10年未来レター

朝倉亜空

第1話

「よぉ、久しぶり!」

 約束の場所についていた石岡美奈子の背後から若い男性の声がかかった。

「ああ、……広瀬君、ずいぶん大きくなっちゃって、ぱっと見じゃ、誰だか分からないよ。オシャレになって、見違えちゃった」

 声のした方へ振り向いて、美奈子は言った。

「見違えたのはこっちも同じさ、年頃の女の子ってマジでみんな奇麗に変わるよな」 

 男性用オーデコロンの爽やかな匂いを仄かに漂わせながら、広瀬学は言った。

「そんなことないよ、私なんか」

 実際、今日の美奈子は地味な女の子なりに多少のおしゃれには気を配ってきていたのだが。

「いやいや、ほんとほんと」

「違うって! ……ほら、見違えるほど奇麗になったっていうのは、ああいう人のことを言うんだよ」

 美奈子は自分たちの方向へ正面から歩いてくる男女二人連れの、女性を指さして言った。それは水島玲子と牧野孝二だった。玲子のいでたちを見れば、その頭のてっぺんから足のつま先まで、髪型、メイク、洋服、靴と、まさに今風の女の子の流行の最先端はこうだと言わんばかりの格好を決めてきていた。

 対して、牧野の格好はオシャレに無頓着、履き古したジーパンに何でもないTシャツ、まったく着の身着のままというやつだ。そして、牧野は二本のシャベルを持参してきた。

 玲子はこちらに向かい、大きく両手を振って、ニコッと笑った。いつもどこか自信ありげに自分の優位性を見せつけているように見えて、友人ではあるものの、学生時代から美奈子は少し玲子のことを苦手にしていた。

「みんな元気だけは10年前の中学生の頃のまんまって感じね。それに雰囲気だってなんとなく変わってないわ。ほんと、懐かしい」

 美奈子と広瀬のそばまでたどり着いて、玲子は言った。「そう言っときながら変だけど、私ってずいぶん変わったでしょ?」

 得意げに玲子は目を細めて笑みを見せた。それに呼応するかのように間髪を入れず、広瀬が言った。

「いやーほんと。水島お前、メッチャ奇麗じゃん!」

 声のトーンが一段上がっている。

「でしょ? ふふ。でも駄目よ。あんたなんか相手にしないから」

「ちぇっ」

 こっちもそんな気ねぇっつーのと続けて強がりを言った広瀬の顔は、少し残念そうなしょげ顔っぽく見えた。

「美奈子ちゃんってホント10年前とおんなじだね。遠目からでもすぐわかったよ。学は近づいてから分かった」

 牧野は美奈子に話しかけた。

「それって、子供っぽいまま成長してないからってこと?」

 美奈子は問い返した。

「ち、違うちがう! ずいぶんと大人っぽくなってるけど、さっきも玲子ちゃんが言ってた雰囲気やその人特有の暖かさ、優しいオーラとかのことだよ。美奈子ちゃんにはいつまでも変わらない、人に与える安心感がすごくあるんだよ?」

「そう言ってくれるとすごく嬉しいな。ところで、牧野君と玲子は今日一緒に来たんだね。何か理由でもあるの?」

「それがあるんだー」

 玲子が口をはさみ答えた。「私たちは……」

「居場所が同じ方向なんだ。玲子ちゃんのアルバイト先がたまたま俺の住むアパートの近くでさ、だから」

 牧野が言葉を続けて言った。

「そう。だから、時々会って、ちょっとした相談に乗ってもらったり、一緒にランチしたり。ねー、牧野君」

 玲子がちらっと横目で牧野を見て言った。

「なんだよ孝二。お前らもう付き合ってんのかよ」

 広瀬が言いながら、牧野の胸板を軽く拳で小突いた。「お前ってさ、なぜかそんななりでいて、昔っから女受け悪くないんだよなー」 

「いや、別に、付き合ってるとかそういうのは……」

 牧野は少し口ごもっていった。

「でも、もう付き合い始めの入り口だよ。これから私と牧野君はどんどん深入りしていく方向なんだからね」

 そう言った玲子の語気は少し強めだった。

「え! そうなの? うーん」

 牧野の返事は歯切れが悪い。

「もーう、なんで口ごもるの。優柔不断ね、牧野君。10年前とちっとも変ってない!」

 玲子は軽くすねたように言った。

「まあ、孝二の優柔不断はクラスで結構有名だったもんな。おい、牧野、はっきりしろよ、なんてみんな言ってたし。ハハハ」

 広瀬が言った。

 優柔不断と言えばその通りなのだが、牧野のそれは相手を思いやる優しさに起因しているものだと美奈子は知っていた。人を傷つけない、不快な思いにさせないために、ともすれば優柔不断になってしまうのだ。美奈子は牧野のスラリとしたルックスもさることながら、そういうところに好感を抱いていた。

