004『殺されたくないなら中二病を演じろ』
数分のフリーズを経て少しして冷静さを取り戻してきた僕は、改めてこれが現実かどうか、真実かどうかについて考え始めた。
べたに頬をつねったみたが、残念ながらしっかりと痛かったのでどうやら夢ではないらしい。
となると、問題は彼女たちの話が事実かどうかだが、やはり嘘と言い張れないほどにはリアリティがある。
もう一度彼女の肌に触れてみたが、腕を触っても頬を触ってもお腹を触っても、どこもかしこもしっかりと冷たい。瞳孔だって見直したらやっぱり散大している。胸をまさぐって心臓の鼓動を再確認する勇気はなかったが、そこまでする必要もないぐらいにどう見ても彼女は生きていなかった。
何より決定的なのは、〝黒歴史ノート〟もとい深淵ノ理の存在だ。絵の目、絵の口が有機的に動いている。明らかに部品もパーツもない二次元上に描かれた線画が、自由自在に形を変形させて生物的に表情を変えながら喋るさまは、いくら何でも常軌を逸している。これはトリックでどうこうできる範疇を越えていた。
それでもやはり、一度こういった存在を否定して中二病を卒業した身としてはにわかに受け入れるのは難しかった。
納得するにしても否定するにしても、もっと彼女――なのか彼なのか分からないが、とにかくこの
「それで、その……君はどうしてここに来たんだ?」
「〝君〟なんて他人行儀はやめてくださいデス! 昔のようにアルシエルと呼んでくださいデス!」
「あ、ああ……そう。それで、何故ここに?」
本の代わりに少女(アルシエル)がカクンと首を傾げた。
「何故って、アルシエルはご主人のものデス。ご主人のもとに帰ってくるのは当たり前のことではないデスか。今度こそご主人と世界征服を成し遂げるのデス!」
アルシエルはそう言ってぐっとこぶしを握る。
「せ、世界征服ぅ?」
ぎょっとしてオウム返しすると、アルシエルは懐古するように遠くの方を見ながら言う。
「ご主人はよくアルシエルに仰ってくださいましたデスよね……『俺は世界征服し、混沌をもたらす者。世界唯一の支配者として君臨するのだ』って。あの頃のアルシエルはまだひよっこで力もありませんでしたが、気持ちはご主人と同じでしたデス。アルシエルもご主人と一緒に世界征服を夢見ていたのデス。だから、今こそもう一度、世界征服に乗り出すのデスよ、ご主人!」
確かにそんなようなことを言っていた気がするが、もちろんそんなものはただの妄言。本気で世界征服など目指していなかったし、出来るとも思っていなかった。
世界征服という言葉にだって別に大したこだわりはなく、ただ悪のカリスマって感じで格好良いから口走っただけ。今、アルシエルに言われて『そういえば言ってたな』と思い出す程度の安っぽい目標だ。
中二病時代にこの状況になれば飛び跳ねて喜んだだろうが、今は魔術にも世界征服にも全く興味がない。親にも色々迷惑かけたし、むしろ今の僕はとにかく〝普通の人〟になることが目標だ。
だから、今更こんなことを言われても困るというのが正直なところだった。
「えっと……アルシエルさん、ごめん。悪いけど……世界征服は、その、勘弁してくれ」
僕はアルシエルに向かって頭を下げた。
「なんつーかさ……僕はもういい加減に普通の人になりたいっていうか。親にも散々迷惑かけたし……友達や彼女を作って平凡に暮らしたいんだよ。だから――」
そこまで言ったところで、アルシエルの様子がおかしいことに気が付いて口を止める。
「……………………」
先ほどまで浮かんでいた微笑が消えていた。それこそ、人形のように虚無的な表情と瞳でこちらを見据えている。
なんだかとてつもなく嫌な予感がして、心臓の鼓動がバクバクと早くなっていく。
「アルシエル、さん……?」
