異世界案内人ー異世界に興味ありますか?ー

だいふく丸

第1話

 夕方というより夕暮れか、中年の男はそう呟いて帰路につく。アサヒ国を代表する自動車メーカーに勤めるスーツの背中はどこかもの寂しい。

 電車内はスマートフォンを覗く人々で溢れていた。車両に揺られ、ぶつかる若い男は頭を下げるだけで謝ることもない。彼はゲームに夢中だ。

 車内で、駅のホームで、藤沢幸久(ふじさわゆきひさ)というおじさんに興味があるのは、最寄り駅の繁華街のキャッチたちぐらいか。

「お一人ですか? 一杯どうすっか?」

 藤沢は軽く手を挙げて断る。彼は飲み屋を探す。同僚でともに飲む者はいない。昔はいたが。

 どこか哀愁が漂う男を引きつけたのは、オンボロな赤い提灯が目立つ居酒屋だ。彼はのれんをくぐる。

 店内は外見通りの古ぼけている。ただその焦げついた匂いが安心する。客はまばらで、一人で飲む藤沢にはちょうどよかった。

「らっしゃい! 一人かい?」

「そうです。初めてなんで、マスターのオススメと生ビールで」

 カウンターに腰掛けた。色黒で初老な店主がお通しを置く。

「ありがとよ! じゃ、焼き鳥盛り合わせだな。サービスしとくね!」

 元気な店主でうらやましい。娘だろうか、若い女の店員が一人で品物を運んでいる。

 焼き鳥をかじり、ビールで渇いた喉と心を潤す。「は~、もう疲れたな。ほんと」

 鶏皮がかみ切れない。力が入らない。ずっと噛んでいたいのかもしれない。ビールの苦みが甘辛さを流す。

「お隣、いいですか?」

「あ、はい。どーぞ」

 藤沢の隣席に、白髪がちらほら目立つ黒のストライブスーツを着る男が座った。どこか刑事ものドラマで見かける俳優に似ている。

 常連客か、店員と親しげに話す。

「元気なさそうですね。なにかありました?」

 とくにないですよ、そう答えたかった。 「人生、疲れますね」と、口が滑った。

「愚痴なら聞きますよ」と、グラスを合わせた。


 藤沢はニッタ自動車本社所属、商品開発部の課長補佐だ。私立難関大学経済学部を卒業、父親が運転していた自動車のメーカーに就職し、社のブランド力向上を掲げた当時の経営陣に応えるべく、仲間とともに日々進化する技術を製造工場で学び、オフィスで企画力を磨いた。

 主任に昇進し、同僚女性と結婚、子供は息子一人だ。彼が大学生となってから年に会うのは二回ぐらい。彼が小学生のときに夫婦は価値観の相違で離婚し、現在は母親と見知らぬ男と暮らしているようだ。

 藤沢のような家庭よりも仕事をとる社員が多く、ニッタ自動車は世界で著名なメーカーとなった。しかし、五年前に発覚した粉飾決算で業績が悪化し、新聞紙面でリストラの噂が途切れない。

 そして今日、藤沢は人事部課長に言われてしまった。

「今年度も社の業績が悪い。業界全体も暗い。ガソリン車よりも、今後は電気自動車だ。わかるよな、藤沢」

「リストラってことか?」

「言わせるなよ。同期の俺に」


「マスター、藤沢さんにビールを」

 隣席、口直しにスイカをかじる山田勝夫という男が藤沢に一杯おごる。店主も枝豆をサービスしてくれた。

「会社で頑張ってきて、残ったのはカネです。欲しかったのは、こんな紙切れじゃないんだけどな」

 長財布から一万円札を取り出し、恨めしそうに眺める。

「貧しい国の子供に寄付すっか」

 競争社会で戦ってきた男はどこかもの悲しそうで、自然と目が潤んでいる。彼にとって車作りこそが生きがいだったのだろう。その生きがいが奪われてしまうのだ。

 山田勝夫は男の肩を慰めるよう叩いた。

「とことん付き合いますよ!」

「ありがとうございます!」

 二人は旧友のよう飲み交わした。山田勝夫は大学職員をしているらしい。ストレスがたまり、たまに一人で飲んで発散しているという。


 藤沢はすっかり酔っぱらった。

 足取りがおぼつかず、山田に肩を貸してもらい、駅そばの公園ベンチに座った。山田は酔い覚ましにスイカのアイスをかじっている。

「飲みすぎました、すんませーん!」

「いいですよ、なんかの縁ですもん」

「こんなに飲んだのは久しぶりでーす! ありがとー、ございまーすっ!」

 面倒な酔っぱらいだろうが、山田は慣れているのか、イヤな顔一つしない。

「それはよかったですよ。藤沢さんも、頑張ってきたんです! どんどん飲んで、発散したほうがいいですよ! どんどん愚痴を言いましょ!」

「そうだ、俺は会社のために頑張ってきたんだよ! それが老害ボケどもの保身でリストラだ? ふっざけんなよ、ボケカス! 誰がこんな国にしたんだ、アホンダラ!」

 夜空を見上げる。満月がこちらを見ていた。

「あーあ、どっか知らない世界に行けたらなー。こんな俺でも、幸せに生きられるかなー、ってやべーな俺」

 妄想が膨らむので、理性が自制した。本音は海外へと移住したいが、自信がない。

「そういえば、最近の学生は異世界転生のマンガにハマっているようですよ」

「異世界転生?」

 藤沢はマンガを読まない。

「死んだあとに、異世界で生まれ変わって違う人間になって生きるマンガです」

「へー、異世界に行ければいーよなー」

「藤沢さんは異世界に興味ありますか?」

「そりゃ、こんなギスギスした、他人を誹謗中傷することしかできない連中と暮らしたくねーもん。ブス専の美女と出会って、再婚してーな。車作りながらさー、まー、無理な話だよな」

「藤沢さん、行っちゃいますか、その異世界とやらに?」

「へ? どうやって?」

「ほらほら、立って! 今日はまだ始まったばかりですよ!」

「二件目ですか! 山田さん、なんなら三件目も行きましょうよ!」

 山田は藤沢の肩を抱き、二件目の居酒屋へと向かった。そこは雑貨ビル内、個室の店だった。その個室には彼の故郷、土の国と称されるサトゥルノ国への入口だった。

 その後、藤沢はサトゥルノ国の名誉移民として自動車開発部長として重宝され、二回りも年が離れた美女と再婚したのだった。

 山田勝夫、本名はディアゴ・フェルナンデス。彼は有能なアサヒ国民をサトゥルノ国へと移住させるスカウトマンだ。

 そう、彼の職業は《異世界案内人》、秘密組織スター・インテリジェンス・カンパニーのエージェントだ。通称スイカという。


 

 

 

 

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