Stand by you.
ミタヨウ
往路
「冒険に行くぞ」
映画を観終わったリョータは、そう言って勇みよく立ち上がった。ソファーに深くもたれかかっていたボクは、その後ろ姿を呆れ顔で見上げる。またか。
ボクの家で、リョータと有名な映画『スタンド・バイ・ミー』を観ていた。少年4人が〝死体〟を探すひと夏の冒険物語だ。またしてもリョータは感化されて、同じことをすると言い出した。
リョータは幼稚園の頃から、周りに影響を受けやすい性格だった。クラスの男の子が持っていた最新鋭のゲームを欲しがったり、同級生がスポーツの大会で優勝したのを見て、自分もやりたがった。こう聞くといかにも年頃の子どものように思えるが、リョータの場合は普通より少し規模が大きく、そして忠実だった。最新鋭のゲーム機は、ゲーム会社の開発者を親戚に持つ男の子が特別に与えられた発売前のものだったが、彼は同じく未発売のゲーム機を、同じシチュエーション──つまり自分だけであるという特別な状況──で与えられることをねだって両親を困らせた。また、同級生が優勝したのは器械体操のジュニア部門の全国大会だったが、翌年には自分も同じ大会で優勝してみせた。
一見不可能に思える数々の所業を可能にしているのは、何よりもリョータのしつこさだった。彼は一度口にしたことをやり遂げるまで、決して言うことを聞かなかったのだ。どれだけ周りの大人が宥めすかしても、彼はやるまで駄々を捏ねて暴れ続けた。そして最後には根負けした周囲の人間が、リョータの言いなりになるのだ。彼の病気は、ある意味では彼を天才にし、ある意味では暴君にした。
「なあ、行こうぜ!」
リョータは輝かんばかりの目でボクを振り向いた。今にも飛び出して行きそうな勢いだ。
「わかった、わかったよ。でも、今日は遅いから明日にしよう。明日、学校終わりに四ツ角に集合。それで良いだろう?」
文句を垂れるリョータを説得して、何とか今日は帰らせた。それから急いで仕度を始める。きっと映画のように2日がかりになるだろう。親にもその旨を伝え、ボクは約束の時間までに冒険の準備をすっかり済ませた。
待ち合わせの場所に行くと、リョータの他に2人の悪友が待っていた。映画と同じく、これで4人の少年が揃ったわけだ。
「それで、どこまで行くんだよ」
そのうちのひとり、太っちょで臆病者のバーンに見立てて連れて来られたマサオが言う。ボクは学校で仕入れてきた最新情報を3人に聞かせてやった。なんでも、クラスメイトのひとりが昨夜から行方知れずになっているらしい。おあつらえむきの状況に、リョータは顔を輝かせる。
「昨日の夕方、親戚の家がある隣山へ向かったけど来てないらしい」
「隣山って、歩いたら結構かかるんじゃ……」
「ちょうど良いんじゃねーか?なんとかって映画も2日がかりなんだろ、なあリョータ!」
ナオトが叫ぶ。頭のねじがどこか外れていて、好戦的な彼はまさにテディ役にピッタリだ。
リョータは大きく頷いて、出発の掛け声を発した。
「んじゃ、その隣山まで死体を見に行くとするか!」
リョータはボクと肩を組んで歩き出した。そして、ポケットからタバコの箱を取り出す。
「リョータ、それ」
「必要だろ?親父んとこからパクってきた。それと、アレも持ってるぜ?」
そう言ってリョータは上着の裾を上げ、ジーンズの間に突っ込んだ銃を見せた。まさか本物を持てるわけがない。昔、リョータがなりきるために買ったおもちゃだ。改造して本物そっくりの音が鳴るようにしてあるので、驚かすには最高の代物だった。
この二つを見せびらかしてきたと言うことは、どうやらリョータはリバー・フェニックス演じるクリスをやりたいらしい。となれば、
「お前はゴーディな。爆笑できる話、考えとけよ」
