第55話 ローレンの誰にも言わない気持ち
「今日はありがとうございました」
すっかり辺りが茜色に染まった頃、空とローレンは玄関前でローラとマリィに別れの挨拶をしていた。空はにこにこと二人に微笑む。
「色々お話出来て楽しかったです。ローレンの子供の頃のこととか」
「空様」
ローレンは釘を刺すように空の名前を呼ぶ。
空とローラ達の共通の話題がローレンだからか、最近の話から子供の頃の話に至るまで、ぺらぺらと喋られてしまったのだ。
話題の中心になってしまった当人としては恥ずかしいやら反応に困るやらだが、ローレン以外は随分楽しそうであったから、まぁ、良しとした。
「ふふ、よかった。この子昔から気が強くて……今も王宮で上手く出来てるか心配で」
「母さんも」
ローラは困り顔で自身の頬に手を添え、ローレンも母親同様困ったように母を呼んだ。
生憎ローレンは母の心配を余所に王宮で上手くやっている。一部の者たちとは別だが。この間もそのうちの一人とやり合いそうになったことは、母には内緒にしていた。
「お姉ちゃん、優しいけど怒ると怖いもんねえ」
「マリィまで!」
とうとう妹にまでそんなことを言われて、いよいよローレンは眉を下げて悲しげにした。その様子に他の三人は顔を見合わせてくすくすと笑う。
だからローレンも、しょうがないとため息を吐くしかないのだった。
そうしてひとしきりお喋りを楽しむと、最後にローラは優しく空に微笑んだ。
「またいらして下さいね。私もこの子も、また空さんに会いたいです」
「はいっ。必ず」
空も笑顔で頷く。
その言葉はお互い社交辞令ではなく、本心だった。命の恩人で、尚且つとても可愛らしく優しい空と、ローラはまた会いたかった。
それは空も同じで、とても暖かいこの場所で、またみんな一緒に笑い合いたいと思った。
「ローレンも。また帰ってきてね」
ローラがローレンの腕をぽんと叩く。
母には随分心配をかけていると、ローレンは理解している。だから休みになれば顔を出したりしているが、それでも心配なのが母というものだった。
だがそれもまた、有り難いことだとローレンは微笑んで頷いた。
「うん、わかった」
そうやって別れの挨拶をすると、いよいよ空とローレンは手を振り家を離れる。最後にマリィが元気な声で、二人に手を振った。
「ばいばい! 空お姉ちゃん! ローレンお姉ちゃん! またね!」
「またね!」
「じゃあね」
にこにこと手を振るマリィに手を振り返し、二人は背を向けて歩き出す。少しだけ馬車を使わずに歩こうということになったのだ。
ちらりと後ろを振り返るとまだローラとマリィの姿があり、二人はまた手を振って、今度こそ別れを告げた。
「ふふ、凄くいい子だね、マリィちゃん」
「ええ、母親の手伝いも良くしていて。お転婆ですけどね」
少し肩をすくめてくすりとローレンは笑うが、それも好ましいマリィの性格であると思っていることが、空には良く伝わった。
「ローラさんも優しくて、あったかくて……とても素敵なご家族だね」
「ありがとうございます。そう言って頂けると、嬉しいです」
空の正直な言葉にローレンは嬉しくも心地よいむず痒くさを感じて、少しはにかむ。
まさかここまでべた褒めされるとは思っていなかったのだ。
何も自分の家族を自慢したくて空を連れてきたわけではない。今日空に家族を会わせたのには、ちゃんと理由があった。
「……今日、空様と私の家族に会ってもらったのは、お礼がしたかったからなんです」
「お礼?」
不思議そうに聞き返す空に、ローレンは前を向いたまま、言葉を零した。
「あの時、街に魔骸が入ってきたとき……私は母と妹が魔骸に襲われたことを知りませんでした。知ったのは、一夜明けて使いが城に来てからです」
怪我人が出ていた事は報告を受けていたから知っていた。でもその怪我人の中に自分の家族がいるとは思わなかったのだ。
使いから聞いて慌てて仕事前に病院に行って面会し、無事な姿にほっとした。
そしてその時に、助けてくれたのが空であると知ったのだ。その勇敢さに、ローレンは心底感謝した。
