昔馴染み

@HAKUJYA

昔馴染み

ひょっとこの女将と、てつないのお弓が


口をそろえて、ほめそやす。


浮浪のだんなは、その話を黙ってきいているのか、


酒のつまみにしているのか。


「それがさ、ほんとに、目の前さ。ねえ、お弓ちゃん」


「うんうん」と、頷くお弓の頬が上気しているのもわけがある。


「そりゃあ、見事な采配だけど、それだけじゃないんだよ。


これが、いい男っぷりでねえ」


お弓の上気のわけはそれらしい。


「胸がすくっていうのは、こういうことをいうんだねえ」


女将とお弓が連れ立って歩いていた。


その真正面向こう、商家のだんなだろう。


だんなの後ろからすり抜けざまに男がだんなの懐に手を入れた。


「あ、あれは、すりだって 判ったんだけど


あっというまに、あたしらの横をはしりぬけていったんだよ


だんなは、まだ気がついちゃいない。


そのまま、歩いてくるから、じきにあたしらの横を通る。


教えてあげなきゃ・・」


と、考えている後ろで


「て、ちきしょう、どこに目をつけてんだ」


と、声が上がる。


なんだろうと振り返ってみれば


さっきのすりがひっころんでいたんだ。


ひっころんだ拍子にすり取った財布を地べたに落としていた。


「それで、判ったんだよ。そのすりに文句を言われていた男がわざと、足をかけたか、ぶつかったかして、すりをひっくり返しちまったんだとね」


慌てたすりは、財布を拾いなおそうとした。


だが、その手より早く、すりをころばせた男が財布ごとすりの手を掴んだ。


じきにだんながそこを通りかかる。


だんなの目に財布がうつっちゃあ、すりだとさけばれてしまう。


「すりも困っただろうよ」


女将のあとに、お弓がやけに嬉し気に続ける。


「そうなんだよ。そうしたらね。


すりを捕まえてた男が


ーお、こりゃあ、拾ってやったんだなあー


って、いうわけよ」


「そうそう。だんながもうそこまできてる。


捕まえられた手もふりほどけないんだから


よほど、しっかりつかまえられてるんだろう。


適わないって、観念したんだろう」


だんなが通り過ぎるまで体をねじって


財布がみえないようにしてやってたんだ。


すりも観念したもんだから、男の目論見が判った。


「だんな。財布を落としやしたぜ」


と、すりが・・・


すりが・・・と


ふたりで笑い出す。


「自分で、すっておいて、まさか、自分で返すことになるなんて思いもしなかったろう」


だんなのほうは慌てて懐をはたき、間違いなく自分の財布だと判ると


「助かったよ」と、財布の中から1分銀を抜き出してすりに渡した。


お礼に1分銀を渡す位だから、財布の中身はずいぶん大事なものが入っていたんだろう。


だんなが立ち去っていくと


すりの奴・・


自分をとらまえた男に1分銀を渡すしかなくなる。


「そしたら その男がさ


ーお前が貰った礼だーと、受け取ろうとしないんだよ


番所につきだされてもしかたないことを


うまいこと、無かったことにしてさ、


おまけに礼はおまえのもんだーなんて


もう、恰好がよいったらありゃしないのに


その男がさ、これが、また男前で・・」


ほめそやして、うっとりとため息をつく。




そこに暖簾をくぐって


すりとその男がやってきた。




いやいや、うけとれねえ。


と、1分銀の押し問答にでもなったのだろう。


じゃあ、これで一杯のんで・・つかってしまうおう、ということになったと思えた。




すりを魅了したとみえて


すりもやけに低姿勢で


男をひょっとこにあないしてきたようだ。




そのすりが


あっと声を上げる。


「ああ・・浮浪のだんな・・」


応じるかわりにぐい飲みをもちあげると


くだんの男の方から声をかけてきた。


「浮浪の?お噂はかねがね・・・」


はて、なんの噂やらと尋ねもせず


浮浪のだんなは、席をひとつ詰めた。


男と浮浪のだんなが並んでこしをかけ


すりは肩をすくめてつぶやいた。


「どうりで・・・」


なにが、どうりで、なのか・・・


女将は徳利をつけると


采をこしらえながら


すりのつぶやきの意味を考えていた。



女将がいくら考えても


すりの「どうりで」の内訳など判るわけがない。


すりは、すりで、


浮浪のだんなに酒を注ぎにいく。


「その節は・・」


と、詫びを入れるすりに


浮浪のだんなは、


「なんだっけ?」と、覚えていない様子を見せる。


「あ・・まあ・・・あの」


他に人が居るせいで、仔細を語りたくないようだった。


が、思い切って告げる。


「あんときと、同じようなていたらくで、こっちのだんなと・・」


と、わずかばかりににおわせたところで、


浮浪のだんなも判った。ついでに女将もさっしがついた。


「三治さんだったっけな」


ようやっと名前を思い出してくれた様だった。




江戸にながれてきて、まもなしだった。


三治は、こともあろうに、


浮浪のだんなの懐をねらった。


ところが、ずいと傍によろうと思うと


浮浪のだんなは突然しゃがみ込む。


しかたがないと傍らをとおりぬけ


川の淵にたって、魚のはねるのをみているふりをして


浮浪のだんなを先に行かせると後をついていく。


さあ、いよいよ、すりぬけざまに懐に手をのばそうと思うと


浮浪のだんなは、くるりと向きをかえた。


三治と真正面から顔を突き合わせてしまうと


浮浪のだんなは


「まっとうに生きなきゃだめですよ」


と、笑う。


この男からすりとるのは、無理だと判った。


しばらくして、知り合った同業の男に


その顛末を話すと


「良かったな、おまえ」


と、言われた。


仮に盗むことが出来たとしたら


今度は、組内の親分やら若い衆やら


それだけでなく


何処のなにものか判らない者たちに


「おまえは、あしこしたたねえほど、傷めつけられてただろう」


と、言う。


「え?あの男、いったい なにものなんだ」


そこいらじゅうの者が、


あの男に難儀をかけないようにしているととれる。


そして、財布ひとつ盗んだと大勢が


俺をなぐりにくるほど、


あの男の機嫌をそこねさせたくない?


「俺にもわからねえ。別段、やっとうに秀でている様でも無し


賭場に顔がきくようでもなし、


女をみりゃ、鼻の下をのばしてるし・・


なんていっていいか


妙ににくめないというか


そばにいると、気分がいい


そんなふうで、好かれている・・としかいえない」


よくわからない奴が言うことだからなおさら、三治にも判らない。


「だからな、おまえが、袋叩きにされないように


財布をすらせなかったんだよ。


そういう人なんだよ」


だから、大勢の人から好かれる。


そういうことかと三治は思ったが


相変わらず、まっとうに生きるなんてことは出来なかった。


そして、今日、おなじような繰り返しがあった男と


ひょっとこにきてみりゃ


浮浪のだんながいて


男は浮浪のだんなのことをしっていて


あったばかりだというのに


意気投合している。


『なるほどな』


と、思うと


「どうりで」と独り言が口をついた。




同じような配慮をする男同士


多く口をきかなくても


通じるところがあるのだろう。




なんといったか、


えんじゃく・・えんじゃ?


燕や雀みたいなちいせえ鳥には、


大きな鳥の深い思いはわからねえ


とかいうことわざかなんかだ。


目の前の二羽の鳥はでかすぎるくらいでかいってことだろう。


でかい鳥は


それでも、雀みてえな俺にさえ情けをかける。


でけえ鳥同仕か・・・


道理であったとたん 昔馴染みみてえに


しっくり・・か・・・




三治は半分うらやましく


半分 ほほえましく思いながら


二人の男のやりとりを


眺めていた。



朝から かめのおしゃべりを聞かされ


やっと話が止まったころに


浮浪のだんなは、外に飛び出した。


ひょっとこは、朝飯にありつこうと人足たちが


集まっているだろう。


しかたがない、 どこへゆくでもなく


ぶらぶらと歩いていると


大川の河原端に黒山の人だかりがある。


あれが、かめの言っていた人相書きだなと


近くに寄って、眺めることにした。


かめは、人に押され 背も高くないため


まともに定まり書きは読めず


ちらりと人相だけをみたといっていた。


ー悪い事するような顔じゃなかったんだけどねー


と、言いながら


ー人は見かけによらないともいうしー


ちっとも美人じゃない自分にだって


見かけとはちがう美しいところがあるんだと、


半ば自分に言い聞かせていたのかもしれない。


集まった者たちは、近寄ってきた男が


浮浪のだんなだとわかると


人相書きの前まで一本、道を開けた。


人相書きとお定め書きをながめ


「ふ~~~ん」


つぶやいた途端、周りから声が上がった。


「だんな、浮浪のだんな こりゃあ いってえ なんてかいてあるんだ?


おいらたちに読んでやってくれねえか」


読めもしないのに、いつまでも集まっていたのは


誰か読める者が来るかもしれないと待っていたということだった。


むつかしいお触れを読み上げたって


じれるだけだろうと要点をつづめた。


「島をぬけたんだ。仲間をひとり、ぶち殺している」


囚人が、さらに罪を重ねて あげく、 この地に戻って来るかもしれない。


と、言うことだと判ると


「ああ、おっかねえ」と、首をすくめて足早に立ち去っていく。


どんな咎で、島送りになったか判らないが


もめごとのあげく


島から抜け出すしかなかったのだろう。


そんな奴がここに戻ってきたらと考えるだけでも


身がすくみ。


ーこいつに出会ったら、目を合わせず 遠くに離れ


番所に届けるんだー


人相書きの顔をしっかり目に焼き付けると


人の波は消えた。



朝から黒山の人だかりがある。


これを見過ごす手はないと


三治が懐の厚そうな奴を物色していたところに


ー浮浪のだんなだー


昨日の今日でもある


だんなの目の届くところで


すりは、できねえと


浮浪のだんなが 人相書きをながめおえて


立ち去るのを待つことにした。


ところが、


浮浪のだんなが


「島をぬけたんだ。仲間をひとり、ぶち殺している」


と、言った途端 人波が消えた。


波どころじゃない 雑魚1匹見つからなくなってしまった。


ーよくよくのご縁ってやつだー


三治がすりに失敗するたびに


浮浪のだんなが現れる。


ーもう、今日はあきらめろってことだなー


と、切り替えが早い。


早いのも、わけがある。


昨日の1分銀


ひょっとこで一度に使える額じゃない。


お釣りもない。


と、いわれ、そのまま残りは預けることにした。


その銭で、朝飯をくうも


朝から一杯ってのも悪くないかもしれない。


「だんな。浮浪のだんな」


大声で呼ばわりながら浮浪のだんなにちかよると


「めしか、酒か」と、


ひょっとこに行こうと誘った。


人足ももう、朝めしをくいおえて


ひょっとこも手がすいただろう。


早く行くかないと、


昼めしの仕込みのために暖簾を降ろすかもしれない。


「ひとっぱしり、先に行ってくる」


と、三治がひょっとこに駆け出して行った。




ゆっくりと歩く浮浪のだんなが


ひょっとこに着いたときには、


どうした加減か


お弓がめそめそと泣きべそをかいていた。


浮浪のだんなが三治をじっと見た。


三治は慌てて


ー俺じゃない俺じゃないーと、手を振っていた。


何か知っているのかと三治をみたが


知らないというそぶりである。


仕方が無い。聞いてみるかと


浮浪のだんなは重い口を開けた。


「お弓、いったい なにごとだい?」



お弓が答えるより先に


女将がまくしたて始めた。


「いえね・・・この子の岡惚れでしかないんだけど・・」


どうやら、お弓は昨日の男に


ぞっこんになってしまったらしい。


「いい男っぷりで、心も広い みなりもこざっぱりしていて


なにより粋を絵に描いたようで


そりゃあ、あたしだって、なにも思わないっていったら


嘘になる」


が、女将をはるだけのことはある


人を見る目の幅が違う。


「そんな男だからねえ、いい女がいるに決まってるし


むしろ、あの落ち着きぶりは妻帯して、子供がいるせいだろうと思ってたんだ」


ところが、お弓はおぼこい。


すっかり熱をあげてしまった。


お弓が、女将に打ち明ければ、無理だろうよと


たしなめてやれたのだろう。


「あたしも気が付いてやれなかったのが悪いんだけどね。


幸いと不幸がいっぺんにやってきてしまったんだよね」


幸いはお弓の有頂天をいうのだろう。


不幸は「無理だ」と知らされたという事だろうか?