……だと思った。
斯くして、ボクらの冒険は始まった。
映画と同じく線路上を、というわけにはいかなかったが、倣って線路沿いに進みながら目的地に向かっていた。ナオトとマサオは流行りの歌を口ずさみながら、思い思いに冒険気分を味わっている。ふと、ボクは遠くに踏切を認めた。同時に微かな列車の音が耳に届く。ボクは前を歩いていたナオトに近づいて、耳打ちした。
「度胸試しをしよう」
「あ?何だって?」
「もうすぐ列車が来る。線路のど真ん中に立って、直前で避ける。距離がある間に逃げたら臆病者ってわけだ」
さすがのナオトも表情を引き攣らせた。気が乗らないらしい。
「そうか……なら、マサオにでも頼もうかな」
ボクは残念そうに呟いた。するとナオトが一気に不機嫌になる。
「ふざけんな、俺がやる」
その言葉にボクは顔を綻ばせた。
「ありがとう。うまくいけばリョータの機嫌も直る。先は長いのに、癇癪を起こされちゃ堪らないからね」
出立の時、リョータは線路上を歩くと言い張った。映画の有名なワンシーンを再現したいのだ。さすがにずっと線路の上を歩くのは無理があるとわかっていたので、ボクらは何とかリョータを宥めにかかった。結局、ボクの「映画だってずっと線路の上を歩いていたわけじゃないだろう」という言葉が鍵となって、初めの数十メートルだけ線路上を歩き、後は線路沿いに進んできたのだ。しかし、当のリョータは、映画に映っていなかったシーンが自分の思っていたものとは違う可能性がある、ということをボクらに指摘され、さっきから不満げに口を引き結んでいたのだ。
リョータをちらりと覗ったナオトは頷き、線路に立った。警報機がカンカンカンと列車の到来を告げる。踏切がだんだんと降りてくる。
「おい、何やってんだ!死ぬ気か?」
心配そうに映画同様の台詞を吐いたリョータの顔は、言葉とは裏腹にイキイキしていた。さっきまでの不満は思惑通りどこかへ吹き飛んだようだ。
「うるせえ!度胸試しだ、直前で避けてやる」
「ナオト!やめろ!」
どれだけ声をかけても線路から離れないナオトを見て、リョータは遮断桿を超えて線路に乗り込んだ。後ろからナオトを羽交締めにして動かそうとする。そんなふたりにどんどん列車が迫っていた。
ボクは冷や汗をかいた。このままふたりが列車に跳ねられ、冒険が中止になったらどうしようか。そんな考えが頭をよぎる。
「バカやろう!本当に死ぬぞ、ナオト!」
リョータの言葉に怯んだのか、ナオトの抵抗が少し弱まる。その隙にリョータがナオトの身体を引き摺って、踏切の外に転がり出た。間一髪で列車が彼らの背後を通り過ぎた。
ボクとマサオはほっと胸を撫で下ろし、へなへなとその場に座り込んだ。リョータも引き摺ってきたナオトをドサッと土の上に投げる。ちぃと舌打ちをしたナオトも含め、疲れ切った3人はそのまま土の上でしばらく呆然としていた。リョータだけが立ったまま口に笑みを浮かべ、目をギラギラと輝かせていたのを、ボクは知っていた。
途中、食糧と飲み物を確保するために売店へ寄った。もちろん買い出しはゴーディ役のボクだ。帰り際には猛犬に追いかけられ、その犬を4人で返り討ちにしたことで飼い主と喧嘩した。
こうして一行は順調に冒険を重ね、小腹が空く頃に大きな橋に差し掛かった。
それは鉄道橋で、人が通るための道は整備されていなかった。
「どうするんだよぉ」
マサオが案の定、情けない声を出す。映画を知らないナオトとふたりして、リョータの顔を見遣った。決まっている。
「渡るぞ」
リョータが宣言し躊躇いなく橋に足をかける。ふん、と鼻を鳴らしてナオトが後に続く。
「列車が来たらどうすんだよ!」
