第5話「学園」

「あ! お兄ちゃんやっと起きてきましたね! 待ってたんですよまったくもう」


 朝起きて一番に浴びた声がそれだった。妹に文句を言われて興奮するような性癖は持っていない俺からすれば勘弁してくれと心から思う。何故妹は兄に厳しいのかで学術論文が一つかけるのではないだろうか、そう思えるくらい雲雀は俺に優しくなかった。


「先に行ってていいぞ。俺は朝飯を食べてから登校するから」


「何を言っているんですか! 待つに決まっているでしょう!」


 キレ気味に俺に早食いをしろと暗に言う雲雀、俺には朝食を食べないという気は無い、空腹で授業を受けていると昼前に意識がぼんやりとするからだ。


 と言うわけで俺は両親がもう仕事に出かけたキッチンで、パンをトースターに入れ、コーヒーメーカーの電源を入れる。インスタントでもいいのだが、時間的にドリップしても問題無い程度に時間の余裕はあった。


 むしろ何故こんなに朝早くから雲雀が俺を待っていたかの方が気になるほどだ。


 チンとトースターが鳴ってパンを吐き出したので、それにマーガリンを塗る。ジャムも欲しいところだが、ストックが無いのでしょうがない。


「お兄ちゃん! 早く食べてくださいよ、一緒に登校するんですからね」


「俺は時間があるならあるだけ使うんだよ、パーキンソンの法則ってやつだ」


 時間とリソースはあるならあるだけ使う、それが俺のポリシーだ。少なくとも学校二十分早く着いたところで、Wi-Fiの無い環境でスマホを弄ってソシャゲの周回をするだけなので自宅で通信容量を消費せずソシャゲをプレイ出来るだけ有意義だ。


「お兄ちゃん! 早く早く! 一緒に一番生徒が多い時間帯に登校するんですよ!」


「妙なこだわりを発起するのはやめてもらえないかな、俺は予鈴に間に合えばいいんだよ」


「お兄ちゃんは不良ですか!? 余裕を持って行動しましょうって教わらなかったんですか?」


 余裕の意味が違うようだ。俺の言う『余裕』は時間に間に合うということだ、雲雀のいうところの余裕は無駄な時間をバッファとして持っておけと言っているようなものだ。俺はギリギリで生きていければいいのでのんびりしたものだ。


「もう少し心の余裕を持てよ、余裕があるんだから全部使い切らないと余分な時間がもったいないだろう?」


「お兄ちゃん、夏休みの宿題を最終日に終わらせるような感覚で言ってませんか? 地獄を見ますよ」


 いやなことを思い出させるやつだ。夏休みの勝負期間はラスト一週間だろうに、そこでスパートをかけて夏休みの終わりと宿題の終わり、どちらが早いかのチキンレースをするのが夏休みの醍醐味だろう。


「もう少しのんびりしようぜ、英国人はいつだってティータイムは欠かさないそうだぞ」


「お兄ちゃんは純然たる日本人でしょうが……」


 ああだこうだと言っているうちにトーストを食べ終わり、食後のコーヒーとなった。ブラックのまま、話をしているあいだに温くなってしまったコーヒーを飲み干す。


 食器をシンクに入れて、軽く洗剤で流す。コーヒーとトーストなので洗い物はほとんど無い。


「さあお兄ちゃん、浸ってないでさっさと登校しますよ!」


「別に先に登校してくれて構わなかったんだが……」


 雲雀は不満そうに言い放つ。


「そんなことをしたら兄妹仲が悪いように誤解されるじゃないですか!」


 実際それほど良くは無いだろうと思っているのだが、雲雀の中では仲良し兄妹になっているらしい、仲良し要素がそんなにあっただろうか?


「ほらほら、早く登校しますよ!」


「わっ! 引っ張るなって」


 ブレザーの袖を引っ張りながら玄関に向かっていく雲雀。俺は強引に引っ張られ家を出て登校することになった。雲雀はさすがに腕を絡めたりはせず、隣を歩いているだけだった。しかし雲雀は性格こそアレだが、見た目は非常に良いので道行く人からの視線を集めてしまう。目立ってしょうがないのだが、目指す目的地が同じなのでどうやっても離れる方法は無い。


