第7話 見放され それでも神を 信じるの?


リオアハン教国 聖女執務室 ミカリン


 聖女ミカリンが祈りの間にて倒れる……その少し前のことである。

 聖女に与えられている執務室にて、ミカリンは書類仕事に追われていた。

 一か月ほど先にある大規模な儀式に向けてのものだ。

 慣れない書類仕事に疲れを覚えながらも、彼女は弱音を吐くことはなかった。

 経験的に弱音を吐いても、後になって困ることがわかっているからだ。

 そんな折に聖女の執務室のドアがノックされる。


「はい。少々お待ちください」


 いつものようにお付きの侍女であるディナラ・ヴァシリーシンが対応してくれた。

 その背中をなんとなしに見つめながら、ミカリンはペンをとめる。


「ミカリン様、ガラオリラという御方から封書が届いております」


 ”ガラオリラ様から”と彼女は目を輝かせた。

 何とも懐かしい名前だ。


「御存知のお方なのですか?」


「ええ。ほら、十年ほど前に不死の騎士王を封印したでしょ」


「古代ブラギタ遺跡の件ですね? 確か馥郁たる緑風というパーティーと共闘されたとか」


「その馥郁たる緑風のリーダーよ。不死の騎士王まで案内してもらったの」


「懐かしいお方からの連絡でございますね」


「そうなのよ。あのときは随分と彼らに助けられたわ。もし彼らがいなかったら封印もできなかったわ」


 過去を思い出してミカリンは少しだけ目を伏せる。

 あの戦いは深く記憶に刻まれているからだ。

 当時はまだ団長ではなかったシドニー、そして当時の聖騎士団は今と劣らない精鋭だった。

 しかし不死の騎士王とその配下との戦いで、半数ほどが命を落としている。

 馥郁たる緑風も同じだ。

 彼らとて道案内に徹していれば、仲間が命を落とすこともなかっただろう。

 それでも助けてくれたのだ。

 ミカリンにとっては命の恩人とも言えるのが、ガラオリラ率いる馥郁たる緑風である。


「お戯れを」


 侍女のディナラとしてはかんたんに認めることはできないのだろう。

 そして彼女はあの戦場にはいなかったのだ。

 理解しろというのが無理な話である。

 それでもミカリンは敢えて頬を膨らませる。

 稚気に満ちた行動ではあるが、それが似合っているから質が悪い。


「ディナラ、少し休憩にしましょう。お茶を淹れて」


「畏まりました。ただ半刻ほどすれば祈りのお時間ですよ」


「緊急の用件かもしれないから、先に内容を把握しておきたいわ」


「ではそのように」


 一礼してディナラが給湯室へ行くのを見送ってから、ミカリンはペーパーナイフで封を開ける。

 一枚目は時候の挨拶やら旧交を温めるような内容だった。

 二枚目に差し掛かろうとしたときに、お茶が用意される。

 お茶の香気がミカリンの鼻腔をくすぐった。


「あら? 良い香りね。茶葉を変えたの?」


「はい。先日西方地区の商人が良い茶葉が入ったと聖女様に献上したいとのことで」


「とてもいい香りね」


「商人はそのように告げておきます」


 微笑んでみせてから、ミカリンは二枚目の手紙へと目を移す。

 本題はここからだったのだろう。

 言葉を話すゴブリンを捕獲できた、と。

 そのゴブリンは不死の騎士王と同程度の再生能力も有しているとのことだった。

 ガラオリラの私見ではあるが、何らかの神の祝福を授かっているのではとも書かれている。

 思わず、ミカリンは聖女に似つかわしくないため息をついていた。

 

