第29話 恭一(2)

 施設では虐められた。新入りだからなのだろう。大人に見えないところで、他の子どもたちに叩かれ、床に転がされて血を流した。


絶望する毎日――。だが、ある日、声が聞こえた。

「負けるな……」

 恭一は振り向いたが誰もいない。


「何をしてもいい」

 また聞こえた。


「だって、大きな子には勝てない」

 恭一が言うと、

「勝てる。何をしてもいいんだ」

 声はそう言うと、唐突に消えた。


 真っ黒な穴の奥にいた奴だ、と恭一は思った。

 恭一は声に言われたとおりにやり返した。後からバットで殴りつけ、倒れた少年の顔を踏みつけたのだった。


 その日は施設の人たちにこっぴどく叱られたが、恭一は満足だった。あの真っ黒な穴の中の者の言うとおりにやり返し、施設の子どもたちにも一目置かれたからだった。


 それからも、真っ黒な穴の奥にいた恐ろしい者の存在をしばしば感じた。施設の真っ暗な倉庫や通学路の電柱の影など、暗闇の片隅にそいつを感じた。


「この世は闇だ。誰も信じるな。使える物は何でも使え。血を流せ、そして勝て」

そいつは暗闇の中から語りかけてきた。その言葉は恭一にとって既に幻覚などではなく現実のものだった。


 ある日、施設のテレビで映画を見た。日曜の昼間にやってるマイナーな映画番組で、そんな時間にこの番組を見ること何て無いのに、その日はたまたま見ていた。


 映画は古いホラーで、悪魔の子が外交官の子どもの養子になって次々に周りの人々に災厄を振りまき、自分の正体を見破った養父も殺してしまう――そして、最後にはアメリカ大統領になることを示唆して終わるという内容だった。


 昔はこれが大人気だったんだと施設の大人が教えてくれた。恭一は内容に釘付けになって見ていた。残酷なシーンも幾つかあったが、不思議と怖くは無かった。


 映画では、はっきりと悪魔そのものが出てくるわけでは無かったが、悪魔を示唆する使い魔の黒い犬や悪魔を崇拝する人々が子どもを助ける。


 恭一はこれを見て直感的に、あの暗がりにいる奴は、悪魔なのだと思った。だから、彼は姿を見せずに自分にヒントを与え、助けようとするのだ。


 恭一は自分の考えに夢中になっていた。


 恭一と冬次は、そのまま施設で育ったが、恭一が小学三年生、冬次が小学一年生になってすぐに、学校でいじめが始まった。参観日の時に冬次がうっかり口を滑らせ、両親がいないことがばれたのだ。上級生までも加担するそのいじめは過酷で陰湿なものだったが、間もなくして恭一は反撃を開始した。


 恭一は悪魔に言われたとおり、何でもした。時には武器を使い、時には敵を罠にはめた。力を持つ者には、影で悪口を広め、仲間はずれに遭うように仕向けた。恭一に罪悪感はなかった。自分に敵対する者たちを傷つけ、排除していく度に、「よくやった。その調子だ」と悪魔の声が聞こえた。恭一は悪魔に対して常に感謝し、生け贄を捧げるかのような気持ちで周りの血を流し続けた。


 中学生になり、不良少年たちと遊ぶようになると、その喧嘩の強さから、恭一は瞬く間に頭角を現した。恭一は誰も信じず、使える物は何でも使った。仲間でも平気で利用する恭一に離反していく者も多かったが、その得体の知れない強さについてくるものたちも少なからずいた。このときのメンバーが、ブラック・マンバの中核になり、強固な一団を作り上げた。


 中学を卒業すると、県立の実業高校に入学した。そこは学力的には底辺にあるような荒れた学校だったが、だからこそ都合がよかった。喧嘩を繰り返し、戦闘力の強い仲間を集めていったのだ。


 入学してからしばらく経ったある日、同じ学校の先輩がそのチームに目を付け、金をたかり始めた。年が二つ上で体重が百kgはある化け物のような奴だった。


 恭一は一計を案じた。金を渡すと嘘をつき、公園に呼び出すと三十人で囲んだ上で、タイマンを要求したのだ。


 こいつを血祭りに上げ、悪魔に捧げなくてはいけない――

 それも自分の力でやる必要があった。

 

 相手は恭一のことを舐めきって、柔道の大外刈りのような格好で地面に押し倒すと恭一にのしかかり、顔面にパンチを落としてきた。


 肺から息が絞り出され、一瞬呼吸ができなくなったが、恭一は必死に相手の股間に手を伸ばした。大きな金玉を握ると力を込める。


 相手は叫び声を上げ、パンチを落としまくったが、額で打撃を受けながら手に力を込めた。ぐしゃっと気味の悪い感触がしてから初めて手を離す。


 恭一はゆっくりと地面から立ち上がると、そいつの顔を踵で踏んだ。一発目で鼻が折れ、二発目で前歯が折れた。


 地面に這いつくばって土下座をするまで許さない――

 そいつが血を流し、心が折れた瞬間、

「そうだ。それでいい」

 悪魔の声が久しぶりに聞こえた。恭一は自分の力が増していくのを感じていた。


 そして、恭一を囲む三十人の仲間は、リーダーの持つ力に酔いしれ叫んだ。熱狂が辺りを包んでいた。自分がこの学校の王だ――恭一は、右手を掲げ、仲間を睥睨へいげいした。


 あるとき、ブラック・マンバのメンバーと街中で暴れていると、空手をやっている有名な不良に因縁を付けられた。全国大会で上位に食い込むほどの実力の持ち主で素手の喧嘩なら無敗だと評判の男だった。


 恭一は逃げずにタイマンで戦った。格闘技の心得のある男には、急所攻撃も決まらなかった。蹴りやパンチを当てられまくったが、その最中「お前の妹を拉致している」と耳打ちし、「反抗すれば顔を傷つける」と脅迫した。


 そいつとはいずれぶつかることもあるかもしれないと思い、調べていた情報だった。最初は全く聞く耳を持たなかったそいつに、妹の塾の帰りの時間や好きな食べ物なんかを耳打ちすると、反抗しなくなった。たまたま喧嘩になった奴の妹を拉致する時間なんかあるわけがないのだが、最終的にこの喧嘩は恭一の思い通りになった。相手の心が折れていくに従い暗い力が体に充填されていく。それは、捧げた生け贄に対する悪魔からの見返りに違いなかった。


「お前は強い。誰にも負けない」

 悪魔の声が聞こえると同時に、あの日の晩の雪混じりの強風の音が聞こえていた。


 このタイマンを通じて、恭一の強さは学校を超えたカリスマの域に達し、周りに敵対するような者たちはいなくなった。ブラック・マンバを束ねる悪魔の力を持つ凶戦士。恭一の周りには、恭一と同じく血を見ることを厭わない残虐な者たちが集まった。


 ブラック・マンバのリーダーとしての地位が確立していくに従って、少しずつ悪魔の声は聞こえなくなっていった。高校は二年生で退学し、この地区最強のチームであるブラック・マンバの頭として君臨していた。


 麻薬を売りさばき、金も手に入れた。俺は全てを手に入れつつある。

 そう思っていたが、目障りな奴らがいた。それが綺麗事ばかり言うスカル・バンディッドの奴ら――中でも、喧嘩の強さでは有名なリーダー、九条竜一だった。

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