第八話「賭場狂い」

 国友屋敷の中に開帳された賭場で、赤尾は気勢を上げていた。


 行われているのは丁半博奕で、かなりの客が訪れていた。元町奉行与力である赤尾の知識としては、ここまで多くの客が集まるのは珍しいと思っている。


 恐らく、国友家に与えられた権現様のお墨付きにより、絶対に摘発される事が無いという安心感が、この盛況を呼んでいるのだろう。


 そして何より、この日は赤尾が盛大に金を賭けているため、場が盛り上がっているのである。一攫千金を求めて賭場にやって来る男達も多いのだが、賭場の雰囲気が好きで訪れる者もそれなりにいる。特に博徒と呼ばれる様な連中はそうである。


 赤尾につられて張られる金額が次第に大きくなっていき、場は相当温まっている。


「赤尾の旦那、金を持ってまいりました。どうぞ」


「ご苦労。早速で悪いが、更に追加で二十両ほど借りて来てくれ」


「だ、旦那ぁ」


 千寿から十両借りて戻って来た次郎吉は、更なる金の無心に情けない声を出した。


 この日とは、ちゃんとお役目を果たせるんだろうかと不安になる。


「大丈夫なんですか? おぶ……あの方たちが心配してましたよ」


「安心せい。ちゃんと策があっての事だ」


 それまで賭場の熱気に浮かされていたような赤尾の目に、知性が戻って来る。


「おお、そうですか」


「考えてもみろ。例えば、負けたとしてもその分上乗せして次の勝負に賭ければ、それで取り戻すことが出来る。つまり、どんどん金を積み上げて賭けていけば、最終的には勝てるのだ」


「……」


 これは駄目だ。


 次郎吉はそう思った。


 これは博奕で身を持ち崩す者にありがちな、理論とも言えぬ理論だ。これで成功した奴は未だかつて存在しない。


 この軍師、この様な机上の空論で大金を費やして、一体どの様に申し開きをするのだろうか。


「大丈夫」


 赤尾は胴元達の方をこっそり指で示しながら言った。次郎吉がよく観察してみると、ちらちらとこちらの方を見ている。


 勘づかれたかと一瞬次郎吉に緊張が走ったが、どうやら様子が違う。次郎吉は賭場には多く出入りした経験があり、かなり強い方であるし場馴れしている。そのため、彼らの意図が読めた。


 彼らは赤尾を上客と見て、カモにしようと企んでいるのだ。


「と言う訳で、もう一回金を獲りに行ってください。辺りをよく観察しながらね」


 国友屋敷の内部を探りに来た赤尾太刀であるが、中をうろうろしていては警戒され、場合によっては勘づかれて始末されてしまうかもれしれない。


 赤尾は武芸の腕前がからっきしだし、次郎吉は喧嘩は強いが、それは生来の度胸と腕っぷしに任せたものだ。長ドスを操っての殺し合いには対応できない。


 だが、カモの客が外に金を取りに行くというのなら話は別だ。儲けになるのなら、多少自由に行動させるもの良いとの判断になる。


 博奕の胴元の心理を見抜いた、赤尾の策略に次郎吉は瞠目した。単なる武家の人間が、よくぞその様な事を思いついたものである。


 治郎吉は博奕が得意なため、赤尾に代わって賭けに参加すれば、もしかしたら勝てるかもしれない。だが、もしも勝ち過ぎてしまったらその勝ち分を取り戻そうとした相手に注目され、情報収集という本来の目的を果たすことは出来ないだろう。


 目先の勝ちに勝利に拘らない。それが軍学者なのだ。


「さあ、取りに行ってください。それに、もうそろそろ、風がこっちに吹いて来るはずなんです」


 赤尾は目を充血させながらその様な事を言った。


 やっぱり駄目かもしれない。


 次郎吉はそう思った。





「ふむ。赤尾も中々やりますね」


 次郎吉の報告に、千寿は称賛の声をあげた。


「そうでしょうか? 赤尾様は本当に博奕に入れあげている可能性もありますが」


「例えそうだとしても構いません。こうして屋敷内の情報が集まってきているのですから」


 千寿は次郎吉の報告を聞いて、満足げな表情を浮かべている。


「しかし千寿様、そんなに金をつぎ込んでよろしいのでしょうか? 赤尾殿の使っているのは、奉行所の金ですが」


「何の問題が有りますか」


 美湖の言っている事は正論である。いくら情報収集のためとはいえ、無闇矢鱈に金を使うのは褒められた事ではない。


 だが、千寿は意に介した様子は見せず、静かに笑っている。


「私達女奉行所の権限を忘れましたか? 成敗した者達の財産を全て没収出来るのですよ。つまり、赤尾がいくら国友屋敷の賭場に金を取られようと、最終的に連中を倒してしまえば、いくらでも取り戻せるのです。千両使おうが、万両使おうが、何の問題もありません」


