ベランダの話(山戸先輩・大学三年・男性:地)

 見間違いかもしれないし、やっぱ気のせいかもしれないってな、まだ迷ってんだよな。じゃあもうどっちでも一緒だとも思ってはいるんだよ。その程度だからさ、結局。


 訳分かんねえこと言ってんなって思ったろ。仕方ないだろ、俺だって訳分かってないんだから。そもそもそんな期待されるほどの話っつうか、人に聞かせるほどの話でもないんだよ。

 つうか稲谷、お前ってそういう趣味あったっけ? スピリチャルー、とか霊感がー、とかそういうタイプじゃないじゃん。酒飲んで酔っ払って漫画喫茶で一夜を過ごすようなやつがさあ、怖い話聞いて回るとか趣味変にしてもハンドルが急じゃん。きっかけとかさあ──あ、ホワイトマンションのやつかあ。なんか櫛田先輩がやらかしたってのは俺も聞いたけど、あんまり騒がないでくれって言われたしな。どうせ普通の事故だろうしさ、下手に騒いでサークルまるごと取り潰しってなったら嫌じゃん。高校野球だとそういうのあるしね。怖いよな、連帯責任。

 で、それで怪談集めてんの。ま、確かに検証? つうか考察するなら事例サンプルは多いにこしたことはないわな。変なところで真面目だねお前。悪趣味だろうけど、俺はそういうのは好きだよ。面白いもんな、色々こじつけて考えるの。


 じゃあ話を戻すけど、これ見間違いかもしれないんだよな。何度言うんだよって感じだけど、だってそうしないと気持ち悪いっていうかさ。強硬に主張するには曖昧だし、なかったことにするには明瞭っていうかね。

 予防線っていうか、何だろうな、説明ができないんだよ。だから一番あり得るのが見間違い。そのつもりで聞いてくれ。


 俺、人生二十年ちょっとをずっと地元ここで生きてるんだよね。生まれた病院も駅前で、幼稚園も小学校も中学も高校もずっと同じ学区内で、大学も家から三十分で着くわけ。一番遠かったの高校だな。全部で四十分の内訳で坂登るのが二十分ぐらい占めてたから、夏とか学校着いた時点でおしまいだったもん人間が。

 だからまあ、地元の道はそこそこ歩いてるわけよ。恥ずかしいけど自転車乗れないんで徒歩だけど、家中心にうろうろできる範囲なら大体把握してる。美味くないのに十年以上潰れてないラーメン屋も、どんどん看板のネオンがくたばってきて残骸みたいになってるのに直す気配もないパチンコ屋も、駐車場の隅に停まった配達用の車が面白いくらい錆びだらけへこみだらけになっていくのに毎朝明るい挨拶を寄越してくれる蕎麦屋とか。うん。別にね、普通。蕎麦屋は天ぷら美味いんだよ。店行って食う分には全然問題ないから。


 で、高校に進学してからね、通学路を変えたのよ。そしたらまあ、変な目に遭った。


 家から住宅街抜けて、大通りばーっと行って、坂延々と登ってから横断歩道渡って校門。普通だろ。坂登りがむちゃくちゃきつい。今でもたまに夢に見る。

 これが登校の道順だから、下校のときはこれを逆回しにするわけよ。校門から横断歩道で、坂下って大通り抜けて住宅街入って俺んち。

 高校生の頃は俺生徒会やっててさ、下校が結構時期によってはまちまちだったんだよ。学祭の時期はそれこそ学校出るのが七時回ってたりしたし、逆に暇な時期は授業終わった途端に即行でおうち帰れたわけ。

 確かねえ、あれ七月くらいだったと思う。一応進学校だったから、学祭とか夏休み前にやるんだよね。さっさと終わらせて、夏期講習と学校の補習の両方を突っ込んでくるためなんだけど。

 で、その日も生徒会の雑務でそこそこ遅くなったんだよね。六時半ぐらいに出たから、多分住宅街入れたの七時頃。いくら初夏ってもさすがに日が沈んで、街灯も少ないもんだから結構おっかなかったの覚えてる。家の明かりもあんまり漏れてこないんだよね、みんなカーテンちゃんと閉めるからさ。高層マンションならともかくね。

