第2話 前世の記憶

 西条美月(さいじょうみずき)


 それが生前、日本という国で女子高生をしていた私の名前。祖父母は有名なオーケストラ奏者で、母はシンガーソングライター、父は音楽プロダクションを経営しておりそこそこ裕福な家庭で育った。そのため幼い頃からあらゆる習い事をさせられ、発覚したのが音楽的センス0という悲しい現実。


 楽器を触れば即破壊──何度友人のリコーダーをお釈迦にしてしまったことか分からない。

 口から紡ぎ出すメロディーは不協和音──合唱コンクールではそれ故にいつも指揮者役だった。

 

 ついたあだ名は『楽器クラッシャー』

 そして又の名を『殺人ボイス』


 幼い頃は陰でそう言われているのを知らないフリして、偽りの笑顔の仮面を被って学校では過ごしていた。だけど、そんなことをする必要ないって気付かせてくれた人が居た。


 幼い時からの腐れ縁。親同士が学生時代からの親友で、生まれる前から勝手に決められていた婚約者。


 海藤翼(かいどうつばさ)


 海藤コーポレーションの社長の息子。三人兄弟の末っ子の彼は、私と違い音楽的センスにあふれピアノの腕前はかなりのものだった。

 絶対音感を持っていて、聴いた音楽を即興で弾きこなせる。おまけに頭も良くて運動も出来てルックスもいい。


 だけど、それを無にしてしまうほどの致命的な欠点があった。翼は超絶的な機械音痴で触れた電子機器を壊してしまう才能の持ち主だった。


 そこでついたあだ名は「機械クラッシャー」


 パソコンも触れないし、スマホも持てない。ドライヤーで髪を乾かす事も出来なければ、テレビのリモコンさえ触れない。

 

 この電子機器にあふれた世界ではさぞかし生きにくいに違いない。けれど、彼はそれに悲観することなくあっけらかんと生きていた。


「使えないなら使わなければ良い。だってそれが、俺の個性だから」


 電卓の代わりにそろばんを使い、ネットの代わりに新聞や難しい情報雑誌を見て、スマホを使う皆の傍らで本を読んで過ごす。そのおかげか暗算が得意で頭の回転が速く、博識になった翼。


 皆が写真に撮ってすませるものを綺麗な字でメモ帳に書き留めて、それを苦にしていない。周囲の目を気にする私と違って、翼は実に堂々と生きていた。 


 元々面倒見のいい性格も相まって彼はいつも友達に囲まれて楽しそうだった。翼が困っていると、さっと何も言わずに手助けしてくれる友達が居て、翼も彼等が困っているのに気付くとさりげなく自然に手助けしていた。そんな彼等の周りには笑顔があふれてキラキラ輝いているように見えた。



 小学生の頃、そんな彼を傍で見ていてコンプレックスに怯えながら生活する自分がひどく滑稽に思えた。


 自分で音楽を奏でることは出来ないけれど、聞くことは好きだった。友達と音楽の話題で盛り上がりたいと思っても、周りが遠慮しているのに気付いたから邪魔しないようにそっと距離を置いていた。


 一歩踏み出してみたいと思っても中々勇気が持てなくて悩んでいた。そんなある時、クラス演劇のメインシーンで使うBGMの選曲をするため、有志でふさわしいと思う音源を持ち寄りその中から投票で決めることになった。