 中学の卒業以来、10年ぶりに彼らが一堂に会した場所は、その母校の裏手にある小高い丘の小さな広っぱ、そこに昔から立っている一本の松の木の根元であった。

 10年前、卒業の記念にと四人はタイムカプセルをここに埋めることにした。それぞれ、10年後の自分自身はどんな大人になっているか、おのおの秘密の理想像を一枚の手紙に書き、それを自分あての封筒にしまい込んだものをその中身とした。四通の未来レターである。

 10年後の今日、同じ時間に必ずみんなでここで会おう。そして、その人生の歩みの答え合わせをしようと約束をしたのだった。それがこの日である。

「よっしゃっ、そろそろ取り掛かるとするか。タイムカプセル掘り起し。なんかワクワクするぜ」

 広瀬はそう言って、シャベルを一本手に持った。松の根元のとある一点にシャベルの先を突き刺した。「確かこのへんだったはず」

 よし、俺もと牧野も続いて土を掘り始めた。

「10年前の自分からの手紙かぁ。子供っぽい書き方してるんだろうなー。ぶっちゃけ、夢がかなったかどうかなんて、当然もう知ってるんだけど、なんとも言えない嬉し恥ずかし感がじわっと来るのいいね」

 男性陣が重労働をしている傍らで、玲子が美奈子に言った。

「そうだね。なんか楽しいような、ちょっと怖いような……」

 美奈子は言った。

「美奈子はどうだった? 理想通りの10年だった?」

玲子は訊いた。

「だからー、それは今から発表しますので、少々お待ちください」

「だよね。ゴメンゴメン」

 程なくして、おお、あったあったと広瀬の声が上がった。男二人のシャベル捌きがスピーディーさを増した。

「ジャーーン! 出たー! はっけーん!」

 広瀬の大声はまるで子供と一緒だ。

 シャベルをその場へ放り出し、広瀬と牧野は土まみれのタイムカプセルを玲子と美奈子のところに持ってきた。

 それは、丸い茶筒の缶で、ビニール袋を三重にかぶせた上に防水用の黒いゴムシートで二重に覆い、その上から青いビニールテープで頑丈にぐるぐる巻きにされているものだった。

