第56話 準備万端


「ん……」

『おはよう、セリナ』

「スーおじいちゃん、おはよう……あれ、真っ暗?」


 暗がりのベッドの中、もぞもぞと動いて目を覚ましたセリナ。

 上半身を起こし、周囲を見渡すも部屋の中は薄暗く、窓から月明かりが差し込むのみ。


 普段からセリナが起きるのは明け方だが、これは暗すぎる。

 さらに、部屋が全く知らない物であることに気が付き、寝ぼけた表情で昨日何があったのか思い出す。


「あ、インクじゃないんだっけ……」

『ここはシェリダンの宿屋じゃよ。覚えておらんかの?』

「ん~なんとなく……」


 とりあえずインクではない事と、ここが昨日駆け込んだ宿屋である事は思い出した。

 普段は明け方に起きるのに、外がまだ暗い事については『ここはインクより日が昇るのが遅い』という事らしい。


 幸い部屋には照明の魔道具が置いてあるため、ベッドから出て灯し、改めて部屋の中を見渡す。

 窓からまだ夜明けまで時間がある事を確認し、椅子に腰かけた……ところで「ぐぅ~」とセリナのお腹が鳴る。


「……お腹減った」

『ほっほ、昨日は食べずに寝てしまったからのぅ』

「むぅ……スーおじいちゃん、お願いしていい?」

『もちろんじゃ』


 昨日はいろいろとドタバタしたせいで、空腹を感じる間もなく寝てしまった。

 インクを離れ、いきなり見ず知らずの地に降り立った事もあり気を張ってしまっていたのだろう。


 宿の部屋はベッドと机が置いてあるだけの簡素な物であり、食べ物があるようにも見えない。

 外の暗さから考えれば、今開いているお店もないだろう。


 空腹に耐えかねたセリナがスードナムにお願いすると、なんと目の前の空間にぽっかりと穴が開いたのだ。

 セリナはおもむろに穴の中へ手を突っ込むと、何かを探し、引き抜いた。

 その手に握られていたのはなんとサンドイッチ。


 食パンで挟んだものではなく、バゲットに切れ目を入れ、中にハムとチーズ、レタスをサンドしたもの。

 まるで作りたての様なみずみずしさのサンドイッチを、セリナはパクパクと口にする。


「おいしー! スーおじいちゃん、これ本当に便利だね」

『じゃろう? 現代に伝わってないのが誠に謎じゃ』


 そう、これはれっきとした魔法。

 時空間魔法に分類される、【亜空間倉庫】である。


 効果は術者の能力により差が出るが、スードナムのそれは時間無経過、容量極大、サイズ制限なしというとんでもない物。

 生前収納していたものは全て失ってしまっているが、セリナに宿ってから2年、少しづつアイテムを増やしていった。


 セリナが取り出したサンドイッチもその一つ。

 インクに居た頃、夜食や朝食をおかわりした物を食べず、こっそりとスードナムの【亜空間倉庫】に収納。

 受章の儀の後、ガローラの街を出た時の食料として備蓄したものだ。


 サンドイッチ自体は小さめだが、寝起きかつ小柄なセリナにはベストサイズ。

 ペロリと食べきり、再度スードナムの【亜空間倉庫】から水入りの革袋を取り出し、コクリコクリとのどを潤す。


「ごちそうさまでした!」


 朝食を食べひと心地着いたセリナ。

 椅子から立ち上がり外を見るが、いまだに暗く、空には月と星が輝いている。


「う~ん、日の出まではまだありそうだね」

『セリナよ、今のうちに着替えたらどうじゃ?』

「えっ? あ、まだインクの制服のままだった」


 日が昇るにはまだ時間がかかりそうだから、と助言を受けセリナは先に着替える事に。

 着るのはもちろん昨日買った服。

 買った直後に一緒に買った腰巻鞄の中へ入れた、のだが。


 セリナは昨日からつけっぱなしの鞄ではなく、目の前の何もない空間へ手をかざす。

 ……すると。


「ふんっ!」


 先ほど同様、【亜空間倉庫】の穴が開いたのだ。


「どう、スーおじいちゃん?」

『30点じゃな。発生が不安定じゃ』

「ぶー」


 先程サンドイッチを出した時はスードナムの【亜空間倉庫】だったが、今回開いたのはセリナの【亜空間倉庫】。

 ひとつの体に二人の意識が存在している状況だが、魔法の発動は別。

 【亜空間倉庫】もスードナムとセリナで別のものとなっている。


 【亜空間倉庫】の習得難易度はかなり高いのだが、スードナムはこれをセリナがインクを離れる前に必ず覚えるべき必修課目として伝授した。

 それまで教えてもらっていた魔法より数段ランクの高い【亜空間倉庫】に、セリナも必死に練習。

 インクを離れることを決めてから受章の儀の間までの期間、その半分以上の時間を費やし、ようやく習得したという経緯がある。

 

