Ⅷ 署長命令

 撃鉄を起こし、ライザは一歩一歩ゾハールへと近寄る。

「先ほど告げた通り暴行と監禁容疑に、脅迫と公務執行妨害も追加だ」

「待ってライザ署長。僕は逮捕よりも肺の移植手術をしてほしいんだ」

 フランが銃口とゾハールの間へ入る。 

 

「決めるのはお前ではない。ワタシだ」

「お願いだよ、急がなきゃならないんだ。逮捕を猶予できない?」

「街の治安を乱す者を見過ごすわけにはいかん」

「被害者は僕だ。和解を望むよ。公務執行妨害の方はどうにもできないけど……」

 この街でライザに向かって異を唱えるなど、自殺行為に等しい。だがフランも必死だ。


「どけ。また撃たれたいか」

「お願い。バルドが助かるには今しかないんだよ」

 眼光鋭いライザの指が引き金にかかるが、フランは退かない。

 しかし次に響いたのは銃声ではなく、カツンと杖で床を突く音だった。


「ライザ署長。治安を乱す人を逮捕するなら、先にわたしを逮捕してください」

 少女が銃口とフランの間に入って来たのは、目が見えなく状況が分からないからではない。


「逮捕してください。わたしはおとうさんとおかあさんと、たくさんの人を殺してしまいました」

「……知ったのだな」

「はい。全部思い出しました。わたしは大罪人です。償わなければなりません」

 ナユの声には迷いがない。己の罪と向き合う毅然としたそれは、硬質な弦から奏でられる澄んだ音色を思わせた。


「ナユ」

 ライザは銃を下ろし、ホルスターに戻す。そしてナユの細い体をギュッとした。


「その意識を生涯忘れなければいい。自分の身を守ろうとして起こったことだ。誰もナユを恨んだりなどするものか。それにあの事件の一番の被害者はナユだ。つらかったろうに」

「でも、わたし……」

「ナユを逮捕はしない。だが償いとして、罪人兵士バルドの監視を言い渡す」

「バルドさんの?」


「こいつは何度も再犯を繰り返してきた男で、ワタシは正直更生の余地はないと思っていた。だが三年前に一度死んで火葬場で息を吹き返してからは、犯罪を犯していないのだ。信じがたいが、本当に生まれ変わったのかもしれん。しかしまだ安心はできないから、これからはナユが一緒に暮らし、もう二度と犯罪に手を染めることのないよう監視してくれ」


