第16話 リベンジ


「やなぎんギンギンぎんぎらぎん! 今日も地元のナゾを徹底検証! どうもー、やなぎんちゃんねるのやなぎんでーす!」


 配信が始まるなり、ワントーン上がる声。

 慣れた手振りでお決まりの挨拶を決め、間髪入れずテンポ良く鳴らす柏手かしわで


「はい、というわけで! 再びこちらやってきました! やなぎんお気に入りの黄昏たそがれスポット、さびれた公園! え? 『再びってどういうこと?』『前回って何だったっけ?』そうよねー、あのライヴ配信、一瞬だったから。オトナの事情で即削除になっちゃったの! でもねー、今回はちゃんと許可取って仕切り直しますから! リベンジ! リベンジ配信っすよ! てな訳で早速ゲストをご紹介っ!」


 手招きされ、灰慈は庄内さんの横に並び立った。設置されたカメラに向かってペコリと一礼。


「ど、どうも。十代目花咲師の桜庭灰慈です」

「はい、みんな拍手ー!!!!」


 庄内さんが大袈裟に拍手すると、視聴者のコメントを映し出すモニターにも拍手する絵文字がどっと並んだ。

 同時接続数が千、二千、三千と秒単位で増えていく。

 なにせ今回の配信は視聴者待望の七不思議動画。すぐ削除されたことで賛否両論を巻き起こした前回の配信のリベンジなのだから、良くも悪くも注目度が高いのだろう。

 間髪入れず、庄内さんが視聴者に向かって今回の経緯を説明していく。

 相棒のタロぽんが亡くなったこと。この街には遺灰を花に変える御伽術師がいることを知り、アポを取ったこと。前回は許可なく配信しようとしたからNGになってしまったこと。そして粘り強い交渉の末、ようやく撮影許可が降りたこと。

 最後のは庄内さんの作り話だ。実際のところ彼からの連絡は一切なかった。連絡したのは灰慈の方だ。心残りだから花葬りをさせてほしい、撮影しても構わないからと。撮影可能と聞いて庄内さんはあっさり態度を変えた。上機嫌で日取りや撮影の手順を決めてきて、今に至る。


「じゃあ十代目、花葬りについて説明してもらっても?」


 事前に打ち合わせた通り話を振られ、灰慈はカメラに向かって説明した。


「花咲師の能力は灰を花に変える力です。ただし、どんな花を咲かせるか選ぶことはできません。咲く花は灰になったものの元の性質に左右されます。だから僕自身、これからどんな花が咲くかは予測できません」


 コメント欄には相変わらずヤラセやマジックの類だと疑う声がいくつもあった。

 正直気分は良くない。

 灰慈の考える花葬りは、故人と遺族のための神聖な儀式で、一族の誇りで、自分にとっての存在意義だ。こうして不特定多数の目にさらされてエンターテイメントとして消費されるためのものじゃない。

