無駄遣い

冬気

無駄遣い

   無駄遣い


 つい先日、余命宣告を受けた。まさか、自分が余命宣告を受ける日が来るなんて思ってもみなかった。なんだか、映画かテレビのドキュメンタリーでも見ているような気分だ。ちょっと体調が優れない日が続いたので病院へ行ったら、医者が精密検査をしたいと言い出すので言われるがままに検査を受け、気付けば余命宣告をされていた。ゴッホのフルネームのように長く、知らない言語のように難解な病名だった。正直、そんな病気はこの世に無い、と言いたかった。その病気は症例が少なく、かつ発症確率は宝くじの当選確率よりもはるかに低いらしい。治療法はなく、死ぬ直前まで体には何の異変もないらしい。他に分かることは医師から伝えられた「どの患者も、発病からが三ヶ月で死ぬ」ということだけ。そして、その三ヶ月目がクリスマスイブだということ。人々が幸せに包まれる日に寿命を迎えるなんて、この病気はそうとう意地悪だと思う。こんな病気になるくらいなら宝くじの一つでも当たっていいような気もするが、死期が近いことを知りながら宝くじを買うのもバカバカしいので買わなかった。

 余命を宣告されてから日々の過ごし方が変わる、と思ってた。例えば一日の価値や他の人のことを大切にしたり、やり残したことをやりきろうとしたり。もしくは死までの具体的な数字に怯えるようになったり。だけど実際は何も変わらなかった。今まで通りに起きて、食事を摂り、働き、寝る。その繰り返し。もしかしたらこれ以上何かを大切にしたり、何かを悲観する心の余裕が無かったのかもしれない。

 そんな無味乾燥な日々の中、一件の着信が普段静かなスマホを震わせた。俺に電話をかける人間などいるのか。不審に思いながら通話を始める。電話の向こうからは、高くよく通る声が聞こえた。

『こんにちはー! わたくし、皆様に幸せについてご紹介させていただいてる者ですー! 最近、不幸だなーと思うことや辛いなーと思うことなどございますでしょうかー? もしよろしければですね、神様の救いのお話をまとめた本がありましてですね、そちらを読んでいただければ幸せになれますよー! わたくしもその本を読んでから毎日が幸せで……』

 と、このような話が二分ほど続いた。が、終わる予感がしなかったのでそのまま電話を切った。何が『幸せになれる』だ。本当に本を読んだだけで救われるのなら、この病気をさっさと治してもらいたいし、こんな人生をなんとかしてもらいたいものだ。電話を切ってから、電話の向こうの、本で幸せになった愉快な人に八つ当たりの一つでもしてやれば良かったと後悔した。

 しばらくするとまたスマホが震えた。また変な勧誘じゃないと良いが、と思いながら通話ボタンを押す。

『こんにちは。朝生と申します。マチヤサクさんはいらっしゃいますでしょうか?』

 アサオ。その名字は聞き覚えがある。

「俺が待夜サクですが……」

 朝生。彼女は高校の同級生だった。正直あまり印象がない。名前はかろうじて覚えているが、それ以外はぼんやりとしか思い出せない。教室で一人、外をずっと眺めているか本を読むことしかしていなかった気がする。いわゆる『ぼっち』ってやつだ。俺も人の事言えないけど……。多分、電話がかかってこなければ一生思い出さなかったと思う。本当にそれぐらいの印象。

『ああ、あなたが待夜君ですか。多分覚えてないと思いますが、高校の同級生だった者です』

「はぁ……で、その朝生さんが何の用で俺に電話を?」

 今思うのも変だが、電話越しの朝生の声は綺麗だった。高校の時、声を聞いたことがなかったから少し驚いた。

『単刀直入に言いますね。今夜十二時、大観覧車の前に来てください』

「大観覧車って、今は営業していない遊園地の?」

『はい。そこです。では今夜十二時に──』

「待って待って。なんで俺がそこへ行かなきゃならないのさ?」

『私はあなたの『行ったこと』を知っています』

 なんだ『行ったこと』って。

『では、今夜十二時にお待ちしております』

 そう言うと朝生は電話を切った。通話が終了したことを告げる電子音が脳に響いた。

 深夜十二時までの間、俺は朝生の言った『行ったこと』を考えた。単調な味しかしない夕食を食べるときも、家用の服から外出用の服に着替えるときも、めったに履かない靴を履くときも、家のカギをかけるときも、言われた大観覧車へ自転車を走らせるときも、遊園地の立ち入り禁止のテープを越えるときも、大観覧車の下で朝生を待つ間も。ずっと、ずっと、ずっと。しかし何も思い当たることが無い。

