あの世、この世

胡真

第1話 俺死んでんの!?


「え、俺死んでんすか⁉︎」

 

 角の丸い白色の長机に体重をかけ、前のめりになった少年が広いロビーの一角で驚きの声を挙げた。思わず出てしまった大声に、慌てて口を片手で塞ぐ。幸い死人も異形のよくわからない生物も忙しなく動いているため、少年の驚いた声はその騒がしさにすぐ掻き消され、気に止める者はいない。

 ほっと胸を撫で下ろすと、呆れたため息が目の前で吐き出される。


 「逆になんで死んだこと覚えてないのよ」


 黒のポロシャツにタイトな白パンツを着た係員の女性が言う。胸元のポケットには『受付5』と書かれたネームプレートが挟まれている。


 「いやあ…俺に言われても」


 少年は頭をかきながら目線を彷徨わせる。

 懸命に過去を思い出そうとしても出てくる記憶は二つだけ。


 一つはこの『役所』に辿り着くまでに渡った赤い橋。いつの間にか川辺にいて、目の前に壊れそうな塗装の剥げた橋があった。とりあえず他に道もないため渡った先が、今いる卵型の建物『役所』。


 ここは一体何をする場所なのか、そしてなぜ死んでしまったのか、はたまた俺はどんな奴だったのかさえ覚えていない。

つまり死んで早々記憶喪失になっているのだ。常識まで忘れていないのが唯一の幸いどころだろう。


 眉間に皺を寄せた女性は目を瞑り、こめかみを抑える。


 「そもそも何?赤い橋って。普通死んだら三途の川を船で渡って、通行証片手にえっちらおっちら四九日間かけて来ること。これ以外に例外なんて……」


 顔を上げた係員は、肩まで伸びた栗色の横髪を耳にかけて言う。


 「あんたさ、本当は地獄から来たんじゃないの?」


 「地獄ってあの地獄!?すげー!地獄って本当にあるんすか?」


 「うん。このアホな感じは違うっぽいね」


 軽く受け流され、彼女は備え付けの引き出しから一枚の木でできた札と筆ペンを取り出し、少年に向かって差し出した。


 「名前、これに書いて」


 「うす」


  胡粋紲馬こいきせつま


 残る二つ目の記憶を書いた。

死んだ理由も生きてた頃の記憶もないのに名前だけは覚えている。どうせ忘れるなら記憶じゃなくて名前の方にしとけよ、俺の脳みそ野郎。


 受付嬢は名前を書いた札を受け取ると、後ろに鎮座する奇妙な機械装置へ向かった。大きさのまばらな管が幾十も絡まり合いながら天井へと伸びている。

受付嬢が手に持った札を入れる。するとその管の中の一つが黄緑色に光った。札はホログラムのように消え、代わりに小さく銀色に光る棒状のものが出てきた。

人差し指ほどの大きさのそれを摘み上げ、紲馬の前に置かれる。


 「これは?」


 まじまじと見ながら置いた本人に聞く。側面が不規則に凸凹している姿は何だかまるで…


 「鍵よ。君がこれから過ごすマンションの鍵」


 「俺が過ごす??」


 「そうよー。君が四十九日間過ごすために用意された部屋のね。記憶云々は、まあ横に置いといて、とりあえず君の死亡履歴書が届くまでの間はその部屋で過ごして下さい。以上!お疲れ様でしたー」


 「えっ、ちょっと、それだけですか?」


 その場から追い出そうとする受付嬢。棒読みの言葉尻に内心驚きつつも下げていた目線を上げる。

 受付嬢は、言わんとしていることを先読みしてかイライラしたご様子。


 「何?これ以上は私の管轄外だから分かんないわよ。後ろもつっかえてんだから、早く退いて」


 振り向くといつの間にできたのか。白の三角巾を頭に巻いた人達が行儀良く一列に並んでいた。

 シッシと手で追い払う仕草をする受付嬢。

 ノルマだって終わってないし…ボソッと聞こえた声には聞こえない振りをして後ろの人に場所を譲った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る