 だが、もう気にしないことにした。

 今日のこの花葬りは自分のためにやるものではないのだから。

 自分ではなく、庄内さんでもなく、ただのために。


「それでは、これより花葬りを執り行います」


 灰慈は庄内さんから受け取った小さな骨壷の蓋を開け、まぶたを閉じた。


   さて、ただ今咲かせまするは、

   桜に霧島、百日紅ひゃくじつこう山茶花さざんかと、

   四季折々に十人十色、

   灰とは思えぬ形にて

   皆の御目おんめにかけましょう


 遺灰に触れると、脳裏に見たことのない光景が浮かんできた――




 ***




 薄暗いペットショップ。

 自分より先に買われていく他の動物たちを見送りながら、まだ名の無いイグアナは狭いケージの中でそっと身を丸めて居眠りをしようとする。

 眠るのは好きだ。起きている時間の代わり映えのない景色とは違い、色とりどりの景色を見ることができるから。

 眠りに落ちかかったとき、店員が値札の上に何かシールを貼った。

 どうせ大幅値下げとでも書かれているのだろう。年をとったペットに順に貼られていくものだ。

 このままここを出ることなく朽ちるのが自分の運命なのだろうか。

 そうだと分かったとして、逆らう力などないのだが。

 無気力に微睡まどろむ。

 するとたびたび見る夢がある。

 鬱蒼うっそうと生い茂る森。騒がしい鳥や獣の鳴き声。水辺に時折差し込む、心地よい陽射し……。


「じゃあこいつで」


 目の前でぶっきらぼうな声がして、彼はゆるりとまぶたを開けた。


「うわっ、本当に老いぼれじゃんかよ〜」


 言うわりにはさほどがっかりしていなさそうな声。無精髭を伸ばした金髪の青年がこちらを覗き込んでいる。


「おい、頼むぞ。お前は大事な投資先なんだからな」


 びしっと指を差され、彼ははてと首を傾げた。

 奇特な人間もいたものだ。

 この自分を好んで買おうとする者がいるとは。

 じっと見つめていると、飼い主となった男は消え入りそうな声でぼそりと呟いた。


「……なんかお前、俺と似てんな」


 それから何ヶ月か経った。

 彼は「タロぽん」が自分の名前であることを認識するのに少々時間がかかった。

 なぜなら飼い主はカメラの前でだけしか彼の名前を呼ばず、それ以外は「お前」だったから。

 そして困ったことに「お前」と呼ばれるのは彼だけではなかった。

 飼い主もまた、家では他の人間に「お前」と呼ばれていたのだ。


「お前は一体いつまでぶらぶらしているつもりだ!? いい加減就活しろ!」

「ひぃっ!? いつの間にそんな気持ち悪いトカゲ飼ってたのよ!? お前って子は昔から本当に……!」

「お前さあ、夜中にブツブツブツブツ、マジで勉強の邪魔なんですけど。まだ配信やってんの? いい加減夢追うのやめて現実見たら? こっちは司法試験の勉強してんだからさあ、ニートは気を使うくらいしてよね」


 飼い主の家は、夢で見るあの森とはまた違ったうるささに溢れていた。

 他の人間と言い合いになった後、お決まりのように飼い主はぶつぶつと呟く。

 「こうなったのは俺のせいじゃない。全部投資の結果なんだ」と。


 ある時、彼は飼い主と共に新たな部屋に引っ越した。

 窓から見える外の景色は、灰色のビルやマンションが森のようにそびえていた。

 窓から差し込むのは、かつての北向きの部屋よりも強く暖かな陽射しだった。

 夢で見る光景とは少し趣が違うが、彼は新たな居場所をわりと気に入った。

 何よりここは人間同士のいがみあいがないのがいい。

 飼い主も機嫌の良い日が増え、エサの味が以前と変わった気がする。

 ……ただ、体調はあまり良くない。

 脱皮が上手くできず、体内におりが溜まるような感覚がある。

 日に日に寒くなるのもあって、身体は強張り上手く動かない。

 飼い主はおそらく気づいていないだろう。

 ここのところ忙しそうだ。

 動画の撮影、編集、次の企画、資料集め、他の配信者のチェック、コラボの打診……。一日のほとんどをパソコンに向かって過ごしていて、ケージの置かれている寝室ではなく机の上で突っ伏して寝ていることもしばしばだ。そうして目が覚めると、眠ってしまったことをひどく後悔している。

 それほど起きている時間が恋しいのだろう。

 そう思える飼い主のことを、彼は少し羨ましく思っていた。


「……ぽん、タロぽん…………タロぽんッ!!」


 その日は特に冷えた日だった。

 温もりを感じ、ぼんやりと彼が目を覚ますと、彼は飼い主の腕に抱かれていた。


「よ、良かった、生きてた……! もう死んじまったかと……!」


 飼い主の瞳からぼたりと温かい水が落ちてきた。

 心地いい。このままもう一度眠りたい。

 意識を手放しかけていると、飼い主のパソコンから別の人間の声がした。


『なんだ、生きてたのか。そりゃ残念だったなあ』


 モニターに映っている、人を小馬鹿にしたような男の顔。飼い主がよく「師匠」と呼んでいる人間だ。動画配信のあれこれを教えてくれたのだという。


『お前、もうストックつきかけてるだろ? そろそろ次の七不思議動画上げないと、せっかくチャンネル登録してくれた視聴者が逃げちまう。早いとこそいつを使って例の花葬りとやらを撮れって。な?』