「あーこれこれ」

「なんか見覚えあるよ」

 女たちは嬉々として口々に言った。

「よし、じゃあ今から開けるぞ!」

 広瀬が言い、テープをはがし始め出した。「さあー、何が出るかなー」

 これでもかという位に保護していたのだが、それでも茶筒のふたは結構錆び付いていて、引っ張り空けるのは楽にはいかなかった。

「何とか開けたぞ」

 広瀬は言い、缶の中に手を差し入れ、四通の封筒を取り出した。それら一通一通を本人に手渡した。

「うん。何とか中身は無事っぽいね」

 玲子は封筒の裏表を確認して言った。

「さて、それじゃあ順番に発表していこうか」

 牧野が言った。

「じゃあ、トップバッターは俺から行くわ」

 広瀬は早速、封を切りながら言った。

 10年前の15歳の広瀬学少年が25歳成人の広瀬学に送った手紙にはこう書き記されていた。

 自分の大好きなテレビゲームメーカーに就職していてほしい。そして、世界中のゲーマーを夢中にさせる最高のゲームマシンを作り上げてくれ、と。

「……きっとできる。25歳のお前なら必ずやれる。いや、既にやってくれているはずだ。15の俺は信じてる。絶対にあきらめるな。以上」

 広瀬の朗読は終わった。広瀬に目は少し潤んでいるようだった。「いやー、なんか知らんがじんわり来ちゃったよー。はは。ははは」

 パチパチパチと、三人からの拍手が沸いた。

「広瀬ってさー、おちゃらけキャラに見えて、見せない部分で本気持ってるもんねー、実は」

 玲子が言った。

「で、10年たって、25歳の大人の広瀬君はどうなの? 夢、叶えた?」

 美奈子は訊いた。

「そうそう。そこ一番大事」

 牧野が言った。

「へへへ、これよ。とくと御覧じろ」

 広瀬は上着のポケットから自分の勤め先のIDカードを取り出した。「社名、見てくれよ」

「えっ、メガテック・エンターテインメントじゃん!」

「すっごーい! 超有名なゲーム機メーカーでしょ。こんなとこ、なかなか入れないよ!」

「学やったなあ! おめでとう」

「いやいやいや。皆さん、どうもありがとう。やっぱ友達ってお前らだな。」

「普通、もっと妬みの声が出るよね。じゃあ、次、私が言うね」

 玲子が言った。

 玲子があてた玲子への手紙はこうだった。

 私がなりたいのはいつもきれいな花に囲まれている花屋さん。どうかこの夢、叶っていますように。

「まあ今、働いているのはフラワーショップじゃなく、耳鼻咽喉科の受付なんだけどね。人間の鼻屋さんっていうことで……けらけら。って誰か笑ってよ!」

「いいよ、そんな自嘲は。夢を持つことは良いことだし、病院の事務仕事は凄く立派なことだし。それじゃあ、私の番ね」

 美奈子は少しふぅ、と深呼吸のような、溜息のようなものを吐き、自分への手紙を読み始めた。

「拝啓、10年後の私。25歳になった私はどんな大人になっていますか。私には有名な歌手になりたいとか、キャリアを積んで、海外を渡り歩きたいとかの大きな夢はありません。本当に地味な、緩い人間です。10年後の理想の私をイメージしろと言われても、何も思い浮かびません。でも、一つだけ確信していることがあります。

今、15歳の私は牧野君のことが好きです。そして、25歳の私であるあなたもまた、間違いなく牧野君のことが大好きなままだということです。あなたはバカですから、絶対にそこは譲っていません。なぜなら、今の私がバカだからです。そうです、バカの一本気です。これを読んでいるあなた、今、あなたのそばに牧野君がいるはずです。だから、15歳の私が命じます。

牧野君に告りなさい!

たぶん、一生に一度きりのチャンスです。せっかく、10年後にもう一度会おうという確約を私たちが作ったのですよ。この機を逃したら、きっとあなたは一生後悔します。

たぶんダメだし、恥をかくだけだし止めておこう、ですか。絶対ダメなら止めておくのもわかります。でも、万が一、なんて思っていませんか。あなたは厚かましくも思っていますよね。10000分の1という確立。限りなくゼロに似て非なるもの。もし、告らなければ、それがあなたの更に先の10年後、35歳のあなた、また、その10年先の45歳のあなたに後悔というポイズンとして体内に蓄積されていくでしょう。

バカは死ななきゃ治りません。そして、バカの背中にへばり付いた後悔ほど、はがれ難いものもそうそうないのです。

あなたには、10年前のあなたである私がいつも味方としてついています!

さあ、告りなさい。

万が一、理想のあなたになれるのですよ!

そして、駄目ならバッサリ斬られなさい!

あなたと私で一晩泣けば、すむ話。……以上、です」 

 美奈子の顔が赤く上気し、火照っていたのは、長文の手紙を一気に読み終えたことだけが理由ではないだろう。「ほ、ほんと、バカな文章……。怖い怖い、勢い余って何書いてたのかな。若いって怖い……。み、みんな、気にしないでね。牧野君と玲子には、ほんと、ごめんなさい。でも、とりあえず告白できて、なんかすっとしたわ。えふふ」

「凄い、美奈子の意外な一面見ちゃったわ。でも、あまり気を落とさないでね、牧野君がフリーじゃなくって……」

 玲子のその言葉をさえぎって、牧野が言った。

「ちょっと待って。俺、フリーだよ」

「え」

玲子がびっくりして、牧野の方へ振り向いた。

「俺、別に玲子ちゃんと付き合ったつもりないよ。何度か相談に乗っただけだし、玲子ちゃんにはゴメン。中途半端な俺の態度で思い違いをさせて。これからはこういうことには気を付けるよ。だから、美奈子ちゃんの告白を喜んで受け取りたいんだ」

「……」

 今度は美奈子が言葉を失くし、牧野の顔を見上げた。

 牧野は言った。

「俺も別に将来の夢とかなくて、正直これに何を描いたかなんて忘れてたんだ。で、さっき見てさ、あーあ、そうだったなーってさ」

 マジ、大切なこと書いてたよと言いながら、牧野は自分の手紙をみんなに見せた。それにはひとこと大きく書き記されていた。

「25歳の俺ははっきりさせる、優柔不断じゃない俺だ」

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