002『さよなら日常、ようこそ中二病』

 この世のすべての人間には、必ず何かしらの黒歴史がある。それは、たとえば青春のリビドーに任せて書いたお色気ハーレム小説だったり、勝手に勘違いして告白して見事玉砕し勘違い野郎として学校中の噂になった過去だったり。


 とにもかくにも、人には必ず黒歴史が存在する。どんなに頑張って忘れようとしても、ふとしたときに脳裏に過ぎり、ベッドの枕に顔を埋めて叫びたくなる発作を発生させる恐ろしい過去が、存在するのだ。


 かく言う僕にも黒歴史が存在する。ダークマターよりも黒い黒歴史が。


 ――中二病――。


 それは、十四歳前後の少年が罹患すると言われる恐ろしい病。物語の主人公と自分を重ね合わせ、自分は特別な存在であるのだと思い込み、魔法だとか魔術だとかを使える気になって恥ずかしい言動を周囲に披露する病だ。

 ちなみに、発症すると死ぬ。社会的に。


 事実、僕の中学生活は終わっていた。

 突拍子もない奇行を校舎内で披露し、親を呼び出されること十数回。遠回しに転校を促されること数回。当然のごとくクラスメイトからも教師陣からも腫物扱いを受け、友達はゼロ。もちろん彼女も無し。


 林間学校、校外学習、修学旅行、体育祭、文化祭……ありとあらゆるイベントで居ない者扱いされた。


 今考えれば滑稽で憐れなボッチでしかないが、当時の僕はそれを孤高と表現して肯定的に見ていた。いつの世も優れた人間は理解されないものだ――とかなんとか。

 あー、馬鹿馬鹿しい! もー、恥ずかしい! うー、キモ過ぎる!


「……ぐがが……ががが……」


 黒歴史を思い出して、自分が教室にいることも忘れて発狂しそうになる。ギリギリで絶叫を呑み込み、バッグに顔面を突っ込んで我慢したが、もしかしたら変な奴だと思われたかもしれない。最悪だ。


 高校生となって中二病から卒業した今となっても、中二病の後遺症に僕は悩まされ続けている。

 こうしてふとした瞬間に黒歴史を思い出すと心臓がバクバクして、叫びたい衝動に駆られてしまうのだ。


 今でこそ、突然叫ばないように抑えるぐらいのコントロールできるようになったが、中二病から卒業したばっかりの頃なんて、それはもう酷かった。傍から見れば、突然叫び出す狂人にしか見えなかっただろう。


「……消えろ……消えろ……消えろ……消えろ……」


 ぐるぐる走馬灯のように巡る過去の黒歴史に向けて訴えかける。もちろん、忘れることなどできやしないんだけども、こうすると少しだけ気が楽になる。一種の自己暗示だ。


「あ、あのー……黒地君?」


 三十秒ほどそうやって机に突っ伏していると、不意に委員長の声が聞こえてきた。頭をもたげると、何とも言えない困り顔の委員長が立っていた。今時珍しい三つ編みメガネ。


 距離はちょうど2メートル。僕が顔を上げたらビクッとしてさらに一歩後ずさり、その距離2メートル50センチほど。話しかけるには微妙に遠い距離。あんまり近寄りたくない、そんな距離感。


 先ほどの発作を見られて変なやつだとでも思われたのかもしれない。今後の高校生活を普通に過ごすためにも、ちゃんと誤解を解いておかなくては。


「委員長。言っとくけど、僕は普通だよ。いたって普通だ」

「……う、うん。そうだね、普通だね……」


 委員長が曖昧な笑みを浮かべて言った。

 分かってもらえたようで何よりだ。普通じゃないやつ扱いされることだけは避けなくては。もう、中学時代のような腫れ物扱いはこりごりだ


「ところで、普通の僕に何の用?」

「あー、えっと……部活動の入部届のことなんだけど。黒地君からまだもらってないから」


 中学時代、僕は部活に所属していなかった。孤高、孤独が格好良いと思っていた僕は、部活で慣れ合うのを小馬鹿にしていたからだ。


 もちろん、今ではそんなことは思っていない。むしろ、部活には憧れのようなものすら抱いている。


 青春といえば友情・努力・勝利。部活にはそれらすべてがある。女子部員や女子マネがいればここに恋愛要素も入ってくるかもしれない。

 部活を制するものは青春を制するといっても過言ではないのだ。


 だからこそ、部活選びは慎重に行わなければならない。下手な部を選んでしまえば、理想の青春から遠のいてしまう。


「委員長、悪い。まだ決まっていないんだ」


 一応、いくつか候補はピックアップしているが、まだ決心できていなかった。


「そう、なんだ。なら、悪いけど選び終わったら、自分で先生の所に持って行ってくれるかな。すでに集めた分は先生に提出しちゃうから」

「了解。迷惑かけてごめん」

「……う、ううん、別に。じゃあ、そういうことで」


 委員長はブンブンと首を振ってそう言ったかと思うと、まるで逃げるかのように遠巻きに見ていた友達らしき女子グループの元へ戻っていった。


 何だか僕の方を見てひそひそ話をしているように見えるが、きっと気のせいだろう。僕と目が合った途端にそそくさと教室を出て行ったような気がするけど、これだって気のせいに違いない。

 何の変哲もないただのクラスメイトAに注目するほど女子高生は暇じゃないはずだ。


「ふぅ……今日もなんとか普通に過ごせた……」


 ああ、普通最高!


   ***


「……中学時代の友達が……部屋で僕を待ってる?」


 帰宅早々に母親から告げられたその言葉に僕は訝しんだ。


 中学時代ずっと重度の中二病に罹患していた僕は、教師からも生徒からも居ないもの扱いされていた。どう頭を捻っても友達と呼べるような同級生の顔を思い出せなかった。ましてや、家に尋ねてくるような親しい間柄などは。


「母さんもよく分からないのよねぇ。なんていうか……中学の時のアンタみたいな、あんな感じで会話にならなくて。世界征服がどうたらとか、魔術がどうたらとか……」

「あ、ああ……そ、そういう感じか……」


 瞬間、頬が引きつった。

 これ以上言及すると黒歴史を思い出しそうだ。母さんにも過去の僕を思い出してはもらいたくない。

 僕はそそくさとリビングを脱出した。


 それにしても、同じ中二病患者とは。今更、僕にいったい何の用があるってんだろう――て、いや、待て待て。違うだろ、黒地明人。同じなんかじゃない……今の僕は中二病患者なんかじゃないんだろうが。


 僕はブンブンを頭を振って気を取り直す。


「せっかく黒歴史を忘れようとしてるってのに……誰なんだよ、迷惑な」


 中学時代、学生生活に影響を及ぼすレベルの重症患者は自分以外にはいなかった。いたのなら意気投合して友達になっていたはずだ。ということは高校生になってから発病したのだろうか。


 中二病という言葉の由来となった中学生ですら、中二病患者は白い目で見られる。高校生にもなって中二病を患っていれば周りからどんな目で見られるかは想像に容易い。

 おおかた、孤独に耐えられなくなって、中学時代中二病患者として有名だった僕の所に仲間を求めてやって来たってところだろう。


「フッ……中二病患者は孤独だからな……」


 虚無的に笑いながらそんなことを口走り――直後、ハッとして口を塞ぐ。


 三年もの間、重度の中二病に罹患していたことによる後遺症は重い。卒業すると決意していても、心と体に染みついた中二病的言動がふとした拍子に出てしまう。


 薬を断って十年、二十年が経ち、薬物依存から完全に抜け出したつもりでも、ふとした拍子に他人から誘惑されてまた薬に手を出してしまう薬物中毒者は多いという。

 中二病も同じようなものだ。気を強く持たないと、闇に飲み込まれてしまう。


「……僕は普通……僕は普通……僕は普通……」


 自分に言い聞かせるようにぶつぶつと唱えながら、僕は自室のドアを開けた。


 その、瞬間。


「ごっしゅじーん! 会いたかったデース!」

「がほぉぁ!?」


 部屋から飛び出してきた小柄な人影に鳩尾へタックルされ、僕は胃液を逆流させながら仰向けにぶっ倒れた。ついでに受け身を取り損ねて後頭部を壁に打ってしまう。


「ぐぅ、痛ぇ……な、何なんだ?」


 チカチカする頭をさすりながら自身の胸元に視線を落とす。

 最初に見えたのは胸板にぐりぐりと押し付けられる頭。黒髪のショートボブ。そして、一見すると側頭部に突き刺さっているように見える短剣の柄。


 オーバーサイズのモノトーンパーカーから覗く肌は褐色。体つきは小柄で華奢。線の細さを見るに中学生ぐらいの少女に思えた。それこそ中学二年生ほどだろうか。思い返せば声も明らかに女の子のものだった。


 頭に短剣の柄を装備するという前衛的中二病ファッションセンスに少し拒絶反応が出てしまうが、それでも間違いなく異性――そう、僕は今、女の子に抱きつかれていた。


「ぁう、あ……うあー……」


 女子と触れ合ってきた経験のない僕が、女の子に抱き着かれた上に、おでこでぐりぐりされるなどというのは許容限界を超えている。

 何かを言おうとして口を開き、しかしただ鯉のようにパクパクと開閉することしかできない。


 ――だ、誰ぇぇぇええ!?


 仕方なしに心の中で叫んでいると、それが聞こえたかのように少女がピタッと動きを止めて顔を上げた。


 幼さを残す丸っこい輪郭に小ぶりな鼻と口、そしてそれとは対照的に大きな黒目がちの眼。誰が見ても可愛らしいと感じるような整った容姿の少女だった。


「あ……え?」


 だがしかし、彼女の瞳に見つめられた瞬間に僕が感じたのは照れではなく――猛烈な違和感。まるで、中途半端に精巧な人形を見た時に感じるような気持ちの悪い違和感だった。


 その人形じみた不気味な少女が、顔面にニンマリと満面の笑みを貼り付けて言った。


「デススススッ! ご主人のアルシエルがただいま帰りましたデスよ!」

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