第2節(3/3)

 政綱は、努めて柔らかい表情を浮かべた。

「何か心配なことでもあるのか?」

「妖の様子を、見てこいと言われていて」

「妖? おまえたちだけでか? ものに慣れた年寄り連中はいないのか?」

「います。父は富守とみもりという名で、おれたちの村の長で、他にも大人たちがいます。でも、冬支度が忙しいから、この子たちだけで妖の様子を探らせることになったそうで。あんまり心配になったから、おれは勝手について来たんです」

 うしろで立ったまま聞いている雲景が、小さく唸るのが聞こえた。

 政綱と〈望月〉は、さっと横目を見合わせた。政綱は静かに尋ねた。

「おまえの村はどこにある?」

 田三郎は、社地の裏手から続く山を指差した。標高はそれほどでもなさそうだが、山域が広く、深い森に覆われていそうだ。

「あの山の奥にあります。近くに川があって、ずっと遡って行くと滝があるんです。だから清滝きよたき村と呼んでいます」

「清滝村か――」

 呟いた雲景が、山を眺めながら続けて言った。

「この辺の地頭は? それとも下司かな? 妖退治は土地を安んずる眼目でもある。訴えて出れば、武士が調べに来そうなものだが。役目を怠れば所領を没収されるからな」

 全員の目が、田三郎に集まった。田三郎は硬い表情で俯き、腰にさげた火打ち袋を弄っている。何か言おうとしているが、中々思いきれないようだ。

 政綱がその逡巡の理由を察した時、〈望月の君〉がはっきりと言った。

「村は隠れ里なのね」

 田三郎がはっと顔を上げた。唇を噛み、やっとのことで小さくうなずいた。口が半開きになったままの他の子どもたちは、〝隠れ里〟の意味がよくわかっていないらしい。この際、それがよかった。

「心配要らないわ、田三郎。このことは誰にも言わない。――聞いて。政綱の出た鳳至山というのは、ほとんど朝敵のようなもので、彼もよく人と揉めて追われているわ。西でも東でもね。雲景は朝廷の官人だったけれど、いま彼に残っているのは従五位上じゅごいのじょうの位だけで、暮らしは悪党同然よ。だからこのふたりは仲良しなの」

 政綱は笑って聞き、雲景は小声で抗議している。〈望月〉はぴしゃりと言った。

「雲景、ちょっと黙って。――そしてわたしの育った由須国ゆすのくには、この日出ひじに残った数少ない神国よ。朝廷とも将軍府とも違う、本物の神の国。わたしの言いたいことがわかる?」

 田三郎はうなずいた。

「賢いわね。安心なさい。そのことも、妖のことも。まぁ妖については、〈鳳至童子〉の政綱がなんとかしてくれるはずよ」

「はい……でも、人狗殿にものを頼んだら、宝物を贈ってお礼をするのが習いでしょう? 人狗殿は山神のお使いなんですから。勝手に頼んでしまっては、皆になんと言われるか……」

 〈望月〉は、とびきり優しく微笑んだ。

「天狗に育てられたせいで、人狗はとても気まぐれなのよ。何を宝とするかは、その時次第で変わる。目に見えないものだって喜んで受け容れてくれることもあるわ――特に今日は、寛大に接してくれるんじゃないかしら」

 そう言いながら、ほんの少し顔を向けてきた〈望月〉を、政綱はなんとも言えない表情で見ていた。猛禽の目と青い瞳は、視線がぶつかり合いそうで、結局は合わなかった。

 政綱は膝を伸ばし、息を吐きながらゆっくりと立ち上がった。言うべきことは決まりきっていた。

「妖のいる所まで案内してくれ。どんな奴がのさばっているのか、おれが見てきてやるよ。礼は……気持ちだけで充分だ」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 深々と頭を下げた田三郎は、卯木、藤丸、弥竹丸に早口で言った。

「おまえたちもお礼をしろ。この人たちが助けてくれるんだぞ」

 子どもたちは丁寧にお辞儀してみせた。

 政綱が小さくうなずくと、〈望月の君〉が早くも歩き出して言った。

「さぁ、行きましょうか。ぐずぐずしていると陽が暮れるわ」

 子どもたちが、龍宮巫女の従者のように後に続いてゆく。政綱には、呼び止める暇も与えられなかった。それ自体はよくあることだが。

 差し出す間もなかった宝剣を見てため息をつくと、雲景が横に立って言った。

「やっぱり、小笹で何かあったようだな? 言い分があるなら聴いてやるぞ」

「いいから先に行け。おれは柳丸を連れて来る」

 雲景は悪戯っぽく微笑み、それ以上尋ねずに〈望月〉たちを追って歩き出した。

 しばらくその場を動かなかった政綱は、どんより曇った空に向けて右腕を揚げた。声をかけたり笛を吹いたりするまでもなかった。社の背後に生い茂った針葉樹の林の中から、野分丸が滑るように飛んで来た。

 手甲を着けた腕に彼がとまると、政綱は苦笑いして言った。

「さすが、龍神の娘はなんでもお見通しだな」

「ほう、余裕だな、政綱。この調子だと、そのうちあれの雷が当たるかもしれんぞ」

「言ってくれるな……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る