「どうかされましたか?」


 ディナラの問いには答えなかった。

 再生能力を持つゴブリン……もちろんそんな話は聞いたことがない。

 ガラオリラの予測は当たっているはずだ。

 だがゴブリンにそんな能力があっても……とミカリンに頭に不死の騎士王がよぎる。

 あの魔物も低級のアンデッドから進化したのかもしれないと、ガラオリラが言っていたのだ。

 つまりゴブリンも進化する可能性を秘めている……のだろうか。

 その可能性はかなり低いだろう。

 なにせゴブリンは戦闘能力のない一般人でも武器さえあれば殺せる魔物だ。

 それでも何か引っかかるものがある。

 ガラオリラ自身がわざわざ念入りな封をしてまで手紙を送ってきたのだ。 

 気にならない方がおかしいだろう。


 件のゴブリンは既に闇市場ブラックマーケットで売られている。

 買ったのは魔神教団だそうだ。

 ガラオリラによれば、ヨア大峡谷付近に拠点を持っている地下組織らしい。

 ヨア大峡谷と言えばタヌヌ王国の領地で、教国からは南に離れている。

 仮にゴブリンが進化したとしても、こちらにまで被害は及ばないようにも思う。

 だが確信が持てなかった。


「ミカリン様、そろそろご用意をなされませんと」


 かなり長く思考していたらしい。

 ディナラの声で我に返ったミカリンは顔をあげて首肯してみせる。


「ディナラ、悪いんだけど祈りが終わったら返信を書くわ。できあがりしだいガラオリラ様へと届けて欲しいのだけど」


「畏まりました。そのように用意しておきます」


「頼んだわね」


 そう言って聖女の顔になったミカリンは部屋を出て行く。

 祈りの間にて儀式を行なうために。


リオアハン教国 祈りの間 ミカリン


 リオアハン教国が崇める主神、神界を統べるテミ=トライア像の前で跪く。

 総教主の言葉に続いて皆が祈りを捧げる。

 

【我が巫女……我が巫女】


 聖女に祝福を授けた女神アハテポテリアの声がミカリンの脳内で響く。

 女神様の神託にミカリンは驚いた。

 以前に神託を授かったのは不死の騎士王についてだ。

 ということは不死の騎士王と同等、あるいはそれ以上のことが起こるのだろうか。

 そしてミカリンはガラオリラの手紙にあったゴブリンと結びつけている。

 いくら何でもタイミングが良すぎるという思いはあるが、それでも気になるのだ。


【大いなる災いがくる】


 それはどのようなものでしょうか?


【神の怒り。傲慢なるものへの鉄槌】


 自分の顔が蒼ざめているのだろうか。

 血の気が引いていくのがわかる。

 神の怒り。

 その言葉の重みは教国の生まれであるのなら、誰にでもわかるものだ。

 一夜にして滅んだノセベサ朝ヤダ帝国の例を出すまでもない。

 神の怒りに触れることは禁忌なのである。

 それでもミカリンは聖女としての責任から自分を持ちなおす。

 

 私たちで対処できましょうか?


【神に挑めようか】


 逃げるべきでしょうか?


【夜から逃げる術はない】


 ではどのようにすればよろしいのでしょうか?

 その問いに対する返答はなかった。

 癒しの女神アハテポテリアは何を伝えたかったのか。

 ただ神の怒りによる滅びがくると告げただけだ。

 不死の騎士王のときには抗うべしとの指示があったのに。

 

 ミカリンが抱いたのは無責任な神への怒りではなく絶望だった。

 深い深い絶望だ。

 死ねと宣告されたのに等しい。

 それに抗うべき術もないと言われたのだ。


 くらり、と眩暈がした。


「ミカリン!」


 シドニーの声が聞こえる。

 伝えなくては、アハテポテリア神の言葉を。

 しかし酷く混乱しているのもわかる。

 感情がどうしても押さえられないのだ。

 子どものときにも、こんなに泣いた覚えはない。

 

 私は聖女なのだ。

 だから涙を見せてはいけない。

 信者たちを導く存在なのだから、不安を与えてはダメなのだ。

 そう自分を言い聞かせるミカリンだが、涙が止まらなかった。

 どうしていいのか。

 自らが命を懸けて信じ、祈りを捧げてきた存在に見捨てられたのだ。


 それは自分の足元が急になくなったのと同じだ。

 落とし穴にでも落ちたように、宙ぶらりんになってしまった。

 その不安な感覚がミカリンの感情を揺さぶる。

 聖女として育ってきたミカリンにとって、それは何よりも耐え難いことだった。



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