 寂れた遊園地の中、スマホを取り出して時間を確認する。明かりなんてないからスマホの光だけが頼りだ。あと五分ほどで深夜の十二時になる。デジタル表記の時計の数字がゆっくりと、しかし一瞬で変わっていく。

 あと一分。周りには誰もいない。当たり前だ。この遊園地は何年か前に閉園した。アトラクションは錆び付き、建物にはツタが絡み、割れたガラスが所々散らばっている。取り壊すお金をしぶったのだろうか、ずっと放置されたままだ。まるで、存在自体が無かったことにされてるみたい──

『こんばんは』

 突如人の声が耳に入った。俺は突然のことに驚き身構える。声のした方を向くと朝生がそこにいた。高校生の時の朝生をぼんやりとしか覚えていなくても直感的に朝生だと分かった。電話の向こうと同じ声。

 朝生は表情ひとつ変えないまま、俺に近づいてくる。一歩進む度、クリーム色のカーディガンが風に踊る。朝生は、手を伸ばせば俺に触れられる距離まで近づいてきた。そういえば、さっきからスマホの画面はスリープ状態だ。つまり明かりが無い。なのに俺は彼女が見えている。しかし、その理由はすぐに分かった。園内の街灯が全てついている。もうここには電気なんて来ていないはずなのに。しかし、その疑問を深く考える前に朝生が喋った。

『とりあえず、それに乗ってゆっくり喋りましょう』

 朝生が指さした先には、先ほどまで今にも崩れそうだったこの遊園地のランドマーク、大観覧車が何食わぬ顔で元気に回っている。俺は狐につままれたような気分になった。いや、もしかしたら現在進行形で狐につままれているのかもしれない。

『行きましょう』

 俺の返事も待たずに朝生は俺の手を掴み、観覧車へ歩き出す。その手はひどく冷たかったが、ひんやりと心地よかった。そのまま観覧車の一つのゴンドラに連れていかれ、互いに向き合って座った。観覧車は思ったよりも速い速度で回っているようで、あっという間に観覧車の中腹まで着いてしまった。

『では本題に入りましょう 』

 朝生は表情一つ変えないまま俺にそう言った。

「分からない」

『何がですか?』

「ここに来るまでずっと考えたんだけど、俺の『行ったこと』って何なのかが全く分からない」

『無理もありません。恐らく、あなたにとっては小さなことなのですから』

 朝生は感情の薄い声でそう言った。しかし、俺は彼女に何かをしてしまったのだろう。なんとなく悪い方向な気がする。

 ごめん、と先に言おうとしたが、彼女の方が早かった。

『失くした栞を見つけてくれてありがとうございました』

「栞?」

 記憶を探るとぼんやりと思い出してきた。高校の時、朝生の栞をたまに立ち寄る校内図書館で拾った。だが、喋ったこともない相手になんて言って返せばいいか分からず、翌日、朝一番に登校し朝生の机の上に置いたことがある。登校してきて机の上の栞に気付いた朝生は不思議そうな顔をしていたが、わざわざ「俺が拾った」と言うのも恩着せがましく思って何も言わなかった。

