キャンディと魔女

柳なつき

魔女の衣装

 ――それはまだ、シュウタと呼ばれるうちの仔犬がほんとうは人間の男の子だったなんて、知らなかった時代のこと。



 ハロウィンがやってきた。

 今晩は、町の児童会のハロウィンイベント。


 小学生の私は、お姉ちゃんと一緒に、近所の家をまわって“Trick or Treat!”って言いまくることになっている。

 そうすると、近所ばっちりのご近所のみなさんは、こころよくお菓子をくれる。

 ……パーティーみたいな恰好をして、玄関先でひとこと言えばお菓子がもらえるんだから、子どもっていうのも結構ちょろい仕事だな、って思わなくもない。


 家のリビング。

 レースのカーテンのあいだから覗く空は、もう藍色にしずみ始めている。

 普段は帰ってくる時間に出かけるというのは、不思議な気持ちだった。


 お父さんとお母さんはなごやかに話しながら、必要な荷物をまとめている。ハロウィンイベントには、児童会の活動に熱心なお父さんとお母さんも付き添いで来るのだ。

 可愛い魔女の衣装を着たお姉ちゃんは、さっきから洗面台へ行ったりくしで髪をとかしたり、忙しそう。


 いいなあ、お姉ちゃんは、……そういう可愛らしい格好が似合って。


 飼い犬のシュウタは、ケージの前で伏せていた。

 シュウタのことがなんだか気になって、準備の終わっている私はケージの前にしゃがみ込む。


「シュウタはお留守番だね」


 私はしゃがみ込んで、シュウタの頭を撫でた。

 ケージの前に伏せるシュウタは、せつなそうに私の顔を見上げる。


 ……シュウタは賢い仔なんだから、ケージに入れなくてもいい子でお留守番できると思うんだけどな。

 クラスメイトの家では、犬をお留守番させるときにはケージではなくお部屋でそのままさせているみたいだ。


 ケージは、だんだん大きくなってきたシュウタにはちょっと狭くてかわいそう。

 ケージに入れなくても、シュウタはいい子でお留守番できるんじゃないかな。そっちのほうが、ソファにのぼったりカーペットの上に伏せたりしてシュウタも楽しく過ごせると思う。

 何度かお父さんとお母さんにもそう訴えたんだけれど……。


『ケージに入れるのはシュウタを守るためでもあるんだよ』


 そう言われて、私はそれ以上なにも言えなかった。


 お父さんとお母さんは、いつも正しいから。


れい。そろそろ行くよ。シュウタをケージにしまいなさい」

「……はーい。シュウタ、ハウス」


 ちょっと、かわいそうではあったけど。

 私はシュウタに命令を出す。ハウス。ケージに入って、という意味の、犬に出す命令だ。

 家族が家にだれもいないときには、シュウタはケージに入っていい子でお留守番という約束。

 シュウタは、名残惜しそうな顔をしていたけど……あとずさりするような動きで、おとなしくケージに入っていった。


 私はケージの扉を閉めて、外から鍵を閉める。


 ……格子の向こう。ケージのなかで。

 大きくなってきた身体を狭そうに縮めて、おすわりみたいにうつむいているシュウタは、目に見えてしょんぼりしていた。……なにかを訴えるように、こちらを見てくる。


 シュウタは、お留守番がきらいだ。

 うちに来たばかりのころは、ケージに入りたがらなくて大変だった。

 しつけをして、いまではいい子でケージに入るようになったけれど……やっぱり、ケージでのお留守番、いやなんだな。


 ……さみしいのかもしれない。


 たまに、びっくりするくらい。

 シュウタって。

 ほんとうに――人間みたいな顔をする。


 ……なにか、してあげられないかな。

 そう思って。

 ぴん、とひらめいたことがあった。


「シュウタに、いっぱい、お菓子もらってきてあげる!」


 ふしぎそうに、問いかけるようにシュウタは私を見上げた。


「今日はね、ハロウィンなの。『Trick or Treat!』って言えば子どもならだれでもお菓子が無条件でもらえちゃう……楽しいイベントなんだよ」


 私は、くすっと笑って言う。

 シュウタの表情がちょっと和らぐ。

 本当に、人間のことばがわかっているみたい。


「私、いっぱいお菓子をもらってくるから。そうしたら、いっしょに食べよう?」


 シュウタは、人間の食べものもけっこう食べられる。たとえば、犬ってふつうチョコとか食べてはいけないみたいだけれど、シュウタは食べられる、そういう犬種らしい。

 とはいえ、犬と人間はちがうから。人間の食べものをあげたら甘やかしすぎだからって。だから、なんでもかんでもシュウタにはあげてはいけないよって言われている――でも、たまに、私はこっそりシュウタにお菓子をあげているのだ。

 ……実は、お母さんに見つかったこともあるのだけれど。たまに、ほんとうにたまーにならいいよ、ってひそかにお墨付きをもらっていたりもする。


「怜ー、行くよ!」


 お姉ちゃんが、玄関のほうから私を呼んでいる。

 シュウタに話しかけているうちに、いつのまにかみんな、玄関のほうに行ってしまったみたいだ。


 はーい、と返事をすると、格子越しにシュウタの鼻を愛でるように撫でた。

 シュウタは、ちょっとびっくりしたように、でも気持ちよさそうに目を細めた。


 私は、ウエストポーチと仮装用のカボチャの頭を抱えて、ばたばたと玄関に向かう。


 お姉ちゃんは、冷ややかな目を向けてきた。


「あんた……ほんとに、カボチャかぶってくの?」

「うん」

「正気? 顔も隠れるし、カボチャなんてさ、つまんないじゃん」

「いいの」

「まあ、いいかもね。地味な怜にはちょうどいいのかも」

「……うん」


 ……反論できない。

 お姉ちゃんの、言う通りだから。

 私には、……お姉ちゃんみたいな可愛い魔女の格好なんて、似合わないから。

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