 腹減ってたし外暑いし、そこそこ暗くて不安だしで……早足ではあったよ。走ってはいなかった。なんかこう、みっともないじゃんマジビビリみたいで。そういうの。俺んち住宅街の端だから、そこそこ距離があるのがまた嫌でさ。また街灯とか少ないから普通に危ねえの。小学校の頃なんか、ちゃんと人さらい未遂があったからね。犯人同級生の父親でさ、あれは気まずかったなあ。被害者も同級生。やんなるよなあ、どっちの立場でもさ……。


 そんでその薄暗い道をな、半分くらいまできたあたりだったか。住宅街の真ん中近くだったと思う。掲示板あったし。

 転びかけたんだよ。足がこう──もつれる、っていうか立ち止まった感じでな。つんのめって止まって、結構ふらついて、思わず周りを見たんだよ。すっ転んだとこ見られたりしたらさ、何かこう、気まずいからさ。何ともないふりをしないといけない。

 道の前後、俺の前にも後ろにも、誰もいなかった。なのに、視線の感触が確かにあった。鳥肌が立つっていうか、なんとなく落ち着かない感じ。


 振り返ったよ。そしたら、いた。

 俺が立ち止まった一戸建ての二階、ベランダの上。人が立って、俺を見てた。


 顔まではよく分かんなかったけど、すげえ色のシャツ着てたからびっくりした。べかべかの赤でさ、あんなん映画とかゲームでしか見たことなかったもん。こう、繁華街の抗争で刺されるような人が着てる服だよあれ。暗いっていうのにめちゃくちゃ目立ったもんな。

 びっくりしたけどな、家があって人が住んでて、じゃあベランダに出てたってその住人の勝手だろ。夕涼みとかなんとなく日課とか煙草とか、そういうのかなって思った。たまたまそうやって外出た途端俺がすっ転びかけたら、そりゃ見るだろ。動くものが視界にあったら反射的に見ちゃうよ。俺も見るもん。そんなシーンに行き遭ったら。隠れるのもあからさまだし。

 で、こっちを見てるからさ。とりあえずああ気まずいな、って会釈して、靴とんとんって直して、帰った。しばらく走るのはこらえて、三軒分くらい行ってからだあっと走った。そしたらちゃんと自分ちに着いたんで、鍵開けて家入っておしまい。飯食って風呂入って良く寝た。


 で、がずっと続いた。


 午後の四時でも夕方の六時でも、気合入って九時過ぎても。帰り道、住宅街で視線を感じて振り返ると、いつもその人がベランダにいた。あっかいシャツ着てこっち見てて、俺も何となく気まずいから会釈する。それ以上のことはなかったけど、まあ……ちょっと変だよな、って気はした。

 いや、時間帯じゃなくてな。それはまあ、自宅に居がちな人だったかもしれないから。まだ説明が苦しいながらも何とかなる。


 その人、一度だって同じ家のベランダにいなかったんだよ。


 一応さ、それでも考えられはするんだよ。たまたまあの時期あの辺の人がみんなべらべらの赤シャツ着てて、たまたま俺の帰る時間に合わせてベランダに出て、んでたまたま俺が毎回それに気づくっていうならさ、不思議ではないじゃん。けどさ、あり得ないだろ。それが毎回成立する偶然の方が恐ろしいだろ。


 でもまあ、男子高校生だからね。そんなもんでビビってるって思われるのも嫌だったし、その人もこっちを見てるだけだったから……じゃあ、どうしようもないなあって思った。そんで、夏休みまで我慢すればいいやって考えて頑張った。


 うん。

 八月入るくらいには、見なくなった。それきり今まで一回も見てない。だからもう確認できないし、そういう人の有無とかも調べたりはしてない。何か出てきても何もなくても嫌だろ。解決するどころか悪化するじゃん。じゃあやんないよ。面倒だし。大学生になっても同じ住宅街抜けて帰ってるけど、何にも見ない。酔っぱらってすっ転んだことはあるけどね。次の日見たら着てた上着の肘破けてんの。見られてなくて良かったよ。


 今はどうかって?


 やっぱりね、見てない。午後イチで終わって帰ろうが、酔っぱらってド深夜に帰ろうが、どこのベランダにも誰もいない。気づけなくなったのかもしれない。けど、そうだとしてもどうしようもない。それに、別に困ってないからな。だからもう、俺には見間違いか何なのかも分からん。そいつは今でもベランダにいるのかもしれないし、もう違うところにいるのかもしれない。

 でも俺には関係ない。見てないからな。そういう話だ。

 な、微妙だろ。怖いかどうかも分からない。でもまあ、こういうことがあったって話だ。俺の中ではね。

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