綺麗な花には毒がある〜後宮寵妃は皇帝の溺愛から逃れたい〜
朱宮あめ
第1話・入内
抜けるような空に、まんまるの雲がぽっかりと浮かんでいる。
「
町一番の名家である
朱
だがしかし、氷霞は
「ちょっと、お父様! どういうことですか!? ちゃんと説明してください!」
「いやぁ……それがさ、この前ここに、皇帝陛下がいらっしゃっただろう?」
氷霞の父、
「あぁ……あのときはたしか、お父様と碁を指しておいででしたね。それがなにか?」
いつだっていい顔をしようとしながら、結局最後に首が回らなくなって
芳の無茶は毎度のことながら、いい加減にしてほしい。現に芳は、またとんでもないことを言い出した。
「う、うん……それでね」
氷霞は今、ひどく機嫌が悪い。芳のオドオドとした態度が、さらに氷霞を苛立たせた。
「そのとき、たまたま皇帝陛下が氷霞を見たらしくてね。いたく気に入っちゃったみたいで……その、後宮に入れと」
「困ります! それでは、私がこれまでお父様のためにやってきたことが、全部水の泡ではないですか! 私は後宮に入内したくないからこそ、出世をしたいというお父様にずっと協力してきたのですよ!?」
(冗談じゃないわ! これまでお父様の出世のために、何人殺してきたと思っているのよ!)
「それはもちろん分かってるよ。でもさ、仕方なかったんだよ。だって、皇帝陛下直々に言われたんだよ? もし断ったりでもしたら、僕の首が飛んじゃうよぉ」
「私の能力については、お父様もご存知でしょう? 私は人と生きることはできません。誰とも結婚などせず、一人でいたいがために汚れ仕事だってしてきましたのよ! それなのに、あんまりです! これでは、今まで私が奪ってきた命たちだって浮かばれないでしょう!」
「そう言わずにさ。父のためだと思って、一肌脱いでよ」
「私はもう、既に何度もこの皮を剥いでおります!」
「じゃあ、もう一皮?」
「ぶっとばしてよろしいですか?」
軽く言ってくれる。
「落ち着いて、氷霞」
結局いつも、損をするのは氷霞だ。芳の政敵を暗殺し続け、大した実力もない芳を政の中心にまで押し上げてきた。芳はといえば、直接誰も殺していないわけだからお気楽なものだ。けれど、自分の能力で昔遊んでもらった人間までもを殺してきた氷霞にとっては、暗殺の仕事はとても気分のいいものではなかった。
一線を越えてしまっているのは、わかっている。それでも、父の愛を失うのが怖かったのだ。たった一人の氷霞にとって、父だけが愛を教えてくれる人だったから。
とはいえ、氷霞にだって、我慢の限界というものもある。
「……嫌です」
「へ?」
「嫌です! 私は絶対、後宮になんて入りません!!」
「氷霞ー。そう拗ねないでさ」
芳は氷霞を宥めるように頭を撫でる。
「これが最後のお願いだよ。ね?」
「そもそも陛下だって、私の噂を聞けば絶対に考えを改めるはずです。私はこの町で、毒霧の姫と呼ばれて恐れられているんですよ。私のような疫病神など、陛下だって願い下げでしょう」
「氷霞……」
氷霞の別名は、毒霧の姫。氷霞には、他の人間にはない特別な力があった。
それは……。
「私はあらゆる致死量を操る毒蛇、ですよ」
氷霞は深くため息をつきながら、部屋の外に築かれた高い塀を見上げた。
氷霞はその力のせいで、町の人たちからもずっと恐れられて生きてきた。だからこそ人を遠ざけ、侍女すら置かず、これから先も誰とも関わらないようにひっそりと生きていこうと決めていたというのに。
「その噂はもちろん僕も言ったんだよ? そしたら陛下、言ったんだ。私は自分の目で見たものしか信じないってさ」
(いや、そこは信じろよ)
その噂は間違ってはいない。氷霞は紛うことなき毒蛇だ。
「良い人だろう? 陛下はとても話の分かる人だよ。氷霞にも本気で惚れてる」
「寝所にあまたの妃を侍らせてる皇帝がなにを言うか!」
「陛下はそんなことしないよ」
「とにかく困ります。私は結婚など望んでいません」
(しかも相手は時の皇帝? 冗談じゃない。気を遣うったらありゃしない)
「だめだめだめ! 入内はもう決定事項! 僕のために頑張ってくれ! 引越しは明日だから!」
「あ……明日!?」
氷霞はあんぐりと口を開けた。
「ちょっ!」
「大丈夫! 陛下はとってもお優しくて、すんごく格好いいから! きっと氷霞も気に入るよ!」
「お待ちください、お父様! お父様!?」
「じゃあねー!」
芳は逃げるように去っていった。こうなったらもう、芳は氷霞の入内が滞りなく終わるまで屋敷に戻ってくることはないだろう。
「嘘でしょう……」
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