 当日、机の中に手を忍ばせてCDを掴むも中々提出できずにいた。


「他に持ってきてる人は居ませんか?」


 司会者である翼の呼びかけに、CDを掴んだ手は震え、緊張で喉がカラカラに乾いた感じがして声を出せなかった。


 皆、もう提出をおえていて誰も手を上げる人は居ない。クラスがシンと静まりかえる中、沈黙を破って翼が私に声を掛けてきた。


「美月! お前もCD持ってきてるだろ? 流すから貸して」


 突然のことに、身体が大きく震えた。


「(そんな話題、美月にふったらだめでしょ)」

「(婚約してるって言っても実はあの2人、仲悪いのかもね~)」

「(だね。こんな公開処刑みたいなこと、普通しないよね。美月ちゃん可哀想……)」


 ヒソヒソと話し声が聞こえてきたのをよく覚えている。あの時、クラスメイトが同情と驚きが入り交じったような表情で私の方を見ていたっけ。


 だけど、翼だけが私に違う視線を向けてくれていた。「お前なら持ってきてるだろ」と信じて疑わない真っ直ぐな眼差し。それに勇気づけられて、一歩踏み出すなら今しかないと思った。


「うん、これを……」


 机に隠し持っていた洋楽のCDを差し出した。一通り皆が持ち寄ったものを聞いて、投票でどれを使うかが決まる。


 とうとう私の番が来て、レコーダーから私の選んだ曲が鳴り始めた。


 音楽一家で育ち、耳だけは誰よりも肥えていた。シナリオを見た瞬間、あの場面にはこの曲しかないと頭に浮かんだ。


 それでも、それが独りよがりのものだったとしたら……不安に押し潰されそうになりながらも、緊張でうるさいほど鳴り響く心臓の音を閉じ込めるように必死に胸を抑えながら皆の反応を待つ。


 曲が終わった瞬間、なり響いたのは絶賛の声の嵐だった。


 その後、私の提案した曲が1位に選ばれ、皆で作り上げたクラス演劇は優秀賞をとった。それがきっかけで、皆と普通に音楽の話も気兼ねなく出来るようになって毎日がすごく楽しくなった。あの時の翼が私に声を掛けてくれたから、前向きになれたんだ。


 中学に上がって、私は名門私立女子校、翼は名門私立男子校に通うことになって離れ離れになった。そして──


「おかえり、美月」


 帰宅すると、主の私より先に勝手に部屋に上がり込んでくつろいでいる不届き者が居るのが、日常になっていった。


 彼が私の家に来るのには目的がある。


 口では「可愛い婚約者に会いに来るのに理由なんて居る?」とか言ってニコニコしてるけど、その手に隠し持っているゲームを奪い取ると年相応の少年らしく焦る翼。


「これがやりたいから、でしょ?」

「……うん」


 学校で皆の前で見せていたクールな感じとは違って、すこし恥ずかしそうに頷く、そんな翼の可愛い姿を見られるのが嬉しかった。


「じゃあ、今度ピアノ聞かせてね」

「お望みのままに、何でも弾いてやるよ」


 翼の好きなゲームに付き合う代わりに、私は彼にピアノの演奏をお願いしていた。

 奏でられる旋律に癒やされるっていうのもあるけど、ピアノを引いている翼の楽しそうに笑う横顔が好きだったから。



 そんな生活が高校生になってからも続いていた。その当時、物作り系シミュレーションRPG「リューネブルクの錬金術士」というゲームが翼は好きだった。

 冒険して素材を集め、錬金術でアイテムを生成してお店で販売したり、依頼品として納めたりして資金を集め、寂れたお店を繁盛させるのが目的で、かなりのやりこみ要素があり、かつ色んなエンディングがある。


 世界一の街にするもよし、冒険を本業にするもよし、ひたすら錬金術を極めるもよし、特定のキャラクターエンドを迎えるもよしと、とにかく自由度が高いのが特徴だった。



 その頃になると、翼に最初のような恥じらいはなくなっていた。私の部屋の一部を徐々に侵食し、勝手に小さな冷蔵庫を置いて、飲み物やデザートを常備。冬になるとコタツが増え、その上にはケトルと高級みかんがのっている。


