モンスタードール

パルパン

第1話 気づき愛


 乾いたベッドから起き上がり、耳障りなアラームを止めて、マッテオ・ギュルケは目を覚ます。いつもなら妻のヨハナと一緒に起きるはずなのだが今日は自分よりも早く支度しているようだ。


「おはよう、支度ができたら朝ごはん作っておいて、私はここの掃除で忙しいので」家事洗濯はだいたい僕だ、マッテオは寝起きのか細い声で分かりましたと、返事して朝の支度をする。


 シャワーを浴び終えた妻は朝食が用意された席につく、「マッテオ……私これ嫌いなんだけど」フォークでどかそうとするので「二度と朝食を作らないよ」と言うと淡々と食べ始めた。


 妻の偏食には困りものだ、ちゃんと栄養を取ってもらわないと……死んでしまうんじゃないかと本気で思う時もある。──しばらくして食べ終わるとヨハナに薬を渡す。


 「これも嫌いよ」早老病の薬、西暦4213なった今でもちゃんとした治療法がない。ただ薬による延命は年々長くなっている、つまり飲んでさえいてくれれば死なない。いつもの薬用のゼリーを渡して洗濯物を取りに行く。


「スンスン、無臭?になったのか?」少なくても無菌室の臭いはしない、洗えたのだろう。妻の元に戻ると床に座り込んでいた。マッテオの動機が少し上がりつつ妻の側による。


妻の艷やかでシワくちゃな手を優しく握り、背中を擦る「ゴホッ……ありがとうマッテオ……もう、大丈夫よ」ヨハナが立ち上がると同時に玄関から音がした。


「Dr.ヨハナ、レオン大佐と派遣の研究員方が来ました」もうあの軍人が来たのか。約束の時間まではまだ2時間あるというのに……。元国立地下研究所の玄関に出向く、赤と黒の軍服に虚ろな目の男が僕たちを見るやいなやゆっくりと歩み寄る。


「ご機嫌よう、夫妻方。死人の様に青白いがお元気?私は道化の様に舞台せんじょうを転げ回っているゾ」その場に居るだけなのに身振り手振りが五月蝿い、本当にピエロの様だ。


 「ご無沙汰しておりますレオン大佐、今回の実験データが取れましたらいよいよモンスタードールの実験に着手できます」妻は部下に研究室へ案内する様に指示を出し、彼から書類を受け取る。


「……被検体は準備されてますね、これなら来月、早くて2週間後にでも実験でしますね」この早くてもの意味は僕達の睡眠時間を削ればという意味だ。この軍事国家の人間なら強要してきそうだな。


「あぁ確実に、慎重に、焦らずやってくれ、戦争とはいえ我が国家の年間の戦死者はたったの6人!皆、舞台慣れした古強者なので」モンスタードールの居ない国でここまでやれるのは凄い事なのだが正直な話、無限に襲ってくるヒューマノイド達との戦争に終わりが見えない。


 「……そうそう、マッテオ先生に渡して置きたいものが」足踏みしながらサッと、手渡ししたのは二丁の拳銃だった、思わず不信な顔をしてしまう。


「こんな時代に夫妻方は銃の一丁も持ってないと聞きまして、特別なものをこしらえましてございます、どうぞお使いください、説明書もどうぞ」懐から次から次に取り出した。ピエロというよりマジシャンのみたいだな。


「わざわざお気遣いありがとうございます、有り難く頂戴いたします」3つの説明書を受け取るとレオン大佐は胸ポケットから懐中時計を取り出し、口をパクパクさせる。


「それでは私も仕事がありますゆえ……、夫妻方おさらばです」浮足立ちながら装甲車に乗り込んで走り去り、マッテオ達もその場を後にした。


 一旦自室に大佐からの贈り物を置き、地下深くの研究室までの廊下を二人きりで歩いて行く。冷たい空間のせいだろうか、妻に不信を抱いてしまうのは。


「……ヨハナ」思い至ると声が出てしまった。疑う事は愚かなのかも知れない、でも知らなければ、確認しなければ恥じて死ぬかもしれない。


「分かるわよ……でも聞いてあげる」自分自身の理想の妻像をなぞる為に。互いに立ち止まるがマッテオは軽く俯き、とても怯えているのを自覚しながら。


「これは……、この実験は……、君と、そしてその理想を共にする僕を裏切る行為じゃないのかと……、思ってしまったんだ」そうだ、分かっている。妻は理想を合理的に叶えようとしているし、僕はそれに同意している。


「──マッテオ・アルベルト・ギュルケ……、私の助手をするため為だけに結婚した男、愛と正義は世界を救わない。私の理想に反しても理想を叶えるのはおかしな話では無い」十二の博士号と3つのノーベル賞を得ている妻が言うのだから間違ってはないだろうが……それでも、理想と反することが苦痛で仕方なかった。


「じゃあ……、確認するよ」妻は軽く頷く、

「ヨハナ・グレース・ギュルケ……、アナタの理想はなんだ?」僕は覚えている、妻は初めてその理想を口にした時と同じように答える。

 

