第16話 訓練(2)

「どうしたものかな……」

 オレは、目の前で浮かぶ白い球を見つめて呟いた。


(その玉を割る前に、まずは、ランニングなんじゃないか?)

「馬鹿。霊力を鍛えるのに、ランニングなんか関係あるか!」

 オレは竜一に文句を言うと、ふわふわと浮いている白い球を見つめた。


「にゃああおおうう!」

 とりあえず、鳴き声を浴びせかけてみる。

 だが、白い球に割れる様子は無い。


「にゃううう……」

「いやあおお……」

「うにゃああ……」

 鳴き方を工夫したり、鳴き声の調子を変えてみたりもしたが、やはり割れない。


 途中から死神のアドバイスを思いだし、腹に溜めた力をぶつけるイメージで鳴いてみると、震えたり色が一瞬暗くなったりはした。


 これか――と思って、鳴き声に力を乗せるように鳴く。

 何度も、何度も、繰り返すうちに声は掠れたが、オレは諦めずに頑張った。


 ――どれくらい、やっただろうか。

 オレは鳴くのを止めると、床に置いた前足に顎を置いてふて寝した。

 どうやったら割れるのか見当も付かない。このまま、ただ繰り返しても割れる気はしなかった。


 目の前でふわふわと浮かぶ白い玉を見つめていると、

(ちょっと、いいか?)


 それまで何も言わなかった竜一が、突然そう言って、オレの体を動かした。

 うなりを上げ、オレのパンチが白い玉の中心を打ったかと思うと、


 ぱんっ!

 と、音を立てて玉が弾けた。


「何をするんだ?」

(霊力の強さって、要はさ、気合いなんじゃないかと思うんだ。今のも別に力で割れたんじゃない。気合いで割ったんだ)

 竜一がそう言う間に、散り散りになったはずの玉は少しずつ元へと戻っていった。


「オレに気合いが足りないってか?」

(ああ)


「にゃうううああああっっ!!」

 ――くそっ。見てやがれ!!

 喉から怒りとともに、大きな声が溢れ出た。オレは怒っていた。


 オレの鳴き声が、白い玉の中心に向かって奔った。

 その瞬間、白い球が震え、弾けるように消えていった。欠片まで散り散りになって消えていく。


(ほら。言ったとおりじゃないか)

 竜一が笑って言う。


「ふん」

 オレは床に座りこんだ。竜一の言う通りだったことに、腹が立ったのだ。

 目の前にあった白い玉はもう元には戻らなかった。



 白い球を割ってから、床でふて寝していると、

 突然、ぎいっと、蝶つがいが鳴って、ドアが開いた。

 死神だった。


「無事に割ることができたようだな?」

「ああ。何とかな。中々割れなかったが、竜一にからかわれてな。怒って鳴いたら割れたんだ」


「うむ。それがコツだ。感情はお前の霊力を高めるからな。怒りもそうだし、悲しみもそうだがな……」


「ふうん」

 なんだか意味深なことを言うなと思いつつ、死神を見上げる。


「ところで、練習相手を捕まえてくるって言っていたが、どこだ?」

「まあ、そうかすな。実戦的な訓練ができる相手を連れてきたよ。苦労したがな」

 死神はそう言って、パンと手のひらを打ち鳴らした。


 すると、目の前に突然、洞窟の入り口のような大きな穴が現れた。人がくぐれるほどの大きさで、ごつごつとした岩肌が見えていた。


「なんだ。これ?」

「ここを抜けた所にとある場所が作ってある。練習相手はそこにいる。そいつを倒せるようになったら、とりあえず合格だ」


「って、ここはどこに繋がっているんだ?」

 オレは洞穴の向こう側を覗いて言った。暗くて奥は見えない。


「それは行ってみてのお楽しみだな」

 死神は思わせぶりに言って、


「――それから、洞穴の中を進む間だけは、竜一が虎徹の体を操るんだ」と、続けた。


「何だって?」

(どういうことだ?)

 オレと竜一は同時に訊いていた。何だかふいを突かれたような感じでぽかんと口を開けてしまう。


「ここを出るまでは竜一の訓練だってことさ」

(ふうん。俺はいいが、虎徹はいいのか?)