はたして


「だんなも知ってるだろう。大川に人相書きがたってるんだよ。


朝の早くから役人が口上のべたてていたけど


仕込みがあるから、みにいけなくてね」


人相書きとお弓の不幸に何のつながりがあるのか判らないが


女将の話をきくしかない。


「五升釜が出来上がって、やっと、ちょっとだけ


見に行ったんだ」


とっくにお役人はいなくなっている。


周りは人だかり・・・


その人だかりの後ろに


くだんの男が2つばかりの子供を抱いて


これまた、息をのむような美人と連れ立っている。


立ち止まった二人に子供は歩こうと駄々をこねた。


男は女を呼んだ。


「お島、草履を履かせてやれ」


それを聞いたお弓が、うなだれ


店に帰ろうと女将を引っ張ったのだが


店に帰ってきたら、ずっと、泣きっぱなしで


「名前すら知らない人なのに


女房子供がいるって考え付かなかったあたしが馬鹿だった」


せめて、男の名前をつぶやいて諦めを自分につきつけようにも


男の名前さえ知らない。


名前すらわからないうちに、恋をして 恋がやぶれて


ばかみたいだとお弓が泣く。


独り相撲にもなりゃしない。


「慰めようがないといったらお弓にわるいんだけど・・・」


確かに独り相撲もとれず


横恋慕にさえもなれず


お弓の恋は消え失せるしかなかった。


「織田だ」


浮浪のだんなは男の名前を告げた。


「おりた・・・」


いまさら名前を知ったとて


どうにもならなくなったことは変わらない。


おまけに、とても勝てそうにない綺麗な奥方


かわいらしい子供に、満ち足りた幸せ


崩せるわけもないが


崩しちゃいけない幸せがそこにある。


せめて、それを喜ぶしかない。


ぐすりと鼻をすするとお弓は


「諦めた」と、自分に言い聞かせた。




「なんだったら、俺っちが嫁にもらってやろうか」


お弓を笑わせてやろうとしたのだろう三治が


すかさず言えば


三治の目論見通り


お弓が噴出した。


「織田さんの代わりになると思ってるのがしょってる」


笑えば、それで胸が開けていく。


やっと、浮浪のだんなは酒をたのめた。


「朝から、酒ですか」


あきれてしまう女将になるが


かめさんが、ちゃんと朝を食べさせてるに決まっている。


だったら、酒になるかと頷いたけど


浮浪のだんなのつぶやきに


呆れるを通り越してしまった。


「お島さんか・・」


人の女房だろうがなんだろうが


別嬪に目がない。


「お弓ちゃんの爪の垢でものんだらどうです」


思い切り皮肉をあびせて


お酒をあたためることにした。



浮浪のだんなは、酒で良いが、


三治はどうだろう。


「三治さんは、飯だろ?」


あたりを付ければ案の定


「そうしてくれ」と答えるが


なんだか、うかぬ顔つきになっている。


無理もない。


確かに織田は良い男っぷりすぎる。


が、一言のもとに


ー織田とひきくらべるなんて、しょってるー


と、いなされると


気分があがってこないだろう。


三治だって、別段不細工という面構えではない。


だが、三治がすりだと知っているお弓にすれば


織田と三治は、天と地ほど違って見えるかもしれない。


だけど、織田だって、なにを生業にしているやら?


「だんな・・織田っていうのは?」


名字を許される身分ということになる。


女将が尋ねるに


「元はさむれえだな。それに、なにかな、薬草のような匂いがしていたから


医者か・・・蘭方でも学んだのが仇になったか」


医者にもなれず、侍にもなれず・・いったい何をたっきにしているのやら。


だけど、それなりに裕福であるようにみえたから


心配するのは、余計な詮索でしかないだろう。


それよりも、目の前の三治のつまらなそうな顔をどうにかしてやらなきゃいけない。


「だけどさ、お弓ちゃん。見た目だけじゃわかんないもんだよ。


さっきの人相書きの男だって、優しそうな気弱そうな顔をしてたじゃないか


なのに、人相書きで探し回られるようなことをやったってことだろ


三治さんも、織田さんも、見た目だけじゃ判らないさ」


と、お弓の岡惚れでしかないことと


三治の気をひきたててみようとしたのが、裏目に出た。


「織田さんのことはともかく、三治さんはーすりーじゃないですか」


あっと、声をあげそうになった三治だった。


なんで?それをしっている?


浮浪のだんながしゃべった?


と、疑いの目がだんなにむけられて


初めて女将は気が付いた。


「三治さん、あんた、織田さんにすっころばされたとき


あたしらが居たのにきがついていなかったんだ?」


頭の後ろをのぞきこむように考えていた三治が思い出した。


「あんときの一部始終をみてたってことか・・」


なら、しかたがないと三治は開き直ったついでに


釈明を試みた。


「だけどよう。おいらだって、汗水たらしてやっと稼いだ銭をくすねるなんて


あこぎなことはしねえよ。


とっぷり、金が有って極楽とんぼみてえに余裕しゃくしゃくでくらしてる奴の


懐しか狙わねえ」


が、それも、盗人にも三分の理でしかない。


盗人自らが言い訳する言葉では無かった。


出来上がった膳を三治の前に置くと


「まっとうな生き方をすることだよ」


と、女将にまで叱られると、


三治は朝飯をさっさとたいらげて


外に出て行ってしまった。


出て行きしなに


浮浪のだんなの分も、昨日の残りからとっといてくれよ


と、女将に指図すると


浮浪のだんなに


「用事ができたんで・・」


と、言い訳をしていった。


ーまあ、根っからの悪者じゃないってことかー


女将は三治の背中に声をかけた。


「まだ、当分食べれるから、食べに来るんだよ」


三治の返事は聞こえなかったが


「だいたい、まともに朝飯も食わないから


悪い料簡を起こすんだよ」


と、浮浪のだんなに同意を求めていた。




ひょっとこからでてくると


三治は大川の人相書きを見に行くことにした。


悪い事などしそうもない顔というのがどういうものかと思ったのもある。


ちらりと頭をかすめたこともあるが、


ありえないと、思った。


人相書きの前で


浮浪のだんなが


「島をぬけたんだ。仲間をひとり、ぶち殺している」といった。


だから、ありえないと思った。


だが、三治のまなこに映った人相書きのその顔は与吉に思えた。


ーこりゃあ、与吉じゃないかー


与吉のわけがねえ。こりゃあ、何かある。


前みたいにはめられたのかもしれない。


「絶対裏がある」


つぶやいてると気が付かずにいた三治の後ろで


「たしかにあちきは極楽とんぼですよ」


と、浮浪のだんなの声がした。


「あ?」


ひょっとこでつい、すりの言い訳をしたのはいいが


極楽とんぼの懐から、するんだといってしまったのは


浮浪のだんなへのあてつけになってしまったのだ。


謝ろうとする三治に浮浪のだんなは「しっ」と、指を口に当てた。


「とんぼは、眼がいいんですよ」


と、笑う。


浮浪のだんなは、


女将の言葉と


女房のおかめの言葉をより合わせて考えていた。


ー悪い事するような顔じゃなかったんだけどねー


そして、人相書きを見に行けば おかめの言う通りだと思った。


あげくが女将。


ーさっきの人相書きの男だって、優しそうな気弱そうな顔をしてたじゃないかー


その通りだ。


確かに、見た目じゃ判らない事はある。


だが、性分というものは顔に現れてしまう。


人相書きを掲げてまで探し回らなきゃいけない男を


わざわざ、優しいつらでかきたいだろうか?


だけど、凶悪な顔に描いてしまったら本人と似ていない。


それじゃあ、探しきれない。本人を前にしてさえわかりゃしない。


誰も訴え出て来ることができない。


ゆえに、そのまま、書くしかなかったということだろう。


女の勘を信じるわけではないが


妙な違和感があるのは事実だろう。


「だんな・・・」


三治は迷う。このだんなに話して良いものか・・どうか。


「知り合いなんだろ?」


ーすりーだと言われるより、迷う。


人相書きの男と知り合いなのかと悪く取られそうに思えた。


だが、その事実をあっさり見抜かれていた。


自分がつぶやいていた事に気が付かぬまま


蜻蛉の浮浪のだんなは、確かに目が良いんだと思った。


「そうです。与吉といって、この前の青柳屋の事件で


島送りになっちまった」


「ああ。むささびの吉兵衛の仕業だったな。


吉兵衛もろとも郎党みな、張り付け獄門になった」


「その通りです。だけど与吉は吉兵衛に脅かされて


青柳屋の見張りをしただけだって・・それで」


「情状酌量の上 遠島に処す。確か、病気のおふくろさんがいて


遠島のあと、小石川の療養所に移された」


大岡裁きだと人の口に上った覚えが有る。


「そうです。与吉は病気のおふくろのため


危ない橋を渡ったんだ。それをお奉行がようく考えて下さって・・」


「なるほどね」


何が成るほどなのかは、判らない。


が、三治はもっとちゃんと伝えたかった。


「与吉が島ぬけをしたり、余罪をふやして帰ってこれなくなるようなことをするわけがないんだ


おふくろさんの事があるから、それこそ恩赦をうけられるくれえに


まじめにつとめて、大手を振って帰ってこようとしていたはずなんだ」


だから、おかしい。なにかあると思う。




腕を組んだまま、浮浪のだんなは長い事黙っていた。


その腕を解いたとき


「ま、あちきがさぐってきやしょう」


と、だけ 三治に伝えた。



あれから三日。


三治はひょっとこと大川をなんど往復しただろう。


浮浪のだんなは、なにか掴んできてくれるはずだ


と、思うが


そんなに簡単ではないのだろうとも思う。


大川の人相書きを眺めていたら


浮浪のだんながひょいとあらわれはしないか?


ひょっとこで、飯をくらってたら


浮浪のだんながひょいとあらわれはしないか?


