしながら空見ると気持ちいいよね。流れる雲見たりして』
それはなんとも、平凡な答えだった。月並みと言っていい、ありふれた感想。
けれど、青空を見上げて、当たり前のようにそれを口にする彼女は、とても暖かく感じた。
同時に、手の届かない、綺麗で澄んでいるものに見えて。ヴィラは暫く呆けてその姿を見つめていたけれど、仕切り直すように瞳を瞬いた。
そして先程の気持ちを振り切るようにニコリと笑って、計画通りにことを進めた。
警戒心を無くすようにと占いをしてやったり、デートに誘って次に二人きりになるチャンスを狙った。
そして最後に、歌を歌う。この歌には魔骸を操る力を込めた。南門の魔骸が見えなくなっている門番の認識を解除し、魔骸を突入させる。
すると案の定、空は魔骸を倒すために南門へと走って行った。ヴィラはその背を見送り、さて、と自身も動き出す。巫女の力を拝見しようと思ったのだ。
そうしてヴィラが南門につくと、空は力を使えず、魔骸に攻撃されようとしていた。
それはもう驚いた。ヴィラは前回の巫女によって封印された。巫女の力が脅威になることを知っていたから、事前に排除できるならしておこうと思っていた。
が、それどころではない。
戦う姿を見ても、特別な力があるようには見えない、そこら辺の人間とまるで同じだった。
どうして力が使えないのかまるで分からないため、探りを入れる必要があった。ヴィラはマグワイヤーを使って情報を集めさせた。
すると、空が危険視されていることが見えてきた。
勿論、マグワイヤーによる扇動もあるだろう。ヴィラによって操られているマグワイヤーには、国の内部に軋轢を生ませるための性格の調整も行っていた。
けれど、それを含めずとも中々に空が疑われていることが見えてくる。
巫女の力が使えない理由は分からなかったが、ヴィラは思ったのだ。自分と、同じだと。
かつて力を貸さなかったがために、疑われ、挙げ句不老不死なんて眉唾もののために生きたまま食われそうになった自分と、巫女としてこの世界に喚ばれたのに、力がないために疑われ、傷ついている空が。ヴィラには同じに思えた。
かつての自分を重ねて、助けたいと、そう思った。
だから、また二人に慣れるチャンスを伺っていた。その時が来たら、逃してあげようと。
そうして、その時が来た。
『ねえ、空。一緒に逃げよう』
一人で店から出てきた空と接触して、逃げようと提案した。ヴィラは人間なんて嫌いだ。でも空となら、楽しく一緒に過ごせると思った。似たもの同士の自分達なら、上手くやっていけると。
けれど、空は首を縦には振らなかった。
『私は行かない』
確固たる信念を持っているみたいに、空はヴィラを真っ直ぐ見て言った。ヴィラには信じられなかった。どうして自分を悪く言う奴らのためなんかに戦おうとするのか、まるで分からなかった。
『……疑われてるのに? そんな奴らも救うの?』
『そりゃ、疑われるのは悲しいし、怖いよ。でも、私のことを疑ってる人達も、怖いだけだと思うから。だから、私は私のことを疑ってる人達も救いたい。何より、信じてくれる人達もいるし……ヴィラみたいに、怒ってくれる人もいるから』
かつて、一緒に笑いあった人間達のことをふと思い出した。
けれど、それを振り払うようにヴィラは路地裏に消える。空の真っ直ぐな心が、ヴィラにはあまりにも眩しかった。
次に空と会った時は、ヴィラの理性は飛びかかっていた。
『ああ、空。少し待っていて。こいつらを斬り刻むから』
そう言って、空に危害を加えようとした男の腕を飛ばす。
腹ただしかった。綺麗な宝物を、汚されそうになった気持ちだった。こんな奴ら、存在していい訳がない。ああ、やっぱりこの国の奴らはなんて汚いんだ。今すぐに殺さなければ。
そう思って、男達の首を飛ばそうとした。けれど、
『ヴィラっ! やめて!』
空が止めたのだ。まさかこんな奴らまで救うなんて言い出すつもりかと思ったが、そうではなかった。
空はヴィラの手を掴み、懇願するように、眉を下げた。
『……ヴィラに、殺して欲しくない。ヴィラが誰かを殺してるところなんて、みたくないっ……!』
そんなことを言われたのは、初めてだった。王に魔物を殲滅しろと言われた時と、自分の翼を奪った兵士達を殺した時のことを思い出した。
自分はとっくに、汚れてしまっているのだ。
けれど、もっと早く、そう言ってくれる人が、空が、傍にいてくれていたら。
そう思うと、もう殺す気など、失せていた。
『……空とは、もう少し早く会いたかったな』
その言葉の意味を空はきっとわからない。それでも良い。やっぱり空と、一緒にいたい。空が一緒にこの国から出てくれるなら、その時は、復讐を止めにしよう。
そう思って、ヴィラは空を抱き締めた。
『空、おいで。私と行こう。自由な空が、君にはよく似合う』
けれど空は、やはりヴィラを拒絶した。
『行かない』
そう言う空はやはり眩しくて、ヴィラには手に入らないものなのだと知った。
それに、どうやらあの王の子孫である王女と関係がありそうで、ヴィラは増々思った。
空は自分を選ぶことはないだろうと。であれば、さっさとこの忌まわしい国など消してしまって、空が自分を選ばずにはいられない状況にしようと。
そうして、ヴィラはその次の日には決行することにした。
他の事件を隠れ蓑に動けばバレにくい。案の定、空を連れ去るまでは上手く行った。
けれど結局、空自身の手によって、ヴィラの復讐は失敗におわったのだった。
でも、これで良かったのかも知れないと、ヴィラは思う。ヴィラは結局、死にたかったのだ。五百年間、憎しみや復讐のことばかり考えて、それを成さなければいけないと思っていた。
けれど本当は、もう全てから解放されたかった。疲れてしまっていた。心の何処かで、空に殺されるならばいいかもしれないと、思っていた。
でも、その空に、ヴィラは生かされた。そして新たな道を教えてもらった。
これからは、好きな事をする。とりわけ――恋を。
その相手は手の届かない、眩しい存在だけれど、でも本人が言うのだからしょうがない。
白み始めた空を見上げて、ヴィラは息を吸う。とても清々しくて、泣きたくなって、空を抱き締める腕に力を込めた。
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