 心なしか彼を抱く飼い主の手に力がこもる。飼い主はパソコンに背を向けたまま言った。


「……師匠。俺、例の動画はやっぱやめようと思ってるんす。ほら、こいつが出る雑談配信、意外と人気あるし? 方向性変えて、ペット系配信者で売っていけば……!」


 すると、画面の向こうから「ブッブー!!」という音がけたたましく鳴った。

 飼い主の顔が一気に青ざめ、通話相手の方を振り返る。

 「師匠」の声はスピーカーが割れる大音量で部屋中に響いた。


『はいはいはいはい、不正解! 今のお前の話、ぜんっぜん面白おもんないわ。なーーーーに勘違いしちゃってんの? 雑談配信意外と人気ある? んなわけないだろが! みんなねぇ、次の七不思議動画の繋ぎとして仕方なく見てくれてるだけなのよ! ペット配信なんか血の海! レッドオーシャン! そんなとこに素人が足突っ込んで数字取れますか!? えぇ!?』


 久々の喧騒。彼は飼い主の腕の中で身を縮めた。

 飼い主は画面に向かってへこへこと何度も頭を下げる。


「すみません。俺が間違っていました。師匠の門下生として恥ずべき発言でした。本当に申し訳ございません……」


 飼い主の謝罪が一分くらい続いた後、「師匠」はようやく気が収まったのか高級そうな黒革のソファーにどさっと身を預け、ゆるりと煙草をふかし始めた。


『庄内よぉ。今さら良い子ヅラしようなんて考えるなよ? お前みたいな持たざる者が成功を掴むには、リスクのある投資が必要だ。ハイリスクハイリターン。毎朝百回は唱えろって言ったよな。お前最近サボってんじゃねぇの? 調子乗りやがってよ』