ボクは時計を見た。午後3時少し前。そしてアワアワしているマサオに声をかける。
「大丈夫。まだ列車は来ない」
「本当?」
「うん。でも、急がないと危ないかもね」
そう言って脅すと、マサオは慌てて橋を渡り始めた。その背中にピッタリと張り付くようについていく。
人間が渡るようには作られていない。真下は谷底。鉄骨でできた足場の大きな隙間からは、濁った川が勢いよく流れていくのが見えた。マサオでなくても足にクる。当の本人は小さな悲鳴を上げ、一歩一歩足場を確かめながら進んでいく。
半分を超えたところで、ボクはもう一度時計を見た。いい頃合いだ。
ここの鉄道橋は撮影スポットとしてかなり有名な場所だ。秋には山々が色鮮やかに染まり、春には桜が咲き誇る。カメラを構えれば絶景が撮れるだろう。だからこそ、列車がこの鉄道橋を通る時間も有名だった。1時間に1本、ちょうど0分に通る。地元の鉄道会社がわざとわかりやすい時間に設定しているのだ。そして今、ちょうど定刻になった。
足に振動が響く。音が背後から襲いかかる。ボクは絶叫した。
「列車だ!」
マサオは驚いた顔で振り返った。それを急きたてて「マサオ!」ともう一度叫ぶ。
先に対岸へたどり着いていたリョータとナオトも「走れ!」と口々に怒鳴る。
「早く早く!」
「うああああ」
マサオとボクは走った。足元は大きく穴が空いた足場。じっくり見てなどいられない。感覚で走った。
背後に列車が迫ってくるのがわかる。向こう岸のふたりが血相を変えて何かを叫んでいる。ボクは前を走るマサオの身体を掴んで、思いっきり横へ飛んだ。
浮遊時間はそう長くなく、衝撃が身体を襲った。水ではない。草むらだ。
頭上からゴゴゴゴゴと列車が通過していく音が聞こえた。
間一髪、ボクらは橋を渡り切ったのだ。
リョータが駆け降りてきて、ボクに手を差し伸べた。その手を掴み、強い力で起こされる。その際、彼が耳元でボクに囁いた。──最高。
身体を離してリョータの顔を見やると、彼は堪え切れずにニタニタ笑いを浮かべていた。ボクも釣られてほくそ笑む。ふたりで悪い顔をした。
「死にかけたのに、何笑ってるんだよ……」
マサオが見咎めてイラついた声を出す。
「ごめん、あまりにもスリル満点だったから」
ボクは正直に謝った。ナオトも呆れ半分、面白さ半分でにやけている。ただマサオは満足しなかったようだ。
「僕、もう帰る。付き合っていられない」
そう言った瞬間、マサオは視線に気づいて恐る恐る顔を上げた。目線の先には、リョータの眼が冷たい光を放って、マサオを見下ろしていた。マサオは慌てて言った。
「じょ、冗談だよ、あはは……」
沈黙。ナオトが隣でゴクリと唾を飲み込む。ボクも固唾を飲んで成り行きを見守った。
「冗談……、そうかそうだよな!」リョータが明るい声で言った。「こんな楽しい冒険、途中で止めるわけないもんなあ」
ボクらはほっと息をついた。マサオは嫌な汗でもかいたのか、しきりに額を拭っている。
リョータはそんなマサオと肩を組んで歩き出した。
「おっし、日暮れまでに隣山の麓までいこーぜ」
ボクらは自らを奮い立たせるように口々に賛成の意を唱えて、リョータの後に続いた。
リョータの宣言通り、夕方には麓まで辿り着いた。死体探しは夜に不向きなので、ボクらはそこで野宿することにした。小枝を集めてリョータのタバコのライターで火をつける。焚き火を囲い、各々適当な場所に寝袋を敷いた。寝転んで4人で他愛のない話をする。
話が途切れたところで、リョータがボクに何か話をしろといった。今朝言っていた通り、ボクに物語を語れというのだ。仕方なく咳払いをひとつして、映画とよく似た復讐劇を語る。オリジナルよりは多少上品には仕上げたけれど。
「それ、お前の体験談か?」リョータが訊いた。
