第十話「町方同心の矜持」

「どういう事なんだ! てめえら、何処に目ぇ付けて見回りをしてやがったんだ!」


 その日の国友屋泰治は、荒れていた。部屋に呼び出した手下達に怒鳴りつけ、何度も足蹴にした。昨日の余裕が嘘の様である。


 無理も無い。


 国友家の力の源であるお墨付きが、一晩して何処かに消えてしまったのだ。


「お墨付きは、この部屋に確かに仕舞ってあったんだ! 屋敷の中心まで盗人に侵入されるとか、眠ってやがったのか!」


 確かに敷地の中心まであっさりと曲者に入り込まれるなど、失態としか言いようがない。だが、警備の者達も言われっぱなしでは面白くない。お墨付きは国友泰治の部屋にあり、国友泰治は昨晩ずっとその部屋にいた。つまり、一番お墨付きの近くにいたのにも関わらず、侵入に気付かれなかっのだ。


 先祖代々の家宝を盗まれながら、今朝まで太平楽に熟睡していたのだ。先祖に顔向けできぬ失態である。


 もちろん、そんな事は口に出すことは出来ぬのだが。


「一刻も早く、盗んだ奴を探さねば……。いや、そもそも、無くした場合本当に処分を受けるのか? 単なる噂じゃないのか?」


「その事なんですが……」


「何だ、何かあるのか?」


「実は町奉行所の同心が今朝知らせてくれまして、明日お墨付きの確認に来ると。しかも北町奉行の稲生直々に」


「な、何だと?」


 これはおかしいと、国友泰治は思った。お墨付きを紛失した翌日に町奉行自らの手入れがあるのだ。分かってやってるとしか思えない。


 強力な特権により、町奉行所の摘発を受ける事無く荒稼ぎをする国友屋敷の事を、町奉行所が疎ましく思っている事は察している。


 これを機に潰しに掛かっているとしか思えない。


「となると、今日中に何とか始末をつけねばならんのか……」


 国友泰治は思案した。


 噂によると、正直に申し出ればお墨付きを紛失していても、特権を失うだけで責任を問われる事は無いそうだ。ならば、正直に報告するのが吉である。


 だが、噂は噂であり、本当に責任を問われないのか不明だ。そのため、何とか不可抗力で紛失した事にしなければならない。


 そのためには誰かに責任を押し付けるのが手っ取り早い。


「そうだ、燃やしてしまおう」


「は? 何と?」


「燃やしてしまえと言ったのだ。女どもを全員土蔵に押し込めて、油をまいて火をかけるのだ。そして、女どもが火の不始末で死に、その巻き添えでお墨付きも燃えた事にするのだ」


「大丈夫ですかね? バレやしませんか」


 国友泰治の計画には、色々と穴が多い。土蔵は火事に強く、焼け落ちるのに時間がかかる。全員が逃げ遅れるなど有るのだろうか。しかも、都合良く、というか都合悪く女が全員土蔵にいるなど町奉行所が信じるだろうか。


「土蔵に油を仕舞っていた事にすれば、土蔵が焼け落ちる理由になるし、火の回りが早すぎて逃げられなかった事にすれば良いのだ。なあに、我々がやったという直接の証拠さえ無ければ、どうにでもなる」


 国友泰治の言う通り、町奉行所は証拠が無ければ中々裁きを下せはしない。拷問には相当の理由がいるし、老中に申し出て許可をもらう必要もある。


 町奉行所の与力や同心は尋問に慣れ、生半可な悪党では立ちどころに自白してしまうだろうが、国友泰治には耐えられる自信があった。


 そして、女達を全員焼死させてしまう事にはもう一つ利点がある。


 国友屋敷には、料理屋、賭場、岡場所としての顔があるが、合法なのは料理屋だけである。他の顔に関しては、町奉行所に証拠を掴ませる訳にはいかない。だが、賭場は開帳している現場を押さえられなければ問題が無いし、岡場所も女達が証言しなければ咎められる事は無いだろう。


 証拠が無ければ、女達は遊女ではなく、料理屋の給仕という事になる。


 料理屋だけではこれまでの様な稼ぎは出来ないのだが、少し待てばまた賭場を開く事も出来るだろう。岡場所もこれからは屋敷でするのは難しいだろうが、近くの深川辺りに場所を移せば、それなりに稼ぐ事が出来るはずだ。


 これまでのお得意様が集まってくれれば、稼ぎも安定するだろう。何なら後でお墨付きを偽造したっていい。国友家にお墨付きが与えられていた事は、幕府も承知している。ならば火事の混乱で一時的に見当たらなくなったが、後々探したら見つかったことにすれば、全ては元通りなのだ。


 偽造など本来詐欺行為であるが、家系図を偽造する武家などごまんといる。天下人たる徳川家だって源氏だとか新田だとかの系譜としているが、そんなもの、本当だかどうだか怪しい。それに比べたら、国友家が家康のお墨付きを持っていた事は誰もが知る事実なのだ。


 ならば、証拠の品を偽造したところで何が問題なのか。


 国友泰治は、手下どもに女達を始末する手順の指示を与えると、国友家の復権を果たすための手前勝手な妄想にふけっていった。



 国友屋敷の程近く、亀戸天神の境内に女奉行所の一同は、刀や薙刀で武装して待機していた。武器だけでなく、頭には鉢金、体には鎖帷子を装着し、江戸市中と言う事を考えるとこれ以上ない完全武装と言えよう。


 この勇ましい出で立ちの女達を統率するのは美湖である。彼女は、おそのの敵討ちとおけいの救出、そして女達を食い物にして憚らない国友屋敷の者達を殲滅させるため、闘志を燃やしている。


「城之内様、国友屋敷に動きがありました。多分色々と吹き込んでやったのが効いたのでしょう」


 近寄りがたいまでの殺気を放つ美湖に、話しかけて来る者が居た。


 北町奉行所の同心、林忠右衛門である。彼は、美湖の頼みにより国友屋敷の者に、嘘の情報を流したのだ。


 つまり、お墨付きを検めるために北町奉行の稲生が訪れるなど、偽りに過ぎないのである。


「ありがとう。おかげで、我々の策が成功しそうだ。しかし、今更の事だが良かったのか? 稲生様の許可は得ていないのだろう?」


 忠右衛門の女奉行所への協力は、彼の上役たる稲生の許しを得てのものではない。独断である。場合によってはお咎めを受けるかもしれない。


「構いません。町奉行の同心、与力というものは、江戸の町に生きる民のためにあるのだ。だから、本当に民のためだとの信念があれば、多少の独断も仕方がない。もしもそれで処罰を受けるのなら、喜んで受けるでしょう」


 町奉行の同心たちは、幕府の組織の一員であるが、決して組織に忠実なだけの存在ではない。幕府の現実を踏まえないお触れをそのまま解釈して徹底したら、民への影響が大きすぎると判断したら多少目溢しをするし、治安を守るためなら改悛した犯罪者も手先にする。


 時として、幕府の意向に反してでも民のために動くのが、町方同心の矜持なのである。


「ありがたい。よしっ、皆の者、出発するぞ! 先ずは国友屋敷を包囲し、連中を一人として逃すな!」


 美湖の号令により、女奉行所の精鋭たちは前進を開始した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る