と・・・


ひょっとこから


またも、大川ばたに足をのばした三治の目に


織田の姿が見えた。


あれから、逢っちゃいなかったが


お弓ちゃんが泣きべそをかいたのも


織田が夫婦で、ここにきていたせいだ。


お弓ちゃんにとっては


間が悪いというより、良かったというべきだろう。


でも、今日は織田は一人だった。


ゆっくり三治が近づいていく間も


織田は人相書きをやけに熱心に見ていた。


「だんな、織田のだんな」


三治に気が付くと織田は手を振った。


「だんな、なにか、気になる事でも?」


自分が気になっているから


他人の様子までそう見えてしまう。


それだけのことだと思っていた。


「う~~~ん。妙なんだよ」


妙?なにが、妙なんだろうと尋ねるまでもなく


織田が話し出した。


「この・・人相書きの男な・・名前が無いんだ」


「え?は?」


そういえば浮浪のだんなの時も、こっちが与吉の名前をだしていた。


それに


「おいらは、字がよめねえんですよ」


おまけに、人相書きに、名前が書かれるものかどうかも知らない。


「つねはな、名前と居所、悪党になれば あざなも書く」


「で、与吉の名前がない・・ってことですかい?なんで?」


つい与吉の名前を口に出したのを、織田は聞きとがめた。


「与吉?」


ああ、と、頷くと三治はこの前に浮浪のだんなに言った同じ話を伝えた。


「なるほどなあ」


織田のだんなもーなるほどーかよ?


浮浪のだんなには聞きそびれたが


同じへまはできない。


「なるほど、ってのは、どういうこってす?」


「う~~ん。名前を書かないってのは、お前の話からするとありえない。


情状酌量の男が、仲間を殺めてしまったというのも解せない。


だが、仮にその通りだとしたら、役人は何をやっていたってことになる。


そんな危ない男に情状酌量を与えたのか?ってな」


「だから、名前を書かなかった?


だけど、与吉は絶対、そんなことはしない。


だから、浮浪のだんなが調べてやるって・・・」


織田はしばらく口をつむったままだった。


「浮浪のだんなか・・・」


独り言がもれてきたあと三治にはっきりと告げた。


「浮浪のだんなの報せは、おそらく、おまえには、つらい話になる」


織田のだんなが、見透かしたことが何かわからないが


三治がくるしまないように と、先に教えておくと言っていると判った。


「浮浪のだんなが、話つらくならねえようにもな」


気をしっかりもっていろ、というのだと思うと


三治の胸の中で、


織田のだんなが見越したことが


ーもしかするとーと、思えた。



あれから数えて五日になる。


もしかして、今日は浮浪のだんなに逢えるかと思う。


が、逢えるということは


織田のだんなのいう「つらい思い」をすることかもしれない。


ひょっとこの暖簾をくぐるのが


なんだか、気が重い。


だいたい、人生なんてのは皮肉なもんだ。


待ち焦がれてる時には相手はやってこない。


逢いたくないと思うときに、相手がやってくる。


だから、なおさら気が重い。


三治の予感は、当たっていた。


暖簾を分けた手の向こうに


浮浪のだんなが見えた。


「だんな・・・」


浮浪のだんなは徳利をもちあげて、振って見せる。


三治はそれで判った。


素面じゃ聞くに聞けず、話すに話せない。


そういうことだろう。


浮浪のだんなは、女将に奥の小上がりの席に移ると合図して


三治を振り返った。


その顔が、なんだか、ひどく 優しく見えた。


小上がりに座り込むとまもなしに


女将が徳利とちょくと采をもってきた。


女将がむこうにいくと


浮浪のだんなが三治に酒をつぐ。


ちょくに酒をうける、その時に


「だめだった」


と、だんなの口が開いた。


「だ・・だめって?」


与吉にとって良くない結果だということなのか


それとも、何もわからなかったという意味か


「手っ取り早いとおもってな、吟味役をつれて


島までいってきた」


「え?」


どういう伝手があって、お奉行をつれだすことができるのか?


島まで行くのも、どうやって、舟をださせたのか?


判らない事ばかりだったが、


島の役人をねめつけるためにも


お奉行をつれていったと思った。


「半年まえに、兆治と与吉が居なくなってしまったそうだ。


狭い島内をどうさがしても、見つからない。


それが、三月まえに、岩場の奧の洞窟に兆治の死体が上がってきた」


「それは・・与吉がやったと?」


浮浪のだんなは首を振った。


「兆治の亡骸はぼろぼろに腐っていて・・兆治かどうか、判らなかった」


と、いうことは?


「死体は与吉かもしれない・・・?」


「兆治の名前のはいった枷が足に着いていたそうだ」


罪人の枷は、簡単に外すことは出来ない。


「だから、その死体は兆治だということになってしまった」


「それで、与吉は?」


「死体があがってこないから、と、それで終にはできない。


島ぬけをしたんじゃないか・・って見立てで


やっと、この前に立札をたてた」


浮浪のだんなが酒をのみほすと


三治のまえにちょくを突き出した。


酒を注ぐ三治の手が震えていた。


「だけど、はなから、おかしいだろう」


浮浪のだんなは、役人がなにか隠していると思った。


だから、奉行をつれだした。


「奉行のおかげで、もっとはっきりしたことがあった」


奉行を前に縮み上がった役人は


浮浪のだんなの問に答えるしかなかった。


「兆治と思われる死体は、顔をいやというほど叩き潰されていた。


岩場やふかくらいじゃ、叩けないところまで傷が入っていたんだ」


枷をどうやって入れ替えたかはわからないが


あの傷は、死体が与吉だと判らなくするために


わざと・・


「だんな、そうだと思う。与吉はそんなむごいことを出来る人間じゃない。


そんなことが出来るくらいなら、むささびの吉兵衛と一緒に


火つけ強盗をやっている」


「その通りだよ」


だから、


ー兆治が与吉を身代わりにして、兆治こそが島抜けしたんじゃないかー


と、浮浪のだんなも三治も思い当たった。


10



浮浪のだんなの報せは


三治が覚悟した通りだった。


取り乱さずに話を聞けたのは


織田のだんなの助言があったからだと思う。


「浮浪のだんなの報せは、おそらく、おまえには、つらい話になる」


「浮浪のだんなが、話つらくならねえようにもな」


話一つするにも、細かな気配りがいる。


浮浪のだんなの気持ちも


三治の気持ちも推し量れる織田のだんなだからこそ


浮浪のだんなと


逢ったしょっぱなから、意気投合になる。


そのくせ、口数は少ない。


多くを語らずとも、お互いがお互いを量れる。


量るだけの枡をもっている、と、言うことなのだろう。




与吉のことは、あきらめがついた。


生きているのか、死んでいるのか、判らず


ちゅうぶらりでいたら


気持ちの整理がつかなかっただろう。


だが・・・浮浪のだんなに告げられたことがひっかかる。


「半年まえに、兆治と与吉が居なくなってしまったそうだ。


狭い島内をどうさがしても、見つからない。


それが、三月まえに、岩場の奧の洞窟に兆治の死体が上がってきた」


「死体があがってこないから、と、それで終にはできない。


島ぬけをしたんじゃないか・・って見立てで


やっと、この前に立札をたてた」


半年も前に二人が居なくなっていたのに


島抜けをしたとお触れは出なかった。


あげく、死体が上がって、三月もたって


お触れを出す。


「なんで、役人は・・島抜けを隠したんだろう」


織田のだんなの言うように、


お裁きの間違いをさらしたくなかったというのも


判らなくないが、矛盾がある。


最初から、二人の島抜けを疑って


お触れを出してもよさそうだと思ったからだ。


三治の疑問に浮浪のだんなは


ちょっとだけ困った顔になった。


「そりゃあね。兆治の島抜けの手引きをした奴がいるってことでしょうに」


どういうことだと三治が考えていると


「足の枷も、そいつが、細工したんだろう」


細工したって?どうやって・・・


「簡単ですよ。そいつが、兆治の足枷を与吉にはめておいた」


「間違って付けたという呈でも装ったってことですかい」


「そういうことだけど・・・」


今度ははっきりと困った顔のだんなになる。


「兆治が島抜けするために、与吉を身代わりにする。


その企てを判ったうえで、兆治の足かせを与吉にはめたってことになる」


「じゃ・・じゃあ・・・役人の誰かが与吉を見殺しにして


あげく、死体は兆治だって?・・・なんてこった」


そして


「兆治は江戸にもどってきているだろう。


ところが、江戸には兆治を知っている奴がいる。


兆治は自分が生きて、江戸にもどっていることを


知られたくなかったんだろう。


おそらく、手引きをした役人に伝えて


お触書をだすようにしむけた」


「じゃあ、旦那が言っていたー仲間をぶち殺したーという


その仲間が兆治って野郎なんですね。


ん?でも、兆治が殺されたって、わからねえんじゃないですかい?」


いや・・と、浮浪のだんなが首を振った。


「大川で人だかりがしていた時に


よみあげてやろうとお触れを読んだ時に


妙だと思ったんだ。


与吉の名前は書いてなかったが


兆治の名前は書いてあった。


これは、なにかあると思って


兆治の名前はみんなに告げなかった。


お触書の目的はー兆治が死んだと知らせるためだーという気がしたんだ。


だから、兆治の名前を告げたら、


兆治の思う壺じゃねえかなと、名前は出さなかった」


兆治も憎いが手引きした役人は、もっと憎いと三治は思った。


「役人が、そんな悪辣なことをしている・・


それは、裁かれもせず、与吉は命まで利用されて・・」


悔し涙がこぼれてくる。


情けない顔のまま、三治は浮浪のだんなをみた。


「手引きした役人を、なんとかできねえんでしょうかねえ」


島じゃなけりゃ、それがどいつか判れば


ぶち殴って、簀巻きにして大川に叩き込んでやる。


それができない三治は、浮浪のだんなに


言ってもせんない、悔やみ事を言うしかなかった。


「ですからね、あちきは、お奉行をつれていった。そういうことですよ」


11


三治は、やっと、気が付いた。


浮浪のだんなが言う


「ですからね、あちきは、お奉行をつれていった。そういうことですよ」


と、いうのは、


そも最初、人相書きを見たときから


兆治が島の役人を手先にしているということも


役人が、悪事を働いている事にも


察しがついていたということだ。


そして、気の優しい与吉が


罠にはめられたということと


兆治が、与吉の気弱さに漬け込んこんだんだろう。


殺されているのは、与吉のほうだと判ったんだ。


だけど、役人をこらしめようったって


町人に何ができるだろう。


兆治の手引きをした役人を吟味して


罰を与える事の出来る人をだんなが連れて行った。


そして、織田のだんなも・・・そうだ。


浮浪のだんなとおなじようなことを考えたんだ。


だから、


与吉が死んでるだろうってことをにおわわすことが出来た。


なんで、そんなに頭が回るんだ?


字がよめねえってことは、こんなにも物を判らなくするのか?


それとも、誰でも、考え付くことで


おいらが、あほうなだけか?




考えめぐらす三治を


浮浪のだんなが覗き込んだ。


「役人の始末は奉行に任せるしかないが


問題は兆治だ。


江戸の役人も取り締まりをはじめるだろうけど・・


早く、見つけないと、


与吉さんみたいな目に合わされる人がでてくるかもしれない」


兆治を見つける。


「判った」


元よりそのつもりだった。


「でもね、三治さん あんた 与吉さんの仇を取ってやろうなんて


思っちゃいけませんよ」


浮浪のだんなは三治の腹の内を見透していた。


「あんたに何かあったら、与吉さんは悲しむだけです。


それより、与吉さんが喜ぶことをしてあげたらどうです?」


与吉が喜ぶ・・そりゃあ、江戸の町にこんな悪党がいなくなることが一番に決まってる。


「でね、兆治を見つけることが出来たら お役人か、あちきのとこに知らせに来る」


少し言いよどんだが、


「織田さんのところでも、いいでしょう」


と、付け足した。




と、言うことは


織田さんも、腕がたつ、ということなのかと


ぼんやり考えたが


直ぐに、三治の思いは変わる。


ー兆治が現れそうな場所・・


それより、どこをやさにしてるか・・・ー


すりの腕で


兆治の咎人入れ墨をさらしてやることができる。


それが、兆治を探す唯一の方法に思えた。




12


兆治を探す・・・


みかけない顔


やさぐれた男


日に焼けた男


三治はぶつかっていっては


よろけた勢いを装い


袖をめくりあげ


2本の筋が入っていないか確かめた。


だが、そんな入れ墨を入れられた男が


そこらを堂々と歩いている事も少なかろうし


その少ない機会で、


うまいこと、兆治にいきあたると考えるほうが無理がある。


こんなことを繰り返していたら


ごろつきどもにどんな因縁をふっかけられるか判らない。


「兆治の人相書きは、ないんだろうか?」


浮浪のだんなに言えば、人相書きくらい手に入るんじゃないか?


