第6話 それでも、愛してしまった。

 カミーユの家は、アトリエも兼ねた一軒家。

 なんでも、父親が絵に専念できるように援助したらしい。それだけの才能を認められたのか、その愛が才能をはぐくんだのか、どちらかしら。


 デートの後に家に行きたい、と言ったら狼狽えつつ承諾してくれた。ただし、数日間待って……とも。


「君の可憐さに見合うよう、模様替えしたくて」


 なんて、言っていたけど……きっと、部屋が散らかっていたのだと思う。

 昔、ポールも汚部屋住まいだから呼びたくないって言っていたし、芸術家って片付けより作品づくりの方を優先するのかも。

 汚い部屋が見たいわけでもないし、大人しく待った。数日後、足を踏み入れた彼の家は、多少ほこりっぽさが目立つけれどキレイに片付けられていた。


「借家? アパルトマンでなく一軒家だなんて、太っ腹ね」

「っていうか、元々別荘として持ってたらしいよ。父さんも芸術……っぽい仕事? してたんだけど、案外稼いでたのかな」

「あら、なんのお仕事?」

「……能面とか作ってたけど……なんだったのかな、あれ」


 仮面職人……? なのかしら。外国の伝統工芸よね、確か。


「母さんが日系3世だったし……興味があったのかもね」


 懐かしそうに、あおい瞳が細められる。そういえば、しばらく会っていないとも聞いた気がする。

 口ぶりからすると、家族仲は良好のようだけど……何か、事情があるのかしら。


「……ねぇ、部屋に来たってことは。……つまり、さ」

「期待してるの?」


 蒼い瞳を見つめると、彼は静かに頷いた。


「……君は?」


 気の利いたことを言おうとしたのか、薄い唇がわずかに動く。……けれど、言葉が紡がれることは無かった。

 緊張しているのか、手が震えている。そっと握ると、肩が跳ねた。


「もちろん、楽しみにしてた。他の誰よりも、あなたに抱かれたいもの」


 蒼い目が見開かれる。


「やっぱり、君……」


 どうして、怯えるような声を出すの?

 わたしの何が恐ろしいの?


 ……ノエルよりも、私の方が「怖いひと」なの……?


「なんでもない、なんでもないから……気にしないで」


 そんなことを言われたら、余計に気になる。

 ……けれど、唇に触れた温もりで誤魔化されてしまった。

 ペンだこだらけの手が私の肌に触れ、表面を滑る。


「綺麗な爪だね」


 絵の具の落ちきっていない指が、私の指と絡まる。


「あら、あなたに美を褒められるなんて」

「……君は、綺麗だよ」


 目を伏せれば、長いまつ毛が揺れる。


「そう? 平凡なほうよ」

「……そうじゃなくて……綺麗であろうとする努力と、綺麗になりたいって心が美しいんだよ」


 努力しなくても美しい顔立ちが、間近にある。


「愛されたい、美しくなりたい……その努力を、嘘だとか……騙す、とか、そんなふうに言いたくないよ」


 騙したのか、と、私をなじる声が蘇る。

 カラダの奥、ココロの深い部分から、何かがこみ上げてくる。


 嘘じゃないの。

 嘘じゃないのよ。


 わたし、わたし、きっと初めて……本気で、恋をした。

 あなたを愛してる。……本当に、心から、そう思ってるの。


 本当よ。本当の、本当に、あなたはトクベツな人。


「愛してるわ、カミーユ」

「……僕もだよ、エレーヌ」


 ベッドに二人の体が沈む。

 細い首に腕をからめ、口付ける……その瞬間、


 ──嘘つき


 蒼い瞳は、冷たく、鋭く……わたしを見下ろしていた。




 ***




「……髪、明るくなったね」


 節くれだった指先が、染めた髪を持ち上げる。


「ん……その方が、好き……なんでしょ……」


 ぼんやりと蕩けた意識の中、言葉を紡ぐ。


「あれ、言ったっけ」


 亜麻色の髪が、汗ばんだ額に貼り付いている。

 上気した頬に触れながら、頷いた。

 伝った涙は生理的なものだったのか、それとも……


 ふたりの埋められない溝に、気付いてしまったからなのか。




 ***




「素敵な絵ね」


 ベッドの上から、部屋の隅……描きかけのキャンバスを眺める。

 へりに座った彼は、きょとんと目を丸くし、そちらの方を見て「ああ……」と、ため息混じりに呟いた。


「それ、失敗作だよ」


 事も無げに、そう言い捨てる。


「色合いも、構図も何もかもダメ。なんならデッサンも歪んでる」

「……そう?」


 不満そうに語られた欠点が、私には分からない。


「十分、上手だと思うけど……」

「全然。これじゃ、あのポールでも褒めないよ」


 ぼやくように言い、カミーユはベルトを締め直して立ち上がる。

 端正な顔立ちとしなやかな肢体が、キャンバスの方に向かう。

 画布を下ろす姿さえ絵になって、美しい。


「でも、キレイよ。あなたみたい」


 何を間違えたのか、わからない。

 けれど、その瞬間、カミーユは血相を変えてわたしを見た。

 泣き出しそうにも、怒鳴りだしそうにも見える表情でわたしを見つめ……やがて、絞り出すように言った。


「君も……そう、なんだね」


 何を言えば正解だったのか、わたしにはわからない。

 ……絵の勉強は、多少ならしたつもり。

 それまで興味なんてなかったけれど、彼のためにと努力したつもり。


 それなのに、何が、彼を傷つけてしまったのだろう。


「君も……僕の…………。……」


 震えた声を誤魔化すように、彼はタバコを口にくわえる。

 ……それきり、彼はしばらく何も言わなかった。


 わたし達はきっと、愛し合うには遠すぎた。

 ……そして、無関心でいられないほどに、近づきすぎていた。

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