第25話 悪魔(2)

「おい……立つぞ。泣いてる場合か?」

 オレの背後に立ったそいつは言った。


 メキ、メキ、メキッ!

 後から骨を砕くような音が聞こえ、その途端、オレの首を掴んでいた悪魔の見えない力が無くなった。


 後を振り向くと、逆光の中、見えない悪魔の腕を握りつぶす男の影が見えた。

「誰だ……お前は!?」

 悪魔が右手をさすりながら言った。


 オレはそれが誰だか分かっていた。

「馬鹿、泣いてなんかいるか……」


 頭を振って、よろよろと立ち上がる。

「体は病院で寝てるんじゃなかったのか?」


「ああ。今は、たぶん幽霊の状態だな」

「マジか?」

 オレは横に来た男を見上げた。


 そこに立っていたのは、黒い特攻服を着た竜一だった。頭はリーゼントにして、鉢巻きを巻いている。特攻服には、白い文字で「喧嘩上等」と染め抜かれていた。だが、その体は半分透き通っているように見える。


 オレは思わず笑ったが、悪魔にやられた肋骨が痛んで眉間に皺を寄せた。

「何だよ、その喧嘩上等って?」

「誰にも負けねえ。売られた喧嘩は買うぜってこった」


 竜一はそう言うと、

 ミシ、ミシ

 と、音を立て拳を握りしめた。


 理屈は分からないが、おそらく死神が何かをしたのだ。半分透き通ったような体は幽霊にも似ていたが、もっと力強いエネルギーを感じた。


「とりあえず。こいつは許さない。こんだけ気にくわない奴は久しぶりだ」

 竜一から、青白い炎のような気勢が吹き上がり、リーゼントに決めた髪が逆立っていた。


「ギる、ギる、ギる、ギぃゃあああッ!!」

 悪魔は蜃気楼のようにその姿を歪ませ、吠えた。同時に強烈な瘴気が吹き付けてくる。


 悪魔が右手の包丁を突き出した。

 竜一は頭を下げてその攻撃を避けると同時に右のストレートを悪魔の顔面に突き刺した。


 悪魔の顔が苦痛に歪み、後ろに吹っ飛んだ。包丁が床に転がる。

 だが、悪魔は転がりながら口を開き、もの凄いスピードで舌を伸ばした。


 顔面に真っ直ぐ伸びてくるその舌を、竜一は空中で撃ち落とした。

「オレのパンチは痛えだろ?」

 竜一が笑った。


「凄いな……」

 オレが呟くと、


「ああ。だが、時間はあまりない。竜一の魂の力が尽きるまでだ」

 死神が言った。


「どういうことだ?」

「今の状態が成立しているのは、修行の成果プラス竜一の魂の力のおかげだ。だが、いかに魂の力が並外れていようと自ずと限界はある。力を使い果たせば、あの霊体の体は消えてしまう」


