例えばこんな物語

麻美拓海

「パン屋」

scene-1


さすが、今東京で一番人気のベーカリー。二号店のオープン日には、マスコミが大勢来ていた。私はティーン向け雑誌のライター兼カメラマン。ニコニコしながらインタビュー取材に応じている長身のイケメンは、オーナーの夏目達也だ。

私はそんな彼をファインダー越しに覗きながら、小さく呟いた。

ーすごいじゃん!たっくんー


scene-2


小学校の頃、近所に住んでいた男の子‥それがたっくんだ。私の父がパン屋をやっていて、彼はよく店にパンを買いに来ていたから、少しは話したことがある。

まあ、20年も前の話だ。私のことは覚えてないだろう。ライバル誌のライターが質問した。「パン職人になるきっかけは、何だったんですか?」

たっくんは軽く笑って答えた。「それは‥内緒ですね」


scene-3


帰りの準備をしていると声をかけられた。「美穂ちゃんだね?すぐ分かったよ」たっくんは私を覚えてた!嬉しくなって図々しくこう聞いた。

「幼馴染の特権で聞くんだけど、さっき内緒だって言ってたこと教えて」

たっくんはちょっと照れてこう言った。

「好きだった女の子の家が、パン屋さんだったんだ」


scene-4


言葉を失っている私に、たっくんは続けた。「大好きで、でも何も言えなくて‥結局パンばかり買いに行ってた。そしたらパンが好きになっちゃった」

たっくんは小声で「内緒だからね。記事にしないでよ」と言った。

あぁ、人生って時々素敵なことが起きる。

「僕のパン食べてってよ」たっくんは笑顔でそういうけど、ひとかけらでも父の味がしたら、泣いちゃうかもしれない。



                                  end

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