第1章 錬磨の憧憬

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 小鍛冶錬磨は、県立高校普通科に通う華の十七歳だ。

 高校生と言ったら、勉学に部活、恋愛と青春イベントが目白押しなはずである。しかしながら、錬磨は二年生になってもアオハルのアの字すら見えていない。


 将来の夢がないので勉学にも熱が入らない。体を動かすのは好きだが、三年間を捧げたいと思えるほど興味のある部活もない。恋愛に関しては、付き合うとか以前に特定の誰かに好意を持ったことがない始末だ。


 幸いなことに、どんなことでも楽しめる母親譲りの性格に育ったため、自分のこれまでの人生を退屈だと嘆くことはなかった。

 しかしながら、最近になって悩みの種が生まれた。


 情熱をもって打ち込める何かを、自分が持っていないことだ。


 人からは、どんなことでも楽しめるのは素晴らしいことだと言われる。しかし、錬磨はその時々を楽しめるだけであって、四六時中何かに熱中しているわけではない。

 ある意味、錬磨は熱を持ちたかったのだ。


 医者になるべく勉学に励む幼馴染。

 スポーツ選手を目指してトレーニングを積む友人。

 憧れの人に好意を伝えるために自分を磨き続けている姉妹。


 彼らはみな、ひたむきな熱を帯びている。その熱意に当てられると、錬磨はどうも心に冷えを感じてしまって、自分とは対照的な彼らが羨ましくなるのだ。

 だからこそ、現在自分が置かれた状況に錬磨は興奮していた。


「ははっ……なんだよこれ!」


 先ほどまで、錬磨は公園にいた。缶コーヒーで手を温めながら、ベンチに腰かけて幼馴染を待っていたのだ。


 錬磨はきょろきょろと頻りにあたりを見回す。

 夕刻を知らせていた時計台はない。子供のころよく上ったジャングルジムもなければ、帰宅を促すカラスの声さえ聞こえない。もちろん、つい先ほどまで座っていたベンチだって、どこにもない。


 錬磨の眼前に広がる光景は、数秒前とはまるっきり違っていた。

 一辺三十センチほどの正方形のタイルが敷き詰められた石畳。石材を積んで作られた壁面には、一定間隔で荘厳な柱が建てられている。ちょうど錬磨がいる場所は、ホテルのエントランスホールくらいの広さがあった。


 ──神隠し? それとも流行りの異世界転移?


 口角が吊り上がる。高揚感に全身の毛が逆立っていく。

 錬磨の胸中には、帰れるか否かの不安よりも、意味不明な現状への予感めいた好奇心が満ち満ちていた。一体これから何が起こるのか! そんな期待が膨れ上がっていく。


 決意して立ち上がった瞬間、数十メートル先の空間がノイズを起こしたように歪んだ。

 細かな粒子がポリゴンのように象られていき、それらが立体パズルのピースのごとく組み立てられていく。そうして出来上がったのは、醜悪なヒト型の異形だ。爛れた緑色の皮膚が気味悪く、口許には粘ついた笑みを浮かべている。

 緊張が高まり、背筋に冷や汗が伝う。


「とりあえず危機的状況だってことは理解できたぞ」


 口角を引きつらせながら、錬磨は敵の動きに注意を払う。

 体長は一二〇センチほどだろうか。腰蓑を身に着けているだけで、特に武器の類は持っていなさそうである。もっとも、長く伸びた不潔な爪が何らかの病気をもたらす可能性は容易に想像できた。

 異形がニヤニヤと視線を送ってくる。その足は一歩一歩こちらへと進んでいる。


「なるほど。チュートリアルとかないわけね」


 嘆息して身構えると、背後で熱が膨らむような気配を感じた。


『いいえ、ありますよ。私があなたを導いて差し上げます』


 夏風に揺れる風鈴のごとく、澄んだ声色だった。

 バッと振り向くが、どこにも人影はない。俺の頭がおかしくなったか、と錬磨は自身を疑うが正気の確かめ方などわかるはずもない。


 眉間にしわを寄せていると、また女性の涼やかな声が頭に響く。


『私はあなたの脳内に直接話しかけているのです。いましばらく、私の姿は見えないでしょう。それに私を探すよりも、まずは目の前のお相手を見たほうがよろしいのでは?』

「…………」


 錬磨はあっけに取られ、数舜してようやく理解が追いついた。


「ハハッ、そりゃ的確なアドバイスだ! 出会い頭に相手から目を反らすなんて、これがお見合いなら破談ものだった!」

『オミアイ……たしかつがいとなる相手を探す行為でしたか。先に言っておきますが、アレと番うことはできませんよ。なにせ疑似生命体ですから』


 至極真面目な声音で指摘される。どこかズレている感じだ。


「そこは心配してねえよ! つか、いろいろと気になるセリフ吐くのやめてくれる? 目の前の相手に集中できなくなっちゃうから!」

『それは失礼しました。では、私は黙しておきます』


 しん、と場に静寂が訪れる。しかしそれは、錬磨の求めた状況ではない。


「待て待て待て! アンタナビゲーターなんだろ!? 黙らないで俺を導いてくれよ!」

『さじ加減が難しいですね。しかし、できうる限りあなたの要望に応えましょう』


 声の主は、ほうと息を吐いた。この場にいるわけではないのに、息遣いまで聞こえるとは一体全体どんなカラクリなのか。もしかして、異世界転移ものによくあるチートスキル的サムシングなのだろうか。興味は尽きないが、いまはそれよりも重要なことがある。

 錬磨はどこへともなく問いかける。


「何て呼べばいい?」

『あれはゴブリン。邪悪な妖精の一種です。あなたが打ち倒すべき敵ですね』

「ちがうちがう! そうじゃない!」

『……? では、何の呼称を聞いているのですか?』


 素っ頓狂な声で聞き返され、錬磨は思わず額に手をやった。


「俺が聞きたいのはアンタの名前だよ」

『私の名前ですか。そうですね──では、ウリエルとお呼びください』

「ウリエルね。俺は小鍛冶錬磨。レンマでいいよ」

『レンマ。それでは、ファーストミッションを始めましょうか』


 促され、錬磨は正面に向き直る。


「なんかいい感じにまとめちゃったけど、俺結構混乱してるよ? テンション上がりすぎて敬語じゃなかったけど大丈夫かな? ほかにもたくさん聞きたいことが出てきたんだけど、これっていま聞いていいやつ?」

『言葉遣いは気にしません。それから、質問は後にしてください』

「アッ、はい」


 ウリエルの返答に錬磨は唇を引き結ぶ。


 突然変な場所に飛ばされ、モンスターと遭遇し、姿の見えない謎のナビゲーターが現れた。不思議に不思議を重ねたような状況にもかかわらず、やはり混乱や不安感よりも期待と興奮の度合いが勝っている。我ながら変な性格に育ってしまったものだ。


 自分自身に呆れつつ、錬磨は大きく息を吐き出した。


「この展開って最初から飛ばしすぎじゃない? イマドキのWeb小説でももう少し段階踏むと思うんだけどさ。俺が読者ならついていけないかも」

『……舌を噛んでも知りませんよ』

「アッ、すみません」

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