「ここから出るまでの間なら、全然いいぞ」

 オレは答えた。


(そうか。じゃあ頑張ってみるかな)

 竜一はウキウキとしたような感じで言うと、そうっとオレの前足を上げた。


(どうだ?)

「どうだって、何て言えばいいんだよ」


(いや、俺に体を操られるの嫌なんじゃないかなって思ってさ……)

「まあ、分かってれば、そんな嫌でもないさ。とりあえず、この穴の中を抜けるまでだ。頑張って動かしてみてくれ」


(よし。それなら遠慮なく動かすぞ)

 竜一は前足を下ろすと、そのまま死神と一緒に入っていった。


 しばらく真っ暗な洞穴の中を進む。

 すると、死神が立ち止まって、

「下を見てみろ」と言った。


 その途端、凍り付いたかのように体の動きが止まった。いつの間にか足下が一本の糸になっていたのだった。


 竜一が体を震わせ、糸が激しく揺れる。

「落ちたら死ぬぞ。比喩ではない」


(は!? な、なんで、こんな?)

 竜一が激しく動揺しているのが伝わってくる。


「これも、訓練の一環だ。集中しろ。ただし、リラックスをしてな」

(こ、これも、その修験者とかが訓練した方法なのか?)


「ああ、そうだ。これから先の戦いでは竜一にも出番があるかもしれんからな。この糸の上を落ちずに渡りきれば、外で同様の訓練をしたことの百倍の集中力が身に着く」


(そ、そうか……。じゃ、じゃあ頑張らないとな)

 震えている竜一の声を聞いて、


「高いところは苦手だったな。大丈夫か?」

 と、オレは訊いた。


(大丈夫……じゃない……が、やるしかない!)

 竜一が叫んだ瞬間、目の前で死神がぴょんと跳んで、糸を揺らした。


(う、うわ!)

「おい、おい。気合いが足りないんじゃないか?」

 情けない声を上げた竜一にオレは言った。


「いひひひっ」と笑うと、(くそっ)と竜一が呟いた。

 死神は何事も無かったかのように、無言で前を進んでいく。


 竜一はゆっくりとだが、進んでいった。穴の中は意外に距離があり、かなりの時間がかかった。


 途中、死神が何度か糸を揺らしたが、竜一は声を上げることなくついていった。その上、出口の光が見えてきた頃には、最初のぎこちない動きから、スムーズな動きになっていた。


「竜一。お前、やるな」

 オレは感心して言ったが、竜一は答えずに黙々と足を進める。

 出口にたどり着くと、

(ふう。こんな怖い目に遭ったのは久しぶりだ)と言って、竜一は笑った。


「分かってたつもりだったが、お前、凄い負けず嫌いなんだな」

(まあな。死神は糸を揺らすし、お前もからかうから、ムキになっちまった。あいつ無表情だけど、絶対に楽しんでたぜ)


「たしかにそうかもな」

 オレは笑った。死神は向こうを向いて、知らんぷりをしている。


(だけど無事に終われてよかったぜ。もしも、落ちたらお前も死んじまうってことだもんな……。これで、俺の訓練は終わりってことでいいんだよな?)


 竜一が訊くと、死神がこっちを向いて無言で頷いた。

 オレは冷や汗を流した。さっきまで人ごとだったが、落ちたらオレも死んでただろうということに今更ながら気づいたのだ。


 すると、

(こっからは、またお前のターンだぜ)と竜一が言って、体の主導権が返ってきた。

「さて。じゃあ行くぞ」

 淡々とそう言って、死神は足を踏み出した。


 オレは歩きながら死神を睨んだが、相変わらずの涼しい顔で何を考えているのか分からなかった。

 洞穴から出ると、山の岩肌に刻まれた道へと出た。道は岩肌に沿ってずっと続いている。


 しばらく道を進んでいくと、広場のような場所に着いた。

 広場の真ん中に、岩の壁と岩の細い柱が幾本も立ち上がり、小さな箱のように見えるものが形作られている。


「なんだこれ?」

 オレは呟いた。

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