と、ひょっとこに行ってみることにした。


すると・・・


ー居たー


浮浪のだんなが、なにか紙をひろげていて


織田のだんなも居合わせて、それをのぞき込んでいた。


ーきっと、兆治の人相書きだー


島にお奉行まで連れていく段取りの良さ。


浮浪のだんなのことだから


島から帰るときに


兆治の人相書きを手配していたのだろう。


それが、届いたということだろうと


三治もその紙をのぞき込んだ。


ーああ、さんちゃん 来たねー


浮浪のだんなは、三治さんとは言わず


さんちゃんと呼んだ。


妙になつっこく、近しいように思えるのは嬉しいが


さんちゃんは、ちょっと、思っていると


「兆治ですよ」


と、浮浪のだんなは織田のだんなと一緒に頷いた。


三治が来るまで、織田のだんなと浮浪のだんなが


どんな話をしていたか判らないが


「こいつが、兆治か」


とっぷり眺めて、その顔を目に焼き付けた。


「本当は、島から出て来るときに書いて貰いたかったのだが」


と、浮浪のだんなが、なにか含んだ物言いをした。


だから、三治は黙って続きを聞くことになる。


「あちきはね、あの人相書きを書いた男は島の役人の誰かじゃないかと思ったんですよ」


で、どうだというのだと思う三治の前にちょくがおかれ、徳利と采がでてきた。


ゆっくり話を聞いたらよいと女将が気をまわしたのだろう。


「その男があの立札のお触れも書いたんじゃねえのかなと思ってね」


つまり、何がどうだというのか?


じれそうになりながら三治は、女将の顔色を窺った。


やはり、落ち着いて話を聞けといっているように見えた。


「その男は、事の顛末が判っていて、わざと、与吉の名前をかかず


兆治の名前を書いて、気が付いてほしいとそんな細工をしたんじゃないか?


と、思ったら、兆治の人相書きはその男に書いて貰ったら間違いないとおもったんだ」


だから、島に行ったその場では人相書きをたのむどころでなく


後から、頼んで、取り寄せた。


で、今になった。


と、そういうことらしい。


ーなんだ?言い訳かよー


そんな話が何だと言うんだ、と、顔に出ていた。


見とがめたのは女将だった。


「あのね、その人のおかげで、島の悪もんも、さっさとみつかって


あんたも少し気が晴れるだろう、って


浮浪のだんなは、そう言いたいのさ」


どこまで女将が浮浪のだんなの正体をしっているのか判らないが


浮浪のだんなの気持ちを察するに長けているのは間違いないと


三治は思った。




ちょくの酒をあおると


「それじゃ、おいらはこれで・・」


と、さっそく、兆治をさがしにでる三治に相成った。


顔がわかりゃあ、もうみつけたも同然


とっ捕まえて・・


ああ、それをしちゃいけねえって


浮浪のだんなにとめられたんだ。


女将があんな口をきいたのも


浮浪のだんなの計算づくかもしれない。


ー浮浪のだんなの気持ちを、よくわかっておいでよー


そう女将にいわせたくて


あの歯に挟まった言い方?


ー浮浪のだんなの気持ちを、よくわかっておいでよー


よくよく、効き目があるぜ。


だんなのいうとおり、


おいらが、手をだしちゃいけねえ。


これは、肝にめいじておく。


「それで、いいだろ。女将」


つぶやいた三治の目に


兆治に似た男が横切ったと見えた。


******


おまけ


江戸時代の罪人はおでこに「犬」と入れ墨を彫られた!? (edojidai.info)



13


もしも、三治が兆治の人相書きを見ていなかったら


三治の前を横切った男が兆治だと判らなかっただろう。


日に焼けていると思った肌は


半年の間、お日様の当たらない場所に隠れ潜んだのだろう


浅黒かっただろう肌の色は抜けて、むしろ生っちろくみえていた。


身なりも整えている。古手屋でずいぶん、はずんだのだろう。


地味にみえるが生地が良く、品も良い、まだ新しい着物と見えた。


ーどういうことだ。こいつは、たんまり銭をもっている。


色は白いが、肌艶はよい。世話をする女でもいるのか?


金に飽かせて、女をかこっているか?


この呈だと、どこかに家も構えている?ー


無性に腹が立ってくる。


その金の在りようを鼻薬に、役人を引き込んだ。


役人だって馬鹿じゃない。端金であぶない橋を渡ろうなんて思いやしない。


端金じゃ、目もくらみはしない。


いったい、どれだけの金がさをちらつかせ、


どう言って役人をたらしこんだのか。


兆治が島送りになった罪状からして


ーこいつは、どこかに金をごっそり隠しているー


と、思わせる罪状だったのだろう。


じゃなきゃ、役人だって何を言われても与太話だと思うー


結局、金・欲・金・欲


おいらも、一緒


金欲しさに人の懐を狙うのは、何も変わりが無い。


だけど・・・


だからって、与吉を殺させて知らん顔は許せない。


いまさらながら湧き上がってくる憤怒は


兆治を見つけたせいかもしれない。


浮浪のだんなが、人相書きに拘ったのが判る。


切れ長のまなじりに、三白眼


あの人相書きを見てなかったら


二の腕をまくりあげようなんて思いもしない風体だ。




兆治のやさがどこにあるか


三治は兆治のあとをつけていくことにした。


ちょうど、ひょっとこで煽った酒がまだ匂うだろう。


軽く酔ったふりで、歩いていく。


まぬけた昼酒に、惚けてしまった。


そんな呈で、よたよたと兆治の後を追った。




お触書の与吉の顔に安心しているのか、


役人に届けられないとたかをくくるのか


兆治はあたりを伺う様子も見せず


ぶらぶらと歩き


やがて


黒門町の甚兵衛長屋に行きついた。


三治は


長屋の入り口で、ふらふらしながら、


たいしてでてこない、立小便をして


兆治が入る家を見定めた。


黒門町の甚兵衛長屋 右手の四軒目


浮浪のだんなに伝えねばならない。


三治の足は、千鳥足と、うって変わった韋駄天走りになると


ひょっとこを目指した。


14


兆治を見つけた。


黒門町の甚兵衛長屋 右手の四軒目


黒門町の甚兵衛長屋 右手の四軒目


今なら ひょっとこに


浮浪のだんなも織田のだんなも


雁首揃えてる。


と、急ぎに急いで


ひょっとこの暖簾を押した。


ーあれ?織田のだんながいないー


だが、そんなことより


まず浮浪のだんなに・・


息せきって飛び込んできた三治をみると


浮浪のだんなは、


ーおや、さんちゃん、おはやいお帰りで・・ー


さんちゃんじゃねえやと反駁している場合じゃない。


「だんな、兆治・・兆治を・・みつけやしたぜ


黒門町の甚兵衛長屋 右手の四軒目に、やさを構えてやがる」


じゃあ、とらまえに行きましょうかね


とか


お奉行に直談判しにいってきます


とか


動き出すと思ったのに、浮浪のだんなは


「さ、さんちゃんも酒のつづき・・」


隣の席に来いと手招きする。


「え?」


出鼻をくじかれるなんてものじゃない。


「え?あの?兆治が居るんですよ、見つけたんですよ」


聞こえなかったのかもしれない


そうとしか考えられない


「はやくも、みつけたんですね」


判っているじゃないか。


聞こえてるじゃないか。


「これで、落ち着いて呑めるというもんです」


「お?落ち着いて呑める?


だんな、兆治をとらまえにいくとか、


するんじゃなかったんですか?」


浮浪のだんなは、首をふった。


それも、ずいぶんはっきりと・・


「まだ、早いでしょう?」


「早い?早いなんて、どの口でいうんです?


兆治をはやくとらまえないと、


また誰かが・・・ひどいめにあわされる」


「それは、ないでしょう?」


目が点になりそうないいぶんであったが


よく考えたら、


騒ぎをおこしたくない兆治でしかないと思える。


地味な着物を選んだのもそうだろう。


当分、おとなしく甚兵衛長屋に潜んでいるということなのか?


「けど・・・あんな奴は、


さっさと、とらまえてもらうにこしたことはない」


浮浪のだんなは、穴のあくほど三治をのぞき込んでいた。


「さんちゃんは、気になりませんか」


気になる?何を言い出すんだ、この人。


気になるから探しに行ったんじゃないか


だけど・・・


浮浪のだんなは、同じことを繰り返した。


「あちきは、気になる事があるんですよ」


三治は、浮浪のだんなの気になる事が、


重大な事に思え始めた。


ーだから、早いと、いうのか?ー


いったい、何が早いというのだろう。


三治はもう1度、気になる事を考え直した。


「ああ・・まあ、奴はたんまり、銭を持っているようだった。


だから、前に何をやったのか・・って・・」


他にも何か思った気がする。


「そこですよ」


と、浮浪のだんなは、話し始めた。


「兆治は密貿易をやっていたんです」


「密貿易?」


「高麗人参とか阿片とか


エゲレスや朝鮮の人相手にね・・・・」


「はあ・・・」


よく判らないが、禁制品を


横流しして、たんまり儲けたということだろう。


「阿片は、病人の手術の時に、痛みを麻痺させられるということらしくてね


織田さんは、密貿易とは知らずか、知ってか、覚悟の上か


兆治から阿片を仕入れたんだけど・・・


お上の知れるところになって、お家取潰し・・


と、言っても形だけで


さすがにお上も、織田さんの知識と腕は失くしたくなかったということですがね」


「織田のだんなに、そんな深い理由があった・・・」


捕縛される前に、兆治はため込んだ金をどこかに隠したのだが、


使った。もう無い。の、一点張りで


どうしても、口を割らなかった。


「どう考えても、兆治一人で使いきれる額じゃない」


下種の考えかもしれない。


兆治はいったい、いくらため込んだんだと浮浪のだんなに尋ねた。


「1万両はくだらない、と、おもうんですがねえ」


役人の鼻薬にいったい、どれだけの額をいったかしらないが


「その金が有れば・・与吉のおふくろさんを楽にくらさせてやれる」


与吉の心残りはおふくろさんだろう。


命をとられて、兆治は安気に逃げ延びて


「与吉がうかばれねえ」


「やっと、与吉さんが喜ぶことがなにかわかってきたようですね」


どういうことだと考え直す三治に浮浪の旦那がささやいた。


「1万両から200両や300両戴いても、お上にはわかりませんよ」


それは、つまり?悪党の上前をはねる?


「お上に兆治を突き出しても、金の有りかは、はかねえでしょう。


でも、お上につきだしたら、あちきらにも、金のありかはわからない」


読めた。


「金のありかが判ったら、お上につきだす。


そして、2,300両ほどくすねて


おふくろさんの為に使う・・・そういうことですね」


「与吉の命を、そんな安い金じゃ折り合えないが


せめてもね・・・」


「なるほど・・・それで、まだ早い、そういうこってすか」


じゃあ、あとは、兆治にはりついて、金のありかを突き止めるだけだ。


「あ、織田のだんなも、それで・・もう帰ってしまったということですかい」


「いや・・織田さんにはなんにもはなしちゃいない」


「え?だって、兆治のせいでお家取潰しだって・・


それは、織田のだんなから聞いたんじゃないんですかい?」


「色々、調べただけですよ」


そうだった、奉行にまで顔が効くんだ、造作ないことだろう。


「織田さんは、おしまさんとお結ちゃんの具合が悪いとかで


飯は炊けるが采がないといって、女将になにかないかとやってきてたんだ。


そこにちょうど人相書きが届いて、見てたら


さんちゃんがはいってきた。そういうことです」


「はあ・・じゃあ、織田のだんなは、


あの時、だんなと二人で「兆治だ」と、いったのは


あの人相書きが兆治に間違いないって判っていたってことになるんすよねえ」


人相書きを見てた時もそうだったんだと思いなおすと


ーやはり、頭の良い人間のことは、おいらにゃあ判らないー


と、これ以上、織田のだんなのことを考えるのはやめにした。


「よし、呑みやしょう」


三治は今日は存分に飲むことにした。



15



次の日から3,4日三治は兆治の様子をうかがっていた。


兆治はいっこうに長屋からでる様子がない。


水は甕にでも汲みおいてあるのだろう。


おまんまは、竈で炊いている?


着物は洗濯女の所にでも、もっていくのか?


家から外にさえ出ていないとみえるのは、


たんに、出たとこを、見ていないだけなのか?


ー参った・・ー


四六時中、長屋を見張っている訳にはいかない。


女房連中に見とがめられたら


井戸端の噂話になり、はてには、


兆治に感づかれるかもしれない。


ーどうすりゃいい?ー


策をねるより、先に


不思議な気がしてくる。


ー島を抜けた時に、隠し場所から千両箱の一つでも


抱かえて、江戸にもってきてるのだろう。


楽に暮らせるのは判るが


外にも出ず、長屋で一人


いったい、この先どうする気でいるんだ?


死ぬまで、こうやっている?


誰とも喋らず・・


呑みにもいかず?


わけがわからねえー


なにかまた悪事を働く気でいるのだろうか?


1万両?もあれば、危ない橋を渡る必要もないだろうし


このまま、ひっそり?


いや、


その金を元手になにか、やらかしたいんじゃないのか?


ー判らねえ。だいいち、そんな大銭もったことがねえおいらが、


いくら考えたってわかるわけがねえー


困った時の神頼みじゃなくて


判らねえ時は浮浪のだんな頼みだ。


決めると、居てくれよと願いながら


ひょっとこに行くことにした。




待っていました、と、ばかりに


浮浪のだんなが居る。


ーだんな、どうもいけねえー


やおら話しかけてしまう三治になる。


ーでてこねえでしょうー


と、浮浪のだんなは、またも、見越していた。


ーですよー


それじゃあ、話が終わっちまう。


ー仲間か、知った顔のものとひょっくり出会って


立ち話もなんだ、ってな具合で


居酒屋にでもいってくれりゃ、


その席で、なにかきこえてくるかもしれねえ


って、思ったりしたが


誰とも合わないどころか、長屋からでてきもしねえー


浮浪のだんながくすりと笑ったようにみえた。


ーそりゃあ、さんちゃんがおぼこいからですよー


ーなんです?おぼこいって?ー


三治の問いに答えなかったとも、答えたともいえる。


ー 女  ですよ ー


ーえ?ー


ー兆治が島抜けして、半年もおとなしくしている


と、見えるんですね。


だったら、兆治が島抜けした理由は、女 でしょうー


ー昔の色に逢いたくて?


それだけの理由で与吉を殴り殺した?


ああ、でも、女なんか居なかったー


ーでしょうよ。兆治が捕まってからでも


3年以上に経っている。


一人じゃ生きにくい女なら、


どっかの大店の旦那の妾にでもなってるんじゃねえでしょうかねー


ーああ、だから、女も人目を忍んで兆治に会いに行く


って、立場か。


そりゃあ、居るわけねえー


ーですがね、兆治に呼ばれてほいほい逢いに行く女なら


また深みにはまってるでしょう。


そんな女になら、兆治はなにかしゃべってるんじゃねえですかねー


ーそれを女にはかせろ、と?ー


ーまず、女をさがさないと無理でしょうー


浮浪のだんなはにっこりと笑った。


ー見かけない女が長屋に入っていくのをみはりゃいいんじゃねえですかい?ー


ほおほおと頷いたが三治は、ふと考えた。


ー女と兆治がしゃべってるのを聞くすべはねえもんでしょうか?ー


もしかしたら、二人きりの家の中


兆治は金のありかをしゃべるかもしれないし


なにか、たぐれる話がきこえるかもしれない。


ーそんときは、あちきを呼んでくださいー


なんだ?その時は浮浪のだんなは


忍術でもつかうってのか?


屋根裏にこっそり忍び込むとか?


笑えて来るのをおさえると


三治は


ーわかりやしたー


と、だけ答えた。



16



みかけない女、人目から隠れるそぶり


そんな女がいたら、付けていきゃいい。


と、思ったが、妙な女は見当たらない。


堂々と歩いているかもしれない。と、


なん人か、つけてみたが


どれも、これも、兆治の居る長屋に入り込むことは無かった。


すぐ見つかると思う方が、せっかちすぎる。


と、自分をなだめて


あくる朝・・・


しとしと、そぼ降る雨だった。


傘の内なら、人目をしのげる。


これは・・・見つかるかもしれないと


三治は朝のとうから、女を探した。


大店の旦那の妾なら、


身なりも良かろう。


夜は、旦那を待ってあてがわれた家にいるんじゃないか?


動くなら朝の内か?


陽のあるうちに、旦那を迎えるご馳走を買いに行くだろう。


いつもの、買い物にかこつけて、兆治に逢いにいくんじゃねえか?


そう当て推量を決め込んで


三治は長屋のまわりをうろついた。


すると・・・


傘の内に、ご丁寧に御高祖頭巾の女を見つけた。


ーまちがいねえー


すれ違っておいて、引き返して女の後を追った。


ー案の定だー


女は黒門町の甚兵衛長屋に入り込むと


四軒目の兆治の家の前に立った。


物陰に隠れてみていた三治は


それが正しかったと判った。


女を家に入れ込むと戸口から顔を出して


兆治はしばらく、辺りを見渡していた。


ー誰かがつけていねえか、確かめてる、そんなそぶりだー


用心深いのは、無理ないだろうが


誰が付けているのか考えると


これまた、妙な気がする。


ー役人が感づいているってことなのかー


お奉行がもう手をまわしている?


それは、十分あり得る事だろう。


早く、しないと、300両がふいになっちまう。


三治は浮浪のだんなを呼びに走った。


と・・・


ところが、


半町も走らないうちに向こうから浮浪のだんなが


やってきた。


ーだんな?ー


なんで、こうも、三治の先をよんでしまうのか?


ーああ、さんちゃん、どうしました?ー


さんちゃんは、やめてほしい、それに


その科白はこっちが言いたい。


ー女が・・・兆治のやさに入っていったんですよー


ーああ・・やっぱりそうですかー


あてが付いているのなら、どうしたなんて聞かなくて良さそうなもんだが


ーだんなは、どちらかに用事があるんじゃないんですかい?ー


ー黒門町の甚兵衛長屋の兆治の隣はね、伝八が住んでるんですよ


兆治の話を聞こうと思ったら、伝八の家に行けばよいと思ってね


勝手に入り込んじゃいけねえから


断りをいれておこうと思ってきたんですよー


なるほど。


あちきを呼んでください・・ってのは、


忍術でもなんでもなくて


隣の家から盗み聞きをしようってことだったのだ。


薄い土壁に耳をおっつけりゃ、


きこえて来るってことだ。


ーじゃあ、いきやしょうー


と、言わなくても


もう二人の足は黒門町の甚兵衛長屋に


向かっていた。




17



雨だから


伝八はぶつぶつ言っていた。


ーおっつけやむだろうが、


中途半端にそぼ降りやがる


左官殺すにゃ刃物はいらぬ雨の三日もふればいい。


って、いうがよ


まあ、死ぬほどの雨じゃねえが・・・ー


女房のお浜は手のいい洗濯女だった。


干しても生乾きで、饐えた匂いになるのが関の山。


今日は、やすみにしておこうと家にいた。


そこに戸口から小さな声が聴こえてくる。


ーおや?誰だろう?ー


閑を持て余した伝八の仕事仲間か?


ーなんだよ、小せえ声で・・やましい誘いなら・・・俺は・・・ー


戸をあけてみりゃ


ーあれ?だ・・ー


しいと、指をたてる浮浪のだんなであると判ると


伝八の声も小さくなった。


ーん・・な?どうしたんです?ー


ー隣の兆治に用事があってねー


伝八はいぶかし気に眉をひそめた。


ー隣に用事があるなら、隣にじかに行けばよいでしょう


と、いいたいところだが、


あっしも、隣の男は妙なやつだと思ってたところに


兆治だか、用事だか、知らねえ別の名前があるってなったら


こりゃ、捨て置けない。


で、あっしは、なにをすれば?ー


話が早いのは結構なことだと


浮浪のだんなは、壁を指さした。


ーそいつを、いっとき、貸してほしいー


まだるっこしい言い方をしているが、


ようは隣を盗み聞きしたいということだとわかると


伝八は


ーあっしが知ってることが役にたちそうなら


話しますが・・?ー


うんと頷いた浮浪のだんなは壁から離れたもう一つ奥の部屋にいく。


三治は自分を指さした。


ーおいらはどうすりゃ良い?ー


浮浪のだんなは耳に手を添えて見せた。


ーおいらが、先に聞いておけ・・ってことかー


三治は音をたてないように


壁際に近づくとそっと耳を当ててみた。




だんなの小さな声に


伝八の小さな声


何を話したか後で聞くとして


兆治だ。


まともに人と話していねえみたいだから


兆治もたっぷり寝物語をかたりてえだろう。


聞こえてきた声にこっぱずかしくなってくる。


腹をくくったつもりだったが


いやはや・・・


妾になるような女は


そうでなきゃつとまらねえんだろうけど・・・


女の喘ぎ声に兆治の声がかぶさりだした。


なにを言うか、一言だってもらしちゃいけない




と、しばらく、艶言を聞いていた三治の顔色が変わった。


ーだ、だんな・・・ー


と、小さい声で旦那を呼び


こっちに来てくれと手招きした。




おっとり刀というのはこういうことをいうのか


浮浪のだんなは、


ちらりと、三治をみたが、


まだ、伝八と何か話そうとしていた。


たまらなくなって


三治は浮浪のだんなのほうに


静かに歩いて行ったが


ーもう、いけねえー


叫びだしそうになる自分をこらえるのが精いっぱいだった。


何を聞いたか知らないが


顔色を変えて、何かをこらえている三治の様子を


伝八は、浮浪のだんながみてやってくれと


指を何度も三治に向けた。


ーやっぱり、さんちゃんはおぼこいですねー


と、やっと浮浪の旦那が振り向いた。


ー違う、そんなんじゃねえー


言い募りたい言葉が出てこないほど


喉がひりついていると自分だと


三治は気が付いた。




しゃべれないまま、声も出ないまま


近寄ってきた三治に浮浪のだんなは


こともなげに言い放った。




ー女は、お島さんでしょー


浮浪のだんなは、わ、判っていた?



18


やっと、声がでてくると


三治は浮浪のだんなをなじりだした。


ーだんな、判っていて、なんで、わざわざ、ー


織田のだんなの顔がうかんでくる。


具合が悪い


女房のために、お結ちゃんのために


めしを炊いて、


ひょっとこに采はねえかとたずねてきてた。


つゆひとつ、織田のだんなは疑っちゃいないだろう。


おいらだって、こんなことは知りたくなかった。


織田のだんなの幸せと


それを見ている幸せが、もろともに崩れてゆくなんて


これっぽっちも思ってないってのに


それを、平気でぶち壊して


お島さんでしょう?


そんな言葉があるもんか。


ーお島さんは、元々兆治の女房みたいなもんだったんですよ。


それが、織田さんに阿片を横流ししたことが元で


兆治は捕まってしまった。


織田さんが、行く当てのないお島さんの面倒を見てやろうと思ったのは


兆治を島流しにしてしまった罪滅ぼしみたいな思いが最初だったんじゃないかとー


悪人だろうが、何だろうが


お島さんにとって、ただ一人のよりどころだったのだろう。


ー確かね、二十年ってね。兆治がご赦免になるまで


お島さんは、どうやって、誰を頼って生きていけばよいか


自分の暮らしどころか、生きながらえることが出来るか


だから、織田さんの申出はありがたかったんじゃねえでしょうかね?ー


そうこうするうちに、兆治を島送りにした張本人みたいな憎い織田のだんななのに、


その人柄、優しさにお島さんも憎からずと・・


織田のだんなも、面倒をみると決めた以上


お島さんの一番良いようにしてやろうと・・


で、一緒になっちまったってことか


ーそして、お島さん逢いたさに、与吉を殺して


兆治が島をぬけたと気が付いたとき


その時が兆治に呼び出された最初じゃないかと思う。


島送りだけなら、二十年が、恩赦でもでたら


十年で帰ってこれたかもしれない。


だけど、罪人が人殺し


これは、死刑だろう。


お島さんは、自分のせいで、


兆治が死刑になると思ったんだろう。


捕まってほしくない。


どうこう言って、嫌いで別れた亭主じゃないんだ。


それが、必死で自分に会いたがっている


逢ってもやりたい。


抱かれてもやりたい。


けど・・・


織田さんの事だって、けしていい加減な気持ちじゃない。


あちきはね・・・


お島さん、死ぬ気でいるんじゃねえかと


それが一番気になったー


ーあ、、ああ、なんてえこったー


ーとは、いっても、これはあちきの当て推量


お島さんが、なぜ心を鬼にできなかったのか


なぜ、兆治を役人につきだせなかったのか


どうして、織田さんとの暮らしを守ろうとしなかったのか


いまひとつ、わからないー


だから、お島さんの心を見極めたいと


浮浪のだんなが言った。




それで、今度は伝八まで加わった三人で


壁に耳をおっつけることになった。



19


漏れ聞こえてくる声は


痴情のさま、そのままであったが


それが、静かに成ると


兆治が、お島をかき口説き始めた。


ーお島・・おまえは因果な女だよな。


お前、恋しさで島を抜けてみりゃ


事もあろうに、織田とくっついていやがるー


ーだって・・・仕方がじゃないじゃないか


あんたがいなくなっちまって・・・ー


ーせめてるんじゃねえさ。


俺が人を殺してまで逢いたくてたまらなかった女だ。


織田だって、うつつをぬかすに決まってる。


だけどな・・・お前があいつに抱かれてるのかと思うと


胸のこのへんがな、焼ける様にちりちり痛くなるんだー


お島は返す言葉を無くしているのか・・・


ややすると


ーだから、早く、連れ出しておくれよー


お島は、兆治とどこかに出奔したいのだという。


ー判ってるさ、だから、今、諏訪の天馬村に家を建てている。


金は運び込んであるから、もうしばらくしたら、


身ひとつで、でてくりゃいい。


お結と三人で、おっと・・・


腹の子と・・四人になるな。


そこで、畑でもしながらのんびりくらそうぜー


ー金を運び込んであるって・・・大丈夫なのかい?ー


遠いところに、運んで、うまく隠せてるのか?


確かめに行く術もない。


行ったら、金は空っぽになってるかもしれない。


ーぬかりは、ねえよ


倉をたてさせて、その奥を掘って、頑丈な扉と鍵さ


簡単には見つからないし


見つかったって、開ける事は出来ないー


ーだけど・・・それを作った人なら、開けられるんじゃないのかい?ー


ーさあなあ、生きてりゃあ、できるかもしれねえなあー


それでお島は判った。


ーあんた・・・ー


お島に逢うために人を殺し


お島とくらすために人を殺し


役人にとっ捕まったら


間違いなく張り付け・・・


ーもう、これ以上は、いけないよー


ーもうやらねえよ。お前が居てくれたらそれでいいんだ。


織田のせいで、俺はとっつかまっちまったが


おかげで、お前が一番いいんだって


よ~~く、わかった。


それに、おまえもつらかっただろう。


お結のために、本意でもねえ男に・・・


だけどな、なあ、お島


知らぬ存ぜぬでとおしてきたんだろうけど、


自分の子でもねえのによ~~く面倒見てくれてる織田だと思ったらな


お前のつらいのも、こらえてやってくれよ


俺は、何もしてやれなかったんだから・・


半分は織田に助けてもらったと思ってるー


後の半分は恨んでるんだろう。


そして、兆治が、お島とお結を連れて行くときには


あとくされないように


織田に本当の事をはなしておくことだと、


付け加えた。



20



浮浪のだんなに帰ろうと背をたたかれるまで、


三治は呆然自失で、壁の前に座り込んでいたらしい。


我に返ると、今聞いたことが夢なのか


現なのか、しばらく判らなかった。


だんなに背を叩かれたことが


現であるときがつくと


三治は、どこをどう歩いたか


だんなの背をおって、ついて歩くだけだった。


「三治さん、大丈夫ですか」


ん?と、呆けた頭で三治は考え直した。


ーなんで、三治さんと、よぶんだろうー


ーなにが、大丈夫なんだろう?ー


考えを巡らせはじめると、それが、はずみになり


胸の中でしこった物が湧き出始めた。


ーそうだ・・・お島さんが・・・


いや、お島さんばかりじゃない


お結ちゃんも腹の子も兆治の子で


織田のだんなを・・・ー


情けなくて、もう、思い出したくないと思うのに


兆治のしゃべった事


お島さんが兆治と出奔する気でいること・・


次々、湧き上がって来ていた。


ーだんな・・ひでえ女じゃ・・ないですかー


そうとは知らない織田のだんなに


事実をつきつける事は出来ない。


でも、ほうっておいても、


お島さんが、出奔すれば


なにもかも、明るみにでてしまう。


お役人に兆治をとらまえさせたら


お島さんは口を拭って織田のだんなとくらしていくのだろう。


そう考えると


兆治をとらまえさせないほうが、良いのかもしれない。


ーよく頭が回る・・女狐なんかに、情けをかけるからだ・・ー


三治は、あふれてくる涙を腕でぬぐい取った。


ー三治さん、考えちがいをしてませんか?ー


浮浪のだんなにかけられた言葉に三治はたずね返した。


なにか、お島さんを見間違えてるのなら


いっときもはやく、教えてほしい。


こんな苦しい思いを抱かえているのはむごい・・


と思った。


ーお島さんは、織田さんを護ろうとしてるんですよー


兆治をあんたと呼んで?


早く連れ出してくれと甘えてみせて?


ー昔馴染みの男だから、そりゃあ、情もわく。


だけど、島ぬけするのに人を殺すような奴だ


お島さんが、兆治を断ったら


間違いなく兆治は織田さんを殺しに行く


そして、子供も織田さんの子供だといったら


子供もろとも・・・


お島さんはなにか抜け道をかんがえているんだろうけど


見つけられない。


それで、どうしようもなくなったまま


兆治が、織田さんとお結ちゃんをあやめたりしないように


大芝居をうってる、と、思うんですよ。


そしてね、それだけの大芝居をうつ、うてるってことは


お島さんが死ぬ覚悟でいるように思える


死ぬことを覚悟してしまったら


なんでもできる、そんな風にもみえるんですよー


浮浪のだんなの言うことは一理あるとは思う。


ーでも、そうだったら、最初から


兆治をみたとお役人にとどけてりゃすんだんじゃないですか?ー


ーお島さんは、 お結ちゃんがどちらの子かわからないんじゃないでしょうかね?ー


え?それで、お役人に届けられない?


ーお結ちゃんのてて親が兆治だったら


お結ちゃんに黙っていりゃすむことではあるが


てて親を役人に渡したのが自分だとなるとねえ・・ー


簡単に決心つかぬまま、ずるずると兆治の手管にはまってしまった。


そういうことなのか・・・


そんなものなのか・・・


ー織田さんがね、始末つけりゃ一番早いんですけどね


あの人も忙しいー


忙しいって・・・そういえば何をたっきにしてるのか


三治は知らなかった。


ー公方の脈をとってるのが、織田さんですよー


表向きの御殿医より


織田の信用は厚い。


ー公方?どこの金持ちかしらねえけど


それどころじゃねえでしょうに・・ー


ーあれ、さんちゃん 知らないんだー


浮浪のだんなは笑いを押し殺していた。


あ?さんちゃんと呼ぶときは何も判っていないおいらだと


あきれ半分のとき?


ーえ?誰なんです?ー


ー江戸のお城の城主といえばわかりますかー


ーえ?しょ・・しょしょ・・しょうぐんさま・・ええええー


ーお家取潰しは、表向き。だから、外では医療ができず


公方の脈をとる傍ら、公方の相談ごともあるらしいー


いわゆる要人という立場である。


ーおどれえた・・・ー


ーだから、お島さんはなおさら困ったんじゃねえかな


兆治をとらまえさせたあげく


兆治の元の女房だって、わめかれたら・・・


織田さんがもっと立場が悪くなる。


で、兆治と出奔して


たぶん、その時はお結ちゃんをつれてでれなかったとかいって


諏訪の天馬村にいって、すきを見て


兆治を殺して自分も死ぬ。


金は織田さんにわたるように細工しておく。ー


ーだから、金のありかをきいていた?ー


ー一緒に行かなきゃ鍵のありかも判らない、そういうことだろう


お結ちゃんを頼むということだろうけど、


もうひとつは、腹の子まで道連れにする詫びだろうなあー


ーそんな・・だんなじゃ、無理なんですか?


奉行に顔が効くし、金は別になくてもいい。


おいらが、与吉のおふくろさんの面倒をみるー


だから、浮浪のだんなが兆治をもう役人に引き渡せばいいじゃないかと


三治は訴えた。


21



ーそんな・・だんなじゃ、無理なんですか?


奉行に顔が効くし、金は別になくてもいい。


おいらが、与吉のおふくろさんの面倒をみるー


三治の言葉に浮浪のだんなは、


嬉しいような、困ったような 複雑な顔を見せた。


嬉しい顔になった訳は、こうだった。


ー三治さんが与吉のおふくろさんの面倒をみようという気になったのは


これは、与吉さんが一番喜ぶことでしょうー


困った顔になったのは・・


ーだけど、三治さん、そのままじゃあいけない。


すりの稼ぎで、面倒をみれるわけがないし


三治さんが捕まった日には、おふくろさんの支えもなくなる。


支えてくれていた人をよりどころに思うようになるのは


人の常でしように、


その人がすりをはたらき、その金で、自分を支えていたと知れば


おふくろさんは、身の置き所がなくなる。


与吉が遠島になったのも自分のせい


あげく、三治さん あなたも、おふくろさんに


同じ思いをあじあわせるー


考えてみもしなかったことを突き付けられ


三治は、しばらく、押し黙った。


ーでも、おいらなんか、いまさら、なにをどうやって


食っていけばいいかー


手に技がない。日雇いでもするか、人足でもするか・・


だが、


汗水たらす、を、嫌がる自分でしかない。


ーですからね。三治さんは、その手の器用さを役立てればいい。


あちきは、小石川に行けばよいとおもうのですよ。


薬は、匙加減というくらい、分量次第。


三治さんならうってつけ。


おまけに与吉のおふくろさんの様子も見れるし


おふくろさんのため、病人の為なら、


いろんな雑用をこなしてやろうという気にもなるでしょう?ー


小石川の療養所のほうがうんと云うかそっちの方が気になってきた三治である。


ーだから、300両、持参金にもたせてやろうとかんがえたんですが・・・


三治さんが、そんな金をあてにしないで良い程


やる気になってくれるほうが、先だと思ったのですー


だから、金も要らない。おふくろさんの面倒を見るという言葉に


浮浪のだんなは嬉し気な顔になったということだった。


と、いうことは・・・


なんで、困った顔になった?


ー小石川の方には、奉行に伝えさせに行くとしてー


と、三治の先行きは勝手に決まってしまったが、


三治に依存は無かった。


ーで、兆治を役人につきだせねえんですか?


なんで、さっさと、つきださねえんです?ー


浮浪のだんなは、困った顔だけになった。


ー三治さんは、馬鹿なのか 利口なのか、よく判らない。


与吉のおふくろさんの事を決心するのに、


遠回りしてやっと気が付くというのに


「なんで、役人につきださないのか」と気が付くー


ー聞いちゃ悪い事だったってことですか?


いったい、何を隠してるのか


だんな、水くさいじゃないですか、


こんな土壇場に来て、まだ、隠し事がある?ー


ぽりぽりと浮浪のだんなが頭を掻いたのは


三治にどう話せばいいかと、話すしかないと決めたせいだった。


ー織田さんは、自分の手で


兆治をお役人にひきわたそうと考えてるんですよー


ーえ?・・・あ!ー


考えてみれば


織田のだんなは、与吉の人相書きを見ていた時に


兆治の名前が有ったのを知ってる。


その時から、兆治がお島さんに近づくと判っていて


探していたということになる。


ーでも、なんで、織田のだんなが、自ら??ー


ー三治さんはそういうことはよく気が付くー


浮浪のだんなの言う「そういうこと」とはなにをいうのか


三治は織田のだんなが、自ら動く理由を考え始めた。


浮かんできたのは浮浪のだんなの言ったことだった。


「お結ちゃんのてて親が兆治だったら


お結ちゃんに黙っていりゃすむことではあるが


てて親を役人に渡したのが自分だとなるとねえ・・」


「織田さんがね、始末つけりゃ一番早いんですけどね


あの人も忙しい」


どういうことになるのだ・・・


そのままに考えれば


織田のだんなはお島さんと兆治が逢ってることも知ってるし


お結ちゃんがどちらの子か判らないお島さんだということも判ってるととれる。


ー織田のだんなは・・・兆治を殺めようって・・そんなことを


考えたりなんかしてませんよねー


まさか、「そんなこと」を口にだしてしまうと思ってもいなかった三治は


織田のだんなは、「そんなこと」はしないだろうと打ち消した尋ね方をした。


浮浪のだんなに


「まさか、織田さんは、そんなことはしませんよ。さっき言った通り、お役人に引き渡すだけですよ」


と、いって欲しかった。



22



家に帰りつくと、翌朝まで


何も答えなかった浮浪のだんなの顔を


思い出しながら


三治は考えていた。


ー浮浪のだんなは、最初から


おいらが、与吉のおふくろを見てやると良いと考え


小石川のことも胸算用したんだと思う。


そんな人が織田のだんなに人殺しなんかさせるわけがない。


それに、織田のだんなが、兆治を始末して、兆治が居なくなるってことになっても


織田のだんなもおとがめを受けて居なくなっちまうことになる。


そうしたら、一番困るのはお島さんだろうし、お結ちゃんに腹の子だ。


織田のだんなが、そんな考えなしの事をするとは思えない。ー


ふと湧いた思いに自分で得心すると


次にきになるのは織田のだんながどうするつもりかということになる。


それは、浮浪のだんなの言った通りだと思う。


「織田さんは、自分の手で


兆治をお役人にひきわたそうと考えてるんですよ」


ーと、いうことは・・・


織田のだんなは、自分で兆治を捕まえに行く?


浮浪のだんなは、隠し事はするけど


嘘はつかない。


隠し事というのだって、おいらが、


あほうだから、見抜けない。


見抜けないから、隠されてると思うだけ・・だな。


だったら、なんで、自分で捕まえに行こうとするんだ?ー


その疑問を手繰るより先に


三治の胸の中に、黒い不安がわいてきた。


ーとらまえるどころか、織田のだんなが


殺されちまうんじゃないかー


家にお島さんを入れるとき


兆治はやけに念入りにあたりを見渡していた。


ーそれは、もしかすると、お役人ばかりじゃなくて


織田のだんなに付けられていないかを確かめたのか?


判らないが、兆治は織田のだんなと顔を突き合せたら


だんなを殺そうとするに決まっているー


ますます、不可解になってくる三治である。


なんで、そんな危ない目にあうのを覚悟して


自分で捕まえに行く?のだろう。


もしかして、織田のだんなが死んじまう??


ーいけねえ。なにがどうしたなんて考えてる場合じゃねえー


兆治のやさにはりついて、


織田のだんながやってきたら


止める?


それができなきゃ、おいらも加勢して・・・


と、兆治のやさをめざそうと思った。


おもったところに


戸口から浮浪のだんなの声がした。


ーさんちゃん、行きますよー


どこに?


と、尋ねるまでもない。


逆にだんなを兆治のところにひっぱっていってやる。


ー織田さん・・動き出しましたー


昨日の今日じゃないか。


なんで、急に・・・という思いがかすめて来る。


ーまあ、織田さんが動き出したというより、お島さんがですけどねー


浮浪のだんなが付け足した時には、三治はもう浮浪のだんなのそばに立っていた。


ーそれは・・・つまり、お島さんが出奔する?そのお島さんをとめるためにも


織田のだんなが兆治をつかまえにいく?ー


ーその通りですー


三治はほっと胸をなでおろした。


ー浮浪のだんなが加勢してくれりゃ、もう鬼に金棒・・?・・?ー


浮浪のだんなが、変な顔をして、三治を見ていた。


ーあちきは、加勢はしませんよー


じゃ、なんのために、織田のだんなのことを知らせに来たのか


どこに行くつもりだという?


三治の呆けた顔に浮浪のだんなが笑い出した。


ー織田さんは、つええですよ。


お医者さまですからねー


相手のどこをどう触ったら動きを封じられるか


判っているから大丈夫ということなのだろう。


ーだから、あの時、すった財布ごと、手をおさえつけらたんだー


いまごろ、へたに逆らったらどうなっていたかと判った三治は


逆に1分銀をくれた男に胸の中で手を合わせた。


あの銭に、度肝をぬかれたおかげで、


織田のだんなと近づきになれたんだ。


ーじゃあ・・浮浪のだんなは、なにしに?どこに?ー


ーきまってるでしょうに。お島さんが・・危ないでしょうー


兆治が盾にするかもしれない


織田のだんながくびりころすかもしれない


お島さんが舌を噛んで自害するかもしれない


まだ、ほかにも


危ないことは浮かんできたが


そのどれが当てはまるかなど考えている馬鹿をやってる場合じゃない。


ー行きましょう、だんな 早く、早くー


今度は三治が浮浪のだんなを追い立て


兆治のやさを目指した。



23


兆治のやさにたどり着くと・・・


戸口で、お島さんが倒れ伏していた。


血の気が引いていく三治をしりめに


浮浪のだんなは、お島さんの懐、帯に手を入れる。


ー大丈夫です。織田さんはぬけめがないー


浮浪のだんなは、いったい何をしているんだ。


お島さんは、息をしているのか?


ー織田さんが、落としているんですよー


気を失わせている、と、言うことだと判ると


ーなにをしてるんです。はやく、活をいれてあげなきゃー


三治は、気が気じゃない。


ーいいんですよ。織田さんは、わざと・・・ですー


と、言ったまま浮浪のだんなは動こうとしない。


ー織田のだんなは?ー


兆治と争っているはずなのに


物音がしない。


ー大丈夫です。兆治もちょっと、おとしてるんじゃねえでしょうかねー


浮浪のだんなは、中に入ろうとする三治を押しとどめた。


すると、まもなしに


兆治の罵声が響いた。


ー活をいれたようですねー


と、三治を制したまま、浮浪のだんなは戸口に座り


気をうしなったままのお島さんを見ている。


ー綺麗なひとですー


な、なにをのんびりかまえているのか


なぜ、三治が家にはいるのをとめるのか


ーだんな?いったい、どういうことです?ー


浮浪のだんなとの、ここしばらくで


なにか、考えがあるのだと見当はつくが


その考えがどういうことかまでは判らない。


ー織田さんは、お島さんに聞かせたくないことがあるんですよー


それで、お島さんの正気を落としておいた?


ーお島さんが死んじゃいけないと思ったんですが


懐の中も帯の間にも、かみそりや小刀はありませんでした。


織田さんが、既にぬきとったんですね。


卒がないというか


抜け目がないというかー


それで、お島さんの懐の中に手を入れて確かめた?


ーあちき達の出る幕はないんじゃないかとおもうのですがー




兆治の罵声は


織田によって、肩を抜かれたことをののしっていた。


どうやら、織田は兆治の肩を脱臼させて、兆治の動きをふうじている様だった。


ののしる声は、すぐにお島を呼ぶ声に変わった。


何度呼んでも、返事がない。


ー織田?てめえ、お島に何をした。ま・・まさかー


お島を殺した?


ー惚れた女を殺すなんて、できませんよ。


それは、兆治さんも同じでしょうー


織田は、ひどく静かに答えた。


兆治がどうなっているのか、戸口からは見えなかった。


逃げようともせず、暴れる様子もなく


いや、逃げれないようになっているのか、


暴れられなくなっているのか


それさえも判らなかった。


ーで、織田・・・てめえ、俺をどうしようというんだー


役人に付きだすならさっさとつきだせばよいと


啖呵をきってみせた。


ー私は兆治さんに礼をいいにきたんですよー


突飛な言葉を兆治はせせら笑った。


ーははっ 何の礼かは知らねえが、そんなことより


俺の方が礼をいいたいぜ


この四年 お島の面倒をみてくれて


俺の子も、育っててやってくれて


ありがたくて、涙がでてくる。


だけど、もう、郭公はやらなくてよいだろう


お島とお結を、俺に返す潮時ってやつだ。ー


それも、役人にひったってられたら


どうにもならなくなることでしかない。


兆治は、張り付けになったとしても


お島もお結も自分のものでしかないと


織田にはっきり聞かせたかった。


ー礼もいわないうちに、詫びるのが先になってしまうがー


織田の言葉が奇妙すぎた。


ー詫び?なんの詫びだ?


