第13話坂本凪の悪夢4 ただし束の間の喜び

文高の言いなりになってから一か月、驚くほど状況は変わってない。最近は家にもあまり帰らず、文高の家のソファーで寝ることも多くなった。呼び出される頻度があまりに多すぎて、家に帰るのが億劫になってしまったのだ。最初はソファーで洗濯物を畳みながら寝落ちしてしまっただけだったのだが、文句も言われず、むしろ俺が泊まってる日のほうが奴の機嫌がよく、皮肉に晒されにくいので、なんとなく帰っていない。


 それに、案外弟単体なら、平気だなと思ってしまった。


 愛の反対は無関心だと聞いたことがあるけれど、それってきっと正しい。俺は弟の態度よりも、両親の興味が俺にないことをあからさまにされる方がつらかったみたいだ。文高に何を言われても、あいつは俺という存在をとりあえず認知している。そのことに安堵しているんだ。




 




「坂本」


 とても聞き覚えのある声に体が驚く。低く響く気持ちのいい声は、俺の恋する相手の声。


「辻」


 バイトを終えて、図書館から出てきたタイミングで、辻に声をかけられたのだ。


「坂本久しぶり」


「あぁ、最近あまり会えてないな」


 もう、前みたいには頻繁に会える日は来ないかもしれない。そんな思いを抱えながら、なんとか笑って見せた。


「文高くんの面倒見てあげてるんだろ?坂本は優しいね」


「あれ、俺そんなこと言ったっけ」


「文高くんから聞いた。優しい兄貴なんですって言ってたよ」


「そう・・・なんだ」


 外面のいい文高は、辻に上手いこと言ってるみたいだった。


「あのさ、坂本」


「何?」


 珍しく辻が会話の途中に目線を落とした。


「おねがいがあって」


 今度は目線が上がって、俺の視線と絡む。自分の体温があがったのがわかった。


「坂本のこと名前で呼びたいなって」


「え」


「だってさ、文高くんがバイト入ってきてどっちも坂本だからさ、文高くんのこと名前で呼ぶなら辻のことも名前で呼びたいなって」


「え、あ、あ、いいよ」


 なんで突然そんなこと言い出すんだ。


 頭は疑問符でいっぱいだったけど、どうにか返事を絞り出す。


「それでさ、俺のことも名前で呼んでよ」


「へ、あ、は」


「俺だけ名前で呼ぶって寂しいから」


「あ、うん、そうだね」


 俺がそう返すと辻がうれしそうに笑う。花が咲いたみたいだ。


「ありがと、また時間できたら遊ぼうな」


「ああ」


「じゃあね、凪」


 熱が体中を駆け回ってるのがわかる。


 うれしい、うれしいが加速して、でも身体は固まってて、わけがわからない。


「また!晴香!」


 離れて行く辻の・・・晴香の背中に、らしくもなく大き目の声を投げかける。すると、晴香は振り返って、また笑ってくれた。


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