「それだけのためにわざわざ?」

『ごめんなさい……。いきなり呼び出して迷惑だとは思ったのですが、どうしても『時間』がくる前に伝えておきたくて……』

「時間?」

『ええ、私、実はもう死んでるんですよ』

 一瞬、俺は今、とんでもなく精巧につくられた映画でも見てるような錯覚におちいった。死んでいる? 意味が分からない。

『突然そんなこと言われたら驚きますよね』

 その後、朝生からは作り話のような話を聞かされた。

 朝生は大学卒業後、六月ごろに車との事故で死んだらしい。『あの痛みは二度と経験したくないですね』と飄々とした顔で言うので、思わず「死んだからもう経験できないでしょ」と言ってしまった。言ってから、気に障ったかもしれないと思ったが朝生は大して気にした様子もなく『確かに』と言った。そして、どうやら死んだ後というのは、天国や地獄に行くわけではなく、現世のコピーのような場所で過ごすらしい。これが俗に言う『あの世』にあたるらしい。ただ、死んですぐあの世に行けるかというとそうでもないらしく、しばらく現世で過ごすことになるそうだ。その猶予期間が先ほど朝生の言った『時間』らしい。だいたい三ヶ月だそうだ。しかし、姿は見えないのでいわゆる『幽霊』状態になる。しかし例外があり、現世で自分のことを一番強く覚えていてくれている人の前には姿を現すことができるらしい。そしてどうやら俺が現世で朝生を一番強く覚えていることになるそうだ。ただ、一番覚えていても、それが名前をかろうじて覚えている程度だというのはどこか虚しくなった。

 気付いたら観覧車は頂上をとっくに過ぎていた。久しぶりの誰かとの会話が楽しくて時間を忘れてしまっていたようだ。もう残りは全体の四分の一ほどしかない。唐突に朝生は少し微笑んでこう言った。

『私、嬉しかったんですよ。私の存在を認知してくれている人がいて。あの栞には名前を書いていなかった。なのにあなたは私の栞だと分かった』

 朝生は一度うつむいて、そしてまた俺をまっすぐ見る。

『改めてありがとうございました。もう、あなたの前に現れることは無いでしょうから安心してください。ただ、この世に少しでも私のことを覚えている人がいると嬉しいものですね』

 朝生は音ひとつ立てずに立ち上がり、少し名残惜しそうな顔をして俺の方を向く。

『では、さようなら』

 そう言うと朝生はゴンドラの扉を開け俺に背を向けて空に飛び出した。

「朝生ッ!」

 何が起きたかを理解しきる前に、俺は体中の筋肉を総動員して朝生の腕を掴む。が、掴んだ手に感触は無い。朝生の腕は確かに掴んだ。が、朝生の腕は俺の手をすり抜けた。

 朝生は観覧車の影に吸い込まれるようにして落ちていった。俺は思わずゴンドラを飛び出した。幸い地面からそう高くない位置までゴンドラが下がっていたので、足の裏がしびれる程度で済んだ。朝生の落ちた位置に駆け付けたが、そこに朝生はいなかった。気付けば周りの灯かりは全て消え、観覧車の照明が所々ついてるだけになっている。

『まさかあなたまで飛び降りるなんて。心臓が止まるかと』

 後ろから声がした。

「……それはこっちのセリフだよ」

 俺は心を落ち着けつつゆっくりと振り返った。

「あのさ」

 朝生はきょとんとした顔で俺を見る。

「俺さ、残り三ヶ月しか生きられないんだって。病気でさ。余命の過ごし方わかんなくてさ」

 ここまで言って、何言ってんだと思った。しかし口は動くのをやめない。

「俺、ずっと生きるのに必死で余裕なくてさ。やりたいこと我慢してた」

 朝生は何も言わずに俺をまっすぐに見る。

「でもさ、今さらわがままを言って時間を浪費するのも勇気が無くてさ。だから……」

『余命を二人で無駄遣いしよう、ってことですか?』

 無駄遣い。その言葉に一瞬、心が躍る。もう、我慢なんかしなくていい。

『では、さっそくあなたの家に泊めてください』

「へ?」

『私、今、家がないんですよ?』

 俺の提案が通ったことに今さら気付く。

「じゃ、じゃあ、案内するよ。あ、でも俺自転車で来たから押して帰らなきゃ……」

『いいじゃないですか。二人乗りしちゃいましょう。記念すべき最初の無駄遣いですね』

「でも注意されるんじゃ……あ」

 朝生はその感情の薄い顔を少し崩し、フフッと笑って言う。

『お忘れですか? 私、幽霊なんですよ? あなた以外には見えませんよ?』


 この日、最初で最後の、三か月間の盛大な無駄遣いが幕をあけた。

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無駄遣い 冬気 @yukimahumizura

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