第3話 楽器クラッシャーの私に悪役令嬢役は無理だ……

 気がつくと自室のベッドで寝ていた。

 手にぬくもりを感じて確かめると、ベッドサイドでルイスが私の手を握ったまま静かな寝息をたてていた。

 そっと頭を撫でていると、「ん……」とくぐもった声をもらして目を覚ました。


「リィ! 大丈夫? 痛いところない? 僕のこと分かる?」


 起きた途端、私の顔を見るなりすごい剣幕で尋ねてきたルイス。大きなエメラルド色の瞳から今にも涙があふれだしそうなくらい潤んでいる。どうやらかなり心配をかけてしまったようだ。


「私は大丈夫だよ、ルイス。心配かけてごめんね」


 不安を拭ってあげたくて笑ってそう答えると、彼は安心したようにほっと息をもらした。


 あれから一週間、私は眠りっぱなしだったようだ。お医者様からの診察を受けていた頃、登城していたはずのお父様とお母様が血相を変えて駆けつけてくれた。


 温かい家族に包まれて、生まれ変わった私もやはり幸せだ。幸せだけど、翼の事を考えると胸が痛くて仕方なかった。


 (翼……)


 心にぽっかりと穴が開いているような感じがしたのは、前世の私の無念な思いから来ていたものだったようだ。

 小鳥が去って行くのを見て胸が痛んだのは、その姿を翼と重ねてしまっていたからだ。

 そして壊れたヴァイオリンを見て感じた既視感は、前世の記憶だったのか。


 最後に翼はなんて言っていたんだろう。私がこうして生まれ変わってしまったって事は、翼もきっと……助かってはない、よね。


 (楽しみにしてたのにな……結婚式。翼……つばさ……っ)


 左手の薬指を見たって、生まれ変わった9歳のリオーネである私の指には翼がくれた婚約指輪なんてあるはずがない。


 涙があふれて止まらなかった。全身の水分がすべて失われてしまうんじゃないかってくらい一晩泣き続けた。



 どれだけ泣いたって翼はもう帰ってこない。いつまでも泣いていたら家族に心配をかけるだけだ。それに、こんな姿を見たら翼だって悲しむだろう。


 進まなきゃ、前に……美月はもう死んだんだ。早すぎる死だったけど、最愛の人と一緒に最後を迎えたのなら、彼1人を残して寂しい思いをさせることもなかっただろう。家族や友達には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、それだけは──不幸中の幸いだったのかもしれない。


 強くなろう。今生では、大切な人を守り抜けるように。もう2度と、こんな思いをしなくてすむように。



 翌朝、一晩泣きはらした顔は酷いものだった。侍女のメアリーに心配されながら赤く腫れた目を、氷水につけた布で冷やした。

 クールダウンして、冷静になってそこでようやく私は重大な事実に気付いた。


 ここ、翼が好きだった「ウィーンブルクの錬金術士」に出てきた音楽の都と称されたウィルハーモニー王国──そのものだ。


 これは、夢?


 起きたら全部夢でしたっていうドッキリだったらどんなに幸せだったろうか。


 目を冷やす感覚はリアルだし、9年間リオーネとして生きた記憶もしっかりある。

 楽器に触れなくて苦悩して塞ぎ込み、鬱病にかかってしまったかのような重たい気持ちで心が埋め尽くされそうだった。


 記憶を取りもどしてなかったら、そのまま自殺をはかったんじゃないかってくらい思い詰めていた。

 食欲も落ちて、身体もガリガリに痩せている。下手すると、あのまま死んでいてもおかしくなかったのかもしれない。だから、家族があんなに心配していたのか。


 もしかすると前世で無念な死を遂げた私の自己防衛反応が、昔の記憶を呼び覚ましたのかもしれない。


 そんなことぐらいで死ぬな! と。


 今ならそんな気持ちにはならない。楽器に触れなくても、十分楽しく生きられる事を翼に教えて貰ったから。


 でも、何でよりにもよって転生した先がこの世界なのか。生まれ変わった私も悲しいくらいに音楽的センス0だ。見事な楽器クラッシャーだ。


 それなのに音楽の都と名高いこの王国のよりにもよってこの人物に生まれ変わってしまったのだろうか。


 リオーネ・ルシフェン・レイフォード


 リオーネは、「リューネブルクの錬金術士」のファンディスクとして発売された音楽系恋愛シミュレーションゲーム「夢色セレナーデ」に出てくる悪役令嬢だ。


 翼が好きだった「リューネブルクの錬金術士」には、メインキャラクターより人気を博している冒険先に出てくるサブキャラクターが居た。


 その中でも特に人気を博してしていたのが、冒険先の一つであるウィルハーモニー王国に出てくるリヴァイド・ブラーシュ・ウィルハーモニー陛下と、王国一のヴァイオリン奏者ルイス・ローフェン・レイフォード公爵のコンビだった。


