冬のエトセトラ
古井論理
白いサンタと壊れた世界
暗闇とクリスマス
サンタクロースの話を僕が拾ったのは廃棄された荘厳な建物の中だった。世界が壊れる前は図書館だったその場所には、うっすらと青い光が差していた。そこには草木が生い茂り妙に温かい空気がある。十一月も終わりがけだというのに、まるで木漏れ日のような温度だった。でも、床に落ちていた本を拾って読んでいるうちに気分が悪くなってきた。それで何がなんだかわからないまま図書館から出た。その時に技術書と間違えて持ってきてしまったのが、このサンタクロースの話だった。表紙は鮮やかな青で彩られ、わずかに黄ばんだ白い服の老人がソリに乗っている様が描かれている。表紙のポップな文字は「サンタクロースの物語」と読めた。しかし、ページは張り付いていて開くことはない。無理に開ければ破れてしまう。僕は最後のページしか見られなかった。そのページにはこう書かれている。
「あなたもよい子にしていれば、クリスマスにサンタクロースから贈り物がもらえるかもしれませんね」
サンタクロースというのが何なのか、僕には見当もつかなかった。おそらくは表紙に描かれた白装束の老人なのだろう。しかしクリスマスにプレゼントをくれるのは、赤い腕章をつけた慈善団体の職員だ。サンタクロースというのは慈善団体の代表のような人物なのだろうか。全くわからないまま、十二月がやってきた。
僕が物心ついた頃すでに世界は壊れていて、ここは煤煙に覆われた空と汚れた水と大地、そして巨大な工場を持つ企業「ライマル重工業」が支配する工業都市だった。一応その頃からショーベル帝国が支配する街だったがショーベル帝国の政治が十分に行き届いておらず、餓死者の死体がその辺の空き家を探せば時々転がっているような街だった。僕は労働者だった両親に育てられたが八歳の頃に両親は相次いで倒れ、そして死んでいった。ショーベル帝国が食料配給所を整備して食料が充足するようになったのは、それから数ヶ月後のことだった。ライマル重工業は僕のような子供も雇う。なぜなら絶望的に人が足りない上、技術を教えられる学校も存在しないから。要は体に仕事を覚えさせ、次世代の労働者にしようというわけだ。人々はこの街を「シーベル」と呼ぶ。シーベルというのは「タバコ」が転じた名前らしい。本当の名前は言われなければ忘れてしまうような長い名前だった、と工場の大人たちが言っていた。
「レオン、もうすぐ起きないと遅れるよ」
その声が僕を微睡みから現実に引き戻す。僕はボロボロのソファーから体を起こすと作業服に着替えて鞄を取り、階下の自主集団食堂へと向かう。すでにフィンとアルベルト、そしてエミリアとミアが机を囲んでいた。彼らは僕の家族に近い仲間だ。というのも、僕たちは同じ家で暮らしているのだから。
「誰が起こしてくれたの」
そう尋ねると、エミリアが手を挙げる。
「ありがと、おかげで遅れずに済みそうだよ」
僕はエミリアにお礼を言うと、配給のコンテナからパンと栄養バーを一人分取って彼らと同じテーブルについた。
「そうそう、そういえばライマル重工業が食料生産に手を出すってよ」
アルベルトが真新しい新聞から顔を上げて言った。それを聞いて僕は首を傾げる。ライマル重工業は金属加工が専門の会社であって、食品メーカーではない。
「アルベルト、それほんと?」
「ああ、コンビーフとか缶詰を作るらしいぞ」
アルベルトは少し得意げに言った。
「なにせ、ライマル重工業の金属加工技術は天下一品。缶詰を作れたらかなり儲かるだろうなあ」
アルベルトは早くも給料の増額を考えているようで口角が少し上がっている。フィンはコーヒーをすすってからボソリと呟いた。
「なるほどな」
「どういうこと?」
ミアの質問に、フィンは納得したといった表情で語った。
「この前から東側にある更地で工事やってるだろ」
僕は少し考えてうなずく。
「そうだな」
フィンは更に続ける。
「あの現場で昨日、一部の施設が完成したんだが……その看板に缶詰のマークがあったんだよ。つまりさ……あれって缶詰工場だよな」
「あんたの話を聞いてる限りではそうなるね」
ミアがそう言ってパンをかじる。
「みんな、出勤まであと一時間切ったよ」
エミリアが時計を指して言う。僕は急いでパンを食べながら栄養バーをかじった。
なんとか時間までに工場に着くと、第一製造部の部長による朝会が始まる五分前だった。急いで列に紛れ込むと、ちょうど部長が台上でニコニコしながら原稿を確認しているところが見えた。部長の笑顔は珍しい。ここにカメラがないことを残念に思った。