「……私は不幸を無くし、誰しもが納得する、愛と正義と公平の世界を作る事」これを聞いて助手になりたい人間は居なかった……、マッテオを除いては。


 ただ戦争と支配にうんざりしていたマッテオにとってはある種の希望に見えた、それだけだ。結婚したのは書類上の好都合になるのと少子化の政策で補助金が出るそうだから。子供には興味無いどころかヨハナは愛なんて知らない、あの理想は全て自己満足だと言っていた。


 だけど、ヨハナと過ごして3年経ってマッテオは愛している事を自覚してしまった。気づいたのは2年前、ヨハナという人間をだいたい知り尽くしたあたりからだった。


「……絶対に忘れないでください」クスクスと妻は珍しく笑っていた、お互い死人の様に冷たく、表情だって石の様に固いのだから。


「アナタって変な人ね、こんな馬鹿げた理想を、私の大それた人生の暇つぶしに本気になっていたなんて、変よ、変」余りにも笑う姿を見てマッテオは少し顔を赤らめる。


「僕はただ、本来の目的を忘れて違うことをしだすんじゃないかと心配しただけです」妻は恥ずかしいのを誤魔化そうとしているマッテオが珍しく、そしてそれが面白くて仕方なかった。


「いやね、私が可愛くて美人とかならまだ変じゃ無かったかも知れないけど、私世間体で言えばかなり醜いわよ。それに早老病で長くは生きれないのも、……だから変なのよ」暗い顔の妻についその両手を握った。


「……僕はモテました」

「うっさいわ」即答に二人は間をおいて笑った。

「でも性格は最低だと色んな人に言われましたよ」マッテオの理念は命あってこその人生であり、知覚した事実が全て、故に他者を利用するのは悪ではないと、考える。


「……今回も真面目に答えないの?」答えた真実に納得してくれないのは分かる。それに本気で好きになってしまったなんて言ったら笑われるだろうし恥ずかしくてとてもじゃないが言えない。


 ヨハナはいつも気がかりなのだ、彼との結婚の日、マッテオに家族の縁を切らせた事と彼をこき使っている事。自分を恨んでいるかどうかを考えると同時に自分自身の不幸と比べてしまう。


 惨めな幼少期、天才と見るやいなや過度な期待を寄せる家族、娯楽の一切を捨てた人生を考えると自分が世界で一番不幸なのではと傲慢なのは分かってながらも、そう思わずにはいられなかった。


「前話した通りですよ、僕はどんな手段を使っても生き残る事を優先する男です。その為に科学者になり、そして今はアナタの助手をしている。素晴らしく生きている、間違ってますか?」本心も本心、マッテオにとってはヨハナの隣が幸せと安心を感じているからだ。


 ──だがヨハナの感は言っている事が全てでは無いと分かる。それはそれなりに長い付き合いがあってこそ分かる感覚だった。


「……もういいわ、そうやってずっと隠してればいい」マッテオもそれがいいと茶化す。喧嘩では無いがこういう互いに言うだけ言って黙る。


 二人が研究室の前の廊下につくと、研究員の言い争う声がした。マッテオは全身に嫌な予感を感じ、悪寒が止まらない、だがヨハナが研究室に走って入るのを見て後を追わずにはいられなかった。


「なにをしている!」ヨハナがそう叫ぶ頃には薬品が研究対象である タナトスピルツ に降り掛かっており、凄まじい化学反応を起こし始めていた。


 青白い光は黒と白に強い閃光に変わり始めた。しかしヨハナは懐からタナトスピルツの抑制薬を取り出し近づいて行く、マッテオは死の恐怖に怖じけづくよりも先にヨハナを庇う為に前へと進んでいた。


 抑制薬は間に合わない、生物兵器であるタナトスピルツの爆発に耐えられる筈もない。なんで死にたく無いのに、こんな醜い女の為に……、どうして愛はこうも自分をおかしくしてしまったのだろうかと後悔と諦めからかマッテオはヨハナに笑顔を向けていた。



 


 ────爆発の後、マッテオは封鎖通告のサイレンの音で目が覚めた。恐怖を煽るような不快な音を消すすべはなく立ち上がる。意味が分からない、マッテオの思考は抑制薬が悪さしたと一旦結論づけ、今どうするべきかを考える。


 爆発を見るに被爆に一番近いのは僕と妻か……ふとヨハナの死体が無いことに気づく、生きている?そんな事があるだろうか?考え終わる前にマッテオはヨハナを探し始めていた。


 タナトスピルツ──死なきモノに死を与える破滅の化身、発生源は北極に撃ち込まれた核の放射線の中で見つかった。このキノコは手当たり次第に菌糸をばら撒き物質を苗床へと変換させる悍しきもので、国は生物兵器として利用する為ヨハナに研究依頼を頼んだのだ。