 私が煎れた熱いお茶をすすりながらみかんを頬張り、「次はあそこに行け」だの、「それはまだ使っちゃダメだ」などと色々指示を出してくる。


 そのくつろぎっぷりはもはや家族の域に達していた。『熟年夫婦みたいね』と両親に比喩されるなんとも悲しい勘違いを生み出すほどに。


 翼のことが好きだった私はそのたとえが嬉しくもあったけど、虚しくもあった。

 翼はゲームがしたいから私の所に通っているだけだと思っていたから。


 でも実際は、ゲームはただの長居するための口実で、帰りが遅い両親の代わりに私が寂しくないように、家に寄ってくれているんだと気付いた。


 夕方来られない時は朝、律儀にポストに置き手紙と小さな可愛いくまさんのぬいぐるみを入れてくれていた。


「戸締まりはちゃんとしろよ」

「誰か来ても出なくていいから」

「カーテンはきちんと閉めるように」

「家の電気はなるべく多くつけて」


 などと、注意事項が必ず書いてあった。そして翌日になると「昨日は大丈夫だったか?」と、少し過剰なんじゃないかなってくらいに心配してくれるから。


「昨日はゲーム出来なくて残念だったね?」って尋ねると、「俺はお前に会えなかった方が残念だ……」って本音を漏らした後、「いや、何でも無い……今の、忘れて」って顔を赤くして照れながら否定する翼が可愛くて仕方なかった。



 高校2年の秋の終わり頃、『しばらく行けない』という置き手紙と沢山の動物のぬいぐると共に、翼からの連絡が途絶えた時があった。


 寂しくて、悲しくて、何度も泣いて、家を訪ねても会えなくて嫌われたんだと思っていた。

 翼が置いていったゲームを独りでしても、全然楽しくなくて、心にぽっかりと穴が空いてしまったような虚無感を拭うことが出来ないまま日々を過ごしていた。


 そして3か月が経った頃、何事もなかったかのように平然と翼が私の部屋に上がり込んでいた。

 疲れているのか、彼はコタツに突っ伏したまま寝ていた。手に小さな箱を握りしめて。

 とりあえず風邪を引かないようにそっとブランケットをかけてあげると、身じろぎして翼が起きた。


 寝ぼけ眼でこちらを見て、「おかえり、美月」って口元を緩めて言われただけで嬉しくて涙が止まらなかった。

 急に泣きだした私に、翼はどうしていいか分からなかったようでオロオロとした様子で背中を撫でてくれた。


「今までどこに行ってたの? ずっと心配してたんだよ……」

「お前に、これを渡したくて」


 翼は手に握りしめていた小さな箱を渡してくれた。お礼を言って中を開けると、そこには小さなダイヤモンドのついたシルバーリングが入っていた。


「誕生日、おめでとう。美月、来年……その、お前が18になったら結婚しよう」


 私の左手の薬指に小さなダイヤモンドのついたシルバーリングをはめてくれた。

 3か月、お父さんの会社で仕事を手伝って資金を貯めて婚約指輪を買ってくれたのだと、その後分かった。

 嬉しくて涙が止まらなかった。この幸せがずっと続けばいいと思っていた。



 だけど、その幸せは突然──脆くも儚く崩れ去る。



 高校2年の終わり頃、翼と一緒にブライダル雑誌を買った帰り道、私達は共に誘拐された。薬品をかがされ気を失った私達は、気がつくと自殺の名所として有名な断崖絶壁の崖の上に居た。足にはチェーンをつけられ、繫がれた先には重厚そうな錘が見える。


「恨むなら、お前達の親父を恨むんだな!」


 犯人はそう言った後、私達をそのまま崖から突き落とした。

 この高い崖の上から海に落ちたら、いくら水面とはいえその堅さはコンクリートの地面に匹敵するってテレビで見たことがある。


 怖くて目をつむると、身体を包み込むようにしてきつく抱きしめられた。翼が私を庇うようにして自分の身体を下にして、何かを耳元で囁く。

 だけど風の音が強くて、何て言っているのか分からなかった。そのまま全身を堅い水面に打ち付けられた私達は、暗くて深い海の底に沈みながら意識を手放した。


 享年17歳。そこで美月として生きた私の記憶は途絶えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る