Ⅳ だいじょうぶ
「落ち着きなよルゥ。君が怒ってどうするのさ。けどよわったね、感情の昂ぶりなんて作ろうと思ってできるものじゃないし。となるとこれを起動させるのは無理か」
作戦が泡になりシュンとするフラン。するとバルドがやれやれと前に出る。
「痛みや恐怖に慣れねぇヤツが命張るより、そういうのは俺に任せろって言ってんだろ」
「バルド、何する気なの?」
フランの制止も聞かず、バルドはナユへ近づいていく。
「ナユッ! 俺の声が聞こえてんだろ。いい加減やめろ」
アーチの廊下に、バルドの太い声が響き渡る。
「嘘つき。嘘つき。みんな殺されるのよ。おとうさんもおかあさんもみんな殺された。わたしは死にたくない。死なないためには殺すしかなかったの。死にたくない。死ぬのは怖い」
「ああそうだ。お前はこの先も生きなきゃならない。生きたいんだろ? だから傷つけるのはもうやめにしろ」
「バルド……さん?」
一瞬はっとしたように、いつものナユの感じになる。しかしまたすぐに「嘘つき。嘘つき。あなたは死だわ。血の匂いを引き連れてわたしを連れて行かないで!」と意識が混濁して、鋭利な殺意を向けてきた。
うねるように暴れる大蛇を、バルドはひらりとかわす。重傷を負っているとは思えぬ身のこなしだ。
「なあナユ、あの時俺が見てるだけじゃなく、野盗を追い払っていたら、お前はこんなふうにならずに済んだのか?」
「近寄らないで!」
「お前の家族や仲間を助けてやるべきだった。本当はそうしてほしかったんだよな?」
「こっちへ来ないで!」
今度は大蛇の頭を鞘に入れたままの剣で受け止めるが、まるで紙のように軽々と真っ二つにされてしまった。役立たずになった剣をぽいと捨て、バルドは更に進む。
「俺は戦場で八度も死に損なったくせに、なんであの時に限って命を惜しんだんだろうな。お前が怒るのも当然だ」
「やめて! わたしを殺さないで! どうして助けてくれなかったの!」
そしてナユまであと腕一本分のところで座り込み、頭を下げた。
「悪かった。すまん」
「バルドッ!」
白い大蛇がバルドを食いちぎろうと、飛び出すのを今か今かと見計らっている。あの距離では攻撃を避けようがないだろう。飛び出そうとするフランをモノリと二人で押さえつけえた。
「……返して。おとうさんとおかあさんを返して。みんなとまた一緒にいさせて」
「死なないためにした事だ。お前が望んでしたことじゃねえ。だからもういいんだ」
「わたし。わたしは。怖かったの。だれも来てくれなかったの」
「だいじょうぶだ。お前を傷つける奴はもういない。もうお前を一人にしない。みんな、お前に生きてほしいと願ってる」
「……ほんとう?」
「ああ。全部俺のせいだ。お前のせいじゃない。だから戻ってこい」
ナユが半歩前に出る。バルドはナユの前合わせの衣を少し開け、手にした短刀で装置を一瞬で切り取った。
「ナユ」
「ロバみたいな匂い……バルドさん」
大蛇がふわっと消えると同時に、喉元を圧迫されるような冷たい空気が散開し、ルゥはほっと胸をなでおろした。しかしナユは膝をつき、顔を覆っている。
「バルドさん、わたし、思い出しました。わたし、わたし、恐ろしいことをしてしまいました。なのにわたしだけ生き残ってしまって」
「もういい。もういいんだ。あの時助けてやれなくてすまなかった」
「ひどいことになったのはわたしのせいです」
「違う。俺を呪え。何もかも全部俺のせいにしろ」
「バルドさんはずっと嘘をついていてくれたのですね。わたし、何も知らずに……」
「俺は前科八犯の凶悪犯だぞ? なのにお前と家族たちを見捨てたんだ。お前よりよっぽど大罪人だ。それでも生きてるだろ。だからお前も生きられる」
泣きじゃくるナユを、今度こそバルドはしっかりと抱きとめた。
ルゥは目頭が熱くなり、二人から顔を反らすとフランと目が合った。安心したように笑いあった次の瞬間、フランの顔が苦痛に歪む。
「あぁぐっ……」
食いしばった歯の間から苦悶の声を漏らし、両腕に爪を立てている。
「フランさん腕が痛むんですね? クソっ!」
一刻も早く赤い小瓶を手に入れなければならない。ゾハールへ食ってかかろうとするルゥを、ほかでもないフランが止める。
「待って。移植手術だけは絶対に確約させないと」
痛みを堪えて震える呼吸を感じて、ルゥは動けない。
「それに危ないからルゥは下がって。手を怪我したら料理ができなくなるよ」
「フランさんこそ、フランさんこそ無理ばっかりして!」
「僕はだいじょうぶだから」
なんで微笑んでるんだよ。そんなだいじょうぶ、信じられるわけがない。
「フランさん死なないで。お願いだから死なないでください」
フランの黒いジャケットを両手でつかむ。そんなルゥの背中を、ぽんぽんとしてくれた。
だがその時、フランの向こうで執事が手の平を広げた。
そして五本の指を閉じると——
「ルゥ……っ」
つかんでいた織物の感触が手の中からなくなる。心の奥を照らしてくれるような赤い瞳が、ふわんふわんの髪が、ルゥの目の前で溶けるように消えた。
