ハロウィンの夜の婚約破棄には、ご用心

新 星緒

ハロウィンの夜の婚約破棄には、ご用心

「フィオリーナ・カルネヴァーレ! 貴様との婚約は破棄する!」

 わたくしの婚約者、ピエトロ王太子殿下の叫び声が広間に響き渡った。


 今日、十月三十一日は殿下の誕生日。そして、遠い異国では《はろうぃん》という祭りの日だという。その祭りの伝統を去年から取り入れて、殿下の誕生会は仮装夜会となっている。


 ゆえにピエトロ殿下は吸血鬼の扮装をし、その後ろで玉座に座る国王陛下は国教の最高指導者の祭服を着ている。そして殿下の傍らには下着姿にしか見えない男爵令嬢カーラル。頭に乗せている付け耳とお尻に生えている尻尾から、たぶん猫の仮装なのだとは思うけれど、なんとも下品な出で立ちだ。


 ちなみに、わたくしは吸血姫をテーマにした仮装で口には牙をつけ、ドレスには血しぶきが飛んでいる。偶然に殿下と種族が被ってしまった。失敗したと思っている。


「なぜなら!」とピエトロ殿下が続ける。「貴様が大嫌いだからだ!」

 カーラルがいやらしい笑みを浮かべる。陛下も蔑みの表情だ。


「殿下。お戯れでしょうか。それとも――」

「無論のこと、本気だ!」

 わたくしの質問を遮ってピエトロ殿下が叫ぶ。そんなに大きな声を出さずとも聞こえるというのに。きっと広間の隅にいる貴族にまで、しっかりと声が届くようにと考えてのことだろう。

 思い思いの仮装をした貴族たちが、息を潜めてわたくしたちの動向を伺っている。


 カルネヴァーレ家はこの国の筆頭公爵家で、ロンドーニ王家と同じくらいの歴史、財産、軍力がある。それなのに我が家が独立国家を興さないのは、太刀打ちできない大国ヴァハーヴァが隣にあるから。小国の主になるよりロンドーニと協力して中規模国でいるほうがいい。


 ヴァハーヴァ王家に曽祖父の妹が輿入れして以来、関係は良好で、個人的な交流も続いるから近年は侵略される心配はないけれど、いつどうなるかはわからない。


 だから長年カルネヴァーレ家と王家は協力していたし、そのために先代陛下はピエトロ殿下とわたくしの婚約をお決めになった。

 だというのに陛下もピエトロ殿下も、感情論で婚約を破棄だなんて。


 もしかしたら、やるかもしれない、とは思っていたけれど。


 陛下の母君は、先代陛下の側室だった。実家は男爵家。ゆえに王位継承権は低く、昔は母子ともに軽んじられた扱いだったそうだ。だから陛下の妃にあてがわれたのも無名の男爵家の令嬢。

 そのため高位貴族をひどく嫌っていたようだ。


 腹違いの兄たちが、偶然に流行り病で次々と亡くなったおかげで王太子となり、ついには一年半前に国王に即位した陛下はすぐに高位貴族たちの排斥を始めた。

 それでも我がカルネヴァーレ家は父が陛下よりも賢く人望もあったために、地位を守れていたのだけど――。


「貴様も弟も不敬罪で収監だ! カルネヴァーレ家の全財産は没収をする!」

 嬉しそうに叫ぶピエトロ、うなずく国王。


 いったい、わたくしたちの何が不敬罪に当たるというのか。問いただしたとしても、まともな答えはないだろう。 


 半年ほど前に父が不審な死を遂げ、後を追うように母も亡くなり十歳の弟が爵位を継ぐと、カルネヴァーレ家の立場は急速に悪くなった。わたくしも家人たちも一丸となって対抗策を練ったけれど、残念ながら父のようには対処できず、状況は悪化の一途。


 それでもヴァハーヴァとの関係があるから、カルネヴァーレ家を取り潰すことは悪手だとわかっているはずと期待していたのだけど。やっぱりというかなんというか。国王もピエトロも掛け値なしの愚か者だったみたい。