 しかし、やはり難易度が高く、容量無尽蔵のスードナムに比べ時間経過あり、容量小、許容サイズ小と最低限。

 スードナムは『習得できただけ上出来じゃ』とホクホク顔だが、セリナ不満気味である。


「えっと、お洋服お洋服……」


 セリナは自ら開けた【亜空間倉庫】の穴に手を突っ込み、中をもぞもぞ。

 昨日購入した洋服を取り出した。


 そう、店員が首を傾げ茫然とした腰巻鞄へ入れた洋服と靴は、実は鞄の中で開いた【亜空間倉庫】へ入れたものだったのだ。

 これも事前にスードナムと話していた事。


 セリナがインクの外に出るに際し、一番の問題となるのが荷物。

 着替えや食料など12歳の女の子が持てる量には限界がある。

 そこでスードナムも生前重用した【亜空間倉庫】の魔法を使おうと考えた、のだが。


 インクでの生活や図書館の書物で調べたところ、【亜空間倉庫】の魔法が現代には残っていない事が判明。

 そんな魔法を人前で使ってしまえば騒動となってしまう可能性が高い。

 そこで、手ごろな鞄を購入し、その中に【亜空間倉庫】を開く事で魔法ではなく、同じような機能を持つ魔法鞄に見せかけることにしたのだ。


 魔法鞄は外見こそただの鞄だが、口を開くと中が亜空間になっており鞄のサイズを無視した容量を積み込め、重量も感じないという魔道具。

 性能は鞄により異なるが、たとえ小さくても抜群の使い勝手を持つため、商人や冒険者などが愛用している。

 魔法鞄を作る技術もすでに喪失されており、新しい鞄を作る手立てもない。

 その為、市場では高値で取引されることが多いと聞く。


 つまり一定数出回っている為、子供のセリナが持っていること自体はあり得ない話ではないのだ。


「あった。お洋服と、靴と……」


 自分も【亜空間倉庫】から服と靴を取り出し、さっそく着替える。

 それまで着ていたインクの制服は綺麗にたたみ、【亜空間倉庫】へ収納した。


「へへへ、サイズピッタリだね」


 セリナが購入したのはローブ型の冒険服。

 動きやすさを重視し上は腕は半そで、下は膝上までのスカート状だ。

 靴も安価ながらもしっかりした造りであり、これなら使用に十分に耐えられるだろう。


「あとは……」


 最後にとばかりに、セリナは金髪ロングの後ろ髪を束ね、片手にもつ。

 そして、もう片方の手に魔導刃を発生させ、うなじの辺りでザクリと切り取った。


『……よいのかの?』

「うん、長いと邪魔だから」


 スードナムの問いに、小さな声で答えるセリナ。

 セリナの金髪はインクに来てすぐにファリスとラシールに褒められ、イノも気に入ってくれていた自慢のロングヘアーだった。


 しかし、今セリナの隣には髪を褒めてくれる人はいない。

 ロングヘアーは手間がかかる上、もしオリファス教会から追手がかかった際、特徴の一つとされてしまうかもしれない。


 皆が気に入ってくれていたロングヘアーを切り落とすのに抵抗がないかと言えば嘘になる。

 それでも、ここから新しい生活が始まるという区切りの意味も込め、切り落としたのだ。


「ん~、長さの調整、私ひとりじゃ無理!」


 豪快に切り落としては見たのだが、いつも髪の手入れをしてくれていたファリスたちはおらず、セリナ自身も後ろには手が回らない。

 あれこれ試してはみるが、結局うまくゆかず、そのままに。


 結果、後ろ髪は右が短く左は長いという斜めヘアーになってしまった。


「しょうがない、これでいっか」

『安直じゃのう……』


 少々歪な形にはなってしまったが、セリナにそこまで気にする様子はなく。

 スードナムがツッコミを入れるも、手直しする気もないようだ。


『……さて、日が昇るまではまだ時間があるのぅ』

「スーおじいちゃん?」

『せっかくじゃ。切り取った髪を触媒とし魔法の訓練と行くかのう』

「ええぇっ、今!?」

『もちろんじゃ。時間は有限。一時たりとも無駄にするべからず、じゃよ』

「うへぇ……」


 こうして、朝の支度を終えたセリナは、日が昇るまでの間スードナム指導による魔法訓練を行ったのであった。

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