第18話 砕けた心

 ギルバートがザイテン王国の首都に到着してから約十分後。メリモント魔法王国から馬車で送られた援軍や救護物資が到着した。


 馬車を降り、ザイテン王国首都の惨状を見た援軍の人々は目を見開き、呆然と立ち尽くしていた。


 その中の一人——祖国の危機と知り、援軍として参ったライアンは、ザイテン王国の紋章が刻まれた鎧を身につけながら地面に膝をつき、虚ろな目で呆然としていた。


 目線の先にあるのは、氷槍に貫かれたハルラクス陛下と下半身が損壊しているロム殿だ。


 ——ライアンはハルラクス陛下の王命で討伐隊に参加し、四魔天、氷河のベイルの妻を弓で射た。そしてその時、母親と一緒にいた少女を逃してしまった。


 魔族とはいえ、非力な一人の少女だ。森で死んでいてもおかしくない。


 だが、その少女——アムネ・セネスライトは戻ってきた。


 皆、ライアンを責めるつもりなど毛頭ないだろう。誰もが、この事態を予想できなかった。





 

「しっかりしろ! まずは救助だ!」


 誰かが、強い力を宿した声を上げる。


 本来、先に到着し、心の整理をある程度つけているギルバートの役目だ。

 だが、ライアンの虚空の彼方へと落ちていくような雰囲気を見ると、喉の筋肉が緊張し、声を出せなかった。


 ——皆が力の篭った声によって、我を取り戻したように止まっていた足を動かし始める。

 ライアンも一拍遅れて、固定されていた視線を逸らし、ふらついた足で歩きだした。


「探知、いきます!」


 魔法士たちが探知魔法を行使し、救助者の位置を割り出そうとする。


 ギルバートは神の如し力を操るために、一般的な魔法を一切行使出来ないため、こういう場面では無能もいいところだ。






 ——救助活動は極めて円滑に進んだ。魔法士が探知した救護者の大まかな位置へと向かい、家屋の瓦礫などを退けて発見する。


 ギルバートは探知などは出来ないが、体を使うことなら他の追随を許さない。指示された場所へとすぐさま駆けつけ、捜索にあたる。


 途中からは混乱により情報が遅れて伝えられた、ザイテン王国の各領主の私兵も合流して共に救護を行った。


 その甲斐もあって、想定よりも早く魔法士が探知できた百四十六人全員を救出することができた。


 発見した人達の大半は重度の火傷を負っており、意識がない者も多かったが、宮廷魔法士たちの治癒魔法により、皆一命は取り留めたようだ。


 




 民の救助が終わる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 ハルラクス陛下やロム殿含め、死体として発見された人たちは、ザイテン王国の貴族が対処することとなった。


 そのため、メリモント魔法王国からの援軍は、今夜をここで明かした後にすぐさま撤収する予定だ。


 しかし、ギルバートだけは人族連合国軍最高司令部が置かれているメリモン魔法王国首都の守護のため、帰還命令が出ていた。遅くとも二十分後にはここを出なければならない。


「…………」


 静寂が世界を支配し、鉛のように重い空気が辺りに充満していた。


 ギルバートは一度深呼吸をして、ずっと心配していたライアンの元へと近づく。


 ライアンは救助にこそ参加していたものの、皆の中でも特に精神状態が危ういことは、誰の目から見ても明らかだった。


 現在のライアンの心は到底ギルバートが推しはかれるものではない。想像すらできない。

 

「ライアン……」


 ギルバートが名前を呼ぶ。すると、魂の抜けたように星空を見上げていたライアンは、闇を煮詰めたような目をゆっくりとギルバートへ向けた。


 ——その目は、死を望んでいた。


「ギルバート様……私が、娘の方も仕留めてさえすれば……私のせいで、国が、民が、ハルラクス陛下が、ロム殿が……」


 掠れた震える声で、言葉が紡がれる。何もいえない。何を言っても、今のライアンには届かない。


「ハルラクス陛下が、強硬派の道を選んだ時、覚悟は決めていたはずなんです。戦争とはそういうもの……殺し、殺され、その上に繁栄と平穏を築く。たとえそれが少女であっても、未来に脅威となるならば、らなければいけない。

 なのに、あの日、母親と共にいる少女を見た時、私は一瞬ですが躊躇してしまったんです。母親の命を奪い、娘の方を手にかけなくてもいい状況になった時、と心のどこかで思ってしまったような気がしてたまらない。

 既に自分の手に染み付いた他種族の血は落とせないのに、私はまだ割り切れていなかった。私の心は、気づかぬうちに壊れてしまったんでしょうか?

 ……ギルバート様には良くしていただいたのに、こんな話をしてしまって申し訳ありません。ですが……私は、もう……」


 ライアンはそこまで言い終えると、顔を両手で覆い、言葉にならない声を荒げた。指の隙間からは涙がポタポタと落ちている。

 

 そんな状態のライアンを前にしても、ギルバートはライアンの肩を優しく抱くことしかできない。

 そんな自分に、ギルバートは心底腹が立った。戦うためだけに作られ、生まれた自分にはこの程度のことしかできないのかと。


 いや、それは言い訳だ。


 惨めで、無能な自分でも仕方ないのだと言い聞かせるための戯言だ。


 ……ギルバートの精神に常時展開されている五重の精神干渉系魔法が、自己嫌悪で傷つく心を修復する。


 いつもだ。いつもいつも、自らを罰する罪悪感も、理不尽に対する激情も、誰かと共に悲劇を悲しむことも、出来ない。


 ギルバートは、ライアンの肩に置く手により力を込める。


「少し……休んだ方がいい」


 ——ライアンからの反応はない。


 もう、時間だ。行かなければならない。


 ギルバートはライアンの肩からそっと手を離す。自殺しないか見張っておくように、ザイテン王国の紋章が施された鎧を身につけていた若い兵士に言い、後を任せた。


 ライアンのことを一際ひときわ心配そうに見つめていたため、ライアンの部下か何かかもしれない。


「……行くか」


 ギルバートはライアンを横目に足に人工竜気を集中させ、メリモント魔法王国の方向へと空を駆けるように跳躍した。

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