「竜一。すぐに決めろ! 時間はあまりないらしいぞ!」

 オレが叫ぶと、

「ああ。聞こえてたぜ」と、竜一が答えた。


「おのれ、許さんぞ」

 悪魔が吠え、立ち上がる。


 コウモリの羽を持つ、恐竜と蟷螂が合わさったような姿がはっきりと現れていた。男は悪魔そのものの姿になっていた。


 悪魔は怒りに震え、右手を空中に突き出した。


 竜一の首に大きな手で捕まれたような跡ができる。その見えない右手はギリギリと音を立てて、竜一の首を握りこんだ。

 竜一は悪魔を睨みつけたまま、見えない悪魔も右手を掴むと一気に握り込んだ。


「ぐおッ!?」

 悪魔が驚愕の声を上げる。すると、首に出てきていた指の跡が突然消えた。

 竜一が無理矢理に引きはがしたのだった。


「ふん。こんなもんか?」

「黙れ! これを喰らっても笑ってられるか!?」


 悪魔が右手の人差し指を銃のように構えた。さっき、オレと死神が食らった技だ。

 空気中の細かい埃を切り裂きながら、黒い気の弾が打ち出される。


「避けろっ!」

 オレの叫び声を聞いた竜一は、歯をむいて笑った。


 黒い気の弾が当たる寸前で、

 バチッ

 と、音を立て、弾かれた。


 竜一が、左フックで打ち返したのだった。

 次々に、悪魔の人差し指から打ち出される気の弾を、ことごとくパンチで迎え撃つ。


 オレは、超人的な竜一の攻撃力に舌を巻いていた。人とは思えない化け物じみた強さだ。


 竜一は、気の弾を避けながら、鋭い踏み込みで一気に距離を詰めると、悪魔にボディアッパーを連打で打ち込んだ。


 強烈な前蹴りを突き刺すと、悪魔がその場に転げ、苦しんだ。

 悪魔の全身に太い透明な鎖が浮かび上がった。それは体中に巻き付いていた。


「おい、こんなもんかっ!?」

 竜一はそう言い捨てると、飛び上がって悪魔の腹にかかとを突き刺した。


 次の瞬間、悪魔の口から、一際大きな気の弾が発射された。

 竜一は間一髪のけぞって、その攻撃を避けた。空気中に焦げ後を残すかのような一撃が、天井を突き破り、空へと抜けていった。


 悪魔はその一撃でかなりの力を使ったらしく、苦しげに息を吐いた。

 竜一は、後に跳ぶとオレの方を見た。


「一緒にやるぞ!」

 竜一の言葉にオレは頷いた。


 竜一が再び、嵐のような突きと蹴りを見舞った。


 同時に、

「にゃあううおおお!!」

 ――おい、こっちをみろ。悪魔の奥にいるお前に言ってるんだぜ。

 オレは鳴き上げ、語りかけた。


 悪魔の目が見開かれていた。だが、何かが足らない。オレの言葉が寸前で閉ざされているような――


「これかっ!?」

 竜一は、悪魔の頭に頭突きを見舞い、両手を悪魔の耳の中に突っ込んだ。


 身体に電流のようなものが流れ、竜一の身体の色が薄くなったり、濃くなったりする。


 だが、竜一は構わずに耳の中から触手のような者を引きずり出した。


「竜一。魂の力が削られる。それは離せ!!」

「馬鹿。それじゃ虎徹の声が届かないじゃないか。俺に構うな」

 死神の言葉に竜一は答えた。


 オレは悪魔、いや、男に向かって、再び語りかけた。


 ――お前は、あの女の子を大切に思っていたよな。

 悪魔の顔が細かく震えた。


 ――彼女を殺した時、中にいたお前は苦しかったんだろ?

 悪魔がピクリと動き、その目に微かに理性の光が現れた。


 ――あれはお前がやりたかったことか?

「ち、違う……」

 男の切れ切れの声が、返ってきた。


「にぃやああううううおおおお!!」

 ――じゃあ、負けるな! こっち側に戻って来い!!

 オレは心の底から鳴き声を上げた。


 それは、男の魂への鎮魂歌レクイエム。そして、応援歌だった。

 オレの背中に死神の手のひらが添えられていた。そこから、さらに力が注がれ、俺の鳴き声も力を増した。


 首輪の石が激しく金色に光り、同時に左の瞳が青色の、右の瞳が緑色の光を放った。


 ぶち、ぶち、ぶちっと、音を立て、悪魔の耳の中から伸びる触手を竜一が引きちぎった。


「ぐあああうううおおおお……」

 倒れている悪魔が苦しみ、もがいた。


 ビシ、ビシ、ビシッ!

 悪魔の全身をぐるぐる巻きにしている太い透明な鎖にひびが入った。あの鎖が、男と悪魔を縛りつける呪いに違いなかった。


 いつの間にか、死神の手とは別の小さな手が、背中に当てられていることに気づいた。


「君も、束縛から逃げれたんだな?」

 オレの傍らにあの小さな女の子がいた。あの男に包丁で殺された女の子だった。血で汚れた姿ではなく元のかわいらしい格好に戻っている。


「死神! 竜一! 女の子が戻ってきてる!」

 オレは嬉しくなって、女の子の手を舐めた。


 ――と、

「ギギぃ、ギるるォおおおおーうッ!!」

 悪魔の吠える声が轟いた。

 オレたちを睨みつけるその目は、ガソリンの炎のように青く燃えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る