「我がカルネヴァーレ家が無くなれば、ヴァハーヴァと対等な交渉はできませんが?」

 一応、ピエトロに教えてさしあげる。

「はっ」と鼻で笑う王太子。「財産軍力をすべて王家が得るのだから、国力は変わらないではないか」

「……そうでございますか」


 ため息をつきたいのを必死にこらえる。

 この阿呆親子は、カルネヴァーレ家傘下の者たちが、おとなしく王家に下るとどうして考えるのかしら。お父様の死の謎も解明していないというのに。


 先代陛下は聡明なかただったけれど、この親子の教育だけは大失敗をなさったのだわ。

 父の話ではほんの一度差した魔のせいで、先代陛下は側室を持つことになったそう。だから情も関心もなかったらしい。母子には気の毒なことだとは思う。でも、だからといって関係のないカルネヴァーレ家を潰す理由にはならない。


「それにわたくし、あちらの王家とは現在も個人的に交流がありますが」

「だからどうした」とピエトロ。「お前なぞいなくとも、この――」と傍らのビッ……もとい、令嬢の腰を引き寄せる「可愛いカーラルがあそこのバカ王を悩殺して上手く交渉するさ」

「バカ王だなんて、彼の耳に入ったら大変ですわよ?」

「なんの問題もないね」とピエトロ。


 ヴァハーヴァの王バルタザールのことは、わたくしもピエトロもよく知っている。三人で一同に会したのは十年も前で、そのころの彼は女児のように可愛らしく、そして引っ込み思案だった。だからピエトロも強気なのだろう。

