第7話 断罪の時

 

 今度こそ完全に顎を外すケンガルに、どよめく貴族たち。

 しかしケンガル以外の人々のざわめきにはむしろ、シャノンとアークボルトを祝福する歓声も混じっている。


「お、おぉ……!」

「国の英雄と、苦難を切り抜けた錬金術の天才が……」


 こほんと一つ咳払いをしながら、アークボルトはぽつぽつと続ける。

 その言葉には先ほどまでと違い、どこかに照れ臭さが混じっていた。


「このところ、そろそろ身を固めてはどうかと……陛下までが私に仰せでな。

 縁談も持ち込まれたが、生来の不器用もあってなかなかうまくいかず

 ……そんな時に出会ったのが、シャノン嬢だった。

 お互い不器用同士だったものの、戦いの中で共に守り守られるうち――

 知らず知らずのうちに彼女も私も打ち解け、言葉を交わし合っていた。

 どれほど虐げられようと自分の好きな錬金術を諦めず、遂には大勢の人々を危機から救った彼女を、私は生涯の伴侶としたい――

 心から、そう思った。

 この件を陛下に報告したところ、まるで父親のように喜んでくださったよ」


 アークボルトの語りの途中から、ケンガルは両膝をガクガク震わせていた。

 既にシャノンとアークボルトの仲は、国王公認だった。そんな破滅的な現実を、ケンガルは到底受け入れることが出来ない。


「そ、そんな……

 ゆゆ、許さんぞ! シャノンは僕のモノだ!!

 陛下? あのクソ老害が何と言おうが関係ない!! 貴様のような、どこの馬の骨とも知れん騎士風情に、シャノンを渡してたまるかぁ!!」


 子供のように喚きながら、突然ケンガルは腰のレイピアを抜き放った。

 貴族のたしなみとしてぶら下げているだけで、せいぜい目下の者たちを脅す時くらいにしか使っていなかった金色の剣を。


「け、決闘か!?」

「馬鹿なことを。あいつの腕であの英雄に勝てるわけがなかろう」


 最早ケンガルをあいつ呼ばわりも辞さない貴族たち。

 そんな彼らに、とうとうケンガルがキレた。レイピアを宙に振りかざし、その切っ先を無防備な人々に向ける。


「下衆どもが……さっきから黙って聞いていれば、散々僕を馬鹿にして!

