第4節(1/2)

 政綱たちが案内されたのは、山中の緩傾斜地を切り拓いた村だった。

 家はどれも小さく、掘立小屋とそう変わらなかった。家と家の間は離れていて、集村化してはいない。と言っても、ここはひっそりと作られた隠れ里だ。隣家の様子がわからないほど離れているわけではなかった。

「貧しい暮らしです」

 田三郎は政綱にそう言った。

「時々、麓におりて稼ぎをするようになってから、それがよくわかりました。見てください。田なんか一反もないでしょう? ここでできることと言えば、焼畑と畠だけです」

 村の境には白木の冠木門かぶきもんがあって、そのそばに小さな石の鬼神像が数体あった。道祖神だろう。その前を通り過ぎながら、政綱は尋ねた。

「おまえの名についた、田の字は? 何か意味があるのか?」

「昔は――父が生まれる前のようですが――どこか違う土地で暮らしていたそうです。そこには、広い田があったとか聞いています。たぶん、それにあやかって田三郎と名乗らせたんじゃないでしょうか」

「なるほど。おまえの家には、太郎や次郎もいるのか?」

 田三郎は首を横に振った。

「兄貴がふたりいたけど、もう何年も前に死んでしまいました。身体が弱かったそうで……。政綱殿には、兄弟がいるんですか?」

「血の繋がった兄弟はいないが、同じ山で育った人狗たちを義兄弟きょうだいと呼んでいる」

「じゃあ、沢山いるんですね」

 政綱は、田三郎の肩に優しく手を置いた。

 足の向いている先には、他より少し大きな家が建っている。ブナの木が目印のその家が、田三郎の生家に違いない。

「お前よりは、義兄弟が多い――だが、死んだ数もそうだ。特に、本物の兄弟みたいに育ったやつらは、他に五人もいたはずなのに、いまではひとりしか残っていない」

 田三郎は、子どもなりに大人らしく気遣うような、複雑な笑みを浮かべて政綱を見た。

「政綱殿」

「なんだ?」

「人狗は、天狗が攫って――神隠しに遭わせて、そうして山で鍛えられるんでしょう?」

 政綱は迷いながらうなずいた。

「攫うというか……まぁ、世間からすれば、そんなところか」

「神隠しに遭って、よかったと思いますか?」

 好奇心からの問いではなさそうだ。政綱を見上げる目は、真剣そのものだった。政綱はその目を見て思った。この子は何かに――自分と雲景、おそらく〈望月〉も勘づいているような何かに――気がついているのかもしれない。そう思うと不憫だった。

「難しいな。本当に難しい問いだ、田三郎。異界は、苦しみのない楽土でも桃源郷でもないんだ。いいこともあれば悪いこともある。簡単には答えられん」

 田三郎の顔色が曇った。そうなるとわかっていた。だが、その場凌ぎの嘘をつくべきではないと思った。大人のなりをしている彼への礼儀として。

 政綱は、物思う様子の田三郎を、「大人たちを呼んできてくれ」と送り出した。

 〈望月〉、雲景と並んで、ブナの下で待っていると、二十数人の痩せた男女が集まって来た。上は老人から、下は田三郎よりいくつか年長の若者まで。皆、表情が硬い。それは、異界から現れた人狗と龍宮巫女を、図らずも迎えたからだけではないはずだ。

 卯木、藤丸、弥竹丸は、大人たちの中に自分の親を見つけたようで、顔を輝かせている。今日の大冒険の物語をしたくて堪らないのに違いない。だが、田三郎はそれを許さなかった。

「向こうに行っていよう。みんなが遊んでるはずだ。ほら、ついておいで。今日は色んなことがあったから、大人たちは難しい話をしなきゃならない。邪魔をしちゃいけないぞ」

 そう言った田三郎は、ちらりとひとりの男を見た。見たというより、睨んだ。睨まれて少したじろいだのは、田三郎の父だろうか。田三郎は何を言うでもなく、子どもたちを連れて桑畠のほうへ去って行った。