 吐き捨てるように言って、通話が途絶える。

 飼い主はがくんとその場に膝をつき、しばらく髪をかきむしっていたかと思うと、やがて肩を震わせてくっくと笑い始めた。


「あの人の言う通りだ……。俺をバカにしてきたやつらを見返すためなら何でもするって、決めたはずじゃんかよ……!」


 ゆらりと立ち上がり、飼い主は寝室の扉を閉めた。

 リビングの暖房を絶たれ、真っ暗になった部屋は一気に冬の冷気に支配される。

 温もりが恋しかったが、飼い主は寝室の方にはやってこなかった。

 編集作業を始めたのか、カタカタとキーボードを叩く音だけが扉の向こうから聞こえる。

 外敵のいない静寂。

 安堵とともに再び襲ってくる睡魔。

 彼はふと思う。

 そういえば最近、あのジャングルの夢を見ていない、と。

 だが、以前ほどあの夢を見たいという気持ちにならない。

 その理由は何だろう。

 考えているうちに、彼の意識は朦朧もうろうとし始めた……。




 ***




「いざ――花となり現世うつしよから旅立たん」


 掌の中で熱を帯びた灰を空へと放つ。

 灰が描く弧の軌道を追うように庄内さんはカメラを向ける。

 飼い主と、無数の視聴者。

 彼らからの期待の眼差しを浴びながら、灰はきらきらと輝きながら姿を変える。


 咲いたのは、五枚の花弁が折り重なった白い花。

 中央がほんのりと淡い黄色に染まっており、そこからふわりとエキゾチックな甘い香りが漂ってくる。


「すげー! すげー! 見ましたか皆さん! 本当に咲きましたよ!!」


 興奮を露わに飛び跳ねる庄内さん。

 モニターにも目で追えない速さでコメントが流れている。


 上空に咲いた花はくるくると回転しながら落ちてきた。

 灰慈はそっとそのうちの一つを手に取った。

 庄内さんがカメラを寄せてくる。


「ちなみに、これはなんていう花っすかね? 南国とかで見かけるような気もするけど、俺全然詳しくなくて」

「プルメリアですよ。おっしゃる通り、熱帯地域でよく咲く花です」

「あー、プルメリア!! 名前は聞いたことがある気がするわ!!」


 庄内さんは大袈裟にリアクションをとってくる。

 カメラを意識してのことだろうが……たぶん、のだろう。

 灰慈がじっと庄内さんの顔を見上げると、彼ははてと首を傾げた。


「どうしたんすか、十代目? そんな泣きそうな顔して」

「やっぱり聞こえてないんですね」

「え? 聞こえてないって、何が?」


 彼はきょとんとしながら何気なくモニターに視線を向け……そして目を丸くした。


『やなぎんうるさい』

『ちょっと、聞こえないんだけど』

『え? なんか聞こえるの?』

『声がする』

『こわ』

『ホラー無理』

『いや、不思議と怖くはない』

『聞き取りづらくて何言ってるか分からんけど』

『放送事故www』

『聞こえる人と聞こえない人がいるみたいね』

『俺聞こえんわ。音量MAXなのに』


 視聴者から送られてくるコメントの数々。


「え、ちょ、うそ!? これマジもん!?」


 青ざめ、おどおどしながら周囲を見回すも、やはり彼の耳には届かないらしい。


『ウケるwww』

『キョドりすぎwww』

『やなぎんも聞こえてないのか』

『まさかのドッキリ?』

『放送事故乙』

『トレンド載ったよー』

『コメントはっや』

『視聴数めっちゃ伸びてるwww』


「ま、待って! そんなつもりじゃ……! 種明かし! 種明かしをしましょうよ! ね、十代目――」


 彼の言葉の途中でブツンとモニターが切れた。

 コメント欄は消え、真っ黒な画面の中央に警告マークが出ている。


『あなたの配信は管理者により不適切と判断されました』


「はぁぁぁっ!!??」


 あたり一帯に彼の叫びが響き渡った。

 花葬りで咲いた花たちは、役目を終えて満足したのかすでに形を失い始めていた。


「庄内さん」


 灰慈が彼の肩を叩くと、げっそりとした顔が振り返る。


「あー、ギャラっすよね。ちょっと後にしてもらって良いっすか? さっきの動画がアーカイブに残ってないか確認しないと」

「そうじゃなくて」


 灰慈は掌の上にまだ残っているプルメリアを差し出す。


「知りたくないですか? さっき、タロぽんが何て言っていたか」

「タロぽんが? ……いやいい、いいっすよ!」


 彼はますます顔を青くして、汚いものでも見るかのような目で灰慈の手を振り払った。


「本当に聞こえたんだとしても、どうせ恨み言か何かでしょ!? 分かってますよ、それも視聴者に聞かれたんだとしたら今後の身の振りも考えなきゃ……! くっそ……! こんなはずじゃなかった! なんで、なんでこんなことに……!」


 パソコンを開き、自身のチャンネルの状態をチェックしようとする。

 灰慈は歯を食いしばり、極力感情を押し殺しながら言った。


「恨み言なんかじゃ、ない」


 庄内さんはもう振り返らない。

 それでもその背中に、ちゃんと彼の相棒の言葉を届けたくて。


「『恵まれた一生だった』」


 その最期の言葉を、叫ぶ。


「『おかげで夢よりも良い景色が見れた』って! そう言ったんですよ、タロぽんは……!」


 パソコンのキーボードを叩く指が一瞬動きを止める。

 丸まった背中は、彼を一回り小さく見せた。


「……もう、帰ってくれ……」


 庄内さんは灰慈の顔を見ないまま、絞り出すような声で言った。

 掌の中に残っていた最後の一輪が、溶けるようにして姿を消す。

 灰慈はその感触を閉じ込めるように、拳をぎゅっと握った。


「僕は、雑談配信好きでしたよ。タロぽんを一方的に愛でるんじゃなくて、対等な存在として扱っている感じが特に」


 それだけ伝えて、灰慈はその場を後にしたのであった。



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