「予定より三分早いが、朝礼を開始する!」
部長がそう声を張り上げる。部長は爽やかな笑顔で朝礼の挨拶を始めた。
「おはよう、みんな。今日は大切な伝達事項……もといお知らせがある。我が社は本日よりコミエール食品と提携し、ショーベル帝国の食卓を支える新型の缶詰を製造することになった。以前から決まっていて、すでに工場も完成している。看板を見た新聞社はもう記事にしてるから知ってる者も多いと思う。そして、我々の製造ラインの担当も変わる。缶詰の生産に合わせて缶のタブを製造することになった。いつもの部材をブリキで作るだけだから簡単だとは思うが、まあ励んでくれたまえ」
皆が「はい」と言って礼をする。部長が「雑談程度に」と小話を続けた。
「それと、缶詰の種類だが……今のところビスケット、シチュー、魚肉ハムの缶詰だそうだ」
朝礼が終わって工場の研磨作業場に向かう。僕は普段、研磨作業場で職人のダニエルさんに技術を学びつつ作業台に部品を仕分ける仕事をしているのだ。作業場に着くと、三輪の軽運搬車が黒い煙を吐き蒸気機関の音を立てながら今日最初の部品を運んでくるのが見えた。鞄から軍手とゴーグルを取り出し、仕分け台の前で部品の到着を待つ。
「研磨パッドは四万番に変えておいた。いつもの継手同様にバリを取り、幅が狭い方に向けて厚みをテーパーさせるように磨いてくれ。注意して磨くように」
現場監督のエミールさんが職人たちに指示を飛ばし、軽運搬車は箱いっぱいの切削済みブリキを運び込む。僕は仕分け台の上に一箱分の部品を広げると、部品かごに取り分けて職人たちが待つ研磨作業機の作業台に持って行った。
「レオン、今日はお前も研磨作業に回ってくれ。ダニエルが休んでる」
エミールさんがそう言ったのを聞いて、僕はダニエルさんがいつも使っている三番作業機の前でゴーグルをつけ、軍手をはめた。部品かごから厚めのブリキで作られた部品を取り、起動したグラインダーにあてがう。グラインダーは弱々しい火花を発しながらブリキのタブをテーパーさせていった。リングの内側のバリを取れば完成だ。意外と短時間で削れるもので、僕はあっという間にかごを一つ空にした。
「三番、補給を」
「はい!」
そう言って部品かごを持ってきたのはエミリアだった。
「レオン、今日は研磨?」
「うん、ダニエルさんが休んでるから」
僕の答えに、エミリアは不思議そうな顔をした。
「ダニエルさんってライマル防衛団員の?」
僕がうなずくとエミリアはさらに不思議そうな顔をしたが、他の作業台から補給を要請されてそちらに行ってしまった。ダニエルさんは沈着冷静な防衛団員でありながら素晴らしい技術を持つ研磨職人で、僕が目標としている人だ。そして、確かにこれまでダニエルさんが休んだことなんて一度もなかった。珍しいといえば珍しい。でも、エミリアがなぜそんな不思議そうな顔をしたのか僕にはわからなかった。
「ただいま」
家のドアを開けると、そこにはまだ誰もいなかった。家に入り、鍵を閉めようとしたが閉まらない。あとで修理しなければと考えながら電灯をつけて配給コンテナを食卓に置き、階上の自室に向かった。
「……だ」
「……か、そ……つまり……危険じゃ……のか」
風にのってそんな声が聞こえてきて、僕ははっとした。ガチャガチャという重い金属音のあとに、カチャリという軽い音。どこかで聞いた音だが、思い出せそうもなかった。
「……?」
そっと窓から顔を出すと、地上の路地に人影が見えた。その人影は防衛団の装備を身に着けたダニエルさんとその同僚で、何かを探しているようだとわかるのに三秒ほどかかった。
「くそ、見失ったな」
はっきりとダニエルさんの声が聞こえてくる。
「そのようだな……」
警察が機能していないこの街で市民の安全を守るのは、ライマル重工が組織した民兵組織『防衛団』である。大方泥棒でも出たのだろう。そう考えて落ち着こうとした次の瞬間、僕の全身が鳥肌立った。冷たいナイフを首筋に当てられているような感覚がする。今動いても手遅れかもしれないが、今やらなければ確実に手遅れになる。僕はそっと階段を降りた。電灯を消さなければならない。誰もいない部屋に電灯がついていれば確実に狙われる。そっと階段を降り、電灯のスイッチがある廊下に立った。後ろを振り返っても誰もいない。鍵は外からの侵入者を阻むように閉まっている。
……閉まっている!?