「フランさんっ⁉ フランさあぁぁん! いない⁉ 一体何が!」
叫んでも返事はなく、むなしいだけだ。
「お前、魔物だな。一体何をした?」
デビッキが尖った声で執事に問う。ラグナ教一の悪魔祓いが聖護札を構えて、いきなり臨戦態勢だ。
「取引は成立しました。少女を帰しましたから、白き炎のフラン殿をどうしようと我々の勝手です」
「そんな勝手がまかり通るわけないだろう。神罰って言葉を知らないのか?」
手にした聖護札が青白く発光する。その様子に執事がゾハールを背後に隠した。
「お下がりください、ご主人様」
「うむ。任せたぞ、チェスラス」
「仰せのままに」
ゾハールがクルっと踵を返し、ホールの奥へと向かう。
「どこへ行く! 待てっ!」
そうはさせるものか。だが追いかけるルゥの前に執事が立ちはだかり、前に進む勢いがついたルゥの腹にパンチがめり込む。
声が出せないくらいの衝撃で床に叩きつけられる。すぐには起き上がれずに、床をのたうった。けれども肉体の痛みと苦しさでは、この身を焼く怒りは消せるはずもない。
「いつも……いつもフランさんだけが苦しい思いをして。おれは何もできなくて」
見ているだけはもう嫌だ。ルゥにだって覚悟はある。
今なら目の前の相手を銃弾で撃ち抜くのも怖くない。フランの死よりも残酷なものなど、この世にはないのだ。
おあつらえ向きに落ちていた、半分に折れたバルドの剣を拾う。鞘を捨て、再び駆け出す。邪魔をしてくる執事に剣を振りかぶって切りつけるが、あえなくかわされてしまう。
「ちくしょう! フランさんを返せ!」
突き立てようとする刃はむなしく空を切るだけ。いや、当たったとしても魔物の体には無意味なのだ。そう分かっていてなお、ルゥにはこうするしかなかった。
しかし執事の手刀で手から剣を落としてしまい、続く足払いで転倒させられた。動きを封じられ、見下ろされたどす黒い瞳に戦慄する。
「ルゥ!」
焦ったモノリが駆け寄ろうとするが、執事が放つ圧に気圧され近寄れない。
「そこまでだ」
だが逆側にデビッキが詰め寄っていた。発光する聖護札を素早く執事の肘の辺りに貼り付ける。
「
すると聖護札から青白い光が網目のように広がり、執事の腕の動きを封じる。そのまま素早く逆の手、両足と貼れば、まるで
「これは……、さすが光の御子の名は伊達ではありませんね。凄まじい威力です」
「フン、その割には余裕じゃないか。フラン君をどうした。答えろ」
「うふふ、生きているかどうかは保証できませんが」
うふふ笑いにカチンときて、ルゥは折れた剣を向ける。
「とぼけんなよ! さっきフランさんは、僕に死なれたら困るって言った。お前らにはフランさんが必要なんだろ⁉」
「そうか。ルゥ君、黒羽を追うんだ。奴は解毒剤を持っている。フラン君を死なせないために飲ませるつもりだ。こいつはおれが押さえておくから、早く」
「黒羽がいるところにフランさんがいるんですね? わかりました!」
しかし執事は不敵な笑みを崩さない。
「無駄ですよ。この館は私そのものですから。貴殿には見つけられません」
「なんだよ、私そのものって」
「試しに私の指先をその剣で傷つけてみると分かりますよ。魔物の体であろうと末端は弱いですから、思い切りやれば傷くらいはつくでしょう」
デビッキに促され、ルゥが手にした刃を上から下に落とす。執事の指に当たるとレンガに叩きつけたような衝撃に跳ね返され、遠くの方でガシャアアン! と音がした。
「まさか、おれが指を傷つけたから窓ガラスが割れたのか?」
「そうです。左手なので、左翼のゲストルーム辺りでしょう」
存在が建物って、そんな魔物がいるのか。
「嘘だろ……、まるであんたの方が黒羽の主じゃないか」
「失敬な少年ですね。ご主人様あっての館、ご主人様あっての私なのです。ご主人様が研究に没頭され、日々の疲れを癒しくつろぐための館を具現化することこそ、私の至上の喜びなのです。私などご主人様がいなければ、ゴミカスの役立たずで
なにもそこまで言わなくてもと、ルゥとモノリは顔を合わせる。
「館のどこかにいるんだな。ルゥ君、行って。必ず見つけ出して取り戻せ」
デビッキの額から汗が流れている。フランの魔法と同じように、デビッキの術も体力を消耗するのだろう。
「はいっ!」
「俺も行くぜ」
「わたしも行きます。匂いで探せるかもしれません」
「手分けして探そう」
館は神殿のような柱とアーチが立ち並ぶ中央館と、そこから左右に腕を伸ばしたように広がる右翼と左翼に部屋が並んでいる。玄関ホールでモノリが声を張った。
「あまり時間はかけられないようだ。私は左翼、バルドとナユは右翼、ルゥは中央館に分かれよう」
「おうよ。ちんちくりんはこれ持ってけ。何かあったらそれ撃って騒ぎな」
バルドから渡されたのは、象牙で装飾された拳銃だ。
「わかった! 絶対見つけてやる!」
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