第二話「評定所の男達」

 女奉行所で会合が行われているのと同時刻、別の場所でも会議が行われていた。場所は、江戸城和田倉門外竜の口伝奏屋敷の一部であり、その名も「評定所」という。


 幕府における評定所は、寺社、町、勘定奉行が定期的に集まり、相互にまたがる事件などを裁くのために存在する。月に何度か開かれる評定所には、定期的に老中も傍聴に現れるため、幕政において非常に重要な場と言える。


 参加者の奉行たちは中年から老年の男ばかりであるため、女ばかりで華やいだ雰囲気にある女奉行所に比べてむさくるしいのは仕方の無い事であるが、この日は特に難しい顔をした奉行達の発する気によりその度合いは甚だしいものとなっていた。


 本来、この日に協議するべき事案は無く、定例の顔合わせに過ぎない予定であった。だが、急遽議題が出現してしまった。


 他でもない、女奉行所の事である。


 これまで三奉行達は女奉行所などという実態が有るのか無いのか分からない組織など、眼中になかったのだ。それが俄かに存在感を発揮したのである。


「小松達は即刻切腹、それも小松修理亮本人など腕が切り飛ばされていたとか。関係のあった目付も御役召し放ちの上家禄も四分の一に減らされたそうですぞ。まさか、女奉行所にここまでの力があったとは」


 北町奉行稲生いのう下野守しもつけのかみ正武まさたけは、深刻な顔をして言った。切れ者として名高く、かつて目付の役に就いていた時は、かの有名な絵島事件の調査で活躍した事もある。



「不思議な事だ。何故、あのような組織の設置を上様はお認めになられたのだ? 俄かには信じられぬ」


 南町奉行大岡おおおか越前守えちぜんのかみ忠相ただすけは怪訝な顔をして言った。それはもっともである。女奉行所の権限は、ここに居並ぶ三奉行の職域を侵すものだ。もちろん、それぞれの奉行の縄張り争いや、職域を横断または狭間にあるために解決が難しい事件は確かにある。だが、それを解決するために、現にこうして評定所があるわけであり、決して幕府も手をこまねいている訳ではない。火付盗賊改方の様な横断的な権限を有する組織も無くはないのだが、かといって女奉行所の権限は異常に強すぎる。


 過去の働きを吉宗に買われ、町奉行に抜擢された程の人材である大岡にとっても、この事態が呑み込めていない。


「大岡殿も稲生殿もご存じないのか? 奉行の伊吹千寿という女人、あの御留守居の伊吹近江守殿のご息女であるぞ」


「なんと、あの伊吹殿のか」


 寺社奉行土井どい伊代守いよのかみ利意としもとが苦々しい顔つきで言った。彼は、三河国西尾藩の藩主であり国元では名君として知られている。


 御留守居は、奉行職を勤めた旗本が老齢になってから任じられる名誉職である。何しろ、将軍不在の際に江戸城の守りを任されるのだ。本来重要な任務である。


 だが、すでに天下泰平の世にあって、将軍が軍を率いて出陣するような事態は有り得ない。そのため、名誉職とは言いながら閑職と化しており、今では大奥の取り締まりや通行手形の管理を役割としているくらいだ。


 その御留守居である伊吹近江守なのだが、彼はその職務を通じて大きな存在感を示すことになった。吉宗が八代将軍に就任する前、七代将軍家継は幼少であったため、大奥運営に関しては元より、表、中奥においても言わば将軍代行である御留守居の力が求められる場面が増えたのである。また、御留守居は数名その職に就いているのだが、特に力を発揮したのが伊吹近江守なのである。


 そのため、城中の各役向きには伊吹近江守と関係の深い者が多い。そして、吉宗が将軍になってから様々な改革が行われている。倹約の流れは城中の各署に及んでいるのだが、言わば抵抗勢力が大勢いるのだ。それを黙らせる事が出来るのが、伊吹近江守なのだ。


 特に大奥は江戸城の聖域である。莫大な経費を浪費しているのだが、この流れを止めるのは将軍とて中々出来るものでない。将軍就任のために大奥の協力も得ていたのであるから、なおさらである。


 伊吹近江守は大奥の権力を握る御年寄の信頼も厚く、大奥の改革は彼の力なしにはあり得ないとまで言われている。


「まあ、そう言う訳なのだ。儂とて上様のこの度のなさりようには諸手を挙げて賛成ではないのだが、仕方がないのだ」


 寺社奉行はその名が示す通り、神社仏閣の領域を担当しているが、神官や坊主が決して女関係に綺麗と言う訳ではない。門前には女郎小屋が立ち並び、女犯に及ぶ坊主も珍しくは無い。


 もしも、女奉行所が女人保護を言い立て寺社領に踏み込んできたとしたら、寺社奉行は面目を失うだろう。これまで、女奉行所などに何が出来ると高を括っていたので無視していたのだが、これからはそうはいかぬだろう。早速注意を促す通達を出したばかりだ。


「いやいや、皆々様大変ですなあ。まあこれも上様の御意向を反映しての事。何を置いても従うより他にありませんなあ」


 余裕たっぷりに言ったのは。勘定奉行駒木根こまきね肥後守ひごのかみ政方まさかたである。勘定奉行はその名の通り幕府の経理を担当する奉行だ。女奉行所の仕事と自分達の職務が被る事は無いと高を括っているため、他の奉行の慌てぶりなど他人事なのだ。


 大岡達他の奉行は、駒木根の言に苦々しい表情を浮かべ、いつか目に物見せてくれようと心に決めた。


「そういえば、女奉行の伊吹殿を評定所に呼ばなくても良いのだろうか?」


 稲生がふと思いついた事を口にする。定例の評定は、慣例的に三奉行が出席する事になっているが明確な規定は無い。そのため、女奉行がこの場に加わってはならぬという法はない。これまでは活動実態が無いと思われていたため、誰も誘おうなどと夢にも思わなかったのだが、これからはそうはいかぬ。


「これは不味いですな。次からは誘った方がよろしいでしょう」


「うむ。厄介な奴等ではありますが、なればこそこちらに引き込んだ方が制御し易いでしょうな。どうです、大岡殿。これから挨拶がてら次の会合への参加を誘っては」


 特に女奉行以外に関する議題も無かったため、評定はすぐに散会となった。そして、両町奉行の大岡と稲生は女奉行所に挨拶に向かう。もっと早く行くべきだったので、不義理な事この上ないが、行かないよりはましである。幸い女奉行所は中町奉行跡地に設置されているため、帰る方向と全く違う訳ではない。



 そして、女奉行所に到着した大岡達は、数十人の破落戸どもに囲まれる女奉行所を見て驚愕したのであった。

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