「あの時空様が助けてくれなければ、母と妹には二度と会えなかったかも知れません。本当に、二人を守ってくれてありがとうございました」
足を止めて頭を下げるローレンを、空は慌てて止める。
「そんな、私も二人に助けられたし……」
それもまた、謙遜ではなく事実だった。
それでも、家族の命の恩人が空であることには変わりない。本当はもっと早くこの話がしたかったのだが、ローレンが今まで言わなかったのには理由があった。
「本当は真っ先にお礼を言うべきだったのですが、母の怪我が治ってからの方が良いかと思いまして……そうでないと、空様は私に気を遣われるかも、と」
申し訳無さ気に告げられた言葉に、空は少し目を見開くと、バツが悪そうに笑った。
「……当たり」
空はずっと、ローラとマリィのことが気がかりだった。
マリィには、自分が巫女の力を使えて魔骸を倒せていたら、怖い思いをさせずに済んだのに、ということ。
ローラには、自分が魔骸が倒せないせいで無理をさせた、巫女の力が使えていたら、もしかしたらもっと早く瓦礫から助けられたかも。
なんて、考えてもしょうがないようなことを考えてしまっていた。
おまけにローレンが二人の家族だと知っていたら、申し訳無さで気にしっぱなしだったかも知れない。
「なので、お礼は母の怪我が治ったとき、直接会って頂くほうが良いかと思ったんです。母とマリィも、会いたがっていましたし……」
「そうだったんだね……色々考えさせちゃって、ごめん」
「それはこちらの台詞ですよ」
「あ……ほんとだね」
まさにローレンの言う通りだと、空は笑う。そしてローレンを見上げると優しく微笑んだ。
「……今日、ローレンのお家に行けて、ローラさんとマリィちゃんに会えて、本当に良かった。ありがとう」
「こちらこそ。ありがとうございました」
にこりとお互い笑い合って、今度こそ前を向いて歩き出した。
ローレンは横を歩く空をちらりと見る。
空は優しい。優しいから、もしかしたら自分が思っている以上に色々なことを抱え込んでしまっているんじゃないかと思った。
あの、家の中で泣いてしまった空を思い出す。
大きな瞳に涙をいっぱいに溜めてついにそれが零れてしまったとき。不覚にも、守りたいと思ってしまった。憂いを晴らしたいと、側にいたいと。
まあ、本当はもう少し前に既にそう思っていたのだけれど。
思わず抱きしめたその体は小さく細く、服に顔を埋められて、正直にいうと、ときめいた。
そうしたらマリィに見られて慌てたのか、困ったようにこちらを見上げた顔があまりにも可愛くて、ローレンは、空が愛おしくなった。
家族と笑い合っている姿を見て、ずっとこの時間が続けばいいのにと思った。
でも。
ふと考えるのは、アリスのこと。
レオナだけが相手なら譲る気はしないが、アリスのことを考えると一歩引いてしまう。
それは頑なに空のことを様付けで呼ぶこともそうだった。あえてそうすることで、これ以上親しくならないように。そう思ったのだ。
それに、もしかしたらアリスの伴侶になるかもしれないのだ。そう安々と呼び捨てに出来ないし、したいとも思わなかった。
だが、今日という時間を空と一緒に過ごしたことで、少し、ローレンの考えが変わった。
アリスには幸せになってほしい。空にも勿論幸せになって欲しい。二人がもし恋人同士になるのなら、ローレンは喜んで祝福しよう。
自分の好きな人同士が一緒になることは、幸せなことにも思えた。
でも、もしも。もしもそうならず、自分と歩く未来があったのなら。その時は。
ローレンはそれ以上考えずに、ふっと軽く笑みを零した。
「空様」
「ん、なに? ローレン」
名前を呼べば、こちらを見上げる空。その黒い瞳にはローレンが映っている。
「ふふ、なんでもありません」
「気になるんだけどっ……!」
難しい顔でローレンを見る空に、ローレンは笑う。
とりあえず、今は隣に空がいる。その幸せを、しばし享受しようと。そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます