EP4.母に驚かれる少女

黒神流理の母 琳音りんね 視点】



 ついおやつを摘みたくなる時間帯。

 次男の息子がそろそろ帰ってくる頃合だから、私はママ友方とのお茶会から抜けて帰宅した。


 あまりき慣れないヒールを玄関でぐ。

 それから洗面所に行き、手洗い、うがい。そのついでにお化粧けしょうも落とす。


 この作業をする度に思うけど、人と会う為に身だしなみを整えるのは面倒よね。

 まあ、化粧落としを軽くれば取れる程度のメイクしかしていないんだけれど。

 その上に専業主婦なのだから、贅沢ぜいたくな悩みだというのは自覚はしてる。一応ね。


「………?」


 と、なんでもないことをぼんやりと考えていたら、壁の向こう側から足音がひびいてきた。

 最初は小さく、けれど段々大きくなってきているから、恐らく階段の下り。

 急いでいるのか、少しせわしない音だった。


 誰なのだろうかと思っていると、直に背後の引き戸が勢いよく開く。

 タオルで軽く顔を拭きながら振り返ると、そこには長男の息子が立っていた。


「……零?珍しいわね。どうしたの?」


 れい。二ヶ月程前に私立中学へと入学したばかりの、十二歳の息子。

 年齢以上にかなり大人びている子で、向上心が高く、いつも勉強と運動ばかりしている子。


 今日は中間試験の最終日と聞いていたから、早く帰ってくる事は知っていたけど……

 けど、普段帰ってからは夜遅くまで部屋にって勉強しているこの子が、私が帰ってくるなりあわてた様子で降りて来るとは少し驚いた。


「あまり、集中できなくてさ……」


 やけにげっそりしている様子で、あまり生気の感じない声で告げる零。 

 体調を崩したのかと思って顔色を伺うも、特に変わったところは無いみたい。


 寧ろ、慌てて階段を降りてきてたみたいなのに、息一つ切れた様子もないくらいだった。

 相変わらずの体力ね。これで入試て次席だったのだから、我が息子ながらあまりのハイスペックさにいつも驚かされる。


「なにかあったの?」


「……ああ。姉さんと郎亜ろあの事で、ちょっと、ね」


流理るりと……郎亜?」


 尋ねてみると、娘と、昔からお世話になっている子……郎亜の名前が出てきた。

 流理はともかく、郎亜の名前が零から出てくるのは少し意外に思った。


 前述の通り、零は普段帰ってきたら夜遅く部屋で勉強している。

 その為、郎亜と……どころか流理とも最近はあまり話していなかった、はず……


 ──あら?最近話してない……ってことは。


 私は零に近づき、背丈を合わせるように少し屈むと、あまり遠くの方に響かぬよう小声で尋ねた。


「……零。今、家には誰がいるの?」


「……ん?ええと。姉さんと、郎亜だ。先程帰ってきた」


 私につられて同じく小声になりながら、頬をほんのりと赤くして頷く零。


「郎亜、ウチにかなり馴染んでる様子だったが……」


 ああ、やっぱり。予想通りだった。

 零は家の中で、郎亜とはあまり会っていないから……恐らく会って、何かあったのね。


「当然だと思うわ。なにせ、ほとんど毎日来てるわけだし」


「……なるほど、やはり、か」


 神妙な顔になって、口元を右手でおおう零。


 『やはり』……?


 ……あ。そういえば、零は耳が異常に良かったことを思い出す。

 この家は別に防音加工がほどこされている訳では無いし、リビングからの声が自室からでも聞こえてたのかも。


 それにしてもいつも思うことだけど、この子って仕草も口調も、やっぱり年齢に対して不相応よね。

 別にいいのだけど、誰に似たのかしら……いえ、十中八九主人だわ。間違いない。


「……なあ、母さん」


「なに?」


 再び顔を赤くする零。


 何考えているのかは何となく分かるけど、ここ精神だけは年相応ね。

 ちゃんと思春期をしているみたいで安心する。初心うぶで可愛くも思った。


「何か変なこと考えてないか?」


「……そんなことないわよ」


 変にするどいわね。


「それで、どうかしたの?」


「ああ……郎亜には否定されたんだが、あの二人は本当に付き合ってないのか?」


「……無いわね。そう聞いてる」


「……あれでか」


 零の気持ちは分かる。

 というか、完全に同感だった。


 いつも見て思うんだけど、あの距離感で付き合ってないのはちょっと納得できない。

 夫婦である私と主人でさえ、若い頃はあそこまでベタベタはしてなかった……はず。


 そのはず……。


 ──まあ、そんなことは良い。


「一応、流理は郎亜の事が好きよ」


「……だろうな。それはなんとなくわかる」


「あら、分かるのね」


 初心なこの子ですら見抜ける程にあからさまなのかしら、あの子。


「また変なこと考えてないか?」


「最初から考えてないわよ」


 反応が早くない?というか『また』って、さっき誤魔化ごまかしたのバレてるし……

 我が子ながら、少し恐ろしくなってきた。


「……まあ、僕の目の前で郎亜にバックハグしていたし、それくらいはさっせるさ」


 ………。


 ………………。


「バックハグ!?」


「う、うん?」


 バックハグ。

 文字通り、後ろから抱きつくこと。


 基本、相当親密でないとできない所業しょぎょう

 私は躊躇ためらいなくできるけど、家族でやるのも普通は逡巡しゅんじゅんするかもしれない。そんなハグ。


 それを、流理が?


 ……ちょっと待って。


「……零」


「な、なんだ。怖いぞ、母さん」


「今日の晩御飯、遅れずに来なさい」


「え?なぜ?」


「いいから」


「あ、はい」


 あとで詳しく、訊かせて貰うわ……

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