俺を役人に付きだすことか?


それだったら、お島とお結と・・・腹の子に言ってやってくれ


そして、そうなりゃ、織田、お前は


かわいそうな男だよな。


亭主を張り付けにしたとお島に憎まれ


世間のてまえ、子供を放り出すこともできず


やっぱり、郭公の托卵のまま・・・


だけどな・・・


そんなお島と子供だけどな


俺が死んだら、どうにもならなくなる


織田・・頼む 見逃してくれ


そうしたら、諏訪の山奥にすっこんで


おとなしく暮らす。


頼む 俺にはお島がお結が・・・


生きがいなんだ・・・ー


織田は兆治をみつめると、やがて


哀し気に首をふった。


24



ー兆治さん やはり、最初に礼をいいましょうー


兆治の懇願には、答えず


織田は話し始めた。




戸口の三治は奇妙な織田だとみていた。


礼をいうもそうだが、


なぜか、織田のだんなは


兆治を、兆治さんと丁寧に呼んでいた。




ー私は医者ですから・・


お島が身ごもっていると


すぐに気が付いたのですよ。


兆治さんは二十年島送り


お島は、どうやって暮らしていくか・・


それで、私と所帯をもとうと説き伏せて


お島には、お結が、どちらの子か判らないと思わせる為に


月たらず生まれたと、信じさせたんですよー


兆治は初めて、まともに織田の顔をみたと思った。


ーじゃあ・・・あんたは、お結が


俺の子だと、はなから判ってたということかー


ーそれだけじゃありませんよ。


お島の腹の子も、兆治さんの子ですー


兆治ははっきり断定する織田が変だと思った。


兆治もお島の腹の子は、どちらの子か判っていなかった。


ただ、盗み見たお結が兆治ににた切れ長のまなじりであったことで


自分の子だと確信していた。


織田との間にはお結のあとの子ができておらず、


お島が兆治とのあと、まもなしに孕んだ。


兆治の胤が留まりやすいお島だと思えた。


そして、やはり、兆治もー腹の子は俺の子だーと


お島に言い聞かせた。


お島もそれを認めた。


どちらの子か判るのは、女の方だろう。


と、兆治は考えていた。


だが、今、織田は、


ー自分の子だーと、言わず


兆治の子だと言った。


例え事実で、身におぼえがないにしろ


この場で、なぜ、そんなことをいいだすのか?


怪訝な顔になっていた兆治の考えを見抜いていたのか


織田は話をつづけた。


ー私は・・・子種がないんですよー


ーえ?ー


ーそんな私にね、どうあがいても子供がさずからない男に


子供を授けてくれた、その兆治さんに礼を言わなければいけないー


ー織田・・・ー


だから、なおさら、その子供も


お島も兆治には渡せない。


そういうことか・・


だから、捕まえに来た


見逃すことはできない


そういうことか・・・


ー兆治さん 私は、お島が心底、あなたを望むなら


見逃すつもりでいたんですよー


織田の言葉をもう一度もう二度


兆治は考え直した。


ーどういう意味だ? お島が俺をのぞんでねえ、って


そう聞こえるが


そんな馬鹿な事はありはしねえー


織田は深々と頭を下げた。


ーだから、お詫びを言います。


お島は兆治さんとにげたら


あなたを殺し、腹の子もろともに死ぬ覚悟だったんですよー


ーは? 馬鹿もたいがいにしてくれ


お島は俺に惚れてるし、俺と暮らすと言ったんだ


それを、邪魔しに来たのはおまえじゃないか?


つい、さっきお前がいったんだぜ


「私は、お島が心底、あなたを望むなら


見逃すつもりでいたんですよ」


見逃すつもりなどこれっぽっちもないくせに


大嘘もいいかげんにしろ


そんな嘘で俺を言いくるめようなんてな


俺も悪党だが


おまえは、心底くさってやがるー


ー認めたくないのも、判ります。


昔馴染みの兆治さんに情をかけるお島の気持ちも判ります。


だけど、よく考えて下さい。


お島があなたを殺そうと心を鬼にして


巧く、あなたが生き延びて


夜叉と悪党がひとつ屋根の下に暮らす。


生まれてくる子供は不幸でしょう?


そうでなくても、兇状もちのあなたの子として育つ


子供が不幸じゃないですか?ー


織田は懐に手をいれると中から掴みだしたものを


兆治の前に差し出した。


ー剃刀と小束、お島が懐にしまっていた物です。


お島があなたを殺める罪を侵してはいけない


私があなたのところにきたことで


お島が、自害してもいけない。


だから、最初にお島を失神させた。


できれば、私は


あなた自ら、自首してほしいとおもっていますー


ーふ、死人に口なしじゃねえが


気を失っているお島が本心をいえねえことを


いいことに、作り話をこさえて


それを信じろと・・は


三文芝居もすぎてるぜ


なるほどな、だから失神させたってわけか・・


腐ってるだけならまだ救いようがあるかもしれねえが


へたに頭がまわるだけ、始末が悪い


救いようがねえってのは、そういう・・・や・・え?」


ことんの音がしたと、そっちを見た兆治は


そこに、お島を見た。


お島はたたきに突っ伏し、兆治に土下座をしていた。


ーど・・どういう意味だー


お島が正気を取り戻したのは


どうやら浮浪のだんなが活をいれたせいであろう。


どこからどこまで二人の話を聞いていたかは判らないが


浮浪のだんなに、抜かりが有ろうはずはない。


ーあんた・・・堪忍しておくれー


お島は兆治に詫びた。


ーお島?お、おまえ・・俺をたばかったっていうのかー


お島が首をふると、織田がお島をかばって言う。


ーお島もつらかった。どちらかをえらぶことは出来なかったんだろう


それでも、それで、いいんじゃないんですか?


兆治さんにも本気 私にも精一杯


お島はたばかったりしていないー


ー織田?ー


むしろ、織田にこそ本気で


兆治の事は、情に流されただけだろうに


織田は兆治に本気と言い放った。


ー織田・・・ー


ー私は卑怯者です。あなたを役人に付きだして


結果、私があなたを死なせる、そんなことは恐ろしくてできない。


他の人間が、勝手に、どんな理由が有ろうと


その人の死を決めてはいけないと思うのです。


だから、私は刀をすて、医術を選んだのです。


どんな人でも、生きなきゃいけない


そう考えている私が、あなたに自首をすすめる


これが、一番腐っている私だと思っていますー


織田の言葉をうけ、兆治はもう1度お島を見た。


その姿は


お島もまた、自首をすすめる自分を詫びていると見えた。


ーお島・・・判った。


おまえに勧められたからでもなんでもねえ


俺の人生だ。俺が俺の生き死にを決めるんだ


「あたし」のせいだなんてな、


そりゃあ、うぬぼれもいいとこだぜー


震えて来そうな声をこれ以上、出すことはできない。


兆治は織田に頭を下げて見せた。


織田は、兆治のそばによると


脱臼させた両肩をはめてやった。


『織田 おまえが、医者だってことをすっかり忘れてたぜ』


病気だけじゃない。


この男はお島も俺も みんな治しちまうんだ。


そういうことだ。


俺の咎という病もな。


最後にもう1度だけ、兆治はお島の顔を見たいと思った。


ーお島、顔をあげてくれないかー


伏せた顔が上がってきた。


『お島はこの上なく 綺麗だ』


その顔を目に焼き付けると


兆治は戸口から外に


遠い外に歩むだけだった




    終



 




 


雲(くも)主人公。元々は武士であったが、現在は品川宿の問屋「夢屋」の頭(かしら・現代で言う代表取締役社長)である。


仕事は二の次で、作中では仕事をしている描写はほとんどないが、番頭の欲次郎が病気で寝込んだ際、誰も仕事をする者がいないため、その際には渋々仕事をしている。


何を言われても暖簾に腕押しであり、女を見れば老若美醜にお構いなく「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と決め台詞をやることで有名。


また、女だけでなく陰間とも関係を持った事があり、それが原因で騒動となり、この時は雲も逃げ回っている。


見かけは髷をきちんと結わず、前に結って、女物の着物を身に着けたいわゆる遊び人の風体をしている。


風習や物事に一切囚われず飄々としているが、実は柔軟かつ強靭な精神力を持つ。


また、老若男女を問わず、非常に人を惹きつける魅力を持ち、有事の際には「雲が一声掛ければ、東海道中の雲助が集まる」と噂されている。


また、どのような形で知り合ったのかは不明だが、徳川慶喜に対して、寝転がりながらくだけた口調で話し、慶喜もそれを許すなどの交友関係を持っている。


芹沢鴨との交流もあり「一緒に日本を変えないか?」という持ちかけに「あちきは浮浪雲なんでね、日本を変えようなんて気はありませんよ」と笑顔で返し、芹沢を黙らせた。


同時に居合い斬りの達人であり、滅多にその力を見せないものの、たまに両刃の仕込み杖を使った剣術を見せることがある。


その実力は底が知れず中村半次郎(のちの桐野利秋)や沖田総司等をも負かしている。


空に浮かぶ雲のような掴みどころのない人物ではあるが、たまに夢屋へ様子を見にやってくる自分の母親には、強制的に身だしなみを整えさせられたり、その生活態度を厳しく注意されたりしているため、唯一苦手としている。




かめ 雲の妻。美人ではないが、明るい性格で思い遣りがあり、家族や夢屋の雲助達から好かれている。因みにモデルは作者の妻であるとのこと。


新之助(しんのすけ)雲の息子。11歳。性格は雲とは正反対で真面目で子供とは思えないほどしっかり者であるが、世の不条理に惑わされ悩みやすい一面もある。父の飄々とした生き様には困惑しつつ苦言を呈する事も多いが、心の底では深く敬愛している。


お花(おはな)雲の娘。8歳。お転婆だが新之助と同様真面目な性格。父である雲が大好きで、新之助とは異なり、積極的にスキンシップを行っている。


雲の母 雲の実母で名前は不明。武家の女性らしく身だしなみや生活態度に厳しく、雲が夢屋の頭をしている事を快く思っていない。時折雲の様子を見に夢屋にやってくるが、来るたびに厳しい態度で接してくるため、雲やかめは苦手としているが、新之助とは性格が合うのか、孫として可愛がり、新之助も祖母として慕っている。


欲次郎 夢屋の番頭。夢屋と雲の一家、雲助達をこよなく愛している。全く仕事をしない雲をアテに出来ず、事実上一人で大所帯の夢屋を切り盛りしている。雲助達に口喧しく説教するも親心を持って接するため「とっつぁん」と呼ばれ親しまれている。


渋沢先生 博学多才な楽隠居。雲の豊かで奥深い人間性を、親愛を籠めて誰よりも高く評価している一番のシンパであり、かめや新之助らの良き相談相手でもある。だが、その一方で、雲と共に極悪人を表情ひとつ変えずに始末したことがあるなど、その過去には謎が多い。


青田先生 新之助が通う塾の先生。若く熱血であり、時にうわべだけで物事を判断しがちである。そんな時には渋沢先生に穏やかに窘められたり、雲の行動に真実を気づかされて世の中を理解していく。

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