 今は並ぶものがいない剣技と、二度も反乱を一瞬にして鎮圧したことから獅子王と呼ばれているというのに。


「衛兵!」国王が叫ぶ。「フィオリーナを捕縛せよ!」

 と、どこからともなく

「お待ちを」との声がした。

 若い青年の声。それと共に狼の頭の人がやってきて、わたくしに並んだ。血しぶきが飛んだ男性の衣装を着ている。


「なんだお前?」とピエトロ。

「狼男」と青年。

「まあ誰でも構わぬ。衛兵、そいつも捕らえよ!」

「その前に」狼男が上着の下から丸められた紙を取り出し、わたくしに渡した。「前カルネヴァーレ公爵暗殺事件の簡易報告書。実行犯を捕まえたぞ」

「まあ、ありがとう! なんて素晴らしいタイミング」

「ドラマチックだろ?」と狼男。


 王とピエトロの顔が歪む。わたくし、にっこりと微笑んで差し上げる。

「わたくしだけでは解決できなかったので、彼に頼みましたの。さて犯人は――」

 紙を縛る紐をとこうと手をかける。

「衛兵!!」

 王とピエトロが叫ぶ。すると広間にゾンビメイクの衛兵六人が入って来た。

「早くあのふたりを捕まえろ!」


 王の命令に衛兵たちは駆けるでもなく、だけれどキビキビとした動きでこちらにやって来て、わたくしと狼男の後ろに一列に並んだ。 


「……なにをしている?」王が問う。

 不安そうな顔つきになっている。ピエトロとカーラルも。少し前は勝ち誇った表情だったのに。


「陛下、ピエトロ殿下。誕生会のドレスコードを仮装にしてくださり、感謝しますわ」

「おかげで、潜り込んでも誰にも止められない」

 狼男はそう言うと、両手で頭を外した。輝くばかりの金髪が流れ落ちる。


「げっ、バルタザール!」王が慌てて玉座から立ち上がる。

「えっ、バルタザールだと? なんでこんなところにっ!」叫ぶピエトロ。

「決まっている、フィオリーナに助けてほしいと請われたからだ」

 わたくしの古馴染み、バルタザールが答えると王は

「衛兵、衛兵!!」とみっともなく叫んだ。


 今夜の件は、今年の誕生会も仮装夜会と決まったときに計画をした。婚約破棄のオプションがついたけれど、それ以外はすべて予定どおりに進んでいる。


「彼らは」とバルタザールが背後のゾンビ衛兵たちを示した。「我が精鋭部隊の中の更に精鋭だ。この城の兵士はすでに制圧した」

「わたくしも頑張ったわ」

「そうだな。君の剣も相変わらず素晴らしかった」とバルタザール。

「仮装のおかげで血しぶきも演出だと思われて助かりましたわ、陛下、ピエトロ」

 ふたりに笑みを向ける。彼らはまったく楽しくないようで蒼白になった。

 お父様を殺され、家門も危機という状況でわたくしがおとなしく黙っているはずがないじゃない。やられる前にやる、よ。


「よくそんなドレスで戦える」とバルタザールが笑う。

 もっとも衛兵の大半は戦わずして降参した。国王一家を命がけで守ろうという衛兵は、わずかだった。


 バルタザールが半回転し、広間を見渡した。

「余はヴァハーヴァが王、バルタザール。この城は我が手に落ちた。命が惜しい者は両手を頭の後ろで組みひざまずけ」


 彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、貴族たちは次々と膝を床についた。ここにいる大半が、この一年半で勃興した新興貴族たちだ。衛兵と一緒。国王のために抵抗する気概なんてないのだ。


