死ねば愛してあげられる

譚月遊生季

エレーヌ・アルノーの追憶

第1話 その憎しみに生かされている。

 その時わたしは何かに導かれるよう、彼の首を絞めた。

 衝動にしてはずっと冷めていて、理性にしてはずっと燃え上がった感情が、わたしを突き動かした。


 男にしては細い首に、わたしの爪がくい込む。

 彼は驚いたように目を見開いて、床に倒れ込んだ。丸椅子がカタカタと音を立てて揺れ、バランスを保てずひっくり返る。床を転がる音が、アトリエに反響する。

 わたしの体は彼の痩身に覆い被さり、薄い胴体に馬乗りになった。尖った喉仏の下を抑え、息の流れを止め──そして、気付いた。


「……ッ、なんで……」


 思わず息を飲んだ。

 彼の頬が、青ざめているはずなのに紅潮して見える。瞳は爛々と輝き……口角は、悦ぶように歪んでいた。

 思わず手を離す。派手に咳き込みながら、彼は私を突き飛ばした。

 ぐらりと身体が傾く。彼の興奮しきった吐息が、耳にこびりつく。


「……。嘘、でしょ……?」


 驚いたのはわたしだけじゃない。彼も、目を白黒させていた。

 やがて乱れた息を整えると、さっきまで向かっていたキャンバスに視線をやり、わたしの方に戻す。

 ……やっぱり、先に気にするのはそっちなの……。


「……いきなり、何?」


 怪訝そうな声。まだ肩は上下して、震えている。……口元は緩んでいて、頬は薔薇色に染まっている。

 ああ、本当に、何から何まで訳の分からない男。


「……素敵な絵ね」


 疑問には答えず、キャンバスに目を向けた。

 下書きの状態で、しかも描きかけなのに……こんなにも目を引く。心が惹き付けられる。

 本人にとっても、他人にとっても、トクベツな才能。……わたしが持たないもの。


「……?」


 床に尻もちをついたまま、彼は首を傾げた。

 くるりと振り返って抱きつき、甘えた声で囁く。


「びっくりした?」


 わたし、ここに来てから30分、いいえ、もっと、もっとずっと長い時間、気が付いてくれるのを待ったのよ。……いつも、いつもそう。あなたはわたしを見てくれない。


「描いてる途中なんだからさ……邪魔しないでよ」


 迷惑そうにぼやくから、唇を奪った。わたしを邪険にする声なんていらない。


「ねぇ」


 欲しい。あなたが欲しい。あなたの愛が欲しい。あなたのすべてが欲しい。

 でも、あなたは何一つくれない。与える振りをして、それ以上を奪って逃げていく。……わたしを見ない。


「抱いてよ」


 蒼い瞳が揺れる。節くれだった指が頬に伸び……片方の手が、わたしの腿を撫でる。


「ああ、もう……。……優しくしないよ」


 不機嫌なまま、彼は噛み付くようキスを返した。

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