「ははっ」


 美湖は、千寿の言葉に戦慄した。


 美湖は隠密におけいを取り戻す位の事しか考えていなかった。何故なら、国友屋敷は権現様お墨付きにより特権を許されている。


 これには女奉行所の強力な権限も及ばないため、これまでの事件の様に大っぴらにする事は憚られたのだ。


 だが、恐るべき事に、千寿は国友屋敷を完全に滅ぼしてしまうつもりなのだ。


「何を遠慮する事があるのです。私達が何のために女奉行所を作ったのか、その初心を忘れてはなりません」


 千寿の言葉に美湖ははっとなった。


 その通りである。この、虐げられる女が多い世の中であるからこそ、それを助けるために、女奉行所は設置されたのだ。相手がどれだけ強い権威を持っていようと、それに臆していては何のための女奉行所であろう。


 美湖は覚悟を決めるのだった。





 夜も更けた頃、赤尾が次郎吉を連れて戻って来た。無事に帰って来たところを見るに、怪しまれる事は無かったのだろう。


「お役目ご苦労様、早速ですが、成果の報告を」


「ははっ。ここにございます。どうぞお受け取り下さい」


 赤尾は袱紗の包みを千寿に手渡した。開いてみると、小判が数十枚包まれていた。


「いや、違うだろう」


「ひい、ふう、みい、ちょうど五十両ですか。貸したのは百両だったはずですが?」


「取り戻せたのは半分だけでした。やろうと思ったら取り戻せたかもしれませんが、そうした場合奴らの監視がきつくなるかもしれないので、あえて適度に負けてきました」


 五十両もすったのを適度などとは、随分と生易しい表現である。というか、美湖も千寿も赤尾も、論点があっていない。一番本筋に近いのは美湖であろう。今話題にすべきなのは、国友屋敷で行われている悪行などの情報なのである。


「それで、おけいの居場所は分かったのか?」


「その件については色々と聞き込んで来ました。勝負事で熱くなっていると、口が軽くなるものでしてね」


 赤尾が賭場の客達と話した所によると、国友屋敷には賭場や料理屋の他にも、岡場所としての建屋が設置されている。ここでは十数人の女が客をとっている。かなりの美貌の女が揃っているらしく、相当多くの男達が客として訪れているのだ。


 しかも、幕府公認の遊郭たる吉原は元より、深川等江戸各地の岡場所でもやらぬような行為が出来ると一部では評判になっている。そのため、吉原の一流の花魁でも満足できない金持ち連中がやってくるのだ。


 そうして国友屋敷に金が集まって来るのである。


 もちろん、この様な乱行がお上の不興を買わぬわけが無い。町奉行所が何度も摘発を検討したのだが、国友家に与えられたお墨付きがそれを阻んだ。


 結局、国友屋敷の繁栄は今日に至るまで続いているのだ。


「奴らの繁栄は、女達の犠牲によって成り立ってます。物好きな金持ちどもがわざわざ高い金を払ってしようとしている事は、命を縮める様なものです。それも、休養を多く取らせるならともかく、儲けを重視して連日連夜、客を取らせています。おそのという女も、それに耐えられずに逃げようとしたところを殺されたのでしょう」


「何と言う事だ……」


「待て、赤尾殿。もしや、おけいは」


 他の遊郭と比べてもあまりに酷い話を聞き、千寿も唖然となる。そして、美湖は嫌な予感がした。


「はい、噂によると、一週間後に九歳の娘が初めて客を取るようで、どこぞの富豪が大枚をはたいて権利を得たそうで」


「屑どもが……」


「本当ですか? 吉原では九歳で方向に来た場合、禿として下働きしかさせないと聞いていますが」


「本当らしいです。むしろ吉原では出来ないからこそ、そんな外道な事を思いつくのでしょうな。人としての心が有れば、思いついてもやらないものですが」


 亡八と蔑まれる吉原の楼主ですらしない事を、国友屋敷の者達はやろうというのだ。外道としか言いようがない。


「そうですか。なら、奴らは全員成敗するしかありませんね」


「ははあ! この赤尾陣内、速やかに策を献上いたします」


 千寿の言う全員成敗とは、それすなわち皆殺しにすると言う事である。言葉は穏やかだが、内心怒りで煮えたぎっているのが赤尾にも感じ取れた。魂を鷲掴みにされた様な感覚に襲われ、赤尾は平伏せんばかりの勢いで言上した。


「さて、一旦奉行所に戻りましょう。美湖さん、明日から忙しくなりますよ。皆にそう伝えておくように」

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