第19話 邪霊祓(3)

 いつしか、岩の壁で囲まれた部屋に戻っていた。

 目の前には、首に輪になったロープがかかっている男がぽつんと立っている。


 上下、グレーのスウエットを着た男の片方の目玉は落ち、真っ黒な穴だ。死んでいるはずなのに、残った方の目玉から涙が流れている。


 男は怨嗟の声を上げ、オレに掴みかかろうとしていた。

 オレは後ろに跳び退って男と距離を取ると、その悲しい姿を見上げた。


 男の無念と後悔が、オレの心に突き刺さる。


 かねが欲しかったのか……。

 オレは首を振った。


 金があれば、美味しい食べものにありつける。そして贅沢品もたくさん買える。それは理屈としては分かる。だが、そんなものが何だって言うんだ。死んでしまえば何の意味も無い。


 オレは男に深い哀れみを感じていた。


「にゃああん」

 ――金なんて欲しがらなきゃよかったのにな。


「みゃあおん」

 ――お前が一生懸命だったことを否定してるわけじゃないんだぜ。


 ゆっくりと語りかける。

 すると、それまで無表情だった男の顔がぴくりと動き、目玉の残っている方の瞼が開いた。


 背中にそれまで隠れていた黒い影が現れる。漆黒の邪霊だった。


「あぁぐ、ギガあぉぉぁぁッ……!!」

 言葉にならない叫び声を上げ、涎をまき散らしながら、男の背中から体を引き伸ばして跳びかかってきた。


 オレは背中の毛を逆立て、牙をむいた。

 邪霊がオレに食いつこうとした瞬間――体から、青白く光る無数のパンチが飛び出した。


 ド、ド、ドゴンッ!

 轟音とともに、邪霊が弾き飛ばされる。


(大人しくしてやがれっ! いい加減、俺も怒ってるんだ……)

 竜一が吐き捨てるように言った。


「竜一。助かったぜ!!」

(ああ)


 これで男に集中できる。

 向こう側に弾き飛ばされた邪霊が、呆けたような表情になっているのを見てオレは思った。


「なあおおおおん」

 ――逃げるっていう手もあっただろ?


 さらに語りかけると、

「だけ、ど、借り、た……ものは、返さな……きゃ、いけ、ない……んだ」

 男の悲しそうな声が、と切れと切れに返ってきた。


 ――だからと言って、死ななくてもいいだろ?

「確かに、そう、かも……な」


 ――何にこだわってたんだ?

「たぶ……ん、負けたく、なかった。金持ち、になりた、かった……んだ」


 ――そうか。負けを認めたくなかったのか。それなら少し分かるぜ。

 オレは男がこだわっていたことを少しだけ理解した。そして、さらに鳴き続けた。鳴き声に合わせ、銀杏の枝で編んだ首輪に付けられた石が光る。


「俺は……一人、で戦った……んだ。だって、負ければ、終わり……な、んだ。強さは、いいこと……で、弱者は、強者に、食い殺……される世の中、だと、思って……」


 オレの言葉に、男が言葉を返す。その表情は、それまでのゾンビのような無表情な顔とは明らかに変わっている。


 いつしか傍らに死神がいて、オレの背中に手を当てていることに気づいた。背中から温かな力が伝わってくる。


 ――負けたら終わりだって、邪霊が煽っていたんだな。そんなことはない。終わりなんかじゃない……。


「そ、うだ……俺、は……何、に……こだ、わって、た……?」

 するり、と男の首に掛かっていたロープがほどけ、下に落ちた。


 銀杏の枝で編んだ首輪の石が、さらに激しく金色に光った。


 そして、オレの左の瞳が青色の、右の瞳が緑色の光を放った。


「ぐぉ……ガ、ろあぁぁっあ、ガぁあぁ…………」

 背中についた邪霊が苦しみ、頭を掻きむしる。

 オレはかまわずに鳴いた。


「にぃっやああっおおう!!」

 こいつから、その汚い手を離しやがれっ!!

 オレの声は一直線に邪霊を直撃した。


 邪霊が見る見るうちに黒い粒子になって、背中から剥がされていく。黒く散り散りになって消えていく様は、まるで日光に晒された吸血鬼のようだった。

 そして、同時に男のボロボロだったグレーのスエットが細かく分解されていく。


 オレは鳴き続けた。

 男の姿が変化していく速度が上がった。


 体を覆っていたボロボロのスエットはすっかり消え、ワイシャツやスーツが体を覆っていく。


「ありがとう。目が覚めた……」

 そう言った男の目には力強い光が宿り、あの見るも無惨な姿から、立派なネクタイを締めたスーツ姿へと変化していた。


「もう、大丈夫なのか?」

「ああ」


「邪霊に憑かれていたんだぜ」

「分かってる。だが、半分は自分自身のせいだな」

 男は頷いた。


 みるみるうちに、男の姿が光に包まれ始めた。

 男は光が降りてくる上を見て、次にオレたちに目を移すと、笑顔で手を振った。男の体が微細な光る粒子となって、少しずつ消えていく。


 どれくらい時間が経っただろうか――

 首輪の石の光は既に消え、元の岩で囲まれた部屋に戻っていた。


 かなりの時間が経ったような気もするし、ほんの数瞬だったような気もする。とにかく、男の姿はオレの目の前から完全に消えていた。


(やったな。さすがだ)

 竜一が言った。


「オレは何をしたんだ?」

 死神に訊ねる。


「訓練の成果が出たんだよ。お前の声には特別な霊力がある。邪霊に憑かれていた彼の悲しみを癒やし、邪霊との繋がりを絶った。そして、邪霊を祓ったのだ」


「そうか……男は成仏したのか?」

「ああ。天国へと行ったよ。そして、これで修行は終了だ。これがお前の力だ」


「そうか。よかったよ……だが、邪霊がここまで悪さをするなんて」

「いよいよ、邪霊の巣を何とかする必要がある。他にも被害者は大勢いるに違いないからな」


「邪霊の巣か……」

 オレは頷くと、死神の顔を見た。死神の目には強い光が宿っていた。


 オレたちは来た道をたどり、元の真っ白な床が延々と続く空間へと帰った。そして、白い空間からも外に出る。外から小さな建物を見上げた。あんなに広い空間が中にあるとは思えないほど建物は小さかった。


 暗闇の中を白く光る細い道を落ちないように下っていく。終点まで来ると、四角い穴が開いていた。

 穴をくぐって墓地に出る。


「邪霊の巣が見つかったら迎えに来るよ。当たりは付いているんだ。そんなに待たせないと思うから、それまでは待っていてくれ」

 死神はそう言って、また旋風に巻かれて消えていった。


 竜一は何を考えているのか、祠に帰る間、何も話さなかった。

 オレもあの男のことを考えると、何も話す気にはならず、黙って歩いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る