 大掛かりなものだからと派遣の研究員を雇ったのは間違えだったと、マッテオは思いながらもキノコの粘液塗れな廊下を微かな蛍光灯の明かりを頼りに進む。


 自室に戻り大佐から貰った銃を手にして、バイオハザードの中に居るかもしれない妻を探しに行く。もし、本当に生きているなら側に居てあげなきゃいけない、じゃないと妻は自分自身を責めてしまうだろう。


 そんな筈がない、そんな訳もない。世界で一番頑張ってるのに、自分の人生を否定してほしくない……。朽ち果てたかつての同僚と部下の屍ばかりが目に映る。


 白と黒の模様、タナトスピルツが完全に成長しきった姿だ、妻は近くに居るのだろうか?マッテオは恐る恐る貯水室に入る。


 タンクの隅に一際大きいタナトスピルツの成体が生えていた。しかし改めてタナトスピルツは可笑しい、名前にピルツとあるのに水分だらけの、この場所でこうも繁殖しているのだから。


 突然、モゾモゾと大きいタナトスピルツが動き出した。拳銃を構えながらマッテオは意思の疎通をはかる。

「誰だ!ゆっくりこっちを向け」スクッと立ち上がると頭部のカサがゆらりと揺れ、全身が露わになった。


 何度も見た白衣姿だ、黒い手袋にも見覚えがある。マッテオは思わず、「ヨハナ……?」それは声に反応し素早くこちらを向いた。肌はミルクの様に白くシルクの様に艷やかで、思わず息を呑んでしまうほどにスレンダーで美しい体型。


「マッテオ……生きてるの?」妻で間違えないのだろうか?マッテオは喜びに先走って油断したりしないぞ、と拳銃を向けたままの体制をとる。


「本当にヨハナ・ギュルケか?」本物か疑われているのを理解したヨハナは少し間をおき「……マッテオは洗濯物を取り出すといちいち臭いを確認する癖がある。しかも、私のパンツにも容赦なく嗅いでた」マッテオはハニカム表情で銃を下ろし、妻に近づく。


「あの……、わ、私」ヨハナは突然俯き、声が少し震えていた。マッテオはどうした?と聞き返す。


「私さ、……その、知能が……さ…………無くなった、の」思わず驚きの声が漏れるとマッテオにヨハナが抱きついた。


「私の知識が!私の人生そのものがパァになったのよ!あなたの人生まで使い潰したのに!こんなに頑張ったのに、全部無くなるなんてあんまりよ!」胸の中で泣きじゃくる妻の姿をみて優しく背中を撫でる、妻の背中は随分と大きくなっていた。


「ヨハナは頑張った」その言葉を聞くとマッテオの腕を振りほどき、怒りと悲しみが混じった声で「やめてよ!」と訴えるかの様に叫んだ。


「本当は私が惨めな目にあって清清してるんでしょ!アナタに家族の縁を切らせた私を恨んでたんでしょ!醜い私が嫌いで仕方なかったからいつも隠し事をしてたんでしょー!」余りにも感情的な妻の姿は不思議な胸の高鳴りを感じた、自分も打ち明けるべきだろうか?


「じゃあ、本当の事を話すよ」──言うのが怖い、もはや全てが変わってしまった今、留めるべき理由は無いマッテオはそう結論づけて、ゆっくりと呼吸する。



 「……僕は…、君が好きだ……、好きなんです」衝撃的な告白にヨハナは手が握った状態で固まる。


「嘘よ!そんな訳ない!」3年間一緒に居て一度も聞いた事もない言葉に全力で否定する。マッテオは両手を握りそばによる。


「僕は夢に向かうアナタの姿に惹かれました!逆境の中で人知れず努力する姿に恋をした!アナタの側に居たいと思った!自分は醜いと言いながらこっそり化粧の練習する所とか、僕に気遣って料理しようと頑張る所が可愛くて愛おしい!一緒に努力して同じ夢を歩んで来た事がとても幸せでした、僕はヨハナ・グレース・ギュルケという人物が大好きなんです」……何もかも打ち明けた、僕が思っていた全てをさらけ出した。反応が怖い、拒絶されるかもしれない、でも……、伝えられて良かった……。


 マッテオは左手の黒い手袋を外し結婚指輪を見せる。

「……まだ付けてたのね、ソレ」ヨハナも左手の黒い手袋を外すと同じく指輪がはめられていた。


「私は人に優しくされた事無くて、アナタみたいに穏やかで思いやりな人初めてだった。だから出来るだけ世の中の理想の妻像をやろうって思ってた。マッテオに嫌われたくなかったから」マッテオは今にも涙ぐみそうな顔で見つめる、今度はヨハナが両手を握りそばによった。


「私、もう何もしてあげれないけど……愛してくれますか?一緒に居て良いですか?……夫婦で…、居てくれますか?」思い思いの言葉にマッテオはギュッと優しく抱きしめた。


「僕がしてあげたいんです、愛おしいからずっと夫婦で居たいんです」だんだんとキノコのせいかヨハナの体がヌメヌメしていたがそんなもの気にもとめず二人は幸せなキスを交わしたのだった。

 

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