第49話 変化

 白い。瞼を閉じているのに、白い。


 さらさら、音がする。何かが静かに滑り落ちるような音。


 ……確か、僕は。


 そうだ。ディノ・スチュワートに声をかけられて、振り返った途端に気持ち悪くなったんだ。

 あの後、どうなったんだろう。

 ネオが上手く収めてくれたようだけど、クランハウスまで運んでもらったのだろうか。


 それは申し訳なかった、と目を開けるが……。


「ここ、どこ……?」


 広がっていたのは、全く馴染みのない、不思議な光景だった。


 真っ白な空間に、頭上には何か巨大な透明の壺のようなものが浮かんでいた。中にはきらきらと光る黒い粒が入っている。


 そして、その壺には側面に3つ穴が空いていて、そこからさらさらと黒い砂のようなものが吹き出していた。しかし、地面に達する前に消えてなくなる。


「なにこれ」


 夢? にしても、意味がわからない。


「教えてあげようか」


 突然聞こえた声に、驚いて体が揺れる。

 いつのまにか、壺を挟んだ前方に人が立っていた。


 真っ白い髪の男の人だ。背丈も年の頃も僕と同じくらい。この空間に浮かないくらい白い肌に、白いローブ。唯一異色の金色の瞳は、やけに落ち着いた様子でゆるりと僕を捉えている。


「はじめまして、僕の分身」


「分身……?」

 何のことだろう。僕がこの人の分身……?


 でも、それよりも、この人の声をどこかで聞いたことがある気がした。こんな派手な人、1回会ったら忘れないと思うんだけど……。


「あなたは?」


「僕はガベラ」

「ガベラ……!」

 その名前に、閉ざされていた記憶が濁流のように溢れだした。


 僕は、この人のことをよく知っている。


 目覚めると、いつも忘れている夢。

 僕は何度も、この人になった。この人の記憶を見た。


「あなたは一体……」


「今から、大事なことを教えるよ」

「え?」

 僕の言葉を無視して、ガベラはゆっくりと歩みを進めた。


 壺の真下まで来ると、立ち止まる。


 よく見ると、ガベラの頭上からも黒い砂が零れていた。しかし、他の3つの穴に比べると、その量は少ない。10分の1にも満たないだろう。針でつついたような小さな穴が空いているようだった。


「これはね、7ヶ月前までは9割くらい入ってたんだよ」


 ガベラは頭上の壺を指しながら言った。

 黒い粒子は、大体、壺の7分目くらいまで入っている。


 減った、ということを言いたいのだろうか。


「それがどうしたんですか?」


 そもそも、この壺は何なのか。ここは何処なのか。わからないことしかない。


「誰かさんが惜しげもなく使うから、こんなに減っちゃった」

 そう言う割に、ガベラは楽しげな雰囲気だった。


「でね、これをこうするっと」

 ガベラは、壺を指していた手を開いて、手のひらを上に向ける。


 その直後、パリンッと音がして、ガベラの頭上からさらさらと黒い粒子が舞った。


「何してるんですか!?」


 ガベラは壺の下面の穴を広げたのだ。しかも、他の3つのどの穴よりも大きく。


 今、それが減っているという話をしたばかりじゃ……えっ。


 不思議なことに、ガベラが空けた穴は、ぴたりと粒子を零すことをやめる。そして、元通り、少量の粒子を落とし始めた。


 ……塞がっては、いないよね? どうなってるの?


 穴の状態を見ようと近づくが、見てもどうなってるのかよくわからなかった。今も他の3つの穴からは黒い粒子が落ち続けている。



「おめでとう、君もこれで役に立てるね」



「それ、どういう……」


 意味を聞こうとガベラを見た時、視界がぼんやりした。ガベラの金の双眸がすぐ側で、射貫くように僕を覗いていた。


「呼ばれてるから行きなよ。大丈夫、またすぐに会える」


 呼ばれてる? 誰に? 


 疑問だけが積み重なって、解決しないまま、意識までも揺らいできた。


「君はもう、僕のことを忘れないよ」



 最後に、その言葉だけを聞いて、僕は意識を失った……いや、意識を取り戻したようだ。


 目を開けると、側にはセイがいた。


「大丈夫?」

「うん。僕は……」

 声が掠れる。喉の奥がひりりと痛んだ。


「急に倒れた」

 セイが水の入ったコップを渡してくれる。


 体を起こして一口飲むと、喉も頭も少しすっきりした。

 僕はクランハウスの自室まで運んでもらったらしい。後でお礼を言わないと。


「あれから丸1日経ってる」

「1日!?」

 随分と寝てしまっていたようだ。


「あいつに何かされた?」

 あいつ、とはディノ・スチュワートのことを指しているんだろうけど……。


「ううん、何もされていない」


 彼の言うとおり、僕は覚えていた。

 意識を失っている間に見た光景を。


 白い空間、黒い粒子、僕を分身だと言ったガベラ……。


 今回、僕が倒れた理由はわからない。でも、ディノ・スチュワートが何かをしたわけではないと思う。


 思い出したのだ。あの時、ディノ・スチュワートの瞳の中に見た光景。



 あれは、ガベラの記憶だった。



 明瞭には思い出せない。でも、確かに何度も夢の中で見たことがある。

 僕は、ディノ・スチュワートの瞳の中にガベラの記憶を見て、意識を失い、そして、ガベラに会った。


 どういうことなのかはわからない。でも。



 僕の中で、何かが変わった。それだけは、はっきりしていた。



 僕の中にある、何か。


 思い当たるものは、1つしかなかった。


「セイ、ミルドランドに行こう」

「ミルドランド?」


命心の会ジャッジの魔女に聞きたいことがあるんだ」

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