「さて、このとおりですが陛下と殿下、それから令嬢はどうされますか」

 わたくしの問いかけに、誰も答えない。三人とも足がガクガクしているみたいだ。

「もちろん父の暗殺犯の処遇は――」


 カーラルがピエトロを突き飛ばしてわたくしの元に駆けてきた。

「許して! 私はそれは関わっていない! 本当よ! お願い、信じて! でもピエトロはやった! 知っていることは全て話すから助けて!」

「お前っ!」

 ピエトロが叫び、それから後ずさりすると踵を返して走り出した。すぐにゾンビが追いかけ捕まえる。


 無様に泣きわめくピエトロと王。


 ――こんな情けない奴らにお父様は……。


 体の力が抜け、涙もこぼれそうになる。

「フィオリーナ」

 バルタザールに呼ばれ、彼を見る。と、彼は声を出さずに口を動かした、


『終わるまで耐えろ』


 わたくしはうなずいて、しっかり前を見た。



 ◇◇



 空高い秋晴れの午後。墓地には《はろうぃん》のかぼちゃ頭がまだ沢山飾られている。元々は先祖の霊を迎えるお祭りらしいから、人寂しいここにも飾ったのだろう。


 お父様とお母様のお墓に花を供えると地面に膝をついて目をつむり、ことの顛末を報告した。

 認めたくはないけれど、お父様の死はピエトロ親子を軽視しすぎたせいだろう。あの阿呆者たちが自分の裏をかくことができるとは思っていなかったのだ。


 愚かだったのは、わたくしも。


 先代陛下が亡くなる前のふたりはまともだったから、あそこまでするとは考えていなかった。

 どんなに後悔しても、もう遅い。


「お姉ちゃん」

 目を上げる。弟のジュストが心配そうな顔をしている。

「大丈夫?」

「大丈夫よ」

 弟を安心させるために微笑んで、立ち上がる。


「ジュスト」と言いながら、バルタザールがなぜかわたくしの肩を抱いた。「いや、カルネヴァーレ公爵。フィオリーナを貰い受ける許可をいただきたい」

「え?」

 バルタザールを見る。真面目な顔をしている。冗談ではないみたい。

「気を遣っているの? ずいぶんと見当違いだけれど」


 バルタザールが顔をしかめ、ジュストは額を手で押さえて

「あちゃぁ」と呟いた。

「なあに、『あちゃぁ』って」

「お姉ちゃん、気づいていなかったなんて」ジュストが吐息する。

「なにを?」

「フィオリーナ」とバルタザール。「俺がなんで君を助けに来たんだと思っている」

「し――」

「親戚だからでも、古い付き合いだからでもないぞ」

 先に言われてしまった。


「となると残りはひとつね」

 バルタザールとジュストがうなずく。

「うちの国がほしかったから!」

「お姉ちゃん! わざと? わざとだよね!」

「え、なにが?」

「……ぼく、先に馬車に戻っている。バルにい、ファイト」


 そう言ってジュストと、バルタザールの精鋭たちが去っていく。


「確かに、この国を攻めることは考えていたぞ」とバルタザール。わたくしの肩を離して向かいに立つ。「そもそもそのために剣の腕を磨いたし、戦術研究もたんとした」

「うちの国って、そんなに魅力的とは思えないけれど」

 だから長年、大国のとなりで独立を保てていたのだと思っていた。


「――俺、これでも第一王子だったんだが」

「知ってるわ」

「そのわりには頻繁に遊びに来ていたと思わないか?」

「ヴァハーヴァの王宮が厳格で息苦しかったのよね?」

「……そういえば、そう説明したかもな。だが俺はフィオリーナに会いたかったんだ」

「わたくし?」


 バルタザールがわたくしの目を真っ直ぐに見た。


「好きだ、フィオリーナ。君を得るためには戦を仕掛けることも辞さないつもりだった」




 彼の言葉を理解するのに、しばらく時間がかかった。

 顔が急激に熱くなる。


 つまりバルタザールはわたくしを恋愛相手として好きということ? そしてわたくしがピエトロと婚約をしていたから戦争をしてでも、わたくしを手に入れるつもりでいたということ?

 即位して一年も経つのに、いまだ婚約者すらいないバルタザール。それはわたくしのせいだったの?


 彼のことは今まで、良き友人と思っていたけど――。


「俺と結婚してくれ、フィオリーナ」

 心臓が跳ね上がる。

 わたくし、とても嬉しいみたい。

 これは彼を好きだからなの?

 それとも初めて受ける告白と求婚だから?


「わたくし、自分の気持ちがわからないわ」

「嫌か?」

「いいえ、嬉しい。だけれどあなたが言う好きと、わたくしの好きが同じかわからないの。バルタザールは友達だと思っていたから」

「それなら問題はないな」


 バルタザールはにかりと笑った。

「嬉しいと思っているなら、結婚一択だろ? これから君の『好き』を、『俺以外には目もくれないほどメロメロの大好き』に変えてやる」


 胸の高鳴りがいっそう増して、顔も緩んでしまう。

 ふと、《はろうぃん》の晩のことを思い出した。わたくしが泣き崩れそうになったときバルタザールは、こそりと『耐えろ』と言った。彼はわたくしを甘やかさない。必要なときは自分を律しろと、叱咤してくれる。


 だからこそバルタザールを信頼できる。

 彼と一緒にいたい気持ちが急速に膨れ上がった。


 だけれど彼の後ろには父の墓碑。

「でもわたくしに王妃の資格があるのかしら。判断を誤り父を死なせてしまったわ」

「あるさ」とバルタザール。「確かに君は失敗した。だがこれでひとつ賢くなった。次はないだろう?」

「そうありたいわ」

「それにあの晩、君は感情を押し込め、最後まで凛として振る舞った。威厳があった。君こそ獅子王の隣に立つに相応しい」


 目をつむり彼の言葉をしっかり考える。

「――そうね」バルタザールを見る。「少し弱気になったわ。わたくしに資格がなければ、これから得ればいいだけのことだったわ」

「それでこそフィオリーナだ」

「結婚の申込みを受けるわ」

「それは良かった」微笑むバルタザール。「まさかフィオリーナが俺の気持ちに気づいていないとは思わなかったから、さっきは焦ったよ」

「なにも言われていないもの、わからないわ」

「十歳のジュストが気づいていたのに?」

「……ジュストは殊更に聡い子なの!」

 バルタザールが声をあげて笑う。


 《はろうぃん》とやらは異国では一年の最後の日に行う祭りだという。ならば十一月の今は、新年になったばかりのはず。


 古きが終わり新しきが始まる。

 わたくしとちょうど一緒だわ。


「バルタザール」

「なんだい」

「改めて、よろしくね」

 バルタザールの笑みが深くなる。

「こちらこそ、よろしく。俺の最愛のフィオリーナ」 

 わたくしも微笑みを返す。

「では、カルネヴァーレ公爵に許可をもらいに行くとしようか」


 バルタザールとわたくしは手をつなぎ、かぼちゃ頭がいっぱいの墓地をあとにした。



 《おしまい》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハロウィンの夜の婚約破棄には、ご用心 新 星緒 @nbtv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