「なあ雲雀、道は覚えたろ? 一人で登校したっていいんだぞ?」


「そうですか、ところで学校までの道を忘れたので案内していただけますか?」


「苦しすぎる言い分だろ! どうやったらこんなシンプルな道を忘れられるんだよ!」


 ウチから学校までは普通に道を数回曲がるだけで着く。忘れようのない道順だ。しらばっくれるつもりらしいが、置いていこうとしてしがみつかれても困るので隣をゆっくり歩いて行った。それでも十分に間に合う時間だというのに焦っているのが不思議だ。まだまだ生徒が登校中で行き交う人も多い。焦る必要など欠片も無いというのに。


「あ、葵じゃん、今日も妹さんと一緒?」


 この時間に登校しているのか真希に出会った。


「ちっ……」


「雲雀ちゃん、舌打ちしなかった?」


「キノセイデスヨ」


 強引に気のせいで通すつもりらしい。俺にも舌打ちの音はしっかりと聞こえていた。しかし何故舌打ちをしたのかは全くの謎だ。


「おはよう、真希」


「おはよ! 雲雀ちゃんもおはよう!」


「オハヨウゴザイマス」


「なんで片言なんだよ……」


「雲雀ちゃんに嫌われちゃったかなあ……」


「いや、それは無いだろ、コイツは初対面の人には大抵冷たいぞ」


 俺が誰かと引き合わせると大抵ロクなことにならなかった。真希などマシな方で、初対面で俺を逃げる方に引っ張ることもあるくらいだ、それに比べれば全然神対応と言っていい。


「そうなんだ、よろしくね、雲雀ちゃん!」


「よろしく」


 おずおずと手を出して二人は握手をする。何とか穏便に済んだようで何よりだ。


 そして握手をしたあと俺の手を握る雲雀、真希に向き直って言った。


「はー……お兄ちゃんの手はいいですねえ……誰かさんの手とは大違いです」


「な!? 私だって……」


「ダーメですよー! お兄ちゃんの手は私のものなんですからねー!」


 何故か真希を威嚇する雲雀。人間そう簡単に仲良くは慣れないということか。悲しいことだが人類がわかり合える日はまだまだ遠そうだ。


「お前な……もう少し人と仲良くしようとは思わないのか?」


「お兄ちゃんと私以外の人間関係なんて要らないんですよ、お兄ちゃんは多くを求めすぎです! 私という妹が居れば満足でしょう?」


 いや、普通に彼女とか恋人とか欲しいですけど……雲雀にその役目は出来ないだろう。妹が俺にベッタリだと人間関係が破綻しかねない。俺はともかく、雲雀の方まで人間関係の構築に失敗して欲しくはないので俺から離れてくれないだろうか、今も俺の手を取って真希に見せている。


「いいでしょ? 妹の特権ですよ!」


「うぅ……雲雀ちゃん……うらやま……けしからんですね!」


「真希、こんな妹だが仲良くしてくれると助かる」


 真希はコクリと頷いてくれた、雲雀の方は……


「お兄ちゃんは私のものですよ! ま、まあ友達に貸してあげることくらい許さないほど私は心が狭くはないですけどね!」


 狭いだろ、ISDNの回線幅より狭いだろ……お前のその3G回線より遙かに狭い心を披露する妹を見てどうしたものかなと思った。コイツは都合が良すぎだろう、というか俺はレンタル品だった……?


 俺のことを考えていると、雲雀の兄観で頭がどうにかなりそうなので深く考えるのはやめよう。


「二人ともそろそろ予鈴が鳴るぞ」


「あっ! はい! 一緒に行きましょうか」


「えと……私もいるから!」


「真希さんはクラスでも一緒なんですから今くらい私に譲ろうという広い心はないんですか?」


「え……?」


「こら雲雀、無闇に俺の友達に喧嘩を売るんじゃない」


 雲雀はちぇっと諦めた様子で俺を引っ張っていく。コイツも新しい学校でナイーブになっているのかもしれないな。


「悪い真希、雲雀のやつ一人じゃ不安みたいなんだ」


「あ……そっか、入学したばかりだもんね」


 納得してくれたようなので雲雀を連れて、いや、連れられて校舎に向かった。


「なあ雲雀、俺をレンタルするのは本気じゃないよな?」


「当然じゃないですか!」


 迷うことなく断言してくれるのでホッとした。さすがに雲雀といえど最低限のモラルのようなものはあったらしい。


「大事なお兄ちゃんを誰かに貸すなんてとんでもない!」


 えぇ……どうやら俺はレンタル品ではなく雲雀の所持品扱いらしい。俺を人形か何かだと思っているんじゃないだろうか?


 そして雲雀がクラスに入っていくのを確認してから、俺は自分のクラスへと歩を進めた。

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