 お前たちこそ、真っ先に粛清されるべき古い貴族どもの象徴だ。僕は最初から、お前らの醜悪なもくろみなんてお見通しだったんだ。

 強者にはこびへつらい、弱者は粗暴に扱っていじめ抜き、世渡りしか能がなく二枚舌はお手の物。この世は全て自分のものと思いこんで生きている豚ども――」


 全部自分のことじゃないか。

 そう囁く貴族の声は、一つや二つではなかった。


「貴族なんて名ばかりの畜生どもにどれほど軽蔑されたって、僕は痛くも痒くもない。

 無駄に豪華な舞踏会だって、昔のくだらない風習にすぎない。元々僕は大嫌いだったんだ。

 シャノン、僕と一緒にこんな豚どもを処分して、腐った王宮を変えてやろう。

 従順で素直で働き者の君とならきっと、僕の長年の望みも――」



 《黙れぇええぇえぇぃ!!!》



 地の底から響くような大音声。明らかにシャノンのものではなく、アークボルトでもない、威厳ある老人の声だった。

 と共に、ケンガルの足元の床が突如、崩壊した。


「ふ、ふぁああぁあああっ!?」


 この年の男性にしてはやたらと情けない悲鳴を上げながら、床下へと落ちていくケンガル。

 敷き詰められた紅の絨毯のど真ん中にぽっかり開いた穴。ばしゃんという水音と共に響く、ケンガルの絶叫。

 周囲の者たちは全員青ざめながらこの光景を見守っていたが――



 静々とそこに現れたのは、アークボルトに手をひかれたシャノン、その人だった。



「ケンガル様。私、申し上げたはずですよ。

 この古い大広間は以前から、床が軋んでいて危険だと。お義父様も仰っていましたが、特にそこの床下には汚水が溜まりがちですぐにでも改修が必要だったそうで。

 それなのに貴方はその忠告さえもずっと無視し、今日も無理矢理、この広間を舞踏会に使ったから……」

「ぐ、ぐぼふぁ……しゃ、シャノ……貴様……!」

「ごめんなさい。私の声が小さすぎて、聞こえていなかったようですね」

「ひ、ひぃい、虫が、虫が口の中にぃいいぃ!!」



 床下に溜まった汚泥の沼に落ちたケンガル。鼻がもげるほどの悪臭が一気に場内に広がったが、それでもシャノンは動じない。

 そんな彼女の表情には、ケンガルの一挙手一投足に怯えていた頃の弱々しさは一切見られなかった。その栗色の瞳は冷徹ささえ秘めてケンガルを見下ろしている。

 そして、シャノンとアークボルトのさらに頭上――天井から轟いた声は。



 《ケンガル・ブルツウォルムよ――

 儂は失望したぞ》

「こ、この声はまさか……

 タルミナ国王陛下!?」

「な、何故陛下の声がここに!? まさかこの場所まで……?」



 ただでさえよく響くその低い声はドーム状の天井に反響し、さらに威厳を増す。

 慌てふためいて周囲を見回しつつも、それでもひざまずく貴族たち。

 汚泥にまみれながら、さすがのケンガルもハッと顔を上げた。


 《儂はこれまで国の未来を想い、そしてブルツウォルム卿との古くからの仲もある故、お前の数々の非礼は敢えて看過してきた。

 いにしえより続くこの国の貴族制が腐敗し、変革の時を迎えているのは儂とて承知している。

 だからこそ、ケンガル。ひと昔前ならばその場で首をはねるべきであろうお前の発言にも、敢えて儂は耳を傾けてきた。有望な若き芽をむざむざ摘むことはないと――

 だが、それこそが過ちだった。貴様を甘やかすことで、本当に育てるべき芽を潰すところだったぞ!!》


 声と共に天井に映し出されたものは、紛れもなくタルミナ国王の姿。

 そのすぐ下で揺らめく、シャノンとアークボルトの影。


 《才能溢れるシャノン嬢から錬金術を取り上げた暴挙!

 婚約者たる彼女に対する数々の理不尽な暴虐、不貞!

 さらには自身の本分たる領地管理さえも彼女に押し付けた上、みすみす魔物の侵入を許した怠慢!

 それを追及されてなお開き直り、他者をあざけり――

 国を守る騎士団や、王宮さえも愚弄する傲慢!!

 これらは全て、万死に値する罪である!!》


「ひ、ひぃぃいいいぃ!!」


 国王の言葉に、さすがのケンガルも泥だらけのまま悲鳴を上げるしかない。

 マリーゴールドを始め、周囲の貴族たちも皆ひどい臭いに顔をしかめ、ケンガルは文字通りの鼻つまみ者となってしまった。

 崩れた穴を這い上がろうとして滑り落ちながら、ケンガルは必死で頭上のシャノンに手を伸ばす。


「た、助けて、助けてくれ、シャノン!!」


 そんなケンガルに――

 一旦はアークボルトに制止されたものの、その手をゆっくりと抑えながらシャノンは一歩進み出た。

 そして彼女は、自らの声で、自らの想いを、はっきりと言葉にする。



「ケンガル様。

 今流れた映像の数々は全て、私の創り出した『映写の秘石』によるものです。

 国王陛下のお姿とお声は、その技術を応用して試作した『ヴォーチェの琴線』によるもの。

 ここで起こったことの全てを陛下にお伝えし、同時に陛下の現在のお姿とお声もこちらへ伝えることができる道具です」

「……しゃ、シャノン、君は……!?」



 それはケンガルが想像だにしなかった、シャノンのよく通る声。

 ケンガルのみならず、マリーゴールドも貴族たちも、意外なほどに大きくなったその声に驚愕していた。



「しかし、私のこの小さな声だけは……

 錬金術でも、どうにもならなかった。

 どんな道具を使っても、私の声が人々に響くことはなかった。

 どれほど努力しても、声だけはどうにもならない。

 私の言葉は、誰にも響かない――本当に失望したものです」


 座り込んだままのマリーゴールドも目を見張る。


「で、でもシャノン……貴方さっきまで、すごくよく響く声で喋ってたじゃない。

 あれも錬金術の力じゃなかったの?」


 そんな親友を見下ろしながら、シャノンは静かに言い放った。



「ケンガル様。それに、マリー。

 私が小声にならない時は3つあります。

 ひとつは、自分に危機が迫った時。

 もうひとつは、あらかじめ与えられた言葉をそのままそらんじる時。

 そして最後のひとつは――」



 シャノンはケンガルを見下ろしながら、静かに言い放つ。

 その声に秘められた激昂は、国王のそれすら遥かに凌駕し――

 ケンガルの最後のあがきを、ねじ伏せた。



「どうしても許せない人間を、相手にした時です!」

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