 政綱は村人の先頭に立った男を、禽獣じみた目で見た。

「おまえが田三郎の親父か?」

 萎烏帽子を被った髪に、白い物の交じった男――富守はうなずいた。

「そうだ、人狗殿」

「子には不思議な力があるものだ。それに、あの子は賢い。睨まれてさぞ堪えただろう」

 富守は政綱から視線を逸らした。

「子らを助けてくれた礼はする。充分とは言えまいが、どうかそれで――」

「礼は、子どもたちから既に受けている。二重に取る気はない」

「だったら何を……?」

 まるでわからないという顔だった。政綱は鼻で笑った。

「じきに陽が傾く。見え透いた演技で時間を無駄にするのはよそう。もう察しているはずだぞ?」

 政綱は、村人たちをじっと見た。彼らの強張った表情の底には、異人への畏怖だけがあるとは思えない。妖同然の汚らわしい存在だとして、少なからず蔑如べつじょしているはずだ。

 それは富守の声音に――薄っすらとではあるが――確かに表れていた。

「妖のことか。子どもたちだけを行かせたのは、間違いだったと言いに来たのか」

「自覚はあるようだな」

「あんたたちには関係ないはずだ。あんたらの子ではなく、あれは我らの子だ。ふらっとやって来て、口を出す理由はないだろう」

「その通りだ。おまえたちの子だ。どんな目に遭わせようと、それはおまえたちの勝手だ。どうしようがおれたちの知ったことではない。――無論、一個の命である子にも、生きる権利があって然るべきだが。親と子の権利を秤にかけると、どちらかに傾くものだろうかな?」

「面白い問答の吹っかけ方だな、人狗殿。もしも、手に触れられぬ物を秤にかける方法があるのならば、いますぐにでも試してみたいところだ」

 政綱は足元に視線を落とし、謎めいた笑みを浮かべた。

「段々と話すのが楽しくなってきたが、この際はっきり言おう。おれが知りたいのは、詫び証文とやらのことだ。それがあるから安心しろと言って、子らを送り出したらしいな? 残念ながら、カワコマには通用しなかったが」

 政綱は微笑んだまま目を上げた。富守の目を覗き込みながら、左手では意味ありげに大刀を触れてみせた。

「答えろ、富守。それはなんのための証文だ? いや、誰のための、と言い直そうか」

「何が言いたいのかわからんな」

「おまえの前にいるのは人狗だ、人の子。よく考えてものを言え。いいか、神と人の間に立つのが、古来変わらぬおれたちの役目だ。だからこうして口を挿む。神の怒りを買えばどうなるか、知れたものではないぞ。後悔したくなければよく考えろ」

 ややあって、富守が言った。

「……証文を見れば、我らの行いにもわれありと、そう納得するか?」

「それは見てから考えよう」

 富守はうしろを振り返り、集まった男女の全てを、ひとりずつ見ていった。首を横に振る者はいなかった。諒解を得た富守は向き直り、俯き加減で言った。

「ではお見せしよう。ここで待たれよ。――皆はもう戻ってくれ。冬は待ってはくれない。この場は、わしが引き受ける」

 富守が家に向かうのに合わせて、村人たちはそれぞれ帰って行った。

 珍しく、一切口を出さずに見ていた雲景が言った。

「どう収めるつもりだ?」

 政綱は顔だけ向けて応えた。

「おまえに妙案があるなら、是非聞かせてもらおうか」

「妙案だって? いや、それは土台無理な話だ。見守るくらいしかできることもない」

 〈望月の君〉は、政綱が尋ねる前に言った。

「成り行きに任せましょう、政綱。関わってしまった以上、わたしも一緒に背負うわ。だけど結局、あなたにできることはひとつだけよ。あの子たちは、人界で生きるべきだわ。わたしやあなたと違って、そうできるんだもの」

「ああ。それが人のあるべき姿だ」

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