 そのあまりのイケメンさに女性ファンから「どうして彼等を攻略出来ないのか」と苦情が殺到。


 その結果、ファンディスクとして彼等の学生時代のストーリー、ウィルハーモニー王国を舞台とした音楽系恋愛シミュレーションゲーム「夢色セレナーデ」が発売されたほどだ。

 ちなみに、リオーネはそこで初めて登場したキャラクターだ。


 舞台は貴族の通う名門私立ローゼンシュトルツ学園で、平民あがりで音楽に関してほぼ素人の男爵令嬢の主人公を育成して、コンクールで優勝させるのが目的だった。

 その課程で4人の攻略対象キャラクターたちと絆を深めていくと恋愛エンドもあるらしい。

 私はノーマルエンドしかしたことないから、恋愛エンドの方は知らない。


『俺が居るのにそれ、やりたいんだ? ちなみに誰が好みなの?』


 ゲームのパッケージを見ていたら、翼にそう茶化されて私は必死に否定した。

 恋愛がしたかったわけじゃなくて、このゲームの中なら楽器を演奏できる。


 少しだけその余韻に浸ってみたいというか、楽器に対する憧れがあったからで……と、必死に訴えていたら思いっきり笑われたのが懐かしい。


 でも、あの中だったら翼と同じピアノ奏者のリヴァイド王子が格好良かったな。「リューネブルクの錬金術士」の中でもかなり親切で紳士的なキャラだったし。


 そして人気を二分するルイス公……それは、大人になった私の双子の兄ルイスのこと。王子とは古くからの親友で、領民思いの優しい公爵として登場していた。「夢色セレナーデ」の中では……ヴァイオリンがすごくうまい人っていうイメージしかない。ごめんなさい、お兄様。


 攻略対象は4人居て、リヴァイド王子とルイス以外の2人は正直名前さえよく覚えていない。

 リオーネと同じく「夢色セレナーデ」からの参入キャラで、ノーマルエンド一周しただけではそこまで印象に残らなかった。


 多分、私がイベントをうまく回収出来ていなかったせいだろう。中々シビアな育成パートで難易度が高く、技術ばかりを磨いていたら攻略対象とほとんどエンカウントしなかった。


 それに比べてリオーネの出現率は高かったな。主人公のライバルとして登場するのが私こと悪役令嬢のリオーネ。自信に満ちあふれたかなりの高飛車キャラだった。


『そんな事も出来ないのかしら?』


 物語の冒頭で、主人公を小馬鹿にした態度で絡んでくる。練習する先々に現れてはチクチクと嫌味を言うリオーネ。

 本当は主人公の事が好きなんじゃないの? と言いたくなるくらい、主人公の待ち伏せをしている変なお嬢様だった。


 ノーマルエンドでは主人公に優勝を持って行かれて悔しそうに捨て台詞を残して去って行ったんだっけ。他のルートではどうなるのか分からないけど、あれだけ嫌味を言うキャラなんだ……きっとろくな未来はなかっただろう。


 でも私にとって問題はそこじゃない。リオーネは、ルイスと2人で奇跡の双子と称されヴァイオリンの名手として有名だったのだ。


 ヴァイオリンを折る名手ではない。

 ヴァイオリンを美しく弾きこなす名手として。


 この時点ですでに物語に亀裂が入っている。このままいくと私はライバルキャラとして登場する所か、公爵家の恥さらしとして名を轟かせる事になってしまう。


 ど、どうしよう……前世の経験から、この楽器クラッシャースキルは治すことが出来ないものだった。

 もう呪いとしか言いようがないとまで医者に言われてしまい、神社で何度もお祓いや祈祷をしてもらったけど治らなかった。それ以降、楽器を無駄にしないために触れない生活を心掛けていた。


 こちらの世界のお父様とお母様は教える先生が悪いと思っているみたいで、私に次々と新しい先生をあてがってくれる。


 けれど、どれだけ良い先生をつけたとしても私には無理だ。楽器に触れなければ練習すら出来ないのだから。


 ここは正直に話すか……でも、前世の記憶が17年分あるとはいえ、この世界ではまだ9歳の子供。


 実は前世から音楽の才能が0なんですとか言い出したら、ますます驚かせてしまうだろう。これ以上、お優しいお父様とお母様に余計な心労をかけたくない。


 その時、伸びやかで澄んだヴァイオリンの音色が聞こえてきた。きっとルイスが弾いているのだろう。私は楽器に触ることすら出来ないのに、双子の兄であるルイスは着実に練習を積んでいる。


 彼が居てくれれば、レイフォード家は安泰だ。「リューネブルクの錬金術士」の中でも、立派な公爵として領民に慕われていたし。むしろ、そこにリオーネの存在はなかった。ファンディスクで初めて登場したというのもあるだろうけど、居なくても大丈夫なはずだ。少なくともその世界では。


 このまま私がこの家に居ても悪役令嬢役さえ無理だし、家族に迷惑がかかる。この国で、音楽は一種のステータスだ。公爵家の令嬢として楽器の1つも弾けなければ、それはもう笑いのタネになるだけだろう。


 だったら……この家を去ろう。


「リューネブルクの錬金術士」の舞台である隣国、リューネブルク王国にある自由都市アルカディアに行けば、そこは身分制度のない自由な場所だ。楽器を弾けなくても、何の問題も無い。かなりやりこんだからあっちの知識なら、かなりある。地図だって覚えている。


 それに、錬金術の学校がある。折角翼の好きだったゲームの世界にきたんだ。一度しかない人生ならば、私は隣国で錬金術を学びたい!


 そしていつか──難しくてクリア出来なかった暗黒大陸を攻略して、あの伝説のレアアイテム「賢者の石」を作るのだ!


 賢者の石……そうだ、賢者の石があれば私の楽器クラッシャースキルを治すことが出来るかもしれない。あれはどんな難病も治してしまう奇跡のレアアイテムだった。


 もしいつか、その夢が叶って楽器に触れる時がきたら──ピアノを弾いてみたいな。

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