僕の脳内で危険信号が鳴り響く。呼吸が喉の奥で弾んで広がり、叫び声が喉奥を突いた。声を飲み込み、僕は深く息を吸う。ここでうろたえてはまずい。そっと電灯を消し、何事もなかったかのように自分の部屋に戻ろうと階段を上る。時々振り返りながら階段をそっと上がって自分の部屋に戻ると、僕は五メートル下の地上にダニエルさんがいるのを確認して息を止め、意を決して飛び降りた。
「うわっ」
飲み込んでいた声が口から漏れ、ダニエルさんが上を向く。ダニエルさんのとなりにいた男が慌てて僕を受け止め、僕はなんとか無傷で地上に降りた。
「うちに泥棒がいます! まだ中にいるみたいです!」
そう叫ぶと、ダニエルさんは同僚と目線を合わせて頷いた。
「じゃあ確保しに行こう。リード、お前もついてこい。レオンは防衛団の詰所まで走れ、今すぐだ」
そう言われて僕は黙って首を縦に振る。防衛団の詰所はこの先のブロックだ。なんとかたどり着けそうだと自分に言い聞かせて、僕は閑静な街を駆け抜けた。
「おっと止まってもらおうか」
その声を無視して走り続けようとすると、僕の背中を何者かが掴んだ。頭に硬く冷たい何かが突きつけられる。
「動くな」
そう言った男は僕を地面に押しつけると、頭から硬いものを離して僕の目の前に見せた。拳銃だ。
「聞けェ!」
彼はそう言って銃を持った手を高く上げ、引き金を引いた。銃声が響き渡る。彼は僕の身体をさらに強く地面に押しつけ、手を上げたままふたたび引き金を引く。
「この子供を離してほしけりゃその建物から今すぐ出てこい。十数えるからそれまでに出てくるんだ」
しかし彼はそう言った次の瞬間、続けざまに響いた二発の銃声と同時に倒れた。
「レオン、拳銃を拾って詰所へ!」
ダニエルさんの声を聞いて、僕は男の手を振りほどき立ち上がる。路地の向こうに吹き飛ばされた拳銃が見えた。僕はそれを拾い、ふたたび走り出した。落ちていた拳銃には、普段護身訓練で使っている拳銃とは違うメーカーの刻印がある。そのグリップを握りながら走って角を曲がると、後ろから足音が聞こえた。振り向きざまに見ると、先ほど僕を取り押さえた男と同じ、紋章の入った軍服のようなものを着ている男だった。彼はアサルトライフルを取り出し、こちらに向ける。僕は訓練でやったのと同じように拳銃を構えて男を狙い、人のいない通りでその引き金を引いた。銃声が響き、男は肩を押さえてうずくまる。弾は男の肩を穿ったようだった。さらに二発、拳銃を男に撃ち込む。男は血を流して前にドサリと倒れた。
「すみません」
防衛団の詰所に着き事情を説明すると、ダニエルさんたちの応援に四人が駆け出し、残りの団員たちは僕が撃った男を調べ始めた。男はすでに虫の息であったが、団員達は蒼い顔をしてその軍服を見た。
「どうしたんですか?」
僕が尋ねると、団員は口を揃えて言った。
「こいつもコミエール懲罰連隊の軍服だ……!」
コミエール食品の持つ部隊であるコミエール懲罰連隊がなぜこんなことをしているのか。考えられる理由はいくつかあるが、完全武装だったことから見ても何かの工作に来ていたのかもしれないと考えるのが妥当だろう。
「大した泥棒だったよ」
ダニエルさんがそう言いながら手錠をかけられた男を二人連行してきた。
「コミエールの奴ら、どうも本当に侵攻を企んでいるようですな」
リードさんがそう言ってダニエルさんを見る。
「こいつを証人にしてショーベル正規軍を展開してもらおうぜ。たぶんあいつら攻め込むつもりだろ」
ダニエルさんはそう言いながら男たちを詰所の独房へ放り込む。ちょうど帰ってきた僕の『家族』に事情を説明しながら、僕は家路の最後の数百メートルを歩いた。
「コミエール食品、昨夜のうちに工場を国に徴収されたらしいぜ。それも全部」
十二月二十五日の朝、アルベルトが新聞を読みながら言った。
「何があったの?」
ミアが驚いた表情で聞くのを、エミリアが納得したという表情で眺めている。
「ああ、この前から正規軍がうちの町に展開してただろ?あの正規軍とライマル重工の防衛団を相手にドンパチしようとしてたのがバレたらしい」
「そう、やっぱり」
エミリアが頷いて僕に目配せをする。僕は黙って頷き、ふとサンタクロースの話を思い浮かべた。
「今サンタクロースがいるとするならば、それは人智を越えた存在なんだろうね」
僕はその言葉を飲み込んで、考えを巡らせた。僕たちはつかの間の平和をプレゼントされた『よい子』なのか、そうでないのか。しかしそれは誰もあずかり知らぬことである。昨夜シーベルに降った初雪が、通りを白に染めていた。
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