「よくわかったね」ボクは驚いた。
そうなの?とマサオが不思議そうな顔をする。ナオトは興味がなさそうにへぇと呟いた。
「虐めてた相手は、行方不明になってる奴じゃないのか?」
ボクは頷く。数ヶ月前、クラスの中心人物である彼がボクを虐め出した。暴力、パシリ、脅し、なんでもありだ。クラスメイトは祟りに触れないようにボクの存在ごと無視をした。
「発端は何だったんだ?」
「つまらない話だよ。ボクのテストの成績が彼より良くて、ボクの方がサッカーの試合で彼より多く点を入れた、それだけさ」ボクは大したことじゃないと肩をすくめて見せた。「それに、復讐劇を語ってスッキリしたしね」
「水泳大会で水着が破けて辱めを受けるってだけでかぁ?」ナオトが文句を言う。爆笑していたくせに。
「じゃあ付け足そう。貧弱な身体を曝け出し、学校中の笑いものになった彼は、おのれの悲劇を嘆き崖から身を投げました。そしてこの山に死体となって転がっており、彼の身を案じて捜索に来た若く勇敢なボクたち4人組に発見されましたとさ」
「はは!そりゃ最高だぜ」
ナオトが寝袋の上でひっくり返って笑う。マサオも死体を発見した勇敢な自分を想像したようで、うっとりとした表情を浮かべている。
ボクの隣に寝袋を並べたリョータもボソリとつぶやいた。
「それは、確かに最高だな」
ボクはその言葉を聞き逃さなかった。
さすがに麓でも夜の山は危ないと言うことで、ボクらは交代で眠ることにした。
ガサゴソという物音で、ボクは目を覚ました。隣の寝袋でリョータがタバコに火をつけたところだった。ボクに気づいたリョータが声をかけてくる。
「悪い、起こしたか?」
「ううん、さすがに眠りが浅かっただけ。……うなされて無かった?」
ボクの問いに、リョータは笑う。
「気難しそうな顔はしてたぞ」
そう言ってボクの顔真似をする。ひどい顔にボクも笑った。
それからしばらく、ふたりで焚き火の炎を見ていた。
リョータがゆっくりとタバコをふかす。それを物珍しそうな顔で見ていたボクに、いるか?と訊いた。
「もらうよ」
タバコを咥えて、リョータに火をつけてもらう。吸い込むと煙が肺に入って咽せた。リョータはそれを見て笑った。
「リョータは前から吸ってたの?」ゲホゲホと咳をしながら訊いてみる。
「いや、昨日吸い始めた。クリスが吸ってたから」
涼しい顔でリョータは煙を吐き出した。彼はこの冒険のためにタバコを吸っている。今までと同じように、全て終わったらやめるのだろう。最新のゲーム機も手に入れたらボクにくれた。器械体操も優勝したら器具に触りさえしなくなった。
「リョータはどうして諦めないの?」
「唐突だな」
「ごめん。言いたく無かったら、言わなくていいよ」
「そんなことはねえよ」
リョータが煙を吐き出しながら笑う。
「別に、大したことじゃない。ただ、自分の心に嘘はつきたくない。それだけだ」
リョータは、ボクがいじめの原因を話した時と同じように、肩をすくめて見せた。
「心に嘘、か」
ボクはつぶやいた。膝を抱え込む。
「ボクもリョータみたいになれたらいいのに」
夜明け前の山にパチパチと枯れ木が爆ぜる音だけが響く。夏の虫も寝入ってしまったようだ。
リョータはボクを見た。ボクもリョータを見上げた。
「なれるさ」
「そうかな」
「ああ、」
短くなったタバコをもう一度だけ吸って、リョータは火を消した。
「なんだって、お前は俺が欲しいと思った奴だからな」
チチチ、とどこかで鳥の音がした。焚き火が次第に小さくなっていく。
「朝になるぞ」
東の空は微かに白み始めていた。
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