拇指の丘

富永夏海

拇指の丘

 巨人族は瞑目する。鎧を身につけた小さき単眼族へ向け。巨人は単眼の肉を喰らう。そうでなくては躰を保てず、この黄鉄鉱の地下都市も滅亡する。

 巨大な無限軌道には幾万の単眼族があてがわれ、重い金属を押している。彼らはまた、殖やされている。近年は雄をも孕ませ、食用単眼の生産が滞らぬようにしている。百年に一度、ひとり、知能の高い単眼が選ばれ、小さな黄鉄鉱の鎧を身につける。そしてこの日ばかりは単眼と巨人は同じであると宣誓し、犠牲の巨人をひとり選んで〈拇指落としの刑〉を執行する。巨人族の免疫系統を総べる拇指を落とせば、その者はたちまちあらゆる病に罹患する。脳は防衛反応でいやましに鋭敏になるから、肉体が徐々に朽ちてゆくのを鮮明に認識しながら死んでゆく。その巨躯に備わった幾万の寿命が尽きるまで。そして自分がああでなくてよかったと、平凡な日々のなんと尊いことかと、みな感謝する。そのように都市は繁栄してきた。そこに対して、ぼくは別に、賛成も反対もない。そうならそうで、そうやってくしかない。ぼくは軌道部に配備されたただの労働単眼、父と母と妹は食用単眼で、先月みんな罐詰になった。そこに対して、何をどう感じればいいかわからない。そもそも〈感じる〉というのがどういうことだかわからない。

 都市のはずれの巨人墓地をさらに越えると、丘がある。この丘を構成するのは切り取られた巨人の拇指だ。拇指落としは極刑。あらゆる罪を浄化する。といっても、巨人族のいう極刑や罪、それらがいったいどういうものなのかはわからない。ぼくの父も母も妹も、罪の浄化のため肉になった。だから家族のうちぼくがいちばん罪深いということになる。

 まあそうなんだろう。

 だってこんなふうに抜け出してさぼってる。こんなふうにして生きてる。みえもしない空をみあげ。この都市の上には地面というものがあり、そのさらに上には空というものがあるらしい。以前、地上に行ったことがあるらしい巨人が話していた。風がそよぎ、ひかりはまぶしく、あとはなにもない。巨大な球が空にのぼってはしずみ、こんどはつめたい闇。そのくりかえし。ただそれだけだと。

 よう、と背後で野太い声がする。

「ちび助。さぼりか」

 隻眼の巨人はぼくを踏みつぶさないように気をつけながらゆっくり腰を下ろす。同胞の拇指の上に気にならないのかと言ったことがあるが、落ちてしまえば拇指などただのごみだと言った。

 千年だ、とかつて彼は言った。千年。お前ら単眼のちび助には想像できんかもしれんが、それだけ長い間俺はこの眼に苦しんだ。いいか。みんながみんな単眼ひとつめなら問題はない。だがみんなが双眼ふたつめなのに単眼だと具合が悪い。

 彼はぼくたち単眼と同じ軌道部配属だ。たまにそういう落ちこぼれの巨人が、機械を押していることがある。ぼくらとしては、デカブツが手伝ってくれるのはありがたいし、急に千年とか言われても、それがどれだけの長さで、一瞬や一日とどう違うのかよくわからないからどうでもいい。ぼくはただ今日働きたくないだけだ。

「家族がいなくなってどんな気分だ」

 ぼくは肩をすくめる。こんなデカブツにしたら、豆粒ほどの単眼が肩をすくめようが尻をすぼめようが、どうでもいいだろうけど。

「わからない。ただまあ、悲しいよ。たぶん悲しいっていうんだろ、こういうの」

「胸に穴があいて、つめたい空気がひゅうひゅう流れこんでくる感じか?」

 そうだな、とぼくは少し考えた。

「……胸に重たい金属の塊が入って、それがいつまでもあたたまらない感じかな。ほら、ぼくらがいつも押してる機械は、動かしてくまにどんどん熱くなってくるだろ。だがここにあるのはいつまでもずっとつめたいままだ」

「俺たちが憎いか」

 ぼくは大きく息をついた。

「そういう気持ちってのはおそらく、抱えてるだけで重たくて苦しいだろうな」

「だから抱えたくないのか?」

「どうだか。わからないよ」

 隻眼が黙ったので、こんどはぼくが質問してみた。

「千年って、どんな感じだった?」

 隻眼は低くうなった。

「長かったともいえるし、短かったともいえる。本当はそんなものなかったんじゃないかとも思える」

「千年が?」

「過ぎ去ったものってのは、そんなものだ」

 隻眼は腕をゆっくり上げ、額のあたりを掻く。ぼくは濃い影に包まれる。

「いくら大きくても、いくら重たく長くても。今ここにないものってのは、どれだけ思い出そうとしても、お前のまぶたみたいにちいさく、どうでもいいものに思えるものなんだ」

 ぼくはひとつきりのまぶたでまばたきした。

「なあ、双眼に生まれたかったか?」

「さあな……」

「答えろよ」

 隻眼は上げた腕をゆっくりと戻した。

「いちども双眼になったこともなければ、生まれた時から隻眼だし、よくわからん。よくわからないうちに、忘れたさ」

 ぬるい風がやってきていた。誰かが風起こしの機械を動かしている。時間なんてわからなければいいのに。そうすれば何にも気づかず、ここでずっとさぼっていられるのに。

「そろそろ戻る」

「ああ」

 ぼくは丘を降り、ずんずん歩いた。途中でいちどだけ振り向くと、隻眼のやつが、ぼくと同じく、ありもしない空をみあげているのがみえた。

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拇指の丘 富永夏海 @missremiss

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