「でも、バルドさんが許してくれるでしょうか」

「あいつが決めるんじゃない。この街の法はワタシだ。それと、たまにうちに泊まりに来て報告をすること」

「それがわたしの償いなのですか? いいんでしょうかそんなことで……」

「バルドと暮らすのはまぎれもない罰だと思うぞ。ワタシなら絶っ対に嫌だ」

 力強く言うライザに、「僕もやだな」「私もです」と火葬場の大人二人が続く。


「あとは、もう二度と暴走することのないよう、力のコントロール方法はフランや司教から学べ。演奏の仕事もするのだぞ」

「はい。ありがとうございます、ライザ署長」

 もう一度、ライザはナユを抱きしめた。


「ナユを養うにはバルドが必要だな。いいだろう、和解を認める。ゾハールよ、移植手術を成功させれば、執事の罪も帳消しとしよう」

 この街では法よりも神よりも重い署長命令だ。ゾハールは何か言おうとするが、急に両手でこめかみを押さえて「ぐうううっ!」と苦悶の声を漏らす。


 そして次に顔を上げると、ひび割れ尖った面影は変わり、中年で柔和な方のゾハールになっていた。

「ええ、承ります。魔物の女性の肺が適合するかは賭けになりますが、バルド殿は体力も生命力もしぶとそうだ。ええ、やりましょう」

 その言葉に、フランはホッと胸をなで下ろした。


「二人ともありがとう。ナユさんもね。すぐにできる?」

「イレーヌ殿の肺の鮮度が落ちないうちの方が良いですから、ええ、明日にでも」

 それを聞いて、バルドがちょっとたじろく。

「おいおいおい、ずいぶん急な話だな。ホントに大丈夫なのか?」

 戦場を生き延びたバルドでも、手術は怖いのかもしれない。


「バルドさんの鉄肺病が、わたしのおかあさんの肺で治るのですね」

「うむ。バルドよ、ナユを養うために今後は真面目に働くことだ。もし虐待が認められれば、即射殺するぞ」

「へいへい、肝に銘じておきますよ」


「そうだゾハールさん。さっきは僕に解毒剤をくれたよね。取引外なのにありがとう」

「いいえ。私たちにはあなたの力が必要ですから。それに——」

 ゾハールはルゥを見て目を細めた。

「もう一度と思えたのは、彼のおかげですよ」 


「えっ? あそうだ、おれは料理なら作れます。スヴァルト・ストーンのレシピを作るんでしょう? おれにも協力させてください」

 モノリに遅れをとるわけにいかない。我ながら良い案だと思った。なのに執事が「ご主人様、料理の腕ならこの少年より私の方が上ですよ。絶対に」とほざきやがる。


「ぬうぅぅ! 人が手を貸すって言ってんのにぃ!」

「だって旧市街育ちの少年ですよ? 美味なものなど知っているはずがないでしょう。私の勝ちですよ。あぁ、私の料理は趣味レベルですが」

「んだとぉ⁉︎ 悪かったな貧乏飯で! けどちょっとの手間と工夫次第で格段にうまくなるのが家庭料理だからな!」

 鼻の穴を膨らませ合っていると、「張り合わないの」「およしなさい」とオーナーとご主人様に諫められる。


「モノリ殿だけでなくルゥ殿まで、感謝しますよ。スヴァルト・ストーンの解読には今しばらく時間がかかります。ようやく全て揃ったところですのでね、ええ。進化を完全なものにするには、血のバランスをもっと研究しなければなりませんし。まだまだこれからです」

「うん。僕もできることはするし、デビッキも知恵を貸してくれると思うよ」

 振られたデビッキは「元からお得意様だからね」と呟く。


 するとバルドが「ぶわああぁ」と大きなあくびをした。

「んじゃ、今日のところは帰ろうぜぇ。俺は明日来ればいいんだな?」

「ええ。明朝、イレーヌ殿の遺体と共にお越しください」

 

 ライザが警官たちを引き上げさせる。バルドとナユが続き、フランも歩き出すが、急に膝から崩れて床に手をついた。すかさずモノリが駆け寄る。


「どうされましたかオーナー⁉」

「うん……、なんか気が抜けちゃったら急に眠くて」

「あ、聖護札持ってるからじゃない」

 デビッキがフランのポケットの辺りを指さす。


「私につかまってください、オーナー」

「いーえ、モノリ主任は運転があるでしょう。おれが背負っていきます」

 二人の間に強引に入り込む。頑とした表情を見せつけると、モノリは苦笑して退いた。


 背中に背負うとフランは完全に脱力している。細身の体なのに意外と重くて、ふらついてしまった。

「帰ってお茶にしましょうね。フランさん」

 話しかけても返答はない。花の香水の香りと共に、微かな寝息を感じた。


「チェスラス、皆さんをお送りしなさい」

「かしこまりました」

 執事に先導されて玄関へと歩いていく仲間たちの背中を眺めながら、最後尾をゆっくりデビッキが歩く。


「っ、はぁ」

 よろめいてアーチの柱につかまった。膝がガクガクして足に力が入らない。


 すると皆には気付かれないよう、静かに引き返してきたモノリが手を差し伸べる。

「手をお貸しましょうか」

「……気持ちだけでいいよ。ラグナ神は自分の磔台を担いで処刑場へ歩いたんだ。それにこの後、フラン君の胸の装置を外す楽しみが待ってるしね」


「今日はやめときましょう。強力な術を使った後ですから、本当はオーナーと同じく限界なのでしょう? あなたもお休みになった方が良い」

 モノリの手を除けて、デビッキはまた自力で歩き始めた。


「そうそう、さっきの話だけどね、はりつけだけじゃ済まないよ。軽く火で炙ってから内臓を抉り出して、死ぬ前に生き埋めだからね。死んだ後は屍体兵としてこき使うから、覚えといて」

「あなたやっぱり、神より悪魔の方がお似合いですよ」

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