刺激してはならない。そう思って僕はおずおずと呼びかけた。
がしかし、それが裏目に出てしまった。
「お前――誰デス?」
感情の欠落した冷たい声音が
こめかみに指先がめり込んで頭蓋骨が軋む音がする。頭を潰される自分を幻視するほどの人間離れした凄まじい力だった。
「ぅあ……がぁあっ!?」
やめろと言い返す余裕もなく、必死に彼女の手を自身の頭から外そうと藻掻く。しかし、まるで鉄のオブジェではないかと疑いたくなるほどに彼女の体はビクともしない。
「ご主人は他人にへりくだらないデス。ご主人はアルシエルに〝さん〟を付けて呼ばないデス。ご主人は〝僕〟なんていう軟弱な言葉を使わないデス。つまり、お前はご主人ではないということデス。しかし――」
苦しみ足掻く僕を冷たく見上げながら、アルシエルがカクンと首を傾げた。
「体は間違いなくご主人のものデス。どう考えても偽物なのに……どういうことデス?」
アルシエルはそう言って静かに考え込む。
少ししてハッと目を見開くと、納得した表情で小さく頷いた。
「なるほどデス。つまり、ご主人は――何者かに体を乗っ取られているデスね?」
「え!? ち、違っ――」
「安心してくださいデス、ご主人。すぐにこの不敬な人格を消し飛ばし、本物のご主人を助けだしてみせるデス!」
慌てて否定しようとしたが、アルシエルの耳にはまるで入っていないようだ。
彼女の漆黒の瞳に、暗い炎を思わせる円文様が浮かび上がる。と同時に僕の顔面を掴む手から触手のような黒い靄が無数に飛び出してきて僕の頭に絡みついた。
頭の中がざわざわする。痒いような痛いような気味の悪い感覚。
こんな化け物じみた膂力を見せられれば、さすがの僕も〝ごっこ遊び〟などではないと信じざるを得ない。
つまり、彼女が〝やる〟と言ったことは〝出来る〟ということ。このままでは本当に僕という人格が消されてしまう。
全身から冷や汗がぶわっと噴き出してきて、生存本能が激しく危険信号を脳内に撒き散らしだした。
「も、もういいっ……十分だ……っ! 俺だ……アギトだっ!」
気がつくと、僕は生存本能に任せてそんなことを口走っていた。
かつての自分の口調の猿真似。正直、本当にかつての自分らしい口調似できているかも微妙なところだったが、触手の動きはピタリと止まった。
一筋の光明を見つけた気がした。
中二病を演じて僕が本物であると思い込ませることさえできれば、助かるかもしれない――。
「……今まで、組織のエージェントに植え付けられた擬人格(ペルソナ)に主導権を取られていたが、お前の精神干渉が――そう、トリガーとなって表層に精神を浮上させることが出来た」
「…………」
「よくぞ、体が別人格に乗っ取られると看破したな。褒めてやる、さすがは俺のアルシエルだ」
僕の言葉にアルシエルは無言を返す。その暗い眼でジッと見極めるように。
思わずごめんなさいと謝りたくなるのをぐっとこらえる。ここを逃せばあとはない。数秒後には廃人確定だ。
ここは人生の分水嶺。
思い出せ。過去の僕の姿を。僕の言葉を。僕の表情を。
「どうした? 主人がせっかく褒めてやってるんだ。喜んだらどうだ?」
なるべく尊大に。
自信に満ちた態度で。
ニヒルな笑みと共に。
目指す姿はかつて憧れたアニメに出てきた悪のカリスマ。
今の僕は――いや、俺は黑淵アギトだ。
「久しぶりだなアルシエル――我が創造物」
黒靄の触手が消える。
俺の頭を鷲掴みにする手から力が抜けた。
アルシエルはその虚無的な表情に僅かばかりの感嘆を滲ませ、その場で恭しく跪いた。
「おかえりなさいませ、我が創造主――」
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