第4話 予感はしていた。

 彼の手がわたしの胸元に伸び、服の上から胸の形をなぞる。


「……ふーん」


 何が「ふーん」なのだろう。こういうところは、やっぱり失礼な男だ。


「……好みじゃなかった?」

「そうじゃないけど……下着にこだわるの、僕にはよくわからなくて」


 髪の色を似合わないとか言っておきながら、ファッションには疎いらしい。……疎い、というより無頓着なのかも。

 よく見れば本人の服装はいたってシンプルなシャツとデニムパンツ。顔が整っているから、むしろそれくらいの方がえるのかもしれない。


「今まで抱いてきたコはどうだったの?」

「人を遊び人みたいに言わないでよ。絶対誤解してるでしょ」


 少しだけ眉根を寄せて、彼はわたしの唇を奪った。

 慣れているか、慣れていないかでいうと、その中間くらい。そこそこ上手いし下手ではないけれど、言ってしまえば普通のキスだった。

 彼は壁にわたしの身体を押し付け、片手を腰に回す。唇を離せば、あおい瞳と目が合った。


「……で、どうだったの?」


 肩で息をしながら、再び尋ねてみる。


「……モントリオールで初めて抱いた子? それとも、ストラスブールの子? ……あ、デュッセルドルフでも経験したかな」

「ちゃんと色男してるじゃない」

「誘いを拒まなかっただけだし、回数だって別に多くないよ。……あれ、デュッセルドルフの子はどうだったっけ……」

「そんなのは聞いてない」


 どうにも、この口は余計なことをぺらぺらと喋りすぎる。でも、キスで塞いでしまえば何も問題ないわ。


「誰が一番魅力的かって、聞いてるの」


 軽い口付けだけに留め、蒼い瞳を見つめると、彼は「え」と一言だけ呟いて黙り込む。

 ……そう、それでいいの。黙っていれば本当にキレイな顔立ちで、惚れ惚れしてしまう。


「……それは……君、かな」


 そうでしょうね。

 愛されるだけの努力はしてきたもの。


「本当に? あなたにそう言ってもらえるなんて、嬉しい……」


 わたしの腰を撫でる手が強ばる。

 間近にいるから、動揺が手に取るように伝わる。……だから、更に続けた。


「最後まで……お願いね?」


 念を押すように囁いた。


「参ったな……」

「何が? わたしを喜ばせて、あなたが困ることって、ある?」


 ためらいを脱ぎ捨てさせるよう、首に手を回す。

 ワンピースから伸びた脚を絡めて、心音が響くほど身体をくっつける。


「どうしてためらうの? ……わたしのことが、嫌?」

「……ッ、嫌じゃ、ない。嫌じゃないけど……」


 言葉の続きを、彼は飲み込んだ。本能の宿った蒼が輝き、葛藤に揺れる。


「気になるわ」


 彼の理性を揺さぶり、本能に語りかけた。


「君は…………」


 ももに震える手が伸びる。熱いため息と、ゴクリと唾を飲む音が、やけに大きく聞こえる。


「君は、怖いひとだね」


 本能に天秤が傾く間際、彼はそれだけ吐き捨て、再びわたしの唇を奪った。

 どういう意味? なんて、聞く暇もなく──




 ***




 かすみがかかったような思考のまま、壁に体重を預ける。

 カミーユはしばらく呆然と突っ立っていたが、やがて、思い出したかのようにわたしに声をかけた。


「……あ、えっと……名前、何だったっけ……」


 わたしは覚えていたのに……。

 本当に、こういうところは野暮ったい男。


「エレーヌ。エレーヌ・アルノー」

「エレーヌ……えーと、エレーヌ・ジュルダン=モランジュと同じエレーヌ?」

「たぶん、そうね」


 確か、ピアニストかヴァイオリニストだったかしら。ミュージシャンだったのはわかる。

 他にエレーヌの綴りがあるかどうかは知らないけど。


「次からは、忘れないで」


 この時、わたしは心から「次」があることを望んだ。

 カミーユはやっぱり動揺したようで、しばらく返答に迷っていたけど……やがて、「うん」と頷いた。

 ここで終わらせておけば……なんて、馬鹿馬鹿しい後悔にすぎない。終わらせることができなかったから、わたし達は、あんな結末しか選べなかったのに。

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