第二十話 妖狐の少女と白玉ぜんざい



「朔夜様、おかえりなさ……あの、その腕の中の者は一体……?」


 帰宅した朔夜を笑顔で出迎えた茨木童子だったが、その腕の中で丸まっている小さな存在に気づいて瞠目する。


「廃屋敷で弱っているところを見つけたんだ。ウチで面倒見てもいいよね?」

「ですがその妖、ここら辺の者ではないですよね。得体の知れぬ者を招き入れるのは、些か危険かと思うのですが……」


 基本的には、朔夜の頼みとあらば快く受け入れる茨木童子だが、組に仇なす者という可能性が少しでもある事案となれば――その首を縦に振ることはできない。


「どうしても駄目かな?」

「朔夜様の頼みでも、それは……」

「いいじゃねーか」


 怪しい雲行きが流れていたが、しかし魁組の頭領である酒呑童子の登場によって、状況は一変する。


「あ、父さん」

「よう、おかえり朔夜」


 珍しく家で飲んでいたらしい。顔を薄っすら赤らめた酒呑童子は、朔夜のもとまでやってくると、腕で丸まっている妖狐を見て「ほぅ」と目元を細めた。


「可愛いじゃねーか。だがずいぶん弱り切ってるな……。朔夜、お前が招き入れた客人だ。丁重にもてなしてやるんだぞ」

「うん、勿論!」

「あ、朔夜様! お待ちくださ、」


 酒呑童子の言葉にニコリと笑った朔夜は、妖狐を腕に抱えたまま私室のある二階に上がっていってしまった。茨木童子の呼びとめる声は届くことなく、宙で霧散してしまう。


「はっはっ、茨木は心配性過ぎんだよ。禿げちまうぞ」

「……頭が楽観的過ぎるんですよ……」

「はっはっ、そうかぁ?」


 酒呑童子はカラリと笑いながら、再び酒を飲むべく大広間に戻っていった。広間の方から、どんちゃん騒ぎをしている組の者たちの声が聞こえてくる。


「……真白、後で報告を頼むよ」

「……あぁ、分かってる」


 静かに傍観していた真白は、痛そうに頭を抑えている茨木童子を不憫そうな目で見ながら、素直に頷いた。



 ***


「……あ。足も怪我してるね。ちょっと待ってて、確か部屋に救急箱があったはずだから……」


 衰弱しきった妖狐を自身の部屋に招き入れた朔夜は、座布団の上にそっと横たわらせ、その身体をお湯で湿らせた温かなタオルで優しく拭ってやった。

 身体中にある掠り傷や足首の腫れに気づくと、部屋のどこかに置いておいたはずの救急箱を探しに立ち上がる。


 そんな朔夜の後ろ姿をジッと探るような目つきで見ていた妖狐は、ボフンッと白い煙を上げて人型の姿になった。


「あ、あったあった。って……君、女の子だったんだね」

「……」


 見た目は中学生に上がったばかりの年の頃、といったところだろう。

 幼さを残した少女の姿となった妖狐を見て、朔夜は少しだけ驚きながらも、ふわりと穏やかな笑みを広げて、妖狐の怪我の処置を行う。


 妖狐の少女は何も話さず、身動ぎ一つすることなく、静かに黙していたのだが――手当てを終えたタイミングで、少女のお腹から「ぐぅっ」と腹の虫の音が響いた。


「ふふ、お腹空いてるんだね。ちょっと待ってて」


 朔夜は救急箱を片付けると、部屋を出て階下に行ってしまった。その間も、少女は言葉を発することなく、大人しく座布団の上に座していた。


「お待たせ。はい、どうぞ。良かったら食べてみて」

「……これ、何?」


 そこで、少女がはじめて口を開いた。朔夜は声を聞けたことが嬉しくて口許を緩めながら、持ってきた和菓子の説明をする。


「これは白玉ぜんざいだよ。食べたことないかな?」

「……はじめて見た」

「そっか。これは餡子で、これは白玉粉っていうお餅を丸めたものなんだ。甘くて温かくて、ホッとする味なんだよ」

「……」

「本当は虎たちに頼まれて作ってたんだけど……あ、虎っていうのはウチにいる妖怪でね、家族みたいなものなんだ。でもたくさん作っておいたから、君にも一つお裾分け」


 そう言って笑っている朔夜を見て、少女は怪訝そうな顔をした。


 ――見ず知らずの自分を助けてくれて、手当てをしてくれて、笑いかけてくれて……食べ物まで恵んでくれた。


 それは何故なのか。

 ここまで親切にしてもらえる理由が、少女には全く分からないのだ。


「……あなたは、どうして優しくしてくれるの?」

「へ?」

「だって……力のない者に、価値のない者に居場所はないって……兄様は、そう言ってたから」

「……」

「私は弱いし、今あなたに返せるものなんて、何も持ってない。……助けてくれたことへの見返りは、何?」

「見返りだなんて……そんなことのために君を助けたわけじゃないよ」

「それじゃあ……何で助けてくれたの?」

「何でって……助けることに理由はいらないよ」


 少女は再び怪訝そうな顔をして、小さく息を吐き出した。


「あなたって……変な人ね」

「はは、そうかな?」


 無表情のまま、朔夜をジーッと見つめていた少女は、次いで盆の上に視線を移した。白玉ぜんざいが入った器に手を伸ばし、木製のスプーンで、白玉と粒の入った餡を一緒に掬う。


「……甘くて、温かくて……美味しい」

「ほんとに? よかったぁ」


 一口食べて、微かに表情をほころばせた少女は、パクパクとぜんざいを食べ進めていく。そしてあっという間に器の中を空っぽにした。


「……ご馳走様」

「うん、お粗末でした」

「……私、帰る」

「えっ、もう帰っちゃうの? でも、怪我もしてるのに……一人で帰れる?」

「……私、これでも、八十年近くは生きてる。そんなに子どもじゃないから」


 プイッと顔をそむけた少女は、ボフンッと音を立てて白い煙に包まれたかと思うと、出会った時と同じ子狐に姿を変える。


「私の名前は、紗狐さき。……あなたの名前は?」

「紗狐ちゃんっていうんだね。僕は魁朔夜っていうんだ」


 笑顔で手を差し出す朔夜の掌に、紗狐は前足をポンとのせる。


「またいつでも遊びにきてね」

「……また美味しいもの、食べさせてくれるなら……来てあげてもいい」


 そう言うと、紗狐は怪我をしているとは思えない軽やかな足取りで駆けだし、二階の窓から出ていってしまった。


「……行っちゃった」


 朔夜が窓の外を見るが、もうそこに紗狐の姿は見られない。


 ……また会えたらいいなぁ、と。


 朔夜は一人微笑みながら、暫くの